- >>125 
 補足 三国遺事(1206年 - 1289年)は偽書の疑いは依然として有るが
 李氏朝鮮の中宗の正徳7年(1512年)刊行のいわゆる正徳本までは遡れるので
 1500年代には献上された事が有ったと思われる
 ちなみに中国の酪農も比較的に遅く、中国北部の黒龍江省19世紀末(1896年)にロシア人が乳牛を持ち込んだのが酪農経営の起源と言われる
- 育つ前に全部食っちゃったから。 
- 129名無し2021/07/08(Thu) 18:07:37(1/1) このレスは削除されています 
- 育てる事をしない、という意味では今の韓国と似ているよね。 
 産業も人も・・・。
- >>126 
 大正元年(1912年)の記録で「乳牛の数は五百余頭」なら
 日本とそう変わらない数だな
 「明治44年(1911年)には僅か587頭であった乳牛頭数は、大正5年には4,250頭、大正8年には7,260頭と短期間のうちに驚くべき増加となり、安房郡は大正中期に早くも日本で最も盛んな乳牛地帯となったのである。」安房の酪農のあゆみ から引用 https://e-makiba.jp/history/index.html
- 朝鮮半島って酪農どころか農耕に使った牛馬の形跡もないよな 
 東南アジア以下の農業だったのかな
- >>100 
 狼=大神ですからね
 日本だと大口真神
 世界各国にも狼の神様はいますね
- 父堕酢魔絵二 
 喰
- >>135 
 父堕酢魔絵二
 喰
- >>135 
 あまり変わらないのね
- 金弘道って19世紀初めだよね 
- 貧乏地域だから食に窮すれば食べちゃうニダ。 
- 酪農って、大変なんだよな。 
 何年もかけて、エサを与え続けないといけない。
 面倒を見続けなければいけない。
 そんな悠長な事を朝鮮人がやると思いますか?
- >>140 
 朝鮮に「春窮」って言葉があるよね。
 農民は秋の収穫を冬の間に食べ尽くして、草木や根を食べて飢えを凌いだらしいよ。
- >>125 조선왕족 도 버터와 우유를 먹었음 
 버터를 왕에게 조공 하면 군역을 면제해 줬음
- 이성계의 조상들은 만주에서 목축을 하던 사람들임 
- >>145 
 オオカミじゃなくて朝鮮人の人攫いかもよ。
 子供を攫って朝鮮人売春宿に売ってた。
- >>150 
 ところでグィチクって何だね?
- >>157 
 日本に併合されて近代化論は、
 韓国人の中でも、未だに否定してる者は、現在もいるだろ。
 というか韓国社会の主流派。
- イザベラは3、4回朝鮮に行ってる 
 朝鮮第1回 1894年1月~6月
 朝鮮第2回 1895年1月
 朝鮮第3回1895年10月~12月
 寒かったから、腐ってなかったんじゃないかな?
- 159は、>>143への話ね。 
- >>161 
 『国内運輸の便は殊に不十分にして、船舶航海の如きは、特にその不進歩の有様を呈せり。船舶構造の甚だ脆弱に不堅牢なるは、実に吾人の思い寄らざるほどのものあり。余が仁川に在留中、少しく風波あるとき、毎に前面に繋留する船舶の多くが、最も容易に最も瞬間に破壊するを見て驚きたることあり。もとより危険にして、航海に耐ゆべくとも見えず。故に少しく重要なる貨物は、たとえ運賃の高く到着の遅きにもかかわらず、牛馬背にて陸送するを常とす。』
 (塩川一太郎『朝鮮通商事情』1895年)
 当時の日本人が“朝鮮の船は脆い”と報告してる。
 朝鮮船は脆いと、朝鮮人も自覚していたから、どんなに運賃が高くて、到着が遅くなっても、朝鮮人は、確実な牛馬で陸運していた。
 現に水運業は日本企業が進出すると、朝鮮人の水運業は駆逐されて、彼らは道路が整備されてない朝鮮内陸部の陸運にシフトした。
- >>161 
 日本も山がち故に海運が主力であった。
 それはそれとして主要な街道を整備しなかったのは朝鮮王朝の無能であるし、都市や村落の中での陸運の馬匹の車両まで無かったのは朝鮮の技術的後進性の証明だねえw
 お前さんのご先祖達は陶製の甕は焼成できても精密な木工技術を要する樽、或いは桶など製造できなかったんだよ〜ん。
 ああ、もちろん水車や車輪もw
- >>161 
 地形より道路整備の問題だよ。
 物流の最大の課題は道路整備。
 船とか言ってるが
 江戸のような水路運搬してたのか?
