ポートランドで行われたインディカーシリーズ第16戦グランプリ・オブ・ポートランドで、レイホール・レターマン・ラニガンの佐藤琢磨が優勝を果たした。佐藤にとっては2013年ロングビーチ、2017年インディ500に続く、インディカーでの通算3勝目となった。
予選20番手からスタートした佐藤は、抜群のピット戦略を成功させ、大幅にジャンプアップ。最後はライアン・ハンター-レイ(アンドレッティ)の追撃を抑えきって勝利を収めた。
「レース戦略は完璧、マシンも完璧で、ピットストップはファンタスティックのひと言でした」
佐藤はチームのプレスリリースに、そうコメントを寄せた。
「文句のつけどころがないレースです。僕のミラーにはずっとライアン・ハンター-レイが映っていました。手にしているプッシュ・トゥ・パスは彼の方が多く、必ず僕に襲いかかってくると思っていましたが、冷静に対処できました」
「ここ数週間は難しいレースが続きました。特にセントルイスは苦しい戦いとなりました。これまで僕たちは燃料給油の戦略に工夫を凝らしたものの、成功しませんでした。ただし、今回はこれが非常にうまくいきました。イエローのタイミングにも助けられましたが、それ以上に大切だったのは、マシンが速かったことです。ポートランドのファンが熱狂している様を見てください。僕のキャリアの中でも、今日はもっとも思い出深い日のひとつになりました」
「昨日の予選がうまくいかなかったため、僕たちは20番手からスタートしましたが、おかげでかえって自由な視点で戦略を練ることができました。ホンダ、パナソニック、そのほかスポンサーの皆さん、チームのメンバー、そしてボビー、マイク、デイヴの3人に心からお礼を申し上げます」
またしても佐藤琢磨がやってくれました
アメリカのインディカーレースで3度目のポディウムの頂点!
おめでとうございます!!>>2
朝鮮ではモータースポーツの人気が無いから知らなくてもしょうがないと思うIndyCar Series 2018. Grand Prix of Portland. Last Laps
残り7周から
YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=NhS4PRdcdfw今年は、HONDAエンジンがシボレーに勝ってエンジン部門でも年間タイトルを獲得した。
今回の琢磨の優勝は上位陣がリタイアしたLUCKEYもあった。
去年のインディ500優勝以来勝ててなかったので良かった。IndyCar Series 2017. Indy 500. Restart & Amazing Battle for Win
去年の感動も
YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=mhOqhXTDjKY&t=755s>>2
韓国ではモータースポーツが、いつまでたっても人気が出ない。
2010年にF1を開催したが、酷い赤字のため、7年契約(2010-2016)の4年目で終わった。
モータースポーツは莫大な金が必要だ。観客が来ないなら、話しにならない。
世界に飛び出し優勝する韓国人ドライバーは、いつ登場するのか。
画像は、去年、佐藤琢磨が優勝したインディ500。
インディ500は、「世界三大レース」だ。>>2
世界三大レースの1つ、「ル・マン24時間」も、日本人は総合優勝している。
画像は今年の物。日本の国旗を持っている中央のドライバーが中嶋一貴。
下の両側にいるのがチームメイト。右側が、F1王者のフェルナンド・アロンソ。
左側が、WEC王者のセバスチャン・ブエミ。
ル・マン24時間の総合初優勝は、23年前の1995年、関谷正徳が達成している。>>2
世界三大レースの1つ「F1モナコ・グランプリ」だけは、日本人は優勝が無い。
というより、日本人は未だにF1での優勝が無い。
しかも今F1に日本人ドライバーが誰もいない。
モナコ優勝どころか、F1初優勝が、いつになるのか、想像すら不可能だ。
個人でなく、チームなら、ホンダチームが53年前に優勝しているが・・・
とにかくF1優勝の壁は厚い。
韓国人F1ドライバー誕生は、いつだろう?- 10名無し2018/09/07(Fri) 00:50:07(1/1)
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世界3大レースは
モナコGP = F1世界選手権
インディ500 = インディカー・シリーズ
ル・マン24時間レース = FIA 世界耐久選手権
モナコGPと言えば「第50回モナコGP」伝説のセナvsマンセルのバトル
インディ500は佐藤琢磨の優勝
ル・マン24時間レース はマツダ787BとトヨタTS050 HYBRIDで優勝
他にもWRCでトヨタ、三菱、スバルがワールドチャンピオン
WGP、MotoGPでは世界4大メーカーとしてホンダ、ヤマハ、カワサキ、スズキがトップカテゴリーでしのぎを削っています1990年~イタリアで1番有名な日本人は、中田英寿ではなくグランプリレーサーの原田哲也でした。
その原田哲也はモナコに自宅を持っていて、同じくモナコに自宅のある佐藤琢磨と家族ぐるみのお付き合いがあるそうです。モナコと言えばこれでしょう
1992年 F-1GP
https://www.dailymotion.com/video/x5gs7t>>2
韓国のような貧しいモータースポーツが出来ない後進国が知らないのも無理がない、東南アジアやインドですらWECやモトGPに選手を送り出してるよ。トラックなどの大型車両メーカーで有名ないすゞが開発したF-1用エンジンP799WE
YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=XN7Co7Rn2w4
この時代、日本の様々なメーカーが3.5L NA 12気筒エンジンの開発に挑んだ>>20
正解>>15
違うカテゴリーのモノを比べてどうする?
