2017年11月26日記事。 フィリピン、パンパンガ州マバラカットをメインに、タルラック州バンバン、同州カパスの3か所で、 「神風特別攻撃隊」をはじめ戦没者の慰霊祭が挙行された。
地元サン・ロック高校の女子学生たちから自国の“英雄”と同様に称える言葉が飛び出した。
そして引率の男性教師は、「こうした歴史教育を通して、子供たちに国を守ることの大切さを知ってほしいのです」と語った。驚くべきことに、フィリピンで神風特別攻撃隊が称賛され、尊敬を集めている。
ダニエル・ディゾン画伯(故人)はこんな話をしてくれた。
「私はヨーロッパ・アメリカ・中国・フィリピンの歴史を様々な角度から検証してみました。その結果、なぜ日本が立ちあがり、戦争に打って出たのかがよくわかったのです。そして日本が、欧米列強の植民地支配に甘んじていたアジアを叱責した理由も理解できたのです。」
「当時、白人は有色人種を見下していました。それに対して日本は、世界のあらゆる人種が平等であるべきとして戦争に突入していったのです。
神風特別攻撃隊は、そうした白人の横暴に対する力による最後の抵抗だったといえましょう。」
「かつて日本の統治を受けた台湾や韓国を見てください。立派に経済的な繁栄を遂げているでしょう。これは日本の“教育”の成果です。ですが、アメリカの統治を受けたフィリピンでは、人々は鉛筆すら作ることができなかったのですよ。アメリカが自分たちの作ったものを一方的にフィリピンに売りつけたからでした・・。」
※1974年(昭和49年)に神風特攻隊の慰霊碑が建立された。ピナツボ火山の噴火で喪失。近年、立派な慰霊碑が再建さた。
大東亜戦争後の“復讐裁判”だったマニラ軍事裁判で処刑された山下奉文(ともゆき)大将と本間雅晴中将の終焉の地もきちんと整備されている。ロスバニョスにある山下大将の終焉の地は「YAMASHITA ST.」と名付けられ、慰霊碑の近くには大きな鳥居と墓標などが建ち、いまも地元の人々によってきれいに整備されている。
本間中将が銃殺刑に処せられた場所にも大きな円形の慰霊碑がある。
「戦犯」という汚名を着せられ処刑された日本軍人の慰霊碑がこうして守られていることからも、フィリピン人の対日感情と大東亜戦争に対する評価を窺え知れる。
ソース NEWSポストセブン嘘つき国家は、韓国だけ。
他のアジア諸国は、
戦時中の日本のことを、
正確に把握してくれています。
フィリピンに感謝!いままで、慰霊祭りがあること知らなかったからなぁ・・・
日本に酷いことをされた可哀想な被害妄想のウリナラ君たちはしぬまで自慰してればいいと思います。それがお似合いです。
ディソン氏
「クラーク飛行場の爆撃よりもさらに大きな衝撃だったのは1942年にバターンの戦闘に破れたアメリカ兵の捕虜たちが両手を上げ、アメリカ兵よりもずっと小さな体の日本兵に銃剣を突きつけられているところを見た時でした。
私はすぐにはその光景を信じることはできませんでした。
しかしこの時こそが、フィリピン人が民族主義に目覚めたとても重大な時だったのだと思います」
参考文献
「世界から見た大東亜戦争」名越二荒之助編
「フィリピン少年が見た カミカゼ」ダニエル・H・ディソン著特攻隊については、その作戦決定の経過や戦果などを考えると(実際に散華された方々が尊いことに間違いないにせよ)評価ばかりはしていられないし、実際に戦場となったフィリピン住民に被害があったことは間違いないのですが、
フィリピンの人々は比較的に、戦場における被害と、歴史における戦争の意味を切り分けて意味付けをしてくれていますね。
インドネシアもそうですが、被害は被害、功績は功績と客観視して早々と「歴史」の領域に整理してしまっています。
つまり、現在の政策や国民感情の形成には生なかたちでそれを利用しないというのは賢さでありむしろ世界水準であるといえるのだと思います。物証のある証言は好き♥
世界で初めて有色人種差別の撤廃を主張した国は日本だからなぁ。
東南アジア(フィリピン編)・・・白人への抵抗だった神風!!
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