戦争経験者の話

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    • 1余接2019/04/08(Mon) 08:47:24ID:g2NjY5MzY(1/10)NG報告

      皆さん、家庭内に戦争経験者がいる場合、積極的にいろんな話しました?

      祖父が海軍将校で中佐で終戦を迎えてました。一緒に暮らしてましたが、残念ながら、生前に戦争の話はほとんどしてません。なんとなく、タブーな空気がありました。

      遺品のアルバム、日記などをみて思いを馳せる今日ですが、みんなは家庭で戦争の話とかしてました?

      ベトナム戦争経験者とかまだ若いから、話を聞くチャンスはたくさんあるでしょう。

      南京の話や、慰安婦、ライダイハン等々。

      私は祖父からほとんど話を聞けてないので、本やネットで知るしかないのですが、皆さんの環境はどうですか?

    • 60新劇の巨人2019/04/08(Mon) 23:26:41ID:MwMDM5ODQ(3/3)NG報告

      韓国人や中国人と戦争について語る時、同じように混乱期だったって価値観が通じない。日本だけが戦時下で、中国人や韓国人だけが戦後や現代の常識やモラルで物を語る。だから参戦国としてベトナム戦争のことを語る時に、立場が逆転する。韓国だけが戦時下で、お前ら敗戦国でベトナムで何し出かしたんだよって、日本人が言うと、反応が鈍くなる。

      要するに戦時下で何があったとしても、平和条約内で解決するのが国際ルール。混乱期があったとしても、後の外交関係に支障を来たさない様、先人たちが苦渋を呑んだ結論ということ。戦後処理も戦争経験者の決断の1つだ。

      韓国人は戦争をまともに経験しなかったから、戦後、現代において戦時中の賠償責任とやらで、外交をこじらせるんだ。先人たちの解決した結論を飲み込むことが出来ない。これこそ【歴史を忘れた民族に未来はない】だろう。

    • 61名無し2019/04/08(Mon) 23:27:49ID:AwNTYyNA=(1/1)NG報告

      >>59
      ブラック企業と比べたら旧日本軍の方が戦争で死ねるだけマシだぞw

    • 62名無し2019/04/08(Mon) 23:35:01ID:I0NDgzNTI(3/3)NG報告

      >>59
      有色人種の国が戦わず負けるってことは、当時の世界の状況では植民地になるってことだよな。
      東南アジアやインドでは、大航海時代以来既に数百年間植民地だったが日本も仲間入りだったな。
      そうなってたら現在もその状態だったろうな。
      当然愚民にされてネットなんて繋げる訳ないよな。

    • 63名無し2019/04/08(Mon) 23:44:39ID:AwNjU4MTY(1/1)NG報告

      日支事変で再招集された第6区師団所属の衛生兵の話。
      もちろん亡くなって今はいない。彼によれば、勇猛果敢な第6師団の兵は南京城内に入れてもらえず、城外で野営。
      怖いもの見たさでコッソリ覗きに行ったが、城内は静かなものであったとの事。
      「大虐殺」など信じられない。との事でした。もう少し詳しく聞いておけばよかった。
      彼の生々しい戦闘の話は忘れられない。
      第6師団関係者の小冊子を見た記憶があるが、残念ながら内容は覚えていない。
      偉い人の話は知らない。兵や下位将校の戦闘の話は聞いた。
      切り込み隊の将校の話も聞いた。勇猛果敢。つらい話は聞けない。

      友人の父は海軍、体に砲弾or爆弾の破片を抱えて一生を終えた。
      別の友人の父は軍医。シベリア抑留で死んだ。
      父は技術者であったため、教育招集で済んだが、仕事は中国の各地で危険と隣併せ。
      祖父は教育者として中国大陸に半生をささげ、終戦時の満州からの避難民の受け入れの支援。
      戦争に無縁の国民はいないと思うが。

    • 64名無し2019/04/09(Tue) 00:10:04ID:I4OTQ3NTM(4/5)NG報告

      >>58
      期待できないゴドーを待ち続けてるのかw

      俺はもう、待ちくたびれたよ

      てかね、ちゃんと話せる韓国人もいたんだ
      でも、そういう人を責めても、残酷だなと思った
      良心的な韓国人がいて、ベトナムの話を認めても
      そりゃ居なくなるわ
      傷ついて去っていき、二度と来ない

      変わるべきは、韓国を甘やかしてきた、日本人の方じゃないか
      まず我々が変わるべきだ
      対話して、そう痛感するようになった

    • 65名無し2019/04/09(Tue) 00:20:43ID:I4OTQ3NTM(5/5)NG報告

      >>59
      自分の国が攻撃されて、他に抵抗する手段がないなら
      仕方ないんじゃないか?

      命がけで抵抗するか、奴隷になるか
      日本人は、前者を選んだ
      それがクソ野郎だと思うかい?

