古墳時代以前の朝鮮半島と倭国との力関係

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  • 1名無し2018/01/20(Sat) 11:36:11ID:I4NDUzMjA通報

    この時代は中国の歴史書に頼るしかない。細かい記述は既に多数のスレに記載されているので割愛する。
    先ず、倭国は百済から文化を教えてもらわないといけない非文化国であったのだろうか?

    漢委奴国王印の金印が証明している。
    中国において、象牙印、金印、銀印、銅印の序列があり国家間の証明印で朝貢が行われた。
    象牙印は中国皇帝、金銀銅は周辺国や豪族である。
    日本には金印を受けた記述があるが朝鮮半島諸国で銅印以外の印を受けた記述は一切ない。
    また、印鑑は紙に押す物でありそこには文字が書かれている。
    実際は文字等は渡来人が書いたと推測されるが、倭国王周辺に漢字の分かる渡来人がいるのに百済から文化を教えてもらう必要があるのか?
    また、中国から見て倭国が半島諸国より上位にランクされているのにランクの低い国に文化を教わる必要があるのだろうか?

  • 357名無し2018/01/23(Tue) 08:55:47ID:M4MjUwMzk(8/8)NG通報

    「一支国」壱岐・原の辻遺跡 空撮
    日本最古の船着き場の跡や交易にる各地域の土器や中国貨幣や三翼鏃やココヤシで作った笛など。
    YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=mPTDdKvBRUc
    中国遼寧省鞍山市の羊草荘漢墓の67点の銅釧(腕輪)と形状がほぼ一致。
    紀元1世紀の後漢の頃とされる。北方系民族とは陸よりも海を渡りトラや盗賊を避けた直接交易のほうが安全。

  • 358ららら太陽2018/01/23(Tue) 10:15:52ID:c3ODcyOTA(1/1)NG通報

    常識的に考えて、文明が伝わるのは都会から都会に伝播する。そして周辺都市へ伝わるのが普通だよ。

    東京で始まった流行は大阪とか名古屋とか博多などの大都市に伝わり、周辺地方都市に伝播する。
    東京で始まった流行が静岡とか名古屋とか順番に伝わり、大阪に来るなんて理論は意味不明だよ。
    国は村じゃないんだから、朝鮮人理論なら地方の大都市がある理由が説明出来ない。

    日本から古代の最大都市であった中国の首都へ行くには朝鮮半島を通過するメリットがない。
    温暖の土地から治安の悪い寒冷地を通過し、中国の寒冷地から入国、そして温暖な中国の首都へ…意味がわからないよ。商人は冒険家じゃないんだから。すごい設備が必要だよ。距離も遠くなるし…
    それなら温暖な海路の方がよい。

    文明とは都市同士で往き来するもので拡散していくものではない。

    あと血統の研究しても無意味だと思うよ。日本と朝鮮は一つの国であった時代があるので、遺伝子でいつ混じり合ったかが証明出来ない以上何の意味もない。
    日韓併合期に混じったのか5000年前に混じったのか証明出来ないからね。韓国は日韓併合期に混じり合っていないというアホな前提で研究しているから意味がないよ。
    それと元々、強姦や売春婦が多い民族だから血統に正当性は薄いよ。日本のように島国とか特殊な状況でないとね。
    ガラパゴス諸島は固定種が多いけれど、アジア大陸で固定種は少ないでしょ。高地に住むパンダとか隔離された存在だよ。朝鮮半島は開かれていたから、血統での差異を研究するには向かないよ。属国をやっていたんだから、超開放路線なんだよ。鎖国したことないでしょ。

  • 359ららら太陽2018/01/23(Tue) 10:22:18ID:czOTgyNTY(1/4)NG通報

    もちろん、軍事的な侵略は朝鮮半島を通った方がよいよ。拠点を築くことが出来るし、治安が悪いのは問題にならないからね。逆に治安が悪い方が集合的な反撃を喰らわないし、固有の権威がなく地域を纏めやすいかもしれないので有利かもしれない。
    海に拠点は作れないからね。補給も出来ないし…

