>>21
伝統の力学と、反日故の「民族の核兵器」への渇望だろレーダー照射ビデオに対する韓国メディアの反応からも分かるように、韓国人は頭が悪いというか、かなり幼い。心が成長しないから、理性も成長しないんだろう。引き上げてもらっても、やはり沈んで行くんだろうね。現代で観察される自然淘汰なのかもね。
中国の顔色を伺ってたのだろうか
競技100m走で1位になった選手は
他の選手より速く走っただけ。
だけ、が余計だが、まあ そうだな。朝鮮半島は、大陸各地とも連結されており、見方によれば半島の一部は植民地として優勢だった時期もあったとできるき、技術文化のドアがあったとすることもできる。百済の軍事用の漆の甲冑などは唐製品だと考えられる、墓や装飾や技術材料の多くも大陸からの人材や技術が使用されている。
バルカン半島南東部には紀元前6世紀頃にはギリシャ植民都市があったが2200年前にはケルト戦車に乗ったケルトの墓もある、民族言語が大きく変化してきた半島各地。昔、フィリピンかどこかのODAで井戸を掘って、最高級の揚水ポンプも取り付けたけど、
揚水ポンプのメインテナンスができなくて、1年後には、井戸自体が使用不能になって
しまったというハナシを聞いたことがある。
そして、日本も反省して、上総掘りで井戸を通すようになったら、現地の人も上総掘りを
勉強してメインテナンスもできるようになり、井戸が長期間使用可能になったらしい。
言いたいことは、文明の受容は、まず、受容能力が存在してこそ成立するのでは?ということ。
確かに、韓国は技術の受容はそれなりにできるようになったのだと思う。
しかし、更に進んで、いつも思うのは、受容後の改良・変容の能力が存在するのか?が疑問。
私は、些末な事にも反応して、物でも、すぐに、改造してしまう。(4,5日前には、便座の
フタとタンクとの衝撃吸収のために風呂用のシリコンを使って接触の衝撃性を軽減した。)
日本人は「摂取」にとどまらずに、必ず「変容」を加えるけど、韓国人はどうなのだろう?
韓国人の文房具を一通り見てみたけど、そこには「変容性」はなかったような気がする。
変容性がなければ、結局、最終的には、経済的発展もないような気がする。>>30
だが日本の経済援助で経済が発展したのは正解で、経済援助だけでなく技術援助も行っているまあ、今の韓国じゃあ無理な話だな。
>>20
日本人の祖先には素晴らしい人がいるよ。昭和天皇。
YouTubehttps://youtu.be/e0t78LwXFXo?t=3651>>29
日本の人力車には、湾曲した鉄板バネが使われていて、そのクッション性で乗客の乗り心地も良好になってる。
これは、西洋から鋼バネの鋳造技術の導入が必要だったけど、それを修得するには、日本刀の鋼技術がないと、製造はムリだったろうね。
人力車は爆発的に輸出され、最盛期には、東南アジア~南アフリカまで輸出されている(中国では共産党時代に廃止、インド等でも自動車の台頭で廃止方向、東南アジアのバイクタクシーにもその名残がある)。
一方、朝鮮一輪車は、クッション性がないから座布団等で振動の衝撃を和らげていたんだろうけど、乗り心地は、日本の駕籠よりも酷かったんじゃないかな?確実に腰を痛める。
馬車の車輪の製造は、まず木輪を作った後に、車輪の磨耗を防ぐ為に、その木輪を覆う板鉄を付ける作業が必要だけど、
鉄の熱膨張と収縮を利用して、木輪より微妙に小さい鉄輪を作った後で、熱した鉄輪を木輪にはめてから、冷まして収縮して定着という作業になるから、
家具製造すら定規を使わなかった低次元の職人しかいない朝鮮人に、車輪を作るのは不可能だね。>>38
お金、お金、お金、お金がない、現在の韓国
高木正雄
「(韓国社会は)姑息、怠惰、安逸、日和見主義に示される小児病的な封建社会の一つの縮図に過ぎない」
朴正煕大統領は偉人ですね。>>1
むしろ韓国は近代化を拒否した連中だからなぁ
階級社会だった韓国を社会の根底から改革しないと近代化なんか無理なわけじゃん
だけど金玉均という若者がどうにか祖国を近代化させようとがんばったんだけど
福沢諭吉たち当時の日本の人たちも金玉均を支援したが
それを王室に嫌がられて殺されたんだよ
福沢諭吉が脱亜論を唱えだしたのはそれ以降
「もうこいつらマジでダメだわ・・・」て>>38
【1840年アヘン戦争】
→日本は西洋の排斥不可能を痛感し、開国して西洋から学んだ
→朝鮮はますます閉鎖して西洋排斥、清国に傾倒した
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
【日本】
・1870年頃にアメリカ人、イギリス人、フランス人、ドイツ人等を高額報酬(日本の大臣レベルの報酬)で雇い、西洋の法律、西洋の建築、西洋の軍事、西洋の工業等を修得。
・日本は金銀が、通貨として潤沢にあった。
・日本は西洋言語と日本語の対応辞書を、1770年頃から既に編集(→西洋の専門書の日本語対応も大量に翻訳)し、円滑に外国人から学べた。
【朝鮮】
・貨幣経済として未発達なのに、外国人技術者を雇えたのか?