朝鮮では金銭価値に換算して
モノの優劣を決めるのか?
未開の蛮族か??スポーツの世界で、
佐藤琢磨と、テニスの錦織あたりは、
世界的に見ても有名な日本人でしょうね。SUBARU
究極のボクサーエンジンの開発をしたかった一心が、バブル景気の波に押され、いつの間にかF1に参戦することになるも、一度も本戦に出場することなく姿を消したスバル・モトーリモデルニ
水平対向12気筒エンジン
日本人ならご存知パーツメーカーのHKSもなんと開発してました
300E型エンジン
YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=J3s8NSY06SA&t=272s
SUZUKI
91年3.5リッターV12エンジンのYR-91を製作
耐久テスト用、馬力テスト用に数基が製作されていたようです日産グループCカーNP35に載せられたVRT35
YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=lyDf1gBm4cc
1000を超える馬力に、予選用のQタイヤを履いて
プロドライバーをして
「叫びながら1コーナーに飛び込んだ」
と言わしめた恐怖の日産CカーのNAモデル
レギュレーション変更からVRH35Z 3,496 cc V8 ツインターボから
VRT35 3,499 cc V12 NA に変わった
レギュレーション的にF-1と同等のエンジン
この時期日本の各メーカーは自動車技術の開発に力を入れていた自分の娘や妻や姉妹が日帝に拐われている時に物陰に隠れて震えているだけだったという民族レベルで臆病者である朝鮮人は、一歩間違えると死ぬスポーツには魅力を感じないのだろう。
佐藤琢磨を長年追う松本カメラマンが明かすポートランド戦“勝利の秘策”
https://www.as-web.jp/overseas/407769?all
F3時代に渡英した頃から佐藤琢磨を撮り続けている松本浩明カメラマン。ロングビーチでのインディカー初勝利、歴史的偉業となったインディ500制覇とこれまで琢磨の勝利をファインダー越しに見続けてきた松本カメラマンは、今回のポートランド戦でのインディカー3勝目をどのように感じたのだろうか。
■佐藤琢磨は本当にベテランになった
佐藤琢磨のインディカー通算3勝目は、過去の2勝(2013年ロングビーチ、2017年インディ500)とチェッカーまでの過程が違っていたし、レースの流れを思い返すと本当にベテランになったなぁという感慨も一入だ。
インディカーで9年目。151戦も走った。F1では91戦だったから、その1.5倍以上だ。そんなにキャリアがあっても、毎年1カ所や2カ所は初めて走るサーキットやトラックがあるのだから、モータースポーツの歴史の長さと奥の深さに呆れてしまう(笑)。
琢磨が日本人ドライバーとして残している数々の記録も、その長い長い歴史の中のわずかな1ページか、2ページ程度だろう。それでも今の円熟期の琢磨のレースは、見るに値する。いや、この目に留めておかなくてはならない。その記した足跡をくっきりと後世に残すためにも。それが今の仕事のような気さえする。
このポートランドの週末に、サーキットを離れて和食を食べながら琢磨にインタビューをする時間をもらった。それは別企画でジョーダン・ホンダでF1デビューした時のものだった。そのインタビューが掲載される号についてはまた後日紹介するが、15年以上も前の話に花が咲いた。咲きまくった。満開だった(笑)。
F1に乗っていなければ、インディカーに来ることもなかったろうし、イギリスF3でチャンピオン取らなければ、F1には乗れなかった……。
そうやって振り返れば、F3時代の成功がなければ、インディ500日本人初優勝の偉業にも辿りつけなかったし、こうしてポートランドで美酒に酔っていることもなかった。レースキャリアというのは、すべて繋がっている。누군지 모르는.
レースウイークの水曜日。琢磨とトラックウォークをした。かく言う僕もポートランドは初めてだ。長いストレートの後からターン1~2と続くシケインはコンクリート。その後、ターン4からはオーバーテイクの難しそうなグルっと回り込むコーナー。長いバックストレッチの後の高速シケイン……。緑も多く1周が短くて平坦なポートランド・インターナショナル・レースウェイだ。
「オーバーテイク出来るのはターン1とターン6~7の進入かな。バックストレッチのシケインは狭いしイン側を抑えられたら、無理……」
琢磨は要所要所でレースを想像しながら1周を歩いた。
木曜日にテストデイが設けられたこともあって、クルマは前向きに仕上がっていた。ただ午前中にタイムが出るものの、午後に気温が高くなるとバランスを崩すのが、今年レイホールのチームが抱えていた問題で、ここでもその性格が悪戯した。
琢磨は土曜午後の予選でグループ2に入り、Q1突破を逃すどころかグループ10番手、総合20番手のグリッドに。予想だにしないグリッドだ。1周57秒あまりでラップし、トップから1秒以内に20台が収まるような大接戦。100分の1、1000分の1秒差が運命の分かれ目だった。
20番手からのレースをどう戦うのか?