  • 360ららら太陽2018/01/23(Tue) 10:34:49ID:czOTgyNTY(2/4)NG通報

    だいたい、新しい鉄製品が開発されたとしたら、大都市に支店を置くでしょ。

    中国で新しい鉄製品が開発されたら、ソウルにも売るし、博多にも売るんだよ。何故、わざわざソウルを経由しないと日本に売らないように中国がするんだよ。
    そして支店の大きさは売り上げの量に比例するんだよ。日本は古代から朝鮮半島より人口が多かったんだよ。売り上げ多いに決まっているでしょ。

  • 361ららら太陽2018/01/23(Tue) 10:39:38ID:czOTgyNTY(3/4)NG通報

    朝鮮半島は文明の開発国ではないんだよ。開発国はあくまでも中国なんだよ。朝鮮半島と日本は同じく消費国に過ぎない。

    ただ、日本は文明を改良した。朝鮮人は儲けのでる劣化版を使い庶民を苦しめたという違いがあるだけだよ。現代でもそうでしょ。

  • 362ららら太陽2018/01/23(Tue) 10:47:35ID:czOTgyNTY(4/4)NG通報

    韓国人の血統研究家に質問すればよいよ。『日韓併合期に日本人と血統は混じり合っていますか?』…全員がNOと答えるからまともな研究は出来ないよ。

    韓国人バカでしょ。だからノーベル賞が取れない

  • 363名無し2018/01/23(Tue) 10:53:45ID:Q2MjM2Nzc(1/1)NG通報

    >>94
    朝鮮は日本に併合してもらうまで、中国の属国。
    日本より格下だぞ?
    韓国人ってだけで、底辺だ。
    口を慎め、奴隷民族。

  • 364名無し2018/01/24(Wed) 00:58:20ID:U4NzQ1OTI(28/37)NG通報

    >>87
    日本の稲作の始まりについて。まず、稲作には水田による稲作の他に、粗放稲作、焼畑による稲作などがある。そしてそれらは約6000年前から行われているようだ。野生では考えられない量が一箇所から見つかっている。

    第2部 縄文稲作の究明 1. 縄文稲作はあったか?
    http://www.geocities.jp/ikoh12/honnronn2/002_01_01jyoumonninasaku_ha_attaka.html

     さらにその後、2005年2月には、岡山県の灘崎町にある彦崎貝塚の縄文時代前期(約6000年前)の地層から、イネのプラントオパールが大量に見つかった。その量は土1gあたりプラントオパール2000~3000個という大量のもので、上表の縄文前期の遺跡・朝寝鼻貝塚の数千倍の規模である。これはただ単にイネが何らか理由で持ち込まれたという規模ではなく、まさに栽培されていたというレベルである。左の写真から判別すると、イチョウの葉状の形からジャポニカ米の系統と見られる。さらに小麦・キビ・ヒエやアフリカ原産のシコクビエ、コウリャンも少量ながら発見されている。

     今後縄文稲作の年代はもっと遡る可能性があるが、現在最も古い朝寝鼻貝塚の6400年前という年代測定が正しければ世界最古級の稲作遺跡である河姆渡遺跡からわずか600年でこの列島に伝播したことになる。

     縄文の稲作が低湿地での水田ではなく、低湿地での灌漑を伴わない粗放稲作や、やや高い台地のようなところでの焼畑のような稲作であったとすると、これからも畔(あぜ)のような遺構はもとより、鍬(くわ)などの道具も出土することは期待できないと言わねばならない。何故なら焼畑や粗放農耕なら、種粒を入れる穴を掘る道具、すなわち棒杭1本でこと足りるからである。

