>>36
所詮バカはバカ。上っ面のプロパガンダに流されるわけだな。情けない>>35
父親は11歳の時に山で事故死
母親は自宅の2階から転落死(自殺?)
弟、後藤祐樹は工事現場から動線を盗み懲役5年6ヶ月の判決
旦那はとび職や解体屋、無職の期間が長いとか噂が絶えない方のようで
誰が写真集なんて買うの?
なんか不思議と木下優樹菜と雰囲気が似てるよな>>4
都合の悪い文化は無かった事にする
朝鮮人らしい文化だね
トンスル検索すると関連キーワードにトンスル デマとあがってくる
いかにも在日擁護ブログで一生懸命デマだと言ってるわけだが見苦しいだけなんだよな
起源の主張とチョゴリトンスルのような恥を隠すのは朝鮮の国技だからしかたない
嘘つき民族だし>>30日本の着物と同じで当時の服の総称では?
チマ(スカート)+チョゴリ(上着)。高位の着る高級なものも賎民の着るボロ服も「チマチョゴリ」なのでは?韓服ってコスプレ感が半端ないな。
なぜ朝鮮人は誰も答えてくれないのだろうか
それとも答えられないのかな>>1
昔の朝鮮学校の生徒は白黒のチョゴリだったな
最近はチンドン屋みたいな色朝鮮人は恥ずかしくて消したい文化を日本人が捏造したと言います。
>>35
そいつは爬虫類だスレッドとは全く無関係な書き込み。
チマチョゴリって、
見事に朝鮮半島の上げ底文化、見栄張り文化を体現していると思う。
胸下の部分で結ぶ、色彩的変化があるから、
足が長かったり、ウェストが細いような錯覚
(勝手な思い込み)が起きる。
恐ろしいもので、その伝統は洋装でも受け継がれている、と思う。
それが分かるのは、韓国の女性歌手たちの服装。
スカートのウェスト部分は、多分、世界標準(?)よりも
3cm位は上にしているし、裾の部分はパンストラインと
同じかそれよりも上にしている。
(裾に関しては実用的には、スカートの機能はない、ということ)
困ったことに、韓国の詐欺的服装が日本でも日常化しつつ
あると思う。
(見たくないものを見せつけられるのも迷惑だし、
「秘すれば花なり」という感性が強奪されるのも不快。)
(子供の頃に、テレビや雑誌を下から見た経験は男なら誰でもあるはず)>>46
その精神が今も受け継がれてるかどうかはもう想像するしかないじゃないですか?
私たちだって、いちいち「あ、ごはん毎日あって幸せ!」って思いながら、「いただきます」 って言わないじゃないですか。感謝しながら、なんて言ってるけど、実際は時々二回言ってしまったり、言ったかどうかさえはっきり分からなくなるほど当たり前化してたら、本当に感謝しながら食べてるのかな、って疑問には思いますよね。だから、はじめは、体のライン隠したいわーという気持ち満載でも、今は薄れちゃったりとかはありそうですけど…
私の友達は「スカート(チマ)の丈、長すぎない?もっと短い方が絶対スタイリッシュだよねー」って関係ないこと言ってましたよ。>>25
「画像データはある程度自分で検索して持っていますが、実物史料を探しているので」
↓
なるほど「実物史料」を検討するのは大事ですね。いい着眼点ですね。
歴史に関するの研究には、そういう着実なことが大事ですね。
実物資料で、庶民のものとかがあれば、最高にいいですね。
日本なら、江戸時代のものとかも、けっこう、残っていますけどね。
レプリカはダメですね。特に韓国のものは本当か創作がわからないから。
同じ意味で、本当か創作がわからないから、韓国のものは百科事典などの絵もダメですね。亀甲船の実物?みたいなことになりがちですから。
ここのスレッドでの言えることは、韓国のものは注意が必要ですよ。韓国の物はその当時に書かれたねのでない、文章や絵で信じてはだめです。最低限、写した時のわかっている写真ならいいと思います。2年前のスレですか...まぁ、見られているかも知れませんね(笑)
削除される画像もありますからリンクを貼ります。127頁以降の数頁がスレタイに沿うと思います。それ以外の頁にも男性の着衣が数点ありますし、「記念」ですから、見ると良いでしょう。
・大日本帝国朝鮮写真帖 : 日韓併合紀念
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/766880/127
