日韓に伝わる古い逸話を紹介するスレ

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  • 1名無し2016/10/08(Sat) 14:37:06ID:A1MjQ3MjA通報

    戦国時代の武将、直江兼続の家臣が領民といざこざを起こし、その領民を斬り殺してしまうという事件が起こった。
    調べると家臣の方に非があるようで、兼続は慰謝料を領民の家族に送ることにした。

    しかしこの領民の遺族は「金はいいから死んだ本人を還して欲しい」、と抗議。
    兼続の説得にもどうしても応じないばかりか、一層騒ぎ立てる始末。

    この遺族の行動に腹を立てた兼続はこの領民達を斬殺、死体に手紙を持たせる。

    「閻魔大王へ
     先ごろ死んでしまい、そちらに行った者だが、家族達を迎えにやるので、こちらの世界に戻して欲しい。
                                               直江兼続」

  • 16名無し2016/10/08(Sat) 17:02:50ID:g1NTA5MTI(3/4)NG通報

    >>14
    辻斬りしたというのは非差別民だったからね…領民のうちに入らなかったんだろう。

  • 17牛ロース大好きです2016/10/08(Sat) 17:22:42ID:c1NjkzMjg(2/2)NG通報

    >>10
    斬捨御免(きりすてごめん)は、手打・打捨の罪を免れる判決(沙汰)を言うのであって、行為自体のことではありません。
    また免れる場合も、
    ・斬った後は速やかに役所に届出を行う
    ・人一人殺したという同義責任で、20日以上の自宅謹慎を申し付けられる
    ・斬った際の証拠品は証拠品として一時押収される
    ・相手の無礼な行為とそれに対する正当性を立証する証人が必要
    となります。
    認められた例はほとんどなく、通常の階級の武士であれば、身代わりでも用意しない限り殺人罪で処罰されていました。よほどの配慮されるべき状況でもない限り武士の名誉死である切腹を許されず、庶民と同じ罪人として首を切られました。
    大名の場合は、町奉行の管轄外であったため、大目付による処分が行われますが、この場合は打捨を行った確実な証拠が必要となりました。(配下の武士、領民など関係者が多くなりそのアフターケアが大変なため安易に死刑にできませんでした)。

    他の方の光圀の逸話は「若いころに無茶をした例え」という独白ですので、本当かどうかも不明です。

    直江兼続は、戦国時代の話ですので、斬捨御免という判断を受けるまでもなく、辻斬(つじぎり)すら禁止されていません。

  • 18dragolion2016/10/08(Sat) 18:27:12ID:Y2MzU2MzI(1/2)NG通報

    戦国時代に、織田信長には黒人の侍の家来がいた。

    名前は弥助(Yasuke)。

    ある日、ポルトガル人が織田信長と謁見したときに、黒人奴隷を連れて来た。 その時に、織田信長は初めて黒人を見た。

    物凄く肌の色が黒いので、織田信長は黒人が肌に炭を塗っていると疑って、黒人奴隷に肌を水で洗え!と命令した。

    そうすると、水に塗れた黒人奴隷の肌は、逆に物凄く黒く光り、織田信長は驚いた。 そして、身長180以上の筋肉が発達した黒人を織田信長は気に入って、ポルトガル人が貰い、名前を弥助(Yasuke)と名付けて、侍にした。

    言い伝えでは、織田信長が明智光秀に謀反で殺された「本能寺の変」の時も弥助(Yasuke)は、信長の親衛隊として本能寺にいた。 しかし、捕まったけど明智光秀は、日本人ではないからといって逃がしたらしい。

    あと、余談だが弥助(Yasuke)の故郷のモザンビーク(Mozambique)では、ヤスフェという姓が一般的とTV番組で報道された。

  • 19dragolion2016/10/08(Sat) 18:39:55ID:Y2MzU2MzI(2/2)NG通報

    昔、武士は日本刀を買う時に、ある基準を参考にしていた。
    大事なのは、その日本刀は実際によく斬れるのか、実戦で役に立つのか?
    そこで、売る方は日本刀を試験した。 生きた人間や、死体を実際に斬って。