  • 365名無し2018/01/24(Wed) 00:58:57ID:U4NzQ1OTI(29/37)NG通報

    >>364
    日本の鳥浜や姫川が翡翠の原産地なので、中国江南地方と鳥浜が交易によってつながっていた。なので日本側も水田稲作について知っていた。だが、狩猟採集で十分な栄養が確保できていて、手間がかかり狩猟採集の足を引っ張る水田を、しばらく拒否していた。それが紀元前10世紀になって受け入れるようになった。

    第1部 最初の日本人の系譜 10.日本人の心のふるさと-照葉樹林文化-
    http://www.geocities.jp/ikoh12/honnronn1/001honnronn_10_1syouyoujyurinn.html

    なかでも特筆される発見は、縄文時代前期初頭(約7,000年前)の泥炭層の中から、ヒョウタンやリョクトウ(最近の研究ではアズキの仲間らしいとされる)、その他の栽培植物の種子が検出されたことである。

     ヒョウタンは炭化種子だけではなく、左図のような果皮も多数出土し、中には加工されたものもあったという。更に同じ地層から、エゴマやシソなどの種子も発見されている。

     それぞれの起源地は、ヒョウタンがアフリカ、リョクトウ(orアズキ)はインド、エゴマやシソは東アジアの照葉樹林帯である。ということは、いずれもアジア大陸の照葉樹林帯を経由して、この日本列島に“人の手”によって持ち込まれたと考えざるを得ない。だから、これは野生ではなく、栽培されていたに違いないと考えられるのである。

    画像:長江文明の流入経路の想定

  • 366名無し2018/01/24(Wed) 00:59:43ID:U4NzQ1OTI(30/37)NG通報

    >>365

    研究ノート07 長江文明の伝播と水田稲作を拒否した縄文人
    http://www.geocities.jp/ikoh12/kennkyuuno_to/007_1inasaku_wo_kyohisitariyuu.html

     長江文明がセットで、縄文前期の日本列島に伝わっていたとするなら、長江文明の基盤であった水田稲作農耕を、縄文人は何故取り入れずに拒否したのか?

    2.稲作農耕を営まなくても、縄文人は狩猟・漁撈・採集生活で豊かな暮らしを実現していた。したがって、手間のかかる稲作農耕を行う必要がなかった。

     筆者はこれらの事実から、安田の挙げた理由の2.に類するが、より積極的な意味で春・夏・秋の3シーズンに及ぶ稲作の農作業が、縄文カレンダーと噛み合わなかったことが、大きな理由であったと考える。

     上の二つの縄文人のカレンダーを見ると、縄文人は男も女も季節ごとに、しっかりしたそれぞれの目標を持って生業活動をしていたことが分かる。

     したがって、3月から10月まで88(米-八十八)もの手順を持つという、極めて煩わしい作業と管理と、さらに多人数の共同作業を必要とする水田稲作を導入するということは、これまでの生業カレンダーを捨て去らねばならぬことと同義であったと考えてよい。

     とすれば、縄文人が、当時豊かな生活を保障してくれていた、先祖からの知恵のいっぱい詰まった、これまでの伝統的な生業-採集・狩猟・漁撈活動-を、捨てるような危険を犯すはずがなかったことは当然であったろう。

     だからこそ、縄文人は、美味な米という穀物を主食として取り入れるのではなく、せいぜい嗜好品程度の扱いで、おそらく長江文明セットの付録のような、“片手間で出来る粗放な農作業の稲作”を導入するに止めたのではなかったか。

     そして、気候が冷涼化し、伝統的な縄文カレンダーに頼っていては生存が脅かされるようになった、縄文晩期に至ってはじめて、縄文人は本格的水田稲作の導入に踏み切ったのではなかったか、筆者はそう考えるのである。