      日本人は、強制されて、無理矢理戦ったんじゃない
      自分の国や家族を守るために、自主的に戦ったんだ

      じゃなきゃ、あんなに頑強な抵抗はできない
      強制されて嫌々やらされたなら、簡単に崩壊してるよ

      戦争指導や戦略が、適切だったとは思わない
      ただそれも、後付けで言えること
      今の日本の政治だって、おかしな事だらけだろ
      先人を責められるほど、日本人は賢くなってないぜ

    • 66名無し2019/04/09(Tue) 04:08:17ID:AzNzY4MA=(1/1)NG報告

      日本兵だけではないと思う。
      アメリカのベトナム兵も多くを語らないって言われる。

      人を殺める勇気のない奴は、薬物を投与してまで戦わせた。
      価値観を狂わせ、我武者羅に戦った。
      そんな時代だった。

      まして日本人だ。
      自慢話すら拒否して話さない。

    • 67名無し2019/04/09(Tue) 06:06:23ID:I0MzczMzM(5/13)NG報告

      >>57
      一度捕まえた便衣兵なら、裁判をかけるのが国際法の取り決めだね。
      そもそも、その記述は便衣兵でなく敗残兵だしね

       便衣兵の記述も引用しましょ
      十二月二十九日曇
      昨夜来の雪は約二寸積る。午前七時二十分整列にて、八時より鉄
      路伝ひに、常州に向ム。大平達は舟にて行く。雪道にて極めて道
      悪し。約五里前進して一小町に泊る。
      午後七時頃、便衣隊員らしい者一名連れ来り、土本等と共に惨殺
      す。大根のお菜おいしかった。

       民間人殺害の記述
      五月二十日
      午前八時頃僅か三時間の睡眠にて出発、山を越えて東方に向ふ。
      途中部落に火を放ち、敵の拠点となるを防ぐ。更に中隊長命により、良民と言へとも、女も子供も片端から突きコロす。惨酷の極みなり。一度に五十人、六十人、可愛い〉娘、無邪気な子供、泣き 叫び手を合せる。此んなに無惨なやり方は生れ℃拡)めてだ。あ〉戦争はいやだ。支那兵ならいぎ知らず、罪ない婦女子をコロす、全く見るに忍ぴず。此んな事をやり乍ら約六里前進、午後五時頃津浦線に出る。 (庄) 撒所に至り次の戦を準備す。田中伍長以下八名の斥候、敗残兵を捕へ来る。此れこそはうんと徹底的にやっ〉けるべきと、むしろ 惨酷すぎる荘一詐取し方をしてやる。川剖の牧野君も来て、火を付けて苦しめてやる。胸がすくやうだ。
      晩寝ようとする頃出発準備、師団司令部の警戒のため再び逆戻り、とう/¥夜明けの午前四時まで歩き続けて、疲れ切って休む。

    • 68名無し2019/04/09(Tue) 06:37:57ID:M4NTM3MDA(1/1)NG報告

      親父や親戚は戦中派なので
      戦時中の苦しい生活の話は散々聞かされた

    • 69虫酸が走る韓2019/04/09(Tue) 13:42:02ID:U2NDk4NTM(1/1)NG報告

      90になる叔父が終活にあたり色々物書きをしており、焼けた生家のあった所に行きたいと、2月に家族総出でその場所を探して、3月の大空襲の中、逃げた道を歩き、河があった場所を探し、亡き父の生家があった場所で写真を撮ってきた。今はガソリンスタンドになっていた。 小さな橋のたもとには、大空襲での死者数を悼む石碑が今もあった。
      うちの数軒隣が作家の山崎豊子さん生家の昆布屋さんで亡くなった叔母と同級生で父もよく遊んでもらったそう。 勿論山崎豊子さんの生家も全焼した。
      祖父は胸を患っており徴兵されずだったから戦地には行かず。当時父は4才だったかな。防空頭巾の上に鍋を被り、曾祖母に手を引かれて鍋を押さえながら走ったと、それしか話さなかった。 戦争の話を聞くのは当時中学生だったその叔父と叔母から。 祖父母は、あの空襲で、父の妹を亡くした為殆ど話さなかった。空襲当夜は姉や弟である父達とは3組に別れて逃げた。 叔父と祖父が最後に逃げ出し、雨あられと降る焼夷弾の中、防空壕に行くと満員で入れず、別の防空壕を目指した所橋の上で先に逃げた姉達全員と偶然出会い、別の防空壕も満員と聞き、最後は河の横で水に浸した布団を被って何とか空襲の止むのを待ったそう。

      背中に背負ってた父の妹は火傷が元で翌朝には亡くなった。叔父達が入れなかった防空壕に行くと、熱で防空壕の中の人達は皆蒸し焼きで亡くなってた。 そこかしこに横たわる遺体を横目に家に行き、真っ黒になった金庫を祖父と回収していると、空襲の仕上がり具合をチェックしにきたらしく、超低空飛行のB29二機が飛んできて、パイロットのアメ公と目が合った。あいつの顔は今も覚えてると。 その話を叔父は何度もする。
      子供の頃連れてもらった花火大会で、空から降ってくるような花火を見た時に、父がめまいがする。空襲を思い出すと、しばらく目を伏せてうつ向いてたのをよく覚えてる。 あちこちに焼死体もあったし、妹のこともあって、トラウマになってたんだと思う。 
      父が生きてる内に、生家のあった場所に一緒に行っておいたらよかったなーと、それが残念。

    • 70名無し2019/04/09(Tue) 14:11:11ID:AyMDQyMDk(1/1)NG報告

      σ(゚∀゚ )オレの爺さんの話…
      朝鮮人は使えねぇー
      敵前逃亡当たり前で与えられた任務を遂行不可能だと言う…

      そんな爺さんも今年で96になる!
      (元帝国陸軍少尉)

