【コラム】ロシアも制圧した朝鮮鳥銃部隊、なぜ消えたのか(1)(2)
https://japanese.joins.com/article/930/246930.html?servcode=100§code=120
https://japanese.joins.com/article/931/246931.html?servcode=100§code=120
最近放送が終わったドラマ『ミスターサンシャイン』で描かれた大韓帝国陸軍の姿は烏合の衆に近い。むしろ正規軍よりも義兵に加担した砲手の実力がはるかに優れ、ドラマではその活躍に重点が置かれている。
しかし朝鮮軍の射撃術はかつて東アジア、いや、もしかすると世界でも認められるほどの実力を備えていた時代もあった。ただ、最初は非常に弱く、初めて目にした時も友好的なものではなかった。
◆壬辰倭乱、朝鮮が鳥銃に目を開く
「倭奴は戦闘に慣れていて素早く進軍したが、彼らが勝利をつかんだのは実際、この鳥銃のためだ」(李ス光、『芝峯類説』)
飛ぶ鳥も撃ち落とすとして名付けられた鳥銃は壬辰倭乱(文禄の役)当時、朝鮮軍には恐怖の対象だった。矢と違って当たれば即死することが多いうえ、大きな音が響くため、数百人が続けて鳥銃を撃てばまさに「魂飛魄散」だったという。
・・・・・以下妄想満載wwww
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なぜ韓国の新聞は妄想が書いてあるのかねwww뭔 얘기야?
>>2
「朝鮮鳥銃部隊」の話題だよ。
「朝鮮鳥銃部隊」って、知ってる?何故消えたのか?
教えてくれる日本人が居なくなったからだろ?伝統的に弓矢を主に使ってるのは知っているが
併合以前に火器?
部隊として編成できるほどの?
いやいや、またまたぁ、ご冗談をそれを言うなら「青山里戦闘」だろう。
1920年、日本兵11名が戦死した銃撃戦だが、朝鮮独立の大規模独立戦争で日本兵3300人が戦死したことになっている。韓国では。
下のリンクがその内容だが、壮大な物語になっている。
全く読む必要はないが、「朝鮮族近現代史」ということになっており、日本兵が3300名も戦死したはずだが、実在の日本兵の実名が1名も出てこないという「歴史書」だ。
実際の戦死11名は靖国の名簿で確認できるらしい。
http://www.searchnavi.com/~hp/chosenzoku/history/16.htm
http://www.searchnavi.com/~hp/chosenzoku/history/17.htm
http://www.searchnavi.com/~hp/chosenzoku/history/18.htm>>1
ロシア・ツァーリ国が満州北部の黒竜江まで勢力を広げており、清の要請に応じ、征伐のための援軍を派遣(1654年と1658年の羅禅征伐(朝鮮語版))している。
邊岌は精鋭烏銃軍150名余りを率いて1654年3月26日豆満江を渡り寧古塔(寧安)から出発して厚通江(混同江)に到着しロシア軍と接戦、好通(依蘭)で撃破したのち、その場で土塁を築き同年7月に帰国した。
1658年(孝宗9)3月に清は再度救援兵を要請し、咸鏡北道兵馬虞侯申瀏が選抜した精鋭軍200名余りを引率した。朝鮮軍は清軍と力を合わせて同年6月10日に黒龍江に進駐し激戦を繰り広げた末にロシア船10隻に火をつけロシア軍270名を射殺した。
しかし二度の羅禅征伐後にも朝鮮とロシアの関係には別段変動がなかった。
これを朝鮮語では「制圧」という。「銃の作り方を捕虜にした日本人から習った」とか書いてあるんだけど、「秀吉」は朝鮮半島へ鉄砲鍛冶を連れて行ったのか???