    死体を二つ重ねて、胴体を2人切ったら、「二つ胴」と名付けた。
    3体死体を重ねて斬れたら「三つ胴」。

    記録では、最高で「七つ胴」があったらしい。
    7人の死体の胴体を斬ったらしい。 凄まじい。

  • 20名無し2016/10/08(Sat) 18:42:12ID:c5ODI0MTY(1/1)NG通報

    逸話か…
    神話系なら知識はあるが、逸話は分からんな

  • 21名無し2016/10/08(Sat) 21:09:58ID:g1NTA5MTI(4/4)NG通報

    >>19
    生きた人間はないわ
    使ったのは死刑になった死体

  • 222016/10/08(Sat) 23:16:02ID:IwMDYzNjg(1/2)NG通報

    >>19
    怖い怖い

  • 23香川県民2016/10/09(Sun) 14:56:13ID:AzNTA4ODQ(1/1)NG通報

    織田信長
    安土城が完成後、家臣や一般人に城を有料(今の価値で10000円くらい?)で公開した事が有ったらしいけど

    その際に信長本人が入場受付担当してたとか

  • 24名無し2016/10/09(Sun) 15:15:08ID:g3MTY0MTc(1/1)NG通報

    >>10
    今の警官と同じだよ
    悪質な公務執行妨害は射殺しても罪に問われない事になってるが
    大抵の場合本当に必要なのか問いただされて処罰される

  • 25名無し2016/10/24(Mon) 14:14:30ID:I4NDQxNjA(2/15)NG通報

     ・芋鍋
     徳川四天王の一人、井伊直政の次男である井伊直孝の若き頃の逸話である。
    直孝は父同様、その才覚を徳川家康に見込まれ、若くして周囲に一目置かれる存在となっていた。
    政務に勤しむ直孝に、老臣が声をかけた。
    「直孝、お前の様な若者が仕事に励んでいるのは嬉しい。お前を見込んで話すが、実は私を始めとした老人達が集まり、二月に一度、宴を開いている。
    どうだ、お前も来ないか?」
     聞けば、参加する者たちは徳川家の中でも歴戦の武将達だった。
    直孝は喜んで参加を希望した。

     さて、その日がやって来た。直孝にしてみれば、憧憬の的であった
    武将達が集まり、ざっくばらんに語り合っている贅沢な酒宴だ。
    ある者は手柄を立てた時の話、ある者は戦の仕様を考証し、ある者は
    名高い武将と戦った時の思い出を語っている。
    一つ一つの話に直孝は感銘を受けていた。
     やがて大鍋が運ばれてきた。鍋の中には、よく煮えた芋が入っていた。
    皆が思い思いに椀に取り分け、黙々と食べはじめた。
    芋の入った椀が直孝にも廻って来た。一口食べた直孝は驚いた。
    まったく味が無いのだ。それどころか、まるで泥を食べたような土臭さであった。
    思わず直孝は言った。
    「申し訳ございません。この芋は、私には少々味が足りぬ様でございます。塩か醤油はございませんか?」
    すると老臣は箸を置き、直孝に向き直ってこう言った。
    「実はお前を誘ったのは、この芋鍋を食べて欲しかったからだ。」

  • 26名無し2016/10/24(Mon) 14:14:48ID:I4NDQxNjA(3/15)NG通報

    老臣は続けた。

    「家康公の若き頃は、我らは毎日このような味も無い芋鍋を食べていた。
    そして今も徳川家のために働いてくれる足軽達、田畑を耕す農民達の中には、この芋鍋すら満足に食えぬ者もいる。
    我らはその事を決して忘れぬよう、こうして集い、芋鍋を皆で食べているのだ。」

    さらに老臣は続けた

    「これからはお前のような若者が、徳川家の政事の中心となるであろう。
    だからこそ、お前に伝えたかった。
    我らの手柄や戦の仕様、ましてや、もうこの世にいない武将の話などでは無い。
    この芋鍋の味を決して忘れてくれるなよ。」

     直孝は芋をたいらげると、老臣達に深々と頭を下げ、言った。

    「この味、生涯忘れませぬ。」

    徳川創業の功臣の二代目が次々と冷遇粛清されていく中、
    直孝は幕府の信任厚く、出世し、後に名君として歴史に名を残す事となる。
     彼が名君となりえたのは、芋鍋の味を忘れなかったからかもしれない。

  • 27名無し2016/10/24(Mon) 18:23:26ID:k2ODQzNTI(1/3)NG通報

    ・伊達政宗

    伊達政宗は東北地方の戦国大名です。
    優れた武将でしたが当時から奇行で有名でもありました。

    ある日伊達政宗は、縁側で家宝の茶碗を手にとって眺めていた。
    そしてうっかり手を滑らしてしまったが、なんとか茶碗を落とさずにすんだ。
    冷や汗を流した後、ホッと息をついて考え込む政宗だったが…。