    画像:縄文カレンダー

  • 367名無し2018/01/24(Wed) 01:00:39ID:U4NzQ1OTI(31/37)NG通報

    >>33
    >>87
    韓国の5000年前の栽培稲も粗放稲作や焼畑稲作なのではないか。それが櫛目文土器時代時代。その時代はまだ農業は小規模で、狩猟採集が中心だったらしい。そして3500年前になって水田稲作を始めるのが、無文土器時代。日本の縄文時代と、弥生時代に対応しているのかもしれない。日本の縄文時代は約1万5,000年前(紀元前131世紀頃)から約2,300年前(紀元前4世紀頃)まで。弥生時代は前4世紀(前10世紀)から後3世紀中頃まで。

    櫛目文土器時代
    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AB%9B%E7%9B%AE%E6%96%87%E5%9C%9F%E5%99%A8%E6%99%82%E4%BB%A3

    朝鮮の考古学的な時代区分で、紀元前8000年から1500年の頃に及ぶ。土器が作られ始めた時代で、朝鮮における新石器時代ともされるが、日本の縄文時代と同様、農業はまだ小規模で、狩猟や採集が中心であった。

    縄文時代
    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B8%84%E6%96%87%E6%99%82%E4%BB%A3

    縄文時代(じょうもんじだい)は、約1万5,000年前(紀元前131世紀頃)から約2,300年前(紀元前4世紀頃)、地質年代では更新世末期から完新世にかけて日本列島で発展した時代であり、世界史では中石器時代ないしは、新石器時代に相当する時代である。旧石器時代と縄文時代の違いは、土器の出現や竪穴住居の普及、貝塚の形式などがあげられる。

    画像:稲作開始年代・地域と稲作の伝播ルート

  • 368名無し2018/01/24(Wed) 01:01:56ID:U4NzQ1OTI(32/37)NG通報

    >>367
    個人的に気になるのが、朝鮮半島は7000年前から12000年前の間、中石器時代の遺跡が全くと言って良い程ないこと。あるのは済州島の遺跡だけ。この時期、朝鮮半島にはほとんど人がいなかったのではないか。それから旧石器時代の遺跡も50箇所ほどしかない。日本には3000~5000ほどある。それらから考えて、大昔の朝鮮半島は気候的に厳しく人がほとんどいなかったのではないかと思える。

    それが急に人が増えて、なおかつ文明を持つというのも不自然な話なので、中国の方から流れてきた人が櫛目文土器時代を作ったのではないか。多分それ以前から気候が厳しくなると中国や南の方に移動して朝鮮半島から人がいなくなる。暖かくなると北上して朝鮮半島にも人が住むということを繰り返していたのではないかと想像する。

    第1部 最初の日本人の系譜 11.大陸文化の縦断路-日本海文化圏-
    http://www.geocities.jp/ikoh12/honnronn1/001honnronn_11_1nihonnkai_bunnkakenn.html

       不思議な朝鮮半島の黎明期

     しかし、韓国の前国立中央博物館長、韓炳三(ハンビョンサム)が示す、右の図は衝撃的である。朝鮮半島では旧石器時代の遺跡は、50ヵ所程度しか発見されていなかった。このレベルの遺跡ならば、日本列島の旧石器時代の遺跡数は3,000~5,000ヵ所に上るというのに、である。
         
     なんとB.C10,000~5,000年の間(上表で赤で塗りつぶされた部分)、遺跡が、すなわちヒトの気配が、半島からなくなるのである。新たに遺跡が出てくるのは、7,000年前、世界がヒプシサーマル期を迎えようとする時期からである。