もう、馬鹿すぎて話にならないわ뭐라는거야
もしかして朝鮮のそれは石火矢みたいなものか?w
>>6
その情報は10年ほど前の情報ですね
今は3300人から膨れ上がって5万人になってます
安重根はロシアの兵士に逮捕され中国の監獄に投獄された。安重根は国際法に基づいて処分してほしいと話したが、日本は不法に裁判を進め安重根をテロリストと認定し死刑を宣告。
それから11年が過ぎた1920年10月26日、この日に5万人の日本軍を相手に韓国は2500人しか過ぎない兵力で立ち向かい絶体絶命状態だった。
そこで直接戦うのではなく地形を利用して戦うことを決断。その結果、日本軍を撃破することが出来た。歴史学者はこの戦いを「青山里大捷」と名付けている。
https://www.insight.co.kr/news/186902>>1
>壬辰倭乱、朝鮮が鳥銃に目を開く
細い目で見開いたのかw>>7
続き
エロフェイ・パヴロヴィチ・ハバロフ
1653年秋、ドミトリー・ジノヴィエフに率いられた150名の増援部隊が到着した。貴族であるジノヴィエフは指揮権の完全な移譲を要求したが、ハバロフは拒み、逮捕された。しかしジノヴィエフも、ハバロフの部下たちからは協力を得られず、清との交渉も成り立たなかったため、一部を残してアムール川からヤクーツクへ引き上げることを決めた。オヌフリー・ステパノフ(Онуфрий Степанов)が後に残った兵の指揮官となり、以後アムール川沿いを転戦して村を襲ったり毛皮を取り立てたりしたが、1658年6月30日、清の将軍サルフダ(沙爾虎達)が率いる水軍に囲まれ(松花江口の戦い)、部隊は壊滅した[12]。wiki
このあたりの事をいってるのかな。
どっちみち、朝鮮軍は主役ではない。
ロシアを制圧したとは大仰な。>>1
> 宣祖は「我々が作った鳥銃は粗悪で使えない。もう倭人の精密な鳥銃を基準にして、そのまま製造しなければいけない」と述べた。
ベンチマーキングは朝鮮人の特技ですね
韓国が国技として保護するのも当然ですぅ>>18
西洋の新型銃が発明された逐一日本に入ってきているのに、金属雑貨すら満足に作れない朝鮮から日本が輸入?
寝言は寝てから言え。>>18
오 드디어 이 사실을 알고 있는 사람을 봤네
영조시대에는 조총이 너무 많았었지 ㅋㅋㅋ>>22 조선은 임진왜란 이전에 총을 생산 못했지만 대포와 화약무기를 운용하던 국가였다 고려시대인 서기 1377년 화약개발 하고 세계 최초로 함선에 대포를 장착하고 1380년 고려에 침입한 왜구 선단을 격퇴 임진왜란이 일어난 당시에 전쟁 와중에도 조총을 개발해서 일본군과 싸웠다. 이후 조선은 기병과 활과 화살을 버리고 총을 중심으로한 군대로 개편하게 된다. 청군과의 전투에서 패배한것도 장창병을 운용하지 못했기 때문에 총을 한발쏘고 다음 장전을 하기전에 청의 기병이 돌격해서 청의 기병에 대항 할수가 없었다.
え、ここは「小説家になろう――韓国史ファンタジー支部」かなんかですか。
>>24
ファンタジー小説を建国神話にするのは、とりあえずいいけども、これからは力づくで国民にファンタジーを実話と信じ込ませるのは大変だよ。
例えば、先日、、ムンムンが建国は1919年だと言ったみたいけど、北は先日建国70周年だったんだよ。
北には上の、6.や12.のような「青山里大捷」ファンタジーはないみたいだよ。
統一近いんだから、ばれないように、少しずつ今から、
こっそり教科書書き換え始めた方が良いんじゃないの?>>32
もしかして、トールキンは韓国人???!!!日本が朝鮮に与えたものは全てオーパーツ。
水車の話と同じだと思う。韓国使節が日本に来るたびに、日本の水車は素晴らしい、
ウリナラも水車を開発しよう!と言いながら、結局300年経っても自力では作れなかった。
そもそも、新しいものを自ら作るという文化が無かったんだと思う。
中国由来のモノだけを必要以上に有難がり、それ以外は蔑視するという儒教の弊害。
日本では尊敬の対象だった技術者や職人も賤民扱いだったからね。
なるべくしてそうなった。ってだけ。>>35 조선은 일본만큼 비가 오지 않고 온화한 기후도 아니고 토질도 좋지 않았는데 조선의 남부지방과 일부 중부지방을 제외하면 쌀농사도 되지 않는데 무슨 수차가 필요 했겠냐 북조선지역과 조선남부 절반 이상이 쌀농사도 안되는 지역인데 조선인의 주식은 지역마다 달랐다 북쪽은 수수 기장 이런것을 먹고 살았는데 무슨 수차가 필요해
>>5
누가 기관총이라도 사용했다고 했나wwwwww>>15
オーストラリアには無いのだろうか。
写真はロッキー山の牡蠣ㅋㅋㅋㅋㅋ 역시 조선이 화승총을 사용하지 않았다는 일본인들의 망상이 나오네 ㅋㅋㅋㅋ
중국인들도 조선이 일본의 화승총을 복제해서 사용했다는 것을 아는데 ㅋㅋㅋㅋㅋㅋ>>41
記録
火縄銃の存在
小説
優秀な火縄銃を量産して輸出>>41
崔茂宣が1380年に大砲を積んだ艦隊を作ったとかはソースないと思うよ
実際の文献は発見されてないと思う>>29
1901年に火縄銃
冗談だろう? 笑
ロシアも制圧した朝鮮鳥銃部隊、なぜ消えたのか
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