下記は11~14コマに着衣の画像があります。注釈もありますし、読み物としても面白いですよ。
・歴史民俗朝鮮漫談
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1886449/11西の方では。この話が出てきたら。日本男性の上半身裸体画像を貼りまくった方がいたが・・・・・・懐かしいな~。
最近見ないよ
朝鮮学校の制服変わったの?>>36
染織は染めて染め分けせずに、単色で染めて、
刺繍で装飾をしてるんだよね。
おまけに針も朝鮮には無くて、輸入品だったから。
単色染めなら、農家の副業レベルで出来るからね。 だから朝鮮には、有名な染め織物の技術の名称から無い。そんな専門店も記録にない。>>1
以前伝統柄のスレッドがあってそこで韓国伝統の柄は出てこなかった。韓服という言い方があるなら韓柄というのもあって良いのではない?最近の韓服は色々柄があるけど、あれは支那の真似なの?独自の柄はないわけ??最近は
「日本人が韓国人を貶めるため捏造したもの。」
と言い張る韓国人も多くなった乳出しチョゴリの真実。
乳出しチョゴリの真実(原本版)YouTubehttps://youtu.be/cgbS-EWgBVk
乳出しチョゴリの真実(日本語作成版)YouTubehttps://youtu.be/V-Pty0HE7_k
>>54
きっと日焼けの跡がビキニの逆状態になるんだろうなwww>>27学校で「関わるな!」って指導されたやつだ...
- 61
名無し2022/05/25(Wed) 11:00:37(1/1)
このレスは削除されています
「韓国人の身長って本当に低いんですか?
女友達が韓国に行ったら背が低くてみすぼらしく見
える人が多かったそうです…」>>1チマチョゴリは、600年ぐらい前の朝鮮王朝からだろう。高麗までは、唐風装束だろう
昔は糞尿にまみれたの着てたやん
>>1
いつになったらテコンドーは韓服の道着を使うの?>>63
獣皮?皮革文化弱くない?日本と同じで>>18
朝鮮の衣服は元々が染めていない麻の色。白くするには、結構な手間がかかったから、白い布地の服を着ていたのは、時代がかなり下ってから。
そして、王室は、明や琉球から染料で着色された衣服を購入していた。だから、韓服のデザインというものは、朝鮮で生まれたものではなくて、外国の衣服の文化がそのまま持ち込まれたものとして始まった。
時代が進むと布地を購入して、朝鮮で誂えるようになった。そこからローカライズした韓服のデザインの変遷が始まる。それでも仕立ての技術が未発達だったから、外国から購入する衣服は無くならない。デザインは外国からの影響を受け続けることになる。
両班たちのうちで豊かになる者たちがごく一部に生まれ始めると、朝鮮王族と同じような服を着るものが出てくる。中には王族の衣服よりも手の込んだ刺繍を入れる者も現れる。これは、朝鮮王と王族の権威を損ねるものとして絶対に排除して行かねばならない。そこで、朝鮮王は、王族以外のものは、着色された衣服を着てはいけない、という御触れを出し、豪華な衣服を排除させる。
こうなると、無地の衣服しか着ることのできない両班たちは、その服を白くすることを競うようになり、漂白処理を施された白い衣服が両班層に普及し始める。それが長い間をかけて、奴隷層以外の常人の衣服にまで広がっていく。
韓服というのは、あくまでも、朝鮮王族という狭い範囲内で着られた衣服なのであって、着ていた人数もごくごく僅かであったから、様々なバリエーションというものは生まれにくい。文化としての広がりは、限定されてしまっていた。
これが、李氏朝鮮時代末期においても、同じような白い服を着た両班の写真しか残っていなかった理由だ。
だから、日本が朝鮮を併合して、日本人の庶民が大勢移住してきた時に、誰しもが模様の施された着物を着ているのを見て、度肝を抜かされてしまった、というわけだ。
代々、着色されて柄の入った衣服を着ている者は、王族のとても高貴なお方だ、という認識が染みついていたので、朝鮮の両班は、日本人の庶民の小さな子供たちにまで、深々とお辞儀をしてしまう習慣が、中々抜けなかったと言う。>>72