    • 71市蔵2019/04/09(Tue) 17:26:28ID:Y1NDIyOTg(1/1)NG報告

      親父は、徐州開戦からシベリア抑留まで、青春時代を兵隊として過ごしたようです。
      よく聞いたのは、「武勇伝」の類ですね。
      また、「サイドビジネス(中国人に畑を作らしていた)」の話もよく聞きました。
      中でも印象的だったのは、(酔っている時限定)戦友が戦死した時の話ですね。必ず大泣きします。
      「武勇伝」は、話を盛っているような気がします。

    • 72名無し2019/04/09(Tue) 17:41:37ID:g5NDY3OTI(1/1)NG報告

      離島で、食糧集めしてたと聞いた

      色盲だってので戦地には行ってない

      田舎の百姓だったから召集も遅かったらしいし・・

      毎日、素潜りでの食糧調達だったので戦争終わった後も海女さんぽい事してたと聞いた。

    • 73162019/04/09(Tue) 19:17:33ID:QwMTE4Nzg(2/2)NG報告

      祖父は第二次世界大戦終了後、
      帰国事業によって日本に戻る予定だったそうだ。
      帰国の為と戦勝国に用意された列車は、
      【戦勝国の中国が、戦勝国のソビエトに日本人を奴隷にして売る為の列車】だったそうだ。

      祖父の部隊は全員、日本に帰って家族に会えると思っていたのに向かう先が違い、騙された事に酷く落胆したと言っていた。
      一部戦争後も元気の残っている兵士が、奴隷にされないよう抵抗したが、射殺されたそうだ。

      WW2後、騙され奴隷にされた祖父の部隊はシベリアに送られ大半が死亡したそうだ。

      配られるパンが白いパンと黒いパンがあり
      確か黒いパンは元から硬い上に凍っていて
      噛むと歯が折れると言っていた。

      だから皆柔らかい白いパンを求めたが、
      ソビエト連邦に忠誠を誓い、ソビエトの一部になる者以外には柔らかいパンは貰えなかったそうだ。

      「部隊の中に情報を外へ流している奴がいる」
      と日本人の仲間をソビエトに捧げ、自分が助かろうとし忠誠を誓う朝鮮人もいたそうだ。
      それ以降祖父は、【朝鮮人は自分さえ良ければ仲間も親友も敵に捧げる】と思ったそうだ。

      寒くて次々と凍死してゆく話が壮絶だった。
      皆凍ったパンでもいいからパンを食べたくて、歯を折るか、体温を使ってパンを暖めて食べようとする者もいたそうだ。
      朝n皆が起きる時に、起きて来ない仲間がちらほらいたが、見てみると凍死していたそうだ。
      親友も冷たいパンを抱えたまま亡くなっていたのを見た時、とてもショックだったが、あまりに寒く乾燥していてあまり涙も出なかったと言っていた。

    • 74名無し2019/04/11(Thu) 10:14:04ID:I5ODMxNjY(1/1)NG報告

      >>4
      基本的に大口を叩く経験談は後方勤務者の結構また聞きが多いんだな
      誇ることも嫌なこともあまり話さないよ。
      各種術科学校等にいた時ぐらいの話とかはポロポロ出てくるけどね。
      油をさしたようにしゃべる人物は信用できないな。
      ちなみに、父親が伊勢にのって最後期の海戦に一ヘータイとして
      高角砲を操作してたよ。

    • 75とある日本人◆4h3P7Oerac2019/04/11(Thu) 13:17:23ID:g0OTU5MDU(1/1)NG報告

      >>1 祖父、祖母から、聞いた話は無い。 ただ、亡き父からは、有る。
      「造船人は、野蛮人」(笑)
      「台湾原住民の高砂族は勇敢だった」
      「戦時下の生活の話もしていた。」
      「米軍の空襲の話、焼夷弾が、音をたてて落下される恐怖」
      叔父の死後、通夜前に、父の兄弟の出征祝の白黒写真が見つかり、その話を聞いた。
      地域の「護国神社」の建設に関わっていた事も聞いた。
      色々と聞いたことも有るが、覚えているのは、それくらいか?
      今思えば、WGIPの影響が出ていた話も多かったと思う。

    • 76名無し2019/04/11(Thu) 13:50:33ID:Q1MjkwNzk(1/3)NG報告

      祖母から聞いた話。
      祖母の弟は中国(多分、年齢的に日中戦争だと思う)に行ったんだが、
      行軍中に病気をして歩けなくなった。
      もうだめかと思ったが、そのときの上官(隊長?)が
      「○○君!、君は○○君か?」と声をかけ、
      (同じ地元で、上官の方は祖母の弟の事を知っていたらしい)
      自分は馬から下りて、祖母の弟を馬に乗せてくれたそうだ。
      お陰で、無事日本に戻れた。

      あと、親父はガキの頃、進駐軍のジープを追っかけまわしていたそうだ。
      お約束ですな。
      (ガムとかを手渡しではなく、撒いていったそうだ)