    どういう考えに至ったのか、せっかく落とさずに済んだ家宝の茶碗をわざわざ庭石にぶつけて粉々にしてしまった。


    「ええい!茶碗ごときが俺を脅かすとは!」

    と叫びながら・ 。

  • 28名無し2016/10/24(Mon) 18:58:52ID:k2ODQzNTI(2/3)NG通報

    ・仁徳天皇
    古代の天皇で内政手腕に優れた天皇でした。百済との関わりのある天皇でもあります。

    ある日仁徳天皇は山から街を眺め民家から煙が昇っていない事から竃が使えないほど民衆が困窮している事を察する。

    仁徳天皇は困窮解決の為に国民の税金を3年間全額免除する布告を出した。
    おかげで仁徳天皇の住まいは朽ちていき屋根が崩れ夜空が見えるような有様であった。

    3年後に仁徳天皇が再び山に登って街を見ると豊かになった民衆の家々から竃の煙が立ち上っていた。

    これを見た仁徳天皇は「朕は豊かになった」と語った。
    皇后が「朽ちた家に住んでるのにどこが豊かなのか」と当然の疑問をぶつけると、仁徳天皇はこう答えた。

    「天が君主を立てるのは、民衆の為だ。君主とは民衆あっての存在なのだ。民衆が貧しいということは君主が貧しい事と同じこと。民が富めば君が富んだことになる。」

    英主として讃えられた仁徳天皇はその死後に日本最大の古墳に葬られています。

  • 29名無し2016/10/24(Mon) 19:07:24ID:k2ODQzNTI(3/3)NG通報

    ・綏靖天皇

    綏靖天皇は日本の二代天皇。
    朝に7人、夕方に7人の人間を食べる食人の習慣があったため人々に恐れられた。

    民衆は「近い内に火の雨が降る」と言って綏靖天皇を騙し、洞窟に避難させると洞窟の入り口を塞いで幽閉したと言う。

  • 30名無し2016/10/24(Mon) 19:48:09ID:I5NDE1Njg(1/1)NG通報

    織田信長は家来を呼びました。
    家来A「なんでしょうか?」
    信長「…なんでもない」
    織田信長はまた家来を呼びました。
    家来B「なんでしょうか?」
    信長「…なんでもない」
    織田信長はまたまた家来を呼びました。
    家来C「なんでしょうか?」
    信長「…なんでもない」
    家来Cは部屋を出る時、小さなゴミを見つけて拾いました。
    信長「偉い!」
    家来C「うわっ!ビックリした!」

  • 31名無し2016/10/24(Mon) 23:21:25ID:I4NDQxNjA(4/15)NG通報

    戦国大名の尼子経久は無欲な人で、家臣が自分の持っている物を褒めると、必ずそれを譲ってしまうと言う、妙な癖があった。
    家臣もそれを良くわかっていて、「殿様のものは、決して褒めないように。」と、決めていた。

    さて、尼子の本拠地、月山冨田城には巨大な松の木があった。
    どれほどの樹齢かもわからない、城のできるはるか前からある松の木であった。

    ある家臣が、「さすがに、これを褒めても譲られるような事はあるまい。こんな巨大な松、動かす事もできないだろうし。」
    そう思って、経久の前で、つい、このように立派な松は、日本中探してもここだけでしょう。と言った。


    次の日


    その家臣の家に、見た事もないほど大量の松の薪が、送り届けられたと言う。

  • 32かは2016/10/25(Tue) 01:30:52ID:IwMTM2NzU(1/2)NG通報

    >>1
    条約すら守らない、永遠に謝罪と賠償を要求する被害者原理主義の韓国人には、この対応が必要だと思ってる。

    俺もこの話は慰安婦問題関連の掲示板でしばしば紹介した事がある。

  • 33名無し2016/10/25(Tue) 06:31:49ID:U2NTk2NTA(1/1)NG通報

    清々しい、日本人らしい対応です。
    これでこそ治安が保たれるとういものです。
    国中がクレージークレーマーで、泣く子はアメを一個余分にもらえるを地で行って韓国とは大違いだ。

  • 34かは2016/10/25(Tue) 11:11:30ID:IwMTM2NzU(2/2)NG通報

    >>31
    気前がいい動機は豊臣秀吉と同じ。
    尼子経久は一度没落した後に、城を乗っ取って復権した人物だから、
    部下への求心力を保つ為に気前よく振る舞った。

  • 35名無し2016/10/25(Tue) 20:31:28ID:M2MTQxMjU(5/15)NG通報

    応仁の乱が起きる少し前、当時の京都では「徳政令」(借金を帳消しにする政令)が頻発していた。
    京都のある宿屋の経営者は近いうちに徳政令が出るらしいとの噂を聞きつけると、
    自分の宿に泊まっている宿泊客達を騙して、彼らの荷物を借り受けた。
    翌日、徳政令が出ると宿屋の主人は旅人たちに

    「残念ながら徳政令が出たため、あなたがたから借りていた荷物は私のものになった」

    と言った。
    当然、宿泊客達は怒ったが、そのうちの一人がこう言い返した。

    「そうなると、我々が泊まっているこの宿も主人であるあなたから一時的に”借りている”ものですから
    徳政令が出た以上、この宿も我々のものになりますな」

    主人はこの返答に驚いて口論となり、裁判に持ち込まれた。
    裁判官は宿屋の主人のせこいやり方を憎らしく思い「宿は旅人たちのものだ」と、判決を下し
    宿屋の経営者一家は宿から追い出される羽目になった。

