日本海の竹島(島根県隠岐の島町)で明治30年代にアシカ猟を手がけた住民が地元で一、二を争う規模の屋敷に住んでいたことを示す資料が、町の調査で見つかった。猟の商業的な成功で新築した“アシカ御殿”だったとみられる。政府が明治38(1905)年に竹島を日本領に編入する前から、日本人が漁猟などの経済活動をしていた事実を裏付ける材料になりそうだ。
見つかった資料は、久見村(現・同町久見)が明治36年12月にまとめた「実力調査下調(したしらべ)書(しょ)」。世帯ごとに所有する家屋や土地の値段、農林水産物の生産量などが記されている。町が実施している竹島に関する調査の一環で、久見地区の区有文書から発見された。町村制施行後の課税目的でまとめられたとみられる。
文書には、竹島アシカ猟の先駆者として知られる石橋松太郎(1863~1941年)の名もあり、家屋の価値は「450円」。庄屋の分家だった有力者宅に次いで村内2番目だった。
町の調査では、石橋がアシカ猟から戻るたびに住民らを集めて酒盛りを開き、家を新築したとの資料も確認されている。
家屋は同じ地区内の別の場所に移築されているが、当時とほぼ同じ姿で現存。隠岐産の良質の松材などを使った平屋建てで床面積161平方メートル。当時、村内で家を新築するには2年程度かかったとされ、石橋は遅くとも明治34年以前にアシカ猟で莫(ばく)大(だい)な利益を得ていたことが推察できるという。
調査した町竹島対策室は「日本領編入以前から、住民が竹島と関わっていたことを示す間接的な証拠。竹島の領有権確立過程を説明するための重要な補強材料だ」と指摘。県竹島問題研究会座長の下條正男・拓殖大教授(日本史)は「資料からアシカ猟で得た利益を屋敷の新築に充てたことが推測できる。家屋の建築時期が分かれば、アシカ猟を始めた時期の特定にもつながる」と話している。
http://www.sankei.com/west/news/180122/wst1801220008-n1.html現存家屋が確認できたなら、朝鮮人の特技、放火に注意だね
住民もいない。
役人もいない。
領土を示す石碑も無い。
諸外国に領土を宣言したことも無い。
商業利用をしたことも無い。
でも新羅時代から韓国の領土なんだって。
おかしいね。どうせ認めないニダで終わりだろ
ウリ達の記録の方が古いニダ
つ「宇山島」
とかだろ。それなら韓国には独島エビ御殿があるニダ。
今は公開出来ないけど、半年後には公開するニダ。
日本にも右とか左とか、色々な考えの人間がいるんだけど・・・
最近、日本社会で個人的に興味深い現象が起こっている。
「韓国は信用できない」
8割9割の日本人がそのように思っているらしい(FNNが21日までの2日間実施した世論調査を信じればの話)
こんな一方に傾く日本の世論も珍しい。天皇陛下の支持率に近いほどの数字。
もう韓国はダメでしょw色々な意味で・・・。各資料での韓国東端
1894「新撰朝鮮地理誌」 . 大田才次郎: 130度35分
「朝鮮水路誌」 水路部(現・水産庁): 130度35分
1898「朝鮮紀行」 . イザベラ・バード: 130度33分
1899「大韓地誌」 (大韓帝国最初の地理教科書): 130度35分
1901「朝鮮開化史」 . 恒屋盛服: 130度35分
1903「韓海通漁指針」 東京 黒龍会 葛生修吉: 130度35分
1904「最新韓国実業指針」 . 岩永重華: 130度35分
「韓国地理」 矢津昌永: 130度58分
1905「日本民族の新發展場萬韓露領地誌」 岡部福蔵: 130度35分
「韓国新地理」 博文館: 130度58分
1906「韓国水産業調査報告」 農商務省水産局: 130度35分
1907「初等大韓地誌」 安鍾和: 130度58分
「大韓新地志」 . . 張志淵: 130度58分
1908「初等大韓地誌」 安鍾和: 130度58分
1909「韓国水産誌第2編」 韓国農商工部水産局: 130度42分
1912「最新朝鮮地誌」 日韓書房編集部: 130度54分
1936「朝鮮現勢便覧」 . 朝鮮総督府: 130度56分
1947「朝鮮常識問答」 . 崔南善: 130度56分
1948「朝鮮常識」 崔南善: 130度56分23秒
竹島(独島)は東経131度52分
http://dokdo-or-takeshima.blogspot.com/2007/11/1894-1948-korean-territory.htmlで、韓国人が絶滅させたと。そこまで書けっての。
そこまでやって、ようやく一発殴ったことになる。
でっち上げて殴られたと喚かれるくらいなら、
本当に殴ってやれと。
竹島に「アシカ猟御殿」資料 編入前、日本人の経済活動裏付けか
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