    • 77名無し2019/04/11(Thu) 14:01:39ID:Q1MjkwNzk(2/3)NG報告

      あと、家にある古い箪笥。
      取っ手の金具があるべき場所に、紐が通してある。
      たとえ、銃弾一発にでもと供出。
      話では聞いても、そういう現物ってあまり残ってないんじゃないかな。

      それと、これも祖母から聞いた話だが。
      戦中、物資の不足で煙草も配給。
      それでも煙草が吸いたかった曽祖父(祖父だったかな)は、苦肉の策として、
      豆の葉っぱを乾かし、紙に巻いて煙草代わりに吸っていたそうだ。
      (祖母は「そんなんで煙草の味がするかい?」とかまったそうだ)
      煙が出れば吸った気になったんだろうね。

    • 78名無し2019/04/11(Thu) 16:11:26ID:Q1MjkwNzk(3/3)NG報告

      これも祖母から聞いた話(俺が生まれたとき、祖父はすでに他界していたので)

      戦争中、地区の区長をしていた祖父。
      夜、灯火管制の警報が出たとき、同じ地区の酒屋さんが家に
      「明かりを付けている家があると(坂の)下の集落から電話があった」と知らせに来た。
      (うちの様な田舎は、商売をしている家くらいしか電話や車は無かった)
      で、連絡を受けた祖父は坂の下まで下り、明かりを付けている家を探し、その家まで注意しに行ったそうだ。

      あとは、隣に住んでいたおじさんから、16歳で予科練に入り、終戦の直前まで特攻の訓練をしていたと言う話を何回か聞いたな。終戦があと数日遅かったらというレベルだったらしい。

    • 79名無し2019/04/12(Fri) 20:18:45ID:k1MjUxNzI(1/1)NG報告

      >>59
      なんでクソ野郎?
      負けはしたけど、先人が戦ってくれたから
      今の私たちが平和に暮らせるのではないですか?

    • 80名無し2019/04/12(Fri) 20:47:31ID:U2NjMzNzI(1/3)NG報告

      >>59
      そんなクソ野郎とやらの命で築かれた平和の上に、寄生するようなヤツは生きていちゃいけねぇよな?

    • 81余接2019/04/12(Fri) 21:07:18ID:kzODIwMDQ(10/10)NG報告

      >>79
      >>80

      戦争を全肯定するあまりすべての作戦までに肯定する必要はないと思う。
      59は、兵士に自爆を強いる作戦はまっとうな作戦ではないと、現代の感覚で怒っているのだろう。
      現代に生きる者としては、極めて自然な反応だと思う。

      祖父は大尉で真珠湾攻撃などいくつかの作戦に参加したのち、神風特攻隊の指導官として多くの兵士を訓練し戦場に送っている。晩年にその事で苦しんでたと祖母、父から聞いた。祖父の戦時の考えについては、生前直接聞いてないので不明です。

      59の話に出る会長さんはどういう気持ちで話したんでしょうね。

    • 82名無し2019/04/12(Fri) 21:11:04ID:c5NzYwMjA(1/1)NG報告

      私の母親は 大正13年生まれで 太平洋戦争時は女学校に行ってましたが
      戦況の悪化で 鈴鹿の海軍工廠に女子挺身隊で行って飛行機を作ってたそうです
      夜間に空襲警報が発令され こっそり空を見てたら 敵機に高射砲が命中したみたいなので
      「やった~♪」って歓声をあげたら 実はその飛行機は敵機じゃ無くて
      味方の迎撃機を撃墜していたんだそうです

    • 83名無し2019/04/12(Fri) 21:32:48ID:U2NjMzNzI(2/3)NG報告

      >>81
      当時の人々の価値観に対して、現代の価値観を基準として善悪に分けること自体が、真っ当な判断じゃないだろ。
      現代の価値観で、戦国時代の大将首取るのは残酷だとでも言いたいのか?

      当時の人命軽視の作戦だって、後からならいくらでも言えるだろうけど当時は負ければ植民地。アジア全土が白人支配の元、奴隷として生きる以外の余地はなかっただろ。
      それとも戦わずに済んだ方法がーとか延々と議論繰り返すかい?
      そりゃ、当時を生きた人は今なお罪悪感持って生きてる人もいるかもしれないが、当時を今の価値観で裁いたところで彼らの罪悪感が晴れるわけでもない。
      今の価値観と自虐史観で過去を叩いて悦に浸ってるだけだね。

    • 84名無し2019/04/12(Fri) 22:13:15ID:g3OTQ4NDQ(6/13)NG報告

      >>81
      秦郁彦『昭和史の謎を追う』第20章「桜花」特攻
       森史朗『敷島隊の五人』によると、玉井は数人の青年士官のなかから隊長候補を思案し、関行男大尉を呼んで「貴様に白羽の矢を立てたんだがどうか?」と聞いた。「一晩、考えさせてください」というのが最初の反応であったが、急いでいた玉井は「どうだろう。君が征ってくれるか」と重ねて聞き、関は「承知しました」と答えた。
       ほぼ同じ頃に甲種予科練十期生の下士官パイロット全員(三三名)に集合がかかった。玉井が「突っ込んでくれるのか」と聞いても、彼らは「皆シュンとなっていた」が「行くのか、行かんのか!」と大喝されて、全員が反射的に手を挙げたという。「全員志願」なら、あとは本部の手で編成表を作ればすむ。一時間後に要務士がリストを読み上げて、特攻隊の編成は終わった。