  • 36名無し2016/10/26(Wed) 12:36:04ID:g1ODc4NTQ(1/1)NG通報

    ( 〃▽〃)わくわく♪
    楽しみに 読んでます♪

  • 37774ちゃん(ㅎㅂㅎ)2016/10/26(Wed) 16:23:42ID:cwNTYwOTA(1/1)NG通報

    ある日鷹狩に出た秀吉は帰り際喉が渇き近くの寺に寄った
    応対した寺の小姓は秀吉を招き入れ
    まず大ぶりの茶碗にたっぷりと注がれたぬるめの茶を出した。
    喉の乾いていた秀吉はそれをたちまち飲み干し茶をもう一杯頼んだ。
    次に小姓はやや小ぶりの茶碗にやや熱く入れた茶を持ってきた。
    喉の渇きは癒えていた秀吉は先程よりゆっくり茶を飲み、もう一杯頼んだ。
    そして小姓は小ぶりの茶碗に熱い茶を入れて持ってきた。
    すっかり心地の落ち着いていた秀吉は熱い茶をじっくり楽しんだ。

    相手の欲するものを言われずとも察し心配りのきくその小姓を
    秀吉はいたく気に入り自分の家来にした。
    それが後に有名な将となる石田三成であった。

  • 38名無し2016/10/26(Wed) 17:12:17ID:A2ODE0MzA(1/4)NG通報

    >>37
    韓国人にとっては、壬申倭乱での兵站長だな。

  • 39名無し2016/10/28(Fri) 21:37:32ID:M2NDgwMA=(1/1)NG通報

    >>15
    声を出して笑ったw
    家でよかったw
    自虐ネタだけど、ユーモアのセンスが、あるね!面白かった!

    このスレではないけど、日本人も、自虐ネタの一つ位、言える余裕が欲しいね。

  • 40名無し2016/10/28(Fri) 21:41:15ID:M4NTQxMzY(1/1)NG通報

    >>1
    てか、韓国って、建国何年だよ!www
    せめて、朝鮮だが、中国植民地とか日本統治とか未だに自立して無い国だぞ?

  • 41名無し2016/10/29(Sat) 13:39:12ID:Y2OTM5ODU(6/15)NG通報

    江戸時代の日本は鎖国政策を行っており外国人の入国は厳しく制限されていました。
    そんな中でも日本にキリスト教を布教しようと宣教師が密入国する例がいくつかありました。
    シドッティ(Giovanni Battista Sidotti)もその一人で日本に密入国しましたがほどなくして捕えられます。

    捕えられたシドッティは幕府重臣である新井白石との会談を行います。
    新井はシドッティの科学知識について高く評価しましたがキリスト教の教義に関しては否定的な見解を示していました。
    以下は新井の唯一神に関する見解

    「キリスト教徒は神が万物を創造したという。万物が勝手に誕生することははあり得ないのだから、万物が存在するからには万物を作ったものがいるということだ。
    しかし、それならば万物を創造したという神は何者が作り出したのか。神が自らを創造出来るものならば万物が自ら誕生することにもなんの不思議もないのではないか。」

    韓国はキリスト教徒が多いと聞きますがどのようか感想を抱きますか?

  • 42ハンペン2016/10/29(Sat) 21:37:57ID:Y2OTM5ODU(7/15)NG通報

    島津義久は戦国時代の大名です。
    彼の代で領地は大きく広がりました。
    そんな時、彼の家臣の一人がこう提案しました。
    「城の門の一部が壊れているので、これを機会に門を立派に建て替えましょう。小さな汚い門のままでは他国の使者に馬鹿にされてしまいます。」

    しかし島津義久はこの提案を拒否します。

    「他の大名の使者となれるほどのものであれはその者は教養のあるものである。
    城に来るまでに私の領地を必ず目にするのだから、領民の暮らしぶりを見て富み栄えているようであれば
    門が汚くても善政をしいていることを察する。
    たとえ城が立派であっても領民が貧しく疲れ切っているようでは領主の政治が良くないことを見抜く。
    肝心なところに気を配らずどうでもよい事に気を配るものではない。
    門など小さく汚いままで問題ない。」

    トップのまわりだけ立派にしても、実体が伴っていなければ駄目だという話。

  • 43名無し2016/10/29(Sat) 21:43:39ID:EyNjk4MzQ(2/2)NG通報

    >>41
    新井っていう人賢い人ですな

  • 44ハンペン2016/10/29(Sat) 21:48:24ID:Y2OTM5ODU(8/15)NG通報

    >>43
    彼は儒学者でしたからキリスト教の教義が不合理に感じられました。
    儒教の国である韓国ではキリスト教宣教師がやってきたときにこのような論争はありましたか?