    画像:旧石器時代の遺跡分布

  • 369名無し2018/01/24(Wed) 01:40:38ID:YzMzQ1NzI(11/11)NG通報

    朝鮮半島の縄文海進ピーク時の海岸線が見たくなるね。河川も今と全く違ったりしたんだろうね。

  • 370名無し2018/01/24(Wed) 01:42:28ID:AxMDAxMzI(1/1)NG通報

    >>364
    Plant - opal은 벼농사의 흔적이 될수 없습니다...
    한반도에서 12500년전의 볍씨의 흔적이 있지만, 이것을 벼농사의 증거라고 여기지 않는다.
    일본의 벼농사의 유적을 볼때, 학계의 정설처럼 3000년 정도라고 보는것이 옳다고 생각한다.
    (縄文時代前期の遺跡からは複数のイネ科植物の遺骸であるプラント・オパールが出土している[3]。本格的に稲作が始まった時期は地域によって差があり、最も早いのは九州西北部で弥生時代早期にあたる紀元前9世紀からとされる[7]。但し、初期の稲作は用水路などの栽培環境が整備された水田では無く、自然地形を利用する形態で低湿地と隣接する微高地を利用していた wiki 발췌)

  • 371名無し2018/01/24(Wed) 01:44:54ID:EwMzMyNzI(73/79)NG通報

    >>370
    정정
    일본의 벼농사의 유적을 볼때, 학계의 정설처럼 3000년 정도라고 보는것이 옳다고 생각한다.
    >>>
    일본의 벼농사의 유적을 볼때, 학계의 정설처럼 3000년전이라고 생각한다.

  • 372がおらー◆TYBVULIPSU2018/01/24(Wed) 04:55:11ID:c4MTU4MTI(1/1)NG通報

    >>368
    これは面白いね。
    というか、予想通りというか。
    旧石器時代、食料は採集か狩猟、漁労に頼ってたと思うんだけど、寒冷で土地も痩せている朝鮮半島に人が居住するには厳しいと思ってたんだけど、やっぱりほとんど人はいなかったんだろうね。
    夏期の一時期に半島南部や日本列島に住む人達が狩猟とかで遠征に来てたとかが想像できるな。
    北海道とか千島列島にもそんなに痕跡あるみたいだからね。

  • 373ネトウヨです。2018/01/24(Wed) 05:33:59ID:M5NzUzNzY(1/1)NG通報

    >>336 응 조센징 ㅋ

  • 374名無し2018/01/24(Wed) 12:41:14ID:U4NzQ1OTI(33/37)NG通報

    >>371
    プラント・オパールを否定する理由は何か? 別の植物の可能性を考えているのだろうか? 過去のレスにも理由が書かれていないようだ。プラント・オパールは植物の属や種ごとに特徴的な形があり、それらを定量的に分析することによってその由来を確認することができる。少ない場合はともかく、十分な量がある場合は間違える可能性は低い。それにプラント・オパールには茎や葉が必要なので、その場所での生育の確実な証拠と言える。

    01. 縄文稲作はあったか プラントオパール分析法
    http://www.geocities.jp/ikoh12/honnronn2/002_01jyoumonninasaku.html

    プラントオパールは植物の種類によってその形状が違う。事前にその形状を把握していれば遺跡などから出たプラントオパールがどういう植物に由来するものか分かるわけである。

     土中から検出されるプラントオパールを定性的に或いは定量的に分析して、その植物の属や種を特定したり、野生か栽培かなどを判別する所謂「プラントオパール分析法」を確立したのは、農学者 藤原宏志である。

     藤原の著書「稲作の起源を探る」から引用した次のイネのプラントオパールの顕微鏡写真をみると、イネのジャポニカとインディカの違いがよく判別出来る。

     このプラントオパール分析法が開発されることによって、栽培や農耕の遺跡が発掘されなくとも、米粒や籾殻が検出されなくとも、イネのプラントオパールが認められれば稲作の可能性を考えることが出来るようになった。

     しかも炭化米や籾殻、籾痕が認められても、他所から持ち込まれた疑いが拭えないが、プラントオパールは葉や茎がなければ発生しないものであるので多量のプラントオパールが検出できれば、少なくともそこにイネが生育していたと考えてよいのである。