      『あの戦争になぜ負けたのか』文春新書
       半藤一利「山本五十六は、部下が特殊潜航艇で真珠湾を突入したいと言ったとき、許可しなかったんです。九死に一生ならともかく「十死零生」ではだめだと。自分で責任を持てないことを命令してはいかん、というのが指揮官の覚悟でしょう。ところが、特攻作戦を命令した人たちにはその覚悟がない。特攻は志願によるとされていますが、ほとんどが命令なんです。特攻で死んだ日本青年たちの精神を考えるとき、同時に、それを命じた日本人の堕落ぶりを忘れてはいけないと思います。
       戸高一成「最大の罪は、特攻に行く青年を、指揮官が「俺も後に続くから」と送り出していることです。しかしほとんどの指揮官は、八月十五日の終戦を迎えるとそんな約束などをすっかり忘れて「戦後復興に力を尽くすほうが大事だ)と言い出す。そういう人たちがつくった戦後とはすなわち、命を懸けた約束を破ってもいい、嘘をついてっもいい戦後でないですか。これが日本の戦後をダメにしている。
       保坂正康「その通りですね。僕は陸軍特攻を進めた司令官のTやSのようなタイプは、海軍の大西中将のように腹切って死ぬべきだとまではいわないけど、蟄居するとか、さまざまな責任の取り方があると思うのです。それを戦後も平然と生きていて、あまつさえ、特攻は志願だったなどというのは腹が立ちますね。」

      私が読む限り、歴史学者からは特攻の指揮官は評判が悪い。冷たいけどそれが事実だと思う。

    • 85名無し2019/04/12(Fri) 22:30:39ID:g3OTQ4NDQ(7/13)NG報告

      >>83
      >当時の人命軽視の作戦だって、後からならいくらでも言えるだろうけど当時は負ければ植民地。アジア全土が白人支配の元、奴隷として生きる以外の余地はなかっただろ。

      実際、奴隷になったか?「余地」があったのだから、君の意見は嘘だね。

      実際にそれが事実だとしても、負けが確定してかつ戦力を残した状態で有利な停戦に持ち込むのが最善
      沈没した戦艦をまだあるように装って、昭和天皇陛下まで騙したんだろ。
      そいつら全員、東京裁判と関係なく死刑で当然だ。
      そいつらのせいで、無駄な犠牲者を出したわけだ。
      結局、戦争を長引かせたのはそいつらの保身のためだったということだ。

      そもそも、満州事変からして関東軍の独断暴走だろ。
      なに、下手な言い訳を並べているのやら

    • 86名無し2019/04/12(Fri) 22:46:19ID:U2NjMzNzI(3/3)NG報告

      >>84
      >>85
      しれっと保坂混ぜてくる時点でなw

      奴隷にならなかった? どっかの腰抜け国家モドキと違って、日本が戦わなかった場合どうなったかなど言うまでもないだろうに。
      満州事変云々も、通州事件などがある時点で暴走とは言えんね。

    • 87名無し2019/04/12(Fri) 22:55:04ID:QxMjA2MzI(2/2)NG報告

      そもそもこのスレってそんな話をする場所じゃないよね?

    • 88로리콘2019/04/12(Fri) 23:11:27ID:MyNTA3MTY(1/2)NG報告

      한국 나무위키의 일본 제국 태평양 전쟁 항목을 자주 관람하는데

      지금 북한군이 일본군과 많이 똑같다

      천황 숭배로 전쟁 정당성을 입증하는 것은 김정은 숭배와 비슷하고

      낮은 군사력을 정신력과 김정은 숭배를 동원해서 결사항전을 할 것이다

      군복 디자인도 똑같고

    • 89로리콘2019/04/12(Fri) 23:14:25ID:MyNTA3MTY(2/2)NG報告

      >>79 웃기고 있네

      기름 때문에 미국을 선제기습을 하고

      백성들을 자살 공격으로 몰아 넣은 대본영이 정당하다고 생각하냐?

      북한도 그런 생각은 안 한다

      항복 빨리 했으면 핵폭탄이나 도쿄 대공습으로 무의미한 민간인 죽음은 없었다

    • 90名無し2019/04/13(Sat) 06:02:27ID:c1ODA2ODE(8/13)NG報告

      >>86
      >満州事変云々も、通州事件などがある時点で暴走とは言えんね。

      バカ発見、
      1937年(昭和12年)7月29日 通州事件

      それまでに、
      1928年(昭和3年、民国17年)6月4日 張作霖爆殺事件(でっち上げ暗殺)
      1931年(昭和6年、民国20年)9月18日 柳条湖事件(でっち上げで満州侵略)
      1932年 熱河作戦(万里の長城を超えて侵略)
      やっているよね。
      一体何人殺害した?

      なんで、1937年のことが1931年の満州事変の口実になるのかね
      時空を超越した馬鹿だねー

    • 91リトルボーイ2019/04/13(Sat) 06:06:58ID:AxMjU2Nzg(1/1)NG報告

      >>1
      일본이 최대한 빨리 굴복하고 항복을 했으면 무의미한 희생과 수많은 생명의 낭비도 감소했습니다. 유감입니다.