- 奴隷制度があったから、農耕でわざわざ牛馬を使役する用がなかったということか 
 犬食も牧畜代わりということなのかな
- >>161 
 まあ、アレだよ。
 朝鮮には近代的な貨幣経済など19世紀に日本人が渡ってくるまで存在せず、従ってまともな道路網すら必要がなく存在しなかった。
 イザベラ・バードの記述でも日本人が渡って水産業を興し、沿岸漁業と水産加工を始めたとあるから、朝鮮には水産業すら無かったんだよ、未開だねえ(けけけ
- >>1 
 犬がいるから牛は必要無かったwwwww。
- >>1 
 あるものを盗み消費するだけ、育てる等考えもしなかった。
- >>1 
 スレッドの前半で話題、「トナカイ」が、面白おかしく書かれておりますが(笑)...
 ツングース系の民族の中には、実際にトナカイを飼育し、乳を飲み、肉を食す民族もいます。
 古代のシベリアやオホーツク、沿海地方から朝鮮半島に至り、トナカイの飼育だけではなく、家畜化から未熟ながらも酪農への発展があった可能性は十分に考えられると思います。
- 『加平は小さな群庁所在地で、漢江流域の小さな町の好見本である。加平には朝鮮のほかの小さな町と同じく、活気というものがまるでない。 
 「商人」は行商以外にはない。流域のどの町にもこれといった産業がなにひとつない。
 通常の意味での「交易」は朝鮮中部と北部のおおかたには存在しない。
 つまり、ある場所と他の場所との間で産物を交換し合うことも、そこに住んでいる商人が移出や移入を行うこともなく、供給が地元の需要を上回る産業はないのである。平壌を除いては、私の旅したソウルより北の全域を通して「交易」は存在しない。』
 (イザベラバード『朝鮮紀行』)
 朝鮮の商業は常設店が存在しない。
 行商人が物品を運んで、運んだ商品を定期市で販売するという。
 当然、農家も取れた農作物の余剰分しか行商人に売らないし、行商人も需要以上は運搬しない(何故なら荷車も、道も無いから、人&牛の背中で運べる量だけ)。
 日本のペシャワール会がアフガニスタンで砂漠の緑化で取水口と灌漑設備を完成させた時、その年から定期市が出来て、チーズやバターも販売してた。
 納税として乳製品は納めても、商業としての乳製品の商品、酪農は無いんじゃないかな。
 李氏朝鮮の畜産は、耕運の使用の他は、食肉や革を取る為の牧畜だけだろう。
- なるほど、耕作や運搬作業、最終的には、食肉、革製品のためね。 
 ただ、牛は放牧して草を食べさるか、餌の草を用意しなくてはいけないけど、白丁は残飯を与えればそれですんだから、どっこいどっこいね。
 白丁「牛よ、お前は毎日、重労働させられて大変ニダね。」
 牛「お前もな。」
- >>171 
 1890年代の日本人の報告でも、
 朝鮮農業は“3年に一回は凶作になる”と言ってるけど、
 牛は草があれば大丈夫だから、凶作には牧畜は強かったでしょ。
- 173名無し2021/07/20(Tue) 21:12:35(1/1) このレスは削除されています 
- 174名無し2021/07/20(Tue) 21:35:56(1/1) このレスは削除されています 
なぜ朝鮮に酪農はなかった?
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