レオポルド二世のコンゴ統治
レオポルド2世は利益の回収を最優先にするようになった。1891年と1892年の勅令によって最も収入が期待できる象牙と天然ゴムを自分の独占事業にし、とりわけ1890年代半ばから急速に需要が高まっていた天然ゴムの採取を急がせた。1893年まで250トン足らずだった天然ゴムの生産量を1901年までに6000トンにまで高めさせた[39][18][38]。しかしそれは先住民の過酷な労働の上に成り立っていた[38][40]。最も重要な資源である天然ゴムにはノルマ制が設けられ、生産量が足りない場合には手足切断などの罰が加えられた[41][42]。過酷な圧政によってコンゴの人口は1885年にコンゴ自由国が建設された時点(3000万人)と比べて70%減少し、900万人にまで減少したといわれる[43]。こうした残虐行為を行っていたのはレオポルド2世の私軍である公安軍であった。この部隊は士官は白人だが、兵士はナイジェリアや西アフリカ諸国の黒人を中心に構成されていた
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%82%AA%E3%83%9D%E3%83%AB%E3%83%892%E4%B8%96_(%E3%83%99%E3%83%AB%E3%82%AE%E3%83%BC%E7%8E%8B)
どうせ世界最悪植民地支配と言われるなら、日本はレオポルド二世並の苛政を朝鮮にすべきだった
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