      결과는 일본의 패전 (웃음)

    • 92名無し2019/04/13(Sat) 06:42:05ID:M0NTUwNDQ(1/1)NG報告

      >>89
      >>91
      当時のアメリカが正義だとでもいいたいのか。連合国も所詮は帝国主義。第二次大戦は帝国主義国家同士の戦いだ。日本は負けたが、連合国の帝国主義も瓦解した。お前らが独立できたのもそのおかげだろうに。

      戦争を美化するつもりはない。戦争は悲惨だ。ただお前ら韓国人に言われる筋合いはない。お前らも同じ穴の狢だ。

    • 93名無し2019/04/13(Sat) 06:44:07ID:IyMTM1ODE(1/1)NG報告

      >>92
      同じ穴の狢どころか、虎の威を借る狐だよ
      朝鮮人は基本的に卑怯者が多い

    • 94名無し2019/04/13(Sat) 06:51:47ID:cyODUyNDI(1/1)NG報告

      >>1
      家の祖父さんもほぼ語らなかったな
      親戚の祖父さんから聞かなかったから、この時代の人たちは語りたがらないようだ
      >>91
      第二次大戦における日本の戦没者
      1937年の支那事変~1946年は240~310万人 内朝鮮人軍属2万2千
      朝鮮戦争1950年~1953年における戦没者数
      北・南併せて400~510万人

      オマエラ本当に世界最高の愚民だわ(´・ω・`)

    • 95名無し2019/04/13(Sat) 07:06:26ID:k1ODEzNTE(1/2)NG報告

      >>1
      品位のないネトウヨは嫌われている。
      https://kaikai.ch/board/66703/

      のスレッドで懲りたのか、と思いきや、
      https://kaikai.ch/board/66841/19
      を見る限り是正はない。

      まーた、
      スレッド主を例外や裁判官の立場に置いての、
      気に食わない奴を「ネット右翼認定」し、
      皆にそれを叩かせたい
      そんな意図や目的ありきの、ペテンや詐欺を疑う。

      違うなら違うようになるよう努めてくれ。
      うち?戦地で死んだから体験談なんかねぇよ!
      米国や日本ですら左翼が、軍人を人頃しとして、叩いて喜んでたご時世に、元日本軍人が弁明すら語れるわけないだろ。
      反日に狂ってる韓国も同様だろ。
      体験談?語れば社会的に殺傷したろ。
      今ですら、どんだけ日本の政治家が、韓国の非難や左翼の扇動で職を辞したりしたか。反吐が出る。
      米国が韓国を植民地開放したのが善で、日本が列強の植民地を開放したのが悪とする歪曲を米国に指摘したら、歴史修正主義者呼ばわりを受けるのは明らかに間違いだ。
      日本が悪なら、米国が悪でないとなぜ言える?
      右翼の美化が悪なら、左翼の美化は悪でないとなぜ言える?
      時代が違えば善悪常識は変化するのに当時に無いもので裁くのか?
      自虐なら善か?ネトウヨ認定したものを叩けば善か?君を叩けば悪か?

    • 96名無し2019/04/13(Sat) 07:07:28ID:c1ODA2ODE(9/13)NG報告

      >>92
      歴史を知らずに、何を責任転嫁しているのかね。
      アメリカの植民地であるフィリピンは、1944年に独立が約束されていた。
      日本が大東亜戦争をする前に時代は変わっているのだよ
      だから、日本も植民地にならなかったんだねー

      wiki フィリピンの歴史
      1934年に民主党フランクリン・ルーズヴェルト政権下で将来の独立を認めるフィリピン独立法=タイディングス・マクダフィー法が議会で可決、10年後のフィリピン独立を承認。1935年5月には憲法が批准され、同年9月に行われた選挙によってマヌエル・ケソンを大統領とした米自治領政府(独立準備政府)フィリピン・コモンウェルスが成立した。

      wiki フィリピン・コモンウェルス
      1935年から1946年のうち、太平洋戦争による日本占領時に政府が亡命していた期間を除いた時期にフィリピンに存在した政治体制である。1935年施行のフィリピン独立法によってアメリカ合衆国の海外領土の政庁だったフィリピン群島政府(英語版)に取ってかわった。コモンウェルスはフィリピンの完全な独立のための準備をする暫定政府と位置づけられており[10]、現在のフィリピン共和国政府の直接の前身となる組織である。
      この政府の元では、行政の権力が強く、また最高裁判所があった。国民党(英語版)が多数派を占めていた国会は当初一院制だったが、後に両院制となった。1937年、政府はマニラとその周辺で話されていたタガログ語を国語であるフィリピン語に指定したが、それが広まるのには時間がかかった。また、婦人参政権が実現し、経済(英語版)は1942年に日本が占領する前に世界恐慌前の水準にまで戻った。

    • 97名無し2019/04/13(Sat) 07:30:05ID:k1ODEzNTE(2/2)NG報告

      結果論から日本が愚かで悪だったと規定するのも過ちだと思うがね。
      米国ではなく、ソ連に敗北して占拠されるとしたら?
      戦わずに陵辱と虐殺と略奪を受け入れるかね?

      米国様には、逆らわず屈するのがクレバーと言い張る奴は、
      後付正当化してるに過ぎん。

      同じ事を、ソ連や中国や北朝鮮にも言うつもりかね?

