王族を持った国の行く末には
「王族を保持した国」
「王族を倒した国」
「王族が勝手に自国を放棄した国」
の3種類がある。
立憲君主国家と、各種の共和制国家と、「朝鮮」である。その時代の朝鮮半島では、とてもおおらかで位の高い人達が正統に受け継いだ土地以外では
国民が空き地を自由に使って良かったし、空き家は自由に住んで良かった。
なので国を整備するに当たり調査した結果、正統な理由のない場所を使っていた人達は、代替地を与えられ移動してもらっている。
「従来まで無断で使っていた土地を取られた」事が、時が経って「土地を取られた」部分だけが、独り歩きしているんだと思う。国家破綻をしてしまったので、韓国政治家の大多数が、日本との併合を賛成した。
では安重根は、どこと併合するべきだと考えたのだろうか?
中国?ロシア?モンゴル?>>78
>朝鮮の両班が無能の人が大多数であった
それは少し違う。朝鮮国(李王家)は、450年間も続いた。
これは無能でできる事じゃない。ただ、都市が下るにつれて堕落した人が多かったのは事実。
堕落した原因の一つが、朱子学に基づいた強固な身分制度。
努力しても上に行けないし、上にいるものは努力しなくても地位を引き継げる。というなら、堕落しないほうがおかしい。>>94
併合反対。
安重根は、朝鮮国を独立国だと認識してた。だから、独立国のままであることを望んだ。
彼自身は下級両班だったけど、父親の方針で高い教育を受けてた。
しかし、外国語習得を「言葉を習うことは、その言葉を話すネイティブの奴隷となる事だ」と主張するほど思い込みの激しい面があった。
当時の伊藤博文は「大韓独立主権侵奪の元凶」だと韓国人に思われていた。
安重根も、日本が日清戦争時の大義名分である「東洋の平和を維持し、韓国の独立を強固にする」を守らずに朝鮮国への介入を深める理由を「伊藤博文個人の野心による策謀の為」と思い込んでた。
だから、伊藤博文を排除すれば、民族の独立が計れると思い込んで実行した
安重根はロシアに渡った後、盟友となった仲間から「日本軍が朝鮮民族をkillしまくっている」と聞かされて、それに激怒していた。
しかし、日本以外の諸外国の外交文書でもこの事実が確認されてないんだよね。
だからその話もデマ。という可能性が高い韓国人の主張を要略すれば、身分が高い人間ばかり優遇されて悔しいって事だろ?
500年近く続いた李氏朝鮮が併合したから明日から、はい日本ですとなんて無理。
石器時代に毛が生えた程度の奴隷民を統治するノウハウが日本にはなかったからなw
で、国再生のシンボルとして王家を大事に扱い、両班に統治を手伝ってもらいたかったんだな。
当時は朝鮮人がまだ誇りある人間で、まさかこんなに態度のでかい乞食だとは分からなかったからな。
まぁ、もう国家上げて朝鮮半島に肩入れする事はないと思うぞ。>>93
朝鮮国ではどうだったか知らないが、日本帝国だと『皇族は臣民の為に心を配れ』というのを徹底して教えられてた。貴族も『天皇を護り、国の発展に尽くす義務』を課せられていた。
だから男子皇族は軍人になり、女性皇族は社会的弱者の救済をする事業に携わることが多かった。
貴族は軍人になるか、企業家になる人が多かった。女性だと福祉事業に力を入れる人もいた。
これは江戸時代も同じ。領主は、領民の生活が向上するように努める義務があった。
領主の子弟も同じ義務を負っていた。なので色々方策を取ってたよ。
自分の領地が豊かになれば、それだけ藩も豊かになったからね。
金を稼げる名産品の開発に、どこも力を入れていた>>96
借金返済に充てた資産が尽きて、国を運営する国庫は資産も現金も全て失った。
しかし借金は完済していない。
独立国家のままで居たかったとしたら、それは国の運営に関与していなかった者の
現状を知らない理想論だよね
当時の現実は自国での負債返済が不可能で、債権者に国を解体されるか、債務国の中で一国が併合し、全ての負債を引き受けて清算するかの選択肢しかない。日本の天皇(男)と大韓帝国の皇帝(女)が結婚し、
国名も日本・朝鮮帝国や大東亜帝国などに変更する形なら、
朝鮮半島側の反発も、もう少し抑えられたんじゃねえの?