そんな歴史があるなら、総督府の色服推奨をなんで反対したんだろうね?>>72
こうして考えてみると、韓服のデザインというのは、明朝及び清朝の東北部(主に満州地域)と琉球王国の衣服文化の影響を大きく受けたもの、と捉えることができる。
九州の方が琉球よりも遥かに朝鮮半島に近いのであるから、日本の着物の影響を受けていても良さそうなものだが、九州地域の経済は、朝鮮半島に依存することなく発展しており、朝鮮との交易には熱心では無かった。交易に熱心だった対馬においては、日本の衣服文化が浸透しており、これは朝鮮王室が求める中華衣服とは大きく異なっていたため、対馬からの影響はさほど感じられない。交易に直接関与していた宗氏において、相互の影響が残っていたくらいではないか。
一方、琉球では琉球王朝の財源として、中国や朝鮮との交易がとても重要なものであったため、朝鮮王室が崇める中華文化に合わせた衣服を作ることで大きな収入を得ていた。
このため、衣服文化においては、日本本土よりも、中華文化の影響を強く受けることとなった。
この時代、日本では全国で普及していた天然染色(草染め)が朝鮮半島で全くと言っていいほど浸透しなかったことを考えると、人の行き来自体が、交易を除いては殆ど無かったことが伺われる。
既に、朝鮮通信使を通して、朝鮮は文明の発展していない野蛮な国との認識が日本国内で広く知られていたことで、西日本の大名が朝鮮との交易にあまり関心の無かったことが、交易権を対馬領主が握ることができた大きな要因であったろう。
韓服の源流は、満州族の中華衣服であり、韓服の起源は満族衣装へのローカルアレンジに始まるというのは、実質的に見て正しい、と言える。そして満州族の衣装もまた、明代の漢民族の衣装から影響を受けた。
日本では、大陸の衣服文化の影響を受けていたのは、ほぼ飛鳥時代~奈良時代の初めまでで、平安時代以降は独自の発展を遂げた、と見なせるのではないか。例えば、日本では、十二単(じゅうにひとえ)という衣装が平安時代の後期に生まれた。
しかしこれは、あくまでも公家(宮廷に仕える貴族)の間での正装として広まったものであって、一般の庶民の衣服文化ではない。
韓国における韓服に関する説明というのは、この十二単のような貴族の間に広まっただけのごく限定された衣服文化をあたかも両班並びに常人の衣服文化であったかのように説明しているものが多い。
一方、和服、着物という衣装文化は、江戸時代を通じて庶民の間にまで広まった衣服文化なのであり、朝鮮における韓服とは、全く意味合いが異なる。
拡大解釈をして歪めてしまわないと、日本の衣服文化に匹敵するようなものが無かった、というのが朝鮮の衣服文化だと言える。>>56
韓国人の「こうだったらいいのに」という願望を読んだところで、韓国の時代考証など糞食らえ、の歴史ドラマを観るのと何ら変わらない。
残念ながら、ハングルで韓服の全体像を把握することは、不可能に近い。
むしろ、調べるなら、中国の資料を探した方が良い。>>71
何言ってるか分からんな。中共国旗。漢服なるものは無理やり復帰させようとしても復権してないだろ。着物も廃れたまんまだけど>>66
証拠は?
朝鮮がそうであったことは、大韓帝国時代に朝鮮に行ったヨーロッパ人たちが全員書いている。
特に、日本と朝鮮の両方に行って、旅行記を残している英国人のイザベラ・バードは、克明に描いている。
日本人が入浴の習慣を持ち、清潔であったことも書かれている。
それに比べ、朝鮮はどこに行っても道は糞尿まみれで臭かったと書かれている。
日本に統治されるまで朝鮮には、トイレなど無かったことも知らないのではないか?>>75
お辞儀っていうか土下座に近いお辞儀が日常だよ。
それに伝統というより奴隷服として白丁と差別してたようだけど、ただ「日帝に逆らう俺偉い」っていう感覚かな?>>76まぁ、そのとおりかなぁ、中世日本の、束帯、十二単は、公家、上級武士しか着ない。近世に、小袖が発達して、今の着物になった。朝鮮の装束も、中世日本の装束と同じようなものかなぁ
>>83朝鮮装束が正式名称です
古いチマチョゴリについて
84
ツイートLINEお気に入り
79
3