・銅銭しかないのに、何を貨幣相当にして、高額報酬を払う?
・朝鮮社会、平民の生活環境から劣悪なウンコ社会なのに、外国人技術者は朝鮮で暮らせるのか?
・自国の内乱すら鎮圧出来ない&白人排斥して、治安が劣悪なのに、外国人技術者の安全は保証出来るのか?
・朝鮮語で西洋の技術書&専門書は翻訳していたのか?
朝鮮人は、日本人が西洋から高額な授業料で得た知識と技術を、タダで教えてもらったに過ぎない。
だから、バカの韓国人は苦労を知らないから“技術はタダだ”と思っている。それは現在も、日本製品、日本作品、日本品種、あらゆる知的財産を窃盗しているので、同じ認識だ。
それどころか、技術を与えられて当然だと思い、与えられないと日本を恨むという異常思考がある。韓国には魅力ある基幹技術がないのに「〇〇国と、技術協力(技術提携)しよう!」と言い出す韓国人は、“技術乞食だ”という自覚が足りない。
つまり、日本が朝鮮人を指導しなければ、未開な中世の朝鮮人のままだった。
日本は西洋語と日本語の辞書を1770年頃から進めていたので、同じ漢字圏の中国人やベトナム人が、日本から西洋を学ぼうと大量に留学に来た。
漢字を含む日本語の文章の西洋書ならば、何とか自国語に翻訳出来るからな。社会が資本主義経済へ移行する為の前提が、商品経済の隆盛(もちろん貨幣経済)と公平公正な村落の運営なんだそうだ。世界で最初に資本主義が成功したのは西側ヨーロッパとアメリカ、日本だけだったので、そこから導き出したんだな。ヨーロッパでは古来の王侯貴族から権力を奪って、市民(国民)が国家や村落の運営を始めたから税金の使途にチェックの仕組み(議会とか)が入るようになった。これが意外に難しくて先進国以外の他の国は、ずいぶん長い期間常にお金で失敗してなかなか発展できなかった。日本は江戸期が商品経済が隆盛した時代で、ヨーロッパのような市民や国民はいなかった代わりに武士が倫理を持ってその役目を果たしていた。
ところで中国は。以前の王朝国家の時代より腐敗が酷いようだが随分発展したな。
あの社会は持続可能なのか?>>38
それ、単に隠匿に成功しただけじゃないですかね?何年か前までは、ほんの数年だけ開国が早くて、欧米から買った武器で朝鮮より強くなった途端に侵略してきたと本気でいってたからなぁ。
>>35
別にそれでもいいけど、西洋は日本に金をくれたわけではないよ?日本は朝鮮人を日本人化させる努力し、戦後は韓国に大金を与えたよな戦国時代に差が出てるから、秀吉軍に蹂躙されたし、江戸時代でも途方もない格差が出来てるわけで
500年前世界の鉄砲の半分は日本にあった。
スペイン・ポルトガルを超える軍事力だよ。>>44
조선이 서양을 경계하고 배척하게 된 계기는
서양인에 의한 왕실묘 도굴 사건과 평양 폭동사건 때문이야>>53
朴正煕が個人の資産として知人を財閥にした。>>57
開戦からわずか21日で朝鮮の首都(漢城府)が陥落してるからな
馬が有るとは言え加藤清正の速さは凄いよ
まあ王の宣祖は三日前に雨の中を逃げ出したみたいだけど。民衆に石投げられてw
この流れは朝鮮戦争でも同じだったな。ソウル陥落大統領脱出でも壬辰倭乱は日本だけが奪ったわけでは無く、朝鮮の民衆が既に略奪し始めてたからな
三日前に首都は燃えてたし、突然訪れたパーティタイムが市民を高揚させてた
日本兵一番隊が到着する前に朝鮮乱民は、まず囚人や奴婢の身分記録を保存していた掌隷院と刑曹に放火して、次に内帑庫(王室財産保管庫)を金品財宝を奪った。さらに国王の住居である景福宮が荒らされて、掠奪と放火で昌慶宮と昌徳宮の2つの別宮も焼失した。大倉庫も燃やされた。弘文館、春秋館の古典や歴史記録、承文院の外交文書も灰となった。王室の畜舎にいた家畜を盗んで逃亡した家臣もいた。 この事実を知った宣祖はこれを残している。