  • 375名無し2018/01/24(Wed) 12:41:53ID:U4NzQ1OTI(34/37)NG通報

    >>374
    >>83の記事は種籾がそこにあったということを示すだけだ。量について書かれていないし、野生か栽培種かも書かれていない。人がいた痕跡についても書かれていない(自動翻訳で読んでいるから誤読している可能性はあるが)。なのでこれはただの野生の稲の可能性が高い。

    一方、>>364は一箇所から大量のプラント・オパールが見つかったというものだ。更に周辺から小麦・キビ・ヒエやアフリカ原産のシコクビエ、コウリャンも少量ながら発見されている。人間にとって有用な植物が自然に集まるわけもないので、それらは人為的に集められたと考えるほうが自然だろう。そしてそこら辺には多くの人が住んでいたと考えられる。それから日本には、稲は野生には存在しない。なので野生種が偶然固まっていたとも考えられない。なので>>83>>364は完全に別の話。

    稲作には水田稲作と、それより原始的な縄文稲作(粗放稲作、焼畑など)がある。あなたがよく引用している下記の文章の「本格的に始まった稲作」というのは水田の稲作のこと。そしてそれ以前の原始的な縄文稲作についてはあるともないとも書かれていない。ただ「縄文時代前期からプラント・オパールが出土」と書かれているだけ。

    イネ
    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%8D

    日本国内に稲の祖先型野生種が存在した形跡はなく、揚子江中流地域において栽培作物として確立してから、栽培技術や食文化などと共に伝播したものと考えられている。

    縄文時代前期の遺跡からは複数のイネ科植物の遺骸であるプラント・オパールが出土している。本格的に稲作が始まった時期は地域によって差があり、最も早いのは九州西北部で弥生時代早期にあたる紀元前9世紀からとされる。但し、初期の稲作は用水路などの栽培環境が整備された水田では無く、自然地形を利用する形態で低湿地と隣接する微高地を利用していた。水稲作の日本への伝来は縄文時代後期にあたる紀元前11世紀ごろであるという説もあるが、


    縄文稲作
    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A8%B2%E4%BD%9C#%E7%B8%84%E6%96%87%E7%A8%B2%E4%BD%9C%E3%81%AE%E5%8F%AF%E8%83%BD%E6%80%A7

  • 376名無し2018/01/24(Wed) 12:44:58ID:U4NzQ1OTI(35/37)NG通報

    >>375
    あと>>33の記事は種籾の話しか書いていない。種籾だけだと外から持ち込まれた可能性もある。あるいは輸送途中に落としただけかもしれない。なので、必ずしもそこで栽培されたとは限らない。むしろ大量のプラント・オパールの方が葉や茎の存在を示すので、そこで栽培が行われた確かな証拠と言えるだろう。例えその種が栽培種だったとしてもそこで栽培されたと言うには不十分な証拠。なので種籾以外の証拠が必要だろう。その遺跡から他には何か出土していないのだろうか?