  • 45zz名無し2016/10/30(Sun) 04:10:30ID:UwMTYxOTA(1/1)NG通報

    >>1
    直江状の、兼次らしい逸話だな、
    「知った風な口を聞くなー!」
    朝鮮人に言ってほしいわ

  • 46ハンペン2016/10/30(Sun) 09:12:17ID:c0NjM5NTA(9/15)NG通報

    戦国時代にはキリスト教宣教師が訪れ盛んに布教活動を行っていましたが、既存宗教勢力との軋轢も生まれました。

    戦国時代ですので武力で対抗する場合もありましたが、思想面で反論した場合もあります。
    下記は禅宗(仏教の一派)の反論です。

    「あなたがたキリスト教宣教師が言うように、唯一神の存在が真実であるのなら、
    何故日本人に対しこんなにも遅れて伝わり、どうしてその善良さなるものが今まで隠されてきたのか?
    人類すべてを救うはずの唯一絶対の神が日本人だけを現在までほおっておいたと言うのは
    矛盾に満ちているではないか?」

    「あなたがたキリスト教宣教師は人間には不滅の霊魂が有ると言います。
    しかし人間が死ぬとき、他の動物が死ぬ場合と何ら違いはありません。
    霊魂の兆しすらどこにも、誰にも見ることが出来ません。
    ならばどうしてあなたがたは、肉体が滅んだあと、霊魂が分離して存在し、それが生きたままでいることを
    人々に証明出来るのか?」

    「あなた達キリスト教徒は、人間の理解力、自由な意志、記憶力などを、永遠の存在である霊魂に宿る属性であると言っている。
    しかしそれらは自然が、生物である人間に、存在と感覚の他に見解、意見を与えて
    少しだけ高尚にしたもの以上では無く、これらの資質はどれも不滅の兆候でないばかりか、むしろ肉体と綿密に関係しているように見える。
    人間の理解力、意思、記憶力などは、肉体が衰えれば同じく衰えるではないか。
    だとすればあなた達キリスト教徒が言う霊魂が存在する証拠というのは、霊魂の属性ではなく肉体の属性である。」

    これらの疑問に宣教師たちがどのように答えたのか、記録には残っていない。

  • 47名無し2016/10/30(Sun) 17:04:53ID:g3NzU0NzA(1/1)NG通報

    宣教師
    イエスを信じなければ地獄に落ちます。

    百姓
    それなら私の母は地獄にいるのですか?

    宣教師
    神の教えを知る前に亡くなってしまったので大丈夫です。

    百姓
    それならあなたたちが教えを広めなければ誰も地獄に落ちないのでは?

    宣教師

  • 48ハンペン2016/10/30(Sun) 21:22:57ID:c0NjM5NTA(10/15)NG通報

    朝鮮出兵(唐入り、壬辰倭乱)の最中に日本の武将である島津義弘が妻に宛てた手紙です。

    「昨日もまたあなたのことを夢に見ました。
    目が覚めた今も、あなたがここにいるかのような気がしてします。
    私は昼夜を問わずあなたのことを心から思っています。
    近頃、鏡を見て自分が年を取ったと痛感するようになりました。
    会わないうちに老けてしまって、『すっかり変わってしまった』とあなたに言われるのが何よりも恐ろしい。
    中身がなくてもどんなつまらないことでもいいので手紙を送ってほしい。
    さみしいのでこの手紙が着いたらすぐに返事を送ってくれるとうれしい。
    こちらからもまた手紙を送ろうと思う。
    早く故郷に帰って君に会えるように今日もまた頑張ろうと思う。」

    400年前の事で価値観の違う時代の人間とは言え
    人の内面というものはいままでも、これからも変わらないのかもしれません。

  • 49名無し2016/10/31(Mon) 10:10:44ID:gyNDQyMDU(2/4)NG通報

    韓国人全く来ない

  • 50ハンペン2016/10/31(Mon) 23:22:27ID:gyMzM5MTU(11/15)NG通報

    江戸時代の日本は平和な時代で戦争は起こらなくなっていました。
    平和ではありましたが退屈な世の中に刺激を求めたのか戦国時代の話を語り合ったり、創作物が増えていました。
    そんな風潮がある中で戦国時代を生きたある武将がこのような苦言を言っています。

    「最近、誰もが戦いの話を聞く時には『あの武将はあそこで討死した。』『あの者ははあそこで首を取った。』などということに興味を持つ。
    あるいは『あの戦いは負けた、勝った』というどうでもいい良い話ばかりを知りたがる。

    これは悪い風潮だ。

    その戦いでは何故名だたる名将達が討ち死にしてしまったのか。どうして負けたのか、どのようにして勝ったのか。
    その勝ち負けの理由を尋ね聞き、考えることこそ、過ぎ去った時代の話を聞く意味があるのだと私は思う。」