それがすべてだった。AJフォイト時代には後方からスタートに慣れていたし(笑)、ピットストップステラトジーを変えて前に出たレースもあった。それもうまく運んだとして4位、5位になるのが精一杯だった。
3ストップが定石のレースなら、2ストップでいく。それが作戦だろうが、イエローコーションが必要だし、そのタイミングが必ず琢磨の味方をしてくれるかわからない。だが、琢磨の性格からして20番手スタートで、何もしない手はないだろう。
■佐藤琢磨が語った勝利の秘策>>26
피폭으로 재가될동안 남의나라에가서 강간이나 하던 원숭이 남자에게 매력이 없는것은 당연한일이 아닐까そして、見事優勝を手にした。レース後、琢磨はレース戦略の種明かしをしてくれた。
「予選が終わった後に、エディ(ジョーンズ)と話して、クルマの足回りはほぼ決まっていた。クルマは決して悪くなかったんです。エアロバランスだけ日曜の天気を見て決めようと思っていました」
「エンジニアたちがいろいろシミュレーションしてくれて話したんですけど、2ストップでいくのはペースも落ちるし難しいと。必ず1回イエローがなくちゃいけないし、ずっとグリーンの可能性もあるから。でも3ストップでいったところでなかなか抜けないし、15位になるのが精一杯なら、2ストップに賭けようって。僕はずっとそのつもりだった」
「実はレースはダウンフォースを少し削ってるんです。僕より削ったクルマはなかったんじゃないかな。どうしてかと言うと、2ストップだとしたら、前のクルマのスリップに入って引っ張ってもらうんだけど、単独走行になる時間が必ずあって、その時にすごく燃料を消耗するんです」
「だから、ダウンフォースを削って抵抗をなくした。またそうすることによって、ターン1と高速シケインの10~11で抜かれなくなるし、ターン6~7の進入で抑えさえすればなんとかなる。その自信はあったから」
「ライアン(ハンター-レイ)との勝負になって彼の後ろにいた時に、彼は逃げたけど無理には追わなかったんです。追えば最後のスティントで燃料が厳しくなるから。彼は僕が燃料をセーブしているのを知っているから、ピットストップでのマージンを稼ぐために逃げたんでしょうね」
「最後のピットは彼が先に入ったし、僕がピット終わって出た時には彼の前に出られた。あれが勝負のポイントだった」
「トップに立った時も、98%くらいの走りでタイヤを労わりながら走ってました。彼は最後に必ずアタックに来ると思ったし、そうなった時にタイヤが終わっていないように。ダウンフォースを削った分、タイヤには負担がかかるので、そこは注意しながら走ってましたね」그런데 이런 시시한 경기 누가보는?
「プレッシャー? 長いことレースしてますからね。いい緊張感の中で最後はバトルを楽しんでましたよ(笑)」
「無線でチェッカードフラッグ!って、言われたんだけど、その後ろでピットのみんながキャーキャー言ってるのが聞こえたんで、うれしかったけど、思わずプッ!吹き出しそうになりましたよ……」
勝者は雄弁なものかもしれないが、琢磨のコメントが、レース前の我々の疑問をひとつずつ解きほどくようで面白かった。
表彰台の真ん中で飛び切りの笑顔を見せる佐藤琢磨
インディカーでこんなレースをするのは、スコット・ディクソンか、エリオ・カストロネベスかと思っていたが、まさか勝利をさらうとは思っていなかった。良くて5~6位くらいかと。2ストップ作戦を取ることを想像していたにしろ、仰天の結果だった。良い意味での琢磨の裏切りだった。
冒頭に書いたように琢磨の過去の2勝は、ロングビーチもインディ500も予選までに完全にクルマを仕上げ、予選グリッド前方からのスタートだった。予選20番手からの優勝なんて、琢磨の長いキャリアでも初めてのことだ。
初めて走ったコースでいきなり優勝というのは、強いて思い出せるのは2000年にフランスF3に遠征し、スパで優勝した時だろうか……。
そんなことなど、いろいろ思い出しながら長いフライトに乗って日本に帰ってきた。>>32
WRC(世界ラリー選手権)でHYUNDAIが優勝してる事を知らないのか?
韓国でモータースポーツ人気が定着するのは、まだまだ先だな。
すでにF1は開催されなくなったから、次の機会を待つしかないな。このスレッドの朝鮮人の反応を見ていると10年も経たずにF1が撤退したのも頷ける
70年代から プライベーターとして
二輪 四輪のレースをやってきましたが
今は やりたい競技が なにもありません(しくしく
佐藤琢磨 今季初勝利!通算3勝目、インディカー・シリーズ第16戦ポートランド
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