      そういう意味では、韓国人のテロ行為や捏造や犯罪の美化には軽蔑を送るが、
      朝鮮人の地位向上活動や、独立運動自体については、否定する気は無い。
       李氏朝鮮から生活水準があがったんだし、独立する名分もないんだから、せめて独立独歩できる自力を身に着けてからにしろよとは思うが。
      未だに独立出来てない気分満載で日米どころか中国にすら、属国気取りでねだって回るのは無様すぎる。

    • 98名無し2019/04/13(Sat) 07:49:00ID:IyNzcwODM(1/2)NG報告

      >>91
      朝鮮人は世界の歴史に関係ない。

    • 99名無し2019/04/13(Sat) 07:55:38ID:IyNzcwODM(2/2)NG報告

      >>89
      朝鮮人が世界の歴史を語るなよ。過去も未来も世界の歴史に朝鮮人は関係ないからね。

    • 100名無し2019/04/13(Sat) 08:05:39ID:U5MjM5Njc(1/2)NG報告

      >>41
      アメリカか負けて撤退したけれど、
      東南アジアは赤化しなかったじゃないか?
      名分はどうあれ、
      現実はアメリカ帝国主義によるベトナム内政介入だよ。

      朝鮮戦争も同じ。
      アメリカは日本に落とした爆薬の3倍を朝鮮半島に投下して、
      朝鮮全土を焦土にした。
      日本防衛のために 朝鮮が必要だったからだ。

    • 101名無し2019/04/13(Sat) 08:08:59ID:U2MTYyNDE(1/1)NG報告

      >>58
      左翼や反日な自称日本人が、戦争犯罪告白を「自供」したら?
      無条件で信じるのか?
      「あったかもしれない」可能性だけで肯定するのか?

      右派な自称日本人が、戦争犯罪を否定したら?
      無条件で美化ネトウヨと罵るのか?
      「あったかもしれない」可能性だけで否定するのか?

      韓国人の告白?あるわけ無いだろ。
      建国以来、在外韓国人まで含めて国ぐるみで、反日の正当化のために、資料も証拠も証人も隠蔽し捏造し抹消し圧力をかけててきたんだぞ?

    • 102名無し2019/04/13(Sat) 08:11:07ID:U5MjM5Njc(2/2)NG報告

      >>91
      だから朝鮮は 日本と戦わずに、国を捧げたのか?
      そのせいで 100年経っても劣等感に悩み、
      歴史を修正しようとしているのに?

      君の論理なら アメリカが朝鮮戦争に介入しなければ、
      朝鮮半島に大きな被害はなかっただろう。

    • 103로리콘2019/04/13(Sat) 08:33:08ID:g0ODk5NjQ(1/1)NG報告

      >>92 기름 때문에 전쟁을 했던 미친 국가 인정합니까?

      그리고 내 조국은 한국이지 조선이 아니라서 조선인들이 무슨 일을 겪어던

      내가 상관할 것은 없고 한국인 눈에는 일본 제국 찬양하는 놈들은 그저

      기초적인 군사훈련도 이수하지 못한 겁쟁이로 보여서 그냥 웃긴다

    • 104名無し2019/04/13(Sat) 08:41:55ID:kyMDc4MDY(1/1)NG報告

      >>103

      親日派辞典に4000人の名前があるけど、独立運動家は何人いたのかな?

      どっちが主流か考えなさい。

      王まで参加した新日か。
      国外に逃亡して何もしていない臨時政府か。

    • 105名無し2019/04/13(Sat) 10:05:51ID:c1ODA2ODE(10/13)NG報告

      >>97
      >結果論から日本が愚かで悪だったと規定するのも過ちだと思うがね。

      結果論?
      関東軍が柳条湖事件で自作自演のテロを起こして、何が結果論だ。
      原因が間違ているんだよ。
      内閣も昭和天皇陛下も不拡大方針だった。

      原田熊雄日記
       十九日の朝、新聞で奉天の郊外に於ける鉄道爆破の事件を読んだ瞬間、自分は直覚的に、愈々やつたな、と思つた。―というふのは、五日前の十四日に―つまり陸軍大臣が御殿場から帰つた日に、直ぐ建川少将を以て、関東軍司令官に親展書を持たしてやつた。その内容は、十一日に陛下の御召があつて、陛下から軍規に関して御注意があり、殊に満蒙に於ける軍隊の行動に就ては、更に一層慎重なる可きことを言はれたので、其聖旨を関東軍司令官に伝へて、満蒙に於ける陸軍の種々の画策をやめさせたいと考へて、抑へる意味の手紙だつたのだ。その時相談に与つてゐた軍務局長が、この使は、建川を以てしなければ治らん、と陸軍大臣に言つたさうだが、当時各種策動の糸を引いてゐたのは、矢張り建川と、軍務局長だつたからであらう。