  • 51ハンペン2016/11/02(Wed) 00:52:47ID:I5MDE0MzA(12/15)NG通報

    明治維新の後、日本の森有礼と清の李鴻章が会談したときの会話

    李鴻章
    「祖国の衣服を捨て西洋の衣服を身に纏うなど恥ずかしくないのか?」

    森有礼
    「400年前に辮髪で胡服を着た漢人がいたのか?」

    李鴻章は慌てて話題を変えた。

  • 52ハンペン2016/11/03(Thu) 19:00:49ID:M2NzEzOTU(13/15)NG通報

    徳川家康の有力家臣の一人である「蜂屋半之丞」は、ある戦場で数多の敵を討つなど大きな活躍を見せた。
    しかし、不運にも流れ弾に当たり、26歳の若さで討ち死にした。

    彼の屋敷では、母が彼の帰りを待っていた。
    蜂屋家の家来達が戦場から返ってきたので母は急いで門前に走り聞いた
    「半之丞はどうなりました!?」
    これに家来は沈痛な顔で、
    「討ち死になされました」
    と報告をした。

    ところが、母はこの家来にキッと顔を向け家来に言い放った。
    「討ち死にまでの経緯はどうだったかを聞いているのです!」
    動揺した家来は答えた。
    「それでしたら、多くの敵を倒しました。」
    彼の母と微笑して言った。
    「それを聞きたいと思っていたのです。」
    そう言うと、奥へと戻っていった。

    そして家来たちに見えぬところまで下がると、そのまま打ち伏し、前後もわからなくなるほど泣き、
    嘆いたとのことである。

    当主である「蜂屋半之丞」の他に男子はなく、これから蜂屋家を守るのはこの母なのである。
    息子の戦死とはいえ、家来達の前で嘆くわけにはいかなかったのだ。

    親が子の死を嘆くことが容易に許されない時代の、武士の母の話。

  • 53名無し2016/11/04(Fri) 15:40:09ID:g2NjA3MjA(3/4)NG通報

    >>52
    同じ状況でも、かの国では逆に家来の前で泣いてみせる必要があるんだろうな。たろえば、実は妾の子で内心では憎んでいたとしても。

  • 54ハンペン2016/11/04(Fri) 21:34:13ID:Q0NDEzNjA(14/15)NG通報

    >>53
    まぁ戦国当時だと日本もワンワン泣く文化だったけどね
    忍んで泣くのは江戸意向の文化

  • 55名無し2016/11/04(Fri) 22:12:42ID:g2NjA3MjA(4/4)NG通報

    平家物語の敦盛の最後。鎌倉方の諸将が袖に顔を押し当ててさめざめと泣くとある。この時点で大声で泣きわめく文化はないとみるべき。
    奈良時代の塑像で釈迦の入滅を嘆く弟子の姿は、泣き女そっくりだから、ここら辺までさかのぼれば、泣いてみせる文化はあったとみるべきか。

  • 56ハンペン2016/11/05(Sat) 21:56:09ID:UyMTEzMjU(15/15)NG通報

    明治時代の政治家、「大久保利通」は政治家としては珍しく金銭に関して清廉であった。
    彼を頼った人物への援助を惜しまず必要性があるが予算が付かなかった公共事業に私財を投じることまで行っている。
    蓄財に関心も無かったため彼には膨大な借金があった。

    彼の死後、債権者は「政治家なのだから横領した金があるはずだ」と彼の家を押し掛けたが
    財産は全て抵当に入っており、現金もわずかで山のような借用書しか残っていなかった。
    大久保の大志を知った債権者たちは借金の返済を遺族に求めなかったという。

  • 57名無し2017/02/12(Sun) 19:29:27ID:A1NDY0NDQ(1/1)NG通報

    そうなんですか?

  • 58불령선인2018/04/12(Thu) 05:22:16ID:UzMDE3Mjg(1/4)NG通報

    한국의 좌파들에게 유명한 일본 이야기 하나를 소개한다.
    이 이야기를 정작 일본인들은 알고 있을지 궁금하다.
    한국의 좌파 인사중 홍세화 선생이라고 있는데, '빠리의 택시운전사'란 책으로 유명하다.
    한겨레 신문 칼럼도 썼었고,
    르몽드 디플로마티크 한국판에 정기 기고도 했었던 지식인이다.
    그가 어렸을 적, 할아버지에게 들었던 이야기라면서 '오오까의 밀감'이란 얘기를 자신의 책에서 한다.
    한국의 군사독재 정권시절 흔했던 고문에 대한 경각으로 소개한 듯 하다.
    이야기는 아래.
    -------------------------------------------------------
    오오까의 밀감

    옛날 일본의 에도에 오오까라는 판관이 있었다.
    이른바 쇼군(將軍)이 할거하던 시대였다. 내란이 빈번했고 민중들의 삶은 어려웠다. 특히 가난한 사람들은 억울한 일을 당하는 게 일상사였다. 재판관의 판결은 뇌물을 얼마나 바치는가에 따라 결정되었다. 죄가 없어도 가난한 사람은 감옥에 들어갔고 심지어는 처형되기도 했던 반면에 돈만 있으면 아무리 몰염치하고 뻔뻔스런 죄를 짓고도 풀려났던 그런 시대였다.

