元史 1265年(文永2年・至元2年)高麗人であるモンゴル帝国の官吏・趙彝(ちょうい)らがクビライへ「日本へ通じる(つまり侵略)事が出来ますよ。」と日本侵略を進言。
この当時のモンゴル帝国は、このGIF動画の赤いの最大になるのちょっと前。
以下原文
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『元史』巻二百八 列傳第九十五 外夷一 日本國「元世祖之至元二年、以高麗人赵彝等言日本國可通、擇可奉使者。三年八月、命兵部侍郎黑的給虎符、充國信使、禮部侍郎殷弘給金符、充國信副使、持國書使日本。」
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元史だけでなく高麗史でも、高麗人であるモンゴル帝国の官吏・趙彝(ちょうい)は攻めるべき価値について語っている。
この当時、元宗七年、高麗王「元宗」は太子のときに高麗がモンゴルに服属したため、人質としてモンゴルへ行ったほどのポチ。
以下原文
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『高麗史』巻二十六 世家二十六 元宗二 元宗七年(十一月)癸丑(二十五日)の条「癸丑、蒙古遣黒的殷弘等來、詔曰、今爾國人趙彝來告、日本與爾國爲近隣、典章政治有足嘉者、漢唐而下、亦或通使中國、故今遣黒的等往日本、欲與通和、卿其道達去使、以徹彼疆、開悟東方、向風慕義、玆事之責、卿宜任之、勿以風濤險阻爲辭、勿以未嘗通好爲解、恐彼不順命、有阻去使爲托、卿之忠誠、於斯可見、卿其勉之。」
----------------------------1266年頃、元の皇帝フビライより国書が日本に届く。
以下のような内容。
「一通の手紙も寄こさず国交を結ぼうとしないのはけしからん。属国になれ。逆らえば軍を送るぞ」
日本、これを完全に無視。
元、使者を日本の太宰府に送る。この使者に対し、日本はまた無視。使者、一旦帰国するも再び来日。1年ほど日本を調査の後、帰国。
高麗、戦争の準備を強制される。人々は草や木を食べて飢えをしのいだらしい。この後兵役も取られるから悲惨だ。
1274年、元軍襲来。上陸しようとするも日本軍の反撃に合う。上陸戦で時間を喰っているうちに台風到来。元軍壊滅。平和を愛する朝鮮人は元の侵攻に傅いて配下となる。
平和を愛する朝鮮人は元に日本への侵攻を進言する。
平和を愛するが故に朝鮮人の行為は邪な手下そのものであった。んな訳あるか。
法則は発動し、元は敗退する。>>4
この高麗王 元宗は、自分の王位を維持するためにモンゴルを召喚して自分のエゴで国を潰す典型的な朝鮮の王。
現代も100年前もずっと同じ。小さな視野・個人の利益で外国勢力を招いて結果的に自国に大災厄を招くパターン。
「日本を攻めましょう!」 「わかった高麗は船や人やら物資やら沢山活躍させてやる。」「!!!」
ほんと、伝統文化ってコレしか無いん?元寇の戦いが終わったあと、捕虜となったモンゴル人と高麗人は尽く処刑され、南宋の遺民たちは嫌々付き合わされたと言うことで後に開放された。
当時の日本人は、モンゴル人は戦の総大将なのだから処刑は当然とは言え、高麗人は嬉々として日本侵略を推し進めたと奴等の卑劣さを看破していたのさ。.
そんな歴史すら日本人に聞かなければ史実を知ることができない朝鮮人。
歴史を忘れた民族は…なんだっけ?
朝鮮人よ。1回目の侵攻時のモンゴル側の目的は、日本の戦力の調査と脅しの為だったので、
九州北部で少し暴れた後は、さっさと侵攻軍を帰還させた。台風に巻き込まれたというのは間違い。
2回目の時は、日本の征服と支配下に入ったばかりの南宋の兵士を、日本に移民させることが目的。(反乱防止の為)。
ただし、南宋方面からの軍の到着が遅れ、先行したモンゴル・高麗軍は日本の激しい抵抗で上陸出来ず、ようやく南宋の軍が到着したと思ったら台風の直撃と日本軍の追撃でほぼ壊滅。
1回目も2回目も日本は九州の武士を中心とした戦力でのみ、モンゴル軍と戦闘しており、
日本の本隊6万人かそれ以上が到着していたら、台風なくても勝つことは出来たと思う。
モンゴル軍が全戦力を投入すれば、日本負けたとは思うが、内乱や他の周辺国との戦争もあるので無理。>>12
「台風に巻き込まれたというのは間違い」という説も確かにあるけど、断定的に信じ込むのは良くないよ。
文字が書かれた昔の紙切れ一つ見つかっただけで、いきなりひっくり返るのが歴史解釈。
まだまだ一つの説、って思っていた方が良い。
また、日本は勝利したのだが、本当に勝利したのか?って話もある。
二回の元寇で鎌倉幕府の財政、いきなり危機に陥って・・・的な話でさ。
勝っても領地とか、与えられない戦いなんだよね。
この線から鎌倉幕府の没落を追うのも面白いよ。まず、文永の役(1回目、1274年)と弘安の役(2回目、1281年)とを区別しよう。
文永の役ではモンゴル側が発議した。でも、弘安の役では高麗の忠烈王がわざわざ大都まで出向いて、自分が先頭に立つから日本を攻めさせてくれと言ったのが発端。もちろん、元々フビライにも再征の意思はあったし、ついでだから旧南宋軍を使い潰すなど、いろんな思惑はあっただろうが、きっかけを与えたのは、自らの保身のためにフビライに媚びを売った忠烈王。
北条時宗の指導の下、2回の大侵略を撥ね退けられたのは幸いだったけど、壱岐・対馬の住民がどれほど酷い目にあったか、日本人は忘れてないよ。示唆に富む歴史だと思う
拡張期にある元と、元の一部となることを選択した高麗>>4オマエはどれだけ朝鮮が好きなの?
昔の常識でも属国が宗主国を焚きつけて他国を攻める事を進言するのは有り得ない恥ずかしい事だよ。自分で攻めるんじゃなくて、わざわざ強力な元軍を後ろ盾にして日本を侵略しようとした高麗王ってのが、いかにも朝鮮人らしい。
今も昔も、人間のクズだな、朝鮮人は。まじかよ
最低だな朝鮮人
元寇라는 게, 고려의 왕이 원나라 측에 먼저 요청해서 행해진거야?
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