日本の民族主義者は怒っただろうけど。当時の朝鮮半島人は、国庫補充の為に韓国政府から搾取されてたので
日本統治を喜んだ。
破産者として自覚があったんじゃね?
朝鮮半島側の反発って、軍事政権の存在を正当化する為のファンタジー旧李王家邸=赤坂プリンスホテル旧館
朝鮮の王族を王家として扱っていた証拠
は?収奪?抑圧?弾圧?何のことだ?韓国の現行憲法では「大韓国民は、3・1運動で建立された大韓民国臨時政府の法統」とある
でも、臨時政府の首班は最初、国務総理、その後は大統領に移行
日韓併合以前の大韓帝国憲法では「皇帝が無限の君権を享有すること」とされる専制国家であり、皇帝からの権限移譲を受けていない臨時政府は、どこに正統性があるのか?
少なくとも大韓帝国皇帝陛下の近親から第三代大韓帝国皇帝に担ぎ出し、そこから、国務総理への権限移譲がない限り、大韓民国臨時政府の正統性はないんじゃないか?
韓国人が重視する正統性を無視して運営しているのが、現在の大韓民国政府
李朝のだれから権限移譲を受けたのか説明して欲しいわ韓国人が自分達で担いでいた国の領主だろ?そんなに粗末にしたいなら自分たちで倒しておくべきだったね。朝鮮人が国の運営能力が低いのはこの現代の韓国人をみてもよく分かる。自己偏愛と無責任の両立民族。
>>104
昔、大韓国制のスレ立てしたら消されたわ。
日本が韓国を植民地支配したと言う韓国人は、李王家がどうなったかも知らないのかね皇族というより禅譲(正しくは併合だが)したからそれなりの地位与えたよって感じじゃないかな
後漢の献帝(劉協)に扱いとしては近いんじゃないかと>>105 良い指摘だ。
韓国人が日王と呼ぶのは矛盾していることがわかる。韓国人が大韓帝国皇帝を尊重する気持ちは理解できる。現在の大韓民国は大韓帝国を正式に継承したものと言っているわけだから。
なら、その李王家と交流のあった日本皇室を尊重しないのはおかしい。 李王家を戦後、粗末に扱ったのは韓国政府であり、韓国人だ。韓国人はそのことをどう思っているのか。
いつか、日本人の映画監督の手で、大韓帝国皇帝の生涯を、映画化できないか。韓国人がどのようにして李王家を捨てたのか、見せつけたい。また日本統治が朝鮮人の同意に基づいていたことを映画で表現出来ないか。李王家が国を売ったことについてどう思うね
>>114
バカな朝鮮人よ、それは既に皇族扱いで、正に対等の証拠だろ>>90
戦後駅前の土地に勝手に住み着く朝鮮人、他人の土地を勝手に占有した朝鮮人部落とか、
封建制を経ない遊牧民の自由さなんだろうな
やっぱり約束や信用制度、近代的契約社会の発展には、向いてない民族がいるんだな>>68
文在寅の父親である文勇炯は、日本統治時代に公務員試験に合格し、興南市役所で農業課長の地位を得ていた。
文勇炯は親日派だったから、北朝鮮にになった興南から、家も財産も捨てて逃げてきたのだろ?>>114
てか男系の朝鮮人の発想だと妻の血にはまるで意味がないのではなかったっけ?混血を嫌うのは日本人も同じだが。さらに言うと妻の家系は格下になるんだっけ?藤原氏の外戚とかの歴史がないしさ。
しかし李王家の娘は誰に嫁に出したんだろうか。まさかみんな貢女??大韓帝国滅亡後,高宗が貴族院議員になったのは事実だけと,華族扱いだった
>>120
なるへそ。まあ、イキナリ軍人無理だからだろうな>>1
李王家は親日派でないの?ってスレ立っのに削除されたニダ- 123名無し2020/02/26(Wed) 06:42:46(1/1)
このレスは削除されています
>>11
お前さん達の先祖もね。終戦時、日本は
李王家を朝鮮に返そうとした。
それを拒絶したのは李承晩。
つまり、
李氏朝鮮を滅亡させた犯人は、
李承晩だ。>>23
>> 何が憶測か?合併の対価として、多くのお金を受け取ったんじゃないの?無料で国権を放棄したことはなかったんじゃないの?