    오오까는 판관이 되어 에도에 부임하자, 당시의 관습에 따라 큰 만찬을 베풀었다. 에도의 귀족 명사들과 관리와 그리고 다른 판관들을 합쳐 모두 3백 명을 초대하였다. 식사가 끝난 뒤 그들은 정종을 마시며 이 얘기 저 얘기를 나누었다. 얘기중에 판관들은 재판을 심리할 때 그 진실을 알기 위한 제일 빠른 길이 고문이라고 말하고 있었다.

    판관들은 아무리 거짓말을 잘하고 뻔뻔스런 자들도 고문만 하면 다 불게 되어 있다는 의견에 입을 모았다. 오오까는 아무 말 없이 그들이 떠드는 소리를 들었는데 그의 표정은 침울했다. 그들이 술 마시기를 거의 끝마쳤을 즈음, 그는 자리에 일어나 입을 열었다.

    "모든 식사의 마지막에 과일이 빠질 수 없고 또 지금은 밀감이 아주 잘 익는 계절인데 내가 그것을 소홀히했으니 제빈들은 이 나의 불찰을 용서하시기 바라오. 즉시 조처하겠소."

  • 59불령선인2018/04/12(Thu) 05:23:00ID:UzMDE3Mjg(2/4)NG通報

    그리곤 그의 충복인 나오수까에게 3백 개의 밀감을 급히 가져오라고 지시하였고 나오수까가 급히 달려가 밀감이 든 푸대를 오오까에게 갖다 대령하였다. 그는 잠시 생각하더니 다시 나오수까에게 그 밀감을 헤아려보라고 지시하였다. 주인의 지시에 따라 밀감의 숫자를 헤아린 나오수까의 표정이 어두워졌다.

    "나으리, 3백 개에서 한 개가 부족하옵니다."

    "너에게 3백 개를 가져오라고 하지 않았더냐! 빈객 중에 한 분이 못 잡숫게 되었단 말이냐!"

    "나으리, 틀림없이 3백 개였사옵니다. 소인이 직접 세면서 집어넣었사옵니다. 정말이옵니…"

    울상이 된 나오수까의 말이 끝나기도 전에 오오까의 엄한 목소리가 터져나왔다.

    "그러니까, 네놈이 한 개를 먹었구나. 그렇지 않느냐?"

    "아니옵니다. 아니에요. 감히 어찌 소인이 그런 일을…"

    "그렇지 않다면 네놈은 지금 밀감한테 날개가 있어 날아갔다는 말을 하려느냐, 아니면 발이 있어서 도망쳤다고 말하려는 게냐, 이 발칙한 놈!"

    "아니옵니다. 감히 소인이 어찌 … 하오나 소인이 손을 대지 않았던 것은 사실이옵니다."

    나오수까는 어찌할 바를 몰라 목을 조아렸으나 주인의 목소리는 더욱 냉랭해졌다.

    "진실은 밝혀지게 마련인즉 … 게다가 명색이 판관인 내가 바로 가내에서 벌어진 일의 진실을 밝혀내지 못한다고 해서야 어디 판관 자격이 있겠느냐!"

    오오까는 형리에게 화로와 끓는 물 등 고문할 채비를 차리라고 명령하였다. 형리가 곧 화로와 끓는 물 그리고 인두 등을 준비하여 대령하자 오오까가 형리에게 이렇게 말했다.

    "이실직고하지 않을 때 어떤 일이 있을 것인지 저 못된 놈에게 하나하나 설명해주렷다!"

  • 60불령선인2018/04/12(Thu) 05:23:40ID:UzMDE3Mjg(3/4)NG通報

    오오까의 지시를 받은 형리가 말을 붙일 사이도 없이 새파랗게 질린 나오수까는 오오까를 향해 꿇어엎드려 목을 조아리고 이렇게 울부짖었다.

    "제발, 나으리! 소인이, 소인이 자백하겠나이다. 그러하오니 제발, 제발…"

    "좋다, 그럼 어서 이실직고하여라. 네놈이 어떻게 밀감 한 개를 훔쳤는지 세세히 자백하렷다!"

