日本憲兵の軍刀で左腕を失った女子学生はもう一方の手で太極旗を取り上げて大韓独立万歳を叫びました

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    • 1名無し2019/02/26(Tue) 01:15:31ID:YxNzI3Njg(1/1)NG報告

      100年前のその日、万歳(マンセー)行列の先頭に立って導いた主人公は「朝鮮の血女」「南の島の柳寛順(ユ・グァンスン)」と呼ばれるスピア女学校2年、尹亨淑(ユン・ ヒョンスク、1900~1950)烈士だ。

      日帝の残酷な拷問で右目まで失ったユン烈士は4カ月間監獄の苦しみを体験した後、故郷の全南(チョンナム)麗水(ヨス)に帰って正常ではない体で抗日運動を継続した。ユン烈士の屈曲した人生は民族が再び悲劇に向き合った1950年、幕を下ろした。冷酷な日帝さえ奪えなかった彼女の人生は人民軍の銃弾によって消えうせた。

      民族気象を世界万国に知らせた1919年の全国的万歳運動は光州でユン烈士をはじめとするスピア女学校学生と教師が出発点に立った。地域出身の日本留学生、チョン・グァンホが「2・8独立宣言書」を持って帰郷し、光州でも万歳運動が芽生えた。

      行列先頭で片方の腕が切られても万歳を叫んだユン烈士の気概は日帝軍警まで驚かせた。2代朝鮮総督、長谷川好道が翌日、本国に送った急電には「光州で耶蘇教(キリスト教)が主導した群衆暴動が起き、朝鮮人1名が負傷し、警察がデモを解散させた」と記録されている。

      http://sports.chosun.com/news/news.htm?id=201902240000000000010793&ServiceDate=20190224

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