「倭奴 幾ばくも無し、半ば叛民、極めて寒心すべし」 --鶴峯集>>57
当時世界一の日本だから
仕方なくね>>1
一言で言えば、蓄積(*´エ`*)
日本は、7世紀時点で事実上の「国民国家」だし。
10世紀には事実上の「立憲君主制国家」になっている。
朝鮮や中華みたいな「古代国家」時代を、とうの昔に卒業している。
今だって中華と朝鮮は古代国家じゃん。
中華皇帝と朝鮮王がいる。>>61
亀甲船が優れてたらよりによって提督が流れ弾に当たって死んだりしないわな>>64
首狩りはたまにまともな事言うからな・・・>>67
失礼。桑名でなく庄内藩。
『戊辰戦争さなかの1868年(明治元年)、新政府軍と戦っていた会津・庄内両藩が、プロイセンから資金を借りる担保として「蝦夷地の領地を99年間貸与すると申し出た」と記した駐日公使発本国向けの外交書簡を、五百旗頭、薫東大教授らの研究チームがベルリンで発見。内容通りならドイツの蝦夷地租借構想が水面下で具体化していたことになる。東大史料編纂所の箱石大准教授は「戊辰戦争が長引いていれば実現していた可能性がある」とみる。
これまでは日大のアンドレアス教授が1995年にドイツ連邦軍事文書館で見つけた文書から、1868年7月に両藩から蝦夷地の土地売却の打診を受けたものの、10月に本国のビスマルク宰相が却下し、交渉は立ち消えになったとみられていた。
その後、ボン大学の研究者と箱石准教授が同文書館で、宰相が3週間後に一転、交渉を認可していた文書を見つけ、本国側ではゴーサインが出ていたことが明らかになっていた。
~(省略)~
とはいえ、ブラントが横浜から本国の宰相に新発見書簡を発信した日付は68年11月12日で、すでに会津藩の降伏から6日、庄内藩主が降伏を申し出てから5日経過しており、現実には交渉そのものが意味をなさなくなっていた。
書簡の保管先はベルリンの連邦文書館。五百旗頭教授らが2013年に着手したドイツの史料発掘プロジェクトの中で、国立歴史民俗博物館(千葉県)の福岡万里子准教授が読み解いた。
それによると「シュネル(当時東北にいたプロイセン人の仲介役)が、借り入れに対して蝦夷地の領地を99年間、担保として与えるとする会津・庄内領主の(シュネルに対する)全権委任状を持ってきた。100平方ドイツマイル(5625平方キロ)の土地を得るのに30万メキシコドルで十分だ」などと書かれているという。
幕末期の会津藩の領地は現在のオホーツク、根室管内の一部、庄内藩は留萌、上川管内の一部など。書簡には「会津・庄内藩の蝦夷地の領地に良港はないが、ひとたび足がかりをつかめば他の地の購入が容易になるだろう」ともつづられており、海軍拠点確保に向けた意図が読み取れる。
当時のプロイセンは2年前の1866年に対オーストリア戦争に勝利して北ドイツ連邦の盟主となっており、ドイツ帝国の形成に向かう軍備拡張期だった。
北海道新聞サイトから。
字数一制限の為一部変えた。朝鮮は併合されるまで未開な路上脱糞民族、他文化を自ら取り入れるなど不可能だろう。
>>70
日本は欧米技術者を呼んで、制度や建造等の技術指導をちゃんと高額な対価を支払って学んだけど、
朝鮮には払える対価があったのか謎だしね。
朝鮮には高額硬貨の金銀はほぼ無いし、朝鮮人参ぐらい。
それで、果たして欧米から技術者を呼べたのか。
おまけに李朝末期には攘夷運動で、フランス、アメリカ船に攻撃しているし。
日本は早期に西洋文明の摂取に成功した「だけ」?
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