    "소인이 처음에는 그 밀감에 손댈 생각이 추호도 없었사옵니다. 하오나 밀감이 하도 잘 익었고 때깔도 좋고 먹음직스럽고 또 향내도 그윽하여 도저히 참을 수가 없었사와 한 개를, 딱 한 개를 꺼내 먹었사옵니다. 어떻게 맛이 있었사옵던지 지금까지도 입 안에 군침이 돌고 있나이다. 이렇게 자백하오니 제발 나으리! 제발, 나으리!"

    자백을 마친 나오수까는 계속 부들부들 떨고 있었다. 초대객들은 진실이 곧 밝혀진 것에 입을 모아 탄복했다. 그중에는 "역시 고문이야말로 진실을 밝혀낼 수 있는 첩경이라고 내가 말하지 않았더냐"고 떠드는 사람도 있었고 또 충복에 의해 도둑질당한 오오까를 비웃는 사람도 있었다. 이 말들을 조용히 다 듣고 난 오오까가 다시 나오수까에게 이렇게 다집하듯이 하였다.

    "그러니까 네놈이 진정 이 모든 빈객들 앞에서 밀감 한 개를 훔쳐먹었다는 것을 자백한다는 것이렷다!"

    "예, 예, 자백옵니다. 소인이 도둑질을 했사오니 어떠한 처벌도 달게 받겠사옵니다. 하오나 나으리, 처음 저지른 일이었사오니 나으리의 넓은 아량으로 … 한번만 그저 단 한번만 …"

  • 61불령선인2018/04/12(Thu) 05:24:17ID:UzMDE3Mjg(4/4)NG通報

    나오수까는 울면서 대답했고 또 그 울음을 그치지 못했다.
    오오까는 침울한 표정으로 나오수까를 그리고 빈객들을 바라보았다. 잠시 후, 오오까는 자리에서 일어나 나오수까에게 나다가 그 앞에 함께 엎드려 그를 안으며 이렇게 말했다.

    "부디 나를 용서하라. 너에게 참으로 못된 짓을 했구나. 이 모든 빈객들 앞에서 이렇게 사죄하노니. 그리고 이 불행한 일을 잊을 수 있도록 내 진정 갑절로 너를 돌볼 것을 약속하겠노라."

    그리고 그는 그의 넓은 소맷자락에서 밀감 한 개를 꺼내 빈객들을 향해 던지고 이렇게 외쳤다.

    "밀감을 훔친 자는 바로 나였소. 내 하인은 훔치지도 않았으면서도 훔쳤다고 자백했소. 그것도 그럴듯하게 꾸며서 말이오. 먹지도 않은 밀감의 맛으로 입 안에 아직도 군침이 돌고 있다고 한 말을 잊지 마시라! 고문이 있기도 전에 고문의 횡포가 그렇게 했던 것이었소! 그리하여 제빈들은 돌이켜보시라. 당신들의 감옥에서 얼마나 많은 사람들이 지금 이 시간에도 억울하게 썩어가고 있는가를! 그리고 제발 이 밀감을 잊지 마시라. 진실을 밝힌다는 미명 아래 고문을 하겠다는 생각이 떠오를 때마다 바로 이 밀감을 생각하시라!"

    - 홍세화, '나는 빠리의 택시운전사' 중에서

  • 62名無し2018/04/12(Thu) 05:35:15ID:Q5NDU2MA=(1/1)NG通報

    >>1
    「被害者様」でも限度を知れって事よね。

  • 63名無し2018/04/12(Thu) 05:40:36ID:YwMzU5NTY(1/1)NG通報

    >>11
    ロシア人とかも奴隷根性が染み付いてるんで、そういう君主が好まれるらしいね
    南朝鮮人がどこか金正恩を待望しているのも、ああいうな苛烈な人物しか
    朝鮮人を収められないからなんだろな
    李承晩も日本人から見ると猜疑心の強い小人物だが、朝鮮人にとっては畏怖する対象なのか

  • 64名無し2018/04/12(Thu) 05:54:50ID:EyNjQ0NDQ(1/1)NG通報

    ・・・理解してあげたいが無理だった

  • 65名無し2018/04/12(Thu) 05:58:43ID:Y2OTUzMDQ(1/1)NG通報

    >>58
    翻訳で詳細が不明な箇所があるが、日本にある「逸話」と決定的に異なる
    日本の逸話には必ず「いつ頃の話」「誰が」という情報が必ずつく
    >>1の例なら、「直江兼続」という固有名詞
    直江兼続は今から400年前に実在した戦国武将だ
    この名前だけである程度の信憑性が保たれる
    後は郷土史から調べれば>>1の逸話が事実か虚偽かが調べられる
    >>58の逸話にはそれにつながる情報が全く無い
    日本にある逸話の形式に沿ってない
    おそらく韓国左派が日本か韓国にある「原形となる話」を脚色したものと推測する(´・ω・`)

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