(`・д・)韓国人らしい考え方ですね。王族に対しての配慮は、ある程度はあったでしょう。しかし日本は、主に、未開で貧しい朝鮮半島に対してお金を注ぎ込んだのです。何かを所有することは、それに対する責任が発生すると考えるのが日本人です。李完用が親日派で李王家がそうでない理由は何?
大韓帝国の条約の締結は、絶大な権力を持っていた李朝皇族、皇帝の合意となった。
乙巳五賊の親日派だとされた朝鮮人がいた。
李完用はロシア軍の韓国内への引き入れに反対し追放された人物、
数年後には近代化に必要な人材と戻された。
日露戦争開戦となり大韓帝国は日本の保護国となった。
条約は合法的で、米英や他国も正当だと認めていたが、
当時の世界情勢を李朝支配身分階級の失敗の連続であった立場環境で見れば、もともと、半島住民身分階級の立場では動いていなかった、
皇帝の選択は段階的状況の中で最善だったともいえる。>>128
茶々の場合、厳密に言うと秀吉の子供を二人産んだから
正室格に昇格させたって指摘されているから
天下とか正当性とかは余り関係ないと思う
秀吉の時代は江戸時代と違って正室の基準が緩くて何人も正室が居るのも少なくはなくて
ねね、茶々以外にも京極竜子(京極高次の娘)も正室扱いされていたとか日本「保護してる朝鮮王家返すよ」
李承晩「俺の権力が弱まるからいらない、余計な事すんな」まさか韓国人は知らないニカ?
李王家が借金で破産して国を売ったんだっけ?
>>134
当時日本では、「皇族」と「華族」の間に「王公族」があって、「王」は李朝の王とその直系。「公族」は李朝一族のうち2家を指していた。
王族の名乗りは、朝鮮側の希望通り、単に「王」。
当時、日本政府側は「王」ではなく、「李王」と名乗ってもらう方向だったのだが、日本の皇族に準じるのに、「姓」があるのはおかしくないか?と、これは、日本の宮内省がそう言ったので、単に「王」になったという説がある。
ちなみに、日本で「姓」は、天皇が臣下に授けるもの(「氏」は自分で「氏」名を勝手に決めるが、朝鮮には、今の韓国でも、「氏」の概念はない)だが、誰かに「姓」が無いということは、その人に、「姓」を授ける者がいなかったということ。つまり、その人は最上の位にいる・・・という意味になる。
宮内省が、「李王」のように、前に「姓」を付けるな。と言った、ということは、当時、日本宮内省では、朝鮮を臣下とは思っていなかった。と、そういうことになる。
また、当時の刑法上では、「王公族」に侮辱があれば「不敬罪」の対象になった。華族(公爵・侯爵・伯爵・子爵・男爵)は、不敬罪の対象にはならないのに対し、やはり特別待遇だった。>>136
誰にも扇動されることなく、独立して、自分自身の考え方をしっかり持っている偉大なキムチマン。
慰安婦のうち、拉致されたことを日本軍に訴えたけれど、解放されなかった被害者の名前を教えてくれ!
いつになったら教えてくれるのか?>>135
質問とズレとるんだがな…今の韓国国内で末裔名乗ってる奴らはどう呼ばれとるのかって話
李王家が日本の皇族扱いだったことについて韓国人の意見は?
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