全羅道人が中国、宋の全州市出身の華僑黒人という証拠
硯史、高麗史精読した内容の一部です。
高麗の皇室は中国、明征伐の決定が落ちて 総司令官に崔瑩が任命されると、当日夜~李成桂は息子すべてを連れて 崔瑩の家を訪ねて庭に全部伏せたまま"明征伐しなければ、すべて自決する"、大元帥に任命してくれて泣いて懇願した。
高麗本軍七万人、女真族軍二万、元一万人、合計10万の大軍が鴨緑江を越えて義州で集結することにした。
しかし、李成桂(イ・ソンゲ)の本軍七万は威化島付近に達すると、突然停止し、
このまま2週間を食べて飲んで待機状態になる(梅雨来たら回軍するための作戦だった)
すでに、義州に来て高麗本軍七万人を待っていた金軍隊(女真族)大将阿野後はこのような異常した
姿を確認した後、高麗(コリョ)室に発言葉を浮かべてこのような状況を緊急報告した。
受け取った皇室と崔瑩は土地を打って李成桂を総司令官に任命した大きなミスを悟って
崔瑩は直ちに皇城を出発し、本郡に行って軍を掌握しようと開城に到着したが、
すでに梅雨が始まって本軍は反逆軍になって回軍していた..
清の順治帝が明を征服した後、明の皇室の書庫に保管されていた資料を整理している途中にあきれた内容を発見して硯史に記録した。
李成桂(イ・ソンゲ)が威化島反逆を成功させた直後、明皇帝朱元璋に送った密書の内容だ。
"小將は本来中国、宋の全州(チョルラナムド・チョンジュ)出身の華僑として..."これに対して
朱元璋返事....."君のボールを高く評価して君を箕子朝鮮の王に任命しであるから、
君が王になって朝鮮を癒す準備をしろ。""ファンウンイありがとうして空にダので、子孫代々仕えることを先祖で仕えます.."
参考:硯史、高麗史など4種[出典]威化島回軍の真実、李成桂(イ・ソンゲ)は中国人(華僑)だった|作成者カーン
李成桂は中国 華僑
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