       自分は、「張作霖の事件があつて未だ幾年も経たない今日、日本人が襲へば、外国人は、又日本の陸軍が陰謀をやつたな、と思ふのも当然のことであつて、あの時の張作霖爆破の張本人である参謀を、軍律に依つて処罰し得ず、今日尚ほ満洲にやつて働かせてゐると云ふ事実を以て見ても、貴下の弁解は到底成り立たんと思ふ。それで、今度のことは陸軍の策動ではないだらうと自分は思ふけれども、然し多くの人の、又やつたな、と云ふ感じは覆ふべくもないのだから、陛下の幕僚長である貴下は、陛下の軍隊の為に、余程厳格になすつて、苟も脱線などないやうに注意されなければいかん」と云ふことを言つて、「公爵の御心配も其処にあるのです」と附加へて置いた。

    • 106名無し2019/04/13(Sat) 10:22:16ID:c1ODA2ODE(11/13)NG報告
    • 107名無し2019/04/13(Sat) 10:23:19ID:c1ODA2ODE(12/13)NG報告

      >>101
      十一月三日

      又友軍の砲弾落ち始む。敵は十九路軍系と聞く。度々逆襲を企て、全く日本軍以上、死物狂ひの抵抗服りなり。
      あ h 何時になったら飯が食へるやら、毎日干パン暮し、腹の虫も泣いて居る。蘇州河を渡って早や四日、戦争は何時まで続く事か、一日も早く平和の来るを望む。此れが本当の心の底だ。
      然し、大君の為めに憎みても余りある支那軍を、撤底的にやっ〉けねばならぬ任務があるのだ〈午後三時記〉。
      部落左端に出で陣地に着く、時に午後四時頃。敵ハ逆襲を度々企つ。敵弾雨霞と飛来す。腹が空ってたまらない。五時頃おむすび来るも二人に一ケ、而も腐敗して食べられない。お茶もなく、今日は全く戦ひがいやになってしまった。
      (い脱) いろ/¥考へて見るとき、到底命永らへる事の出来な事を痛感する。故郷の山河、懐しい友の顔、恋しい彼女の姿、在りし日の家に居た己の姿を思ひ浮べて一人涙ぐむ。淋しい事だ。空は段々晴れて来た。友軍の飛行機は銀翼を輝かし、砲兵の集中射撃は物凄く、前の部落へ落下する。然し、何故か俺の心は朗らかになりきれない。こんな事では駄目だと思ひ乍ら。

      十二月十一日
      正午頃、昨日掃討せる右方の一軒家に、敗残兵ありとの事に捕へに行き、難なく八名を捕へ来り、砂原君の墓標の前に連れ来り、俺と土本君と二人で、突いて、突いて、突きまくり、瞬く聞に八ツの死体となす。又心持の良いものだ。帰ってから皆に話して笑せたのだが、人間も死線を越えればひどいもの、内地に居た頃は、蛇一匹コロすもいや/¥であったのが、同じ仲間の人問、而もピチ/¥して居る、手を合せて拝むあわれな敗残兵をば、銃剣で突き、棒でなぐり、石で頭を割って叩きコロし、その後は、あ〉戦友の敵を討ったと、胸のすくやうな思ひ、その後人コロしをした後は、却って飯がうまいのだから、まあ大した悪者になったと言ふものだ。
      此んな事は、若し内地へ帰る時があっても、話しも出来ぬやうな事である。
      今晩も良い月夜だ。心静かに故郷を伏し拝み、第一線に累々として打ち倒れしと聞く、哀れ戦友達の冥福を祈りつえ第三夜を聖壕に寝る。

    • 108名無し2019/04/13(Sat) 10:24:33ID:c1ODA2ODE(13/13)NG報告

      >>101

      十二月二十九日曇
      昨夜来の雪は約二寸積る。午前七時二十分整列にて、八時より鉄
      路伝ひに、常州に向ム。大平達は舟にて行く。雪道にて極めて道
      悪し。約五里前進して一小町に泊る。
      午後七時頃、便衣隊員らしい者一名連れ来り、土本等と共に惨殺
      す。大根のお菜おいしかった。

      五月二十日
      午前八時頃僅か三時間の睡眠にて出発、山を越えて東方に向ふ。
      途中部落に火を放ち、敵の拠点となるを防ぐ。更に中隊長命により、良民と言へとも、女も子供も片端から突きコロす。惨酷の極みなり。一度に五十人、六十人、可愛い〉娘、無邪気な子供、泣き 叫び手を合せる。此んなに無惨なやり方は生れ℃拡)めてだ。あ〉戦争はいやだ。支那兵ならいぎ知らず、罪ない婦女子をコロす、全く見るに忍ぴず。此んな事をやり乍ら約六里前進、午後五時頃津浦線に出る。 (庄) 撒所に至り次の戦を準備す。田中伍長以下八名の斥候、敗残兵を捕へ来る。此れこそはうんと徹底的にやっ〉けるべきと、むしろ 惨酷すぎる荘一詐取し方をしてやる。川剖の牧野君も来て、火を付けて苦しめてやる。胸がすくやうだ。
      晩寝ようとする頃出発準備、師団司令部の警戒のため再び逆戻り、とう/¥夜明けの午前四時まで歩き続けて、疲れ切って休む。

    • 109名無し2019/04/13(Sat) 10:42:29ID:IxNDQ1NTI(1/1)NG報告

      >>59
      くそみたいな陸軍が徐州作戦で大腿銃創盲騨で負傷した兵隊の叔父を
      終戦まで大阪陸軍病院経由で陸軍保養地(温泉等)で看病するものかねぇ

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