    画像:縄文時代の稲のプラント・オパールの出土例
    上から色ごとに縄文前期、中期、後期、後晩期、晩期前半。

  • 377名無し2018/01/24(Wed) 15:12:44ID:EwMzMyNzI(74/79)NG通報

    >>374
    관련 문서입니다.
    同教委によると、プラントオパールの数は土壌1グラム中2000-3000個。岡山理科大の小林博昭教授と、ノートルダム清心女子大の高橋護・元教授が、地表から約2メートルの炭の混じった地層を中心に検出。イネのほかにキビ、ヒエ、小麦など雑穀類のプラントオパールも検出されているという。  当時、貝塚は海岸部にあり、イネは近隣から貝塚に持ち込んだとみられる。貝塚には墳墓があることやイネのもみ殻のプラントオパールも見つかっていることから、祭祀(さいし)の際の宴会や脱穀などの共同作業で持ち込んだと推定されるという。  高橋元教授は「見つかったイネは中国南部原産の可能性があり、大陸から伝わったイネではないか」と話している。  縄文時代のイネについてはこれまでも同教授らのグループが調査。4500年前(縄文中期)の姫笹原遺跡(岡山県)や6000年前の朝寝鼻貝塚(岡山市)でプラントオパールを検出してきた。しかし微量だったことから、上層からの混入や中国大陸から風で飛ばされてきたのではないかなどという疑問の声も根強かった。 (2005.2.18 共同通信) 小林達雄国学院大教授(考古学)の話 縄文時代を考える上で重要な成果であり、努力に大いに敬意を表したい。縄文時代の中期や前期に、断続的にイネが入ってきたとしても不思議ではない。重要なことはイネがあったかなかったではなく、あったとしても縄文経済や食生活に影響を与えなかった点だ。農耕とは呼べず栽培という程度であり、イネは多種多様な食べ物の一つにすぎなかったのだろう。(2005.2.18 共同通信)
    Plant - opal은 '벼농사'의 증거가 아니라, 벼가 있었다는 흔적입니다.
    하지만 재배를 의심할 정도의 대량이 발견되었다면, 인위적인 재배의 가능성을 부정하지않겠다.
    하지만 만약 존재했다고 해도 벼농사라기 보다는 다른 식물들과 같이 원시적으로 재배되는 정도고, 경제와 식생활에 영향을 미친것 같지는 않다.

  • 378名無し2018/01/24(Wed) 15:20:55ID:EwMzMyNzI(75/79)NG通報

    >>376
    다시 작성하겠습니다.
    대화리층에서 출토된 빗살무늬토기에서는 3개의 시료 중 2개의 시료에서 벼 규소체를 확인했다. 가와지 2지역의 민무늬토기에서는 부채꼴형과 직사각형을 한 검은색의 벼 규소체를 확인했다. 이렇게 토기 바탕 흙에서 확인된 벼 규소체는 재배벼 식물 규소체다. 따라서 우리나라 벼농사는 늦어도 5000년 전부터 시작됐다. 결론적으로 일산 가와지유적에서 확인된 벼 규소체는 재배벼로 우리나라 벼농사가 늦어도 지금부터 5000년경부터는 서해안 지역에서 이뤄졌고, 신석기 후기에는 이미 남한강가 지역과 낙동강 유역에서도 이뤄졌다는 것으로 해석할 수 있다.
    벼 규소체 = Plant - opal 입니다.

  • 379名無し2018/01/24(Wed) 15:22:05ID:MyMzI5NTY(1/1)NG通報

    >>377
    それで、君の国韓国ではどうなの?

  • 380名無し2018/01/24(Wed) 15:23:01ID:EwMzMyNzI(76/79)NG通報

    >>379
    쓰레기다

  • 381髭◆bGmJzgr3/62018/01/24(Wed) 15:41:41ID:kyMDU3NjQ(6/8)NG通報

    >>378

    稲が有る=稲作ではない。

    植物は自然に育ち、食べられる。

  • 382名無し2018/01/24(Wed) 15:46:23ID:EwMzMyNzI(77/79)NG通報

    >>381
    야생 볍씨를 모르는건가요...?
    물론 대량으로 검출되었으니 인위적 재배의 가능성을 부정하지는 않는다.

  • 383名無し2018/01/24(Wed) 15:59:26ID:AwODg4MzI(1/1)NG通報

    昔はすごかったと、言えば言うほど現在の韓国人の劣化が浮き彫りになるんですけど?
    韓国人は、劣化民族?

  • 384名無し2018/01/24(Wed) 16:07:41ID:U4NzQ1OTI(36/37)NG通報

    >>377
    それが原始的な栽培だということは>>364>>365>>366に書いた。そして>>33の記事も灌漑施設に関する言及がないので同様に原始的な栽培だろう。記事の中にもこのような文章がある。

    >>한반도 초기벼농사의 전개과정을 크게 2단계로 나누는 것이 타당하다고 본다. 즉 4000~3000년 전을 화전농경을 비롯한 원시 농경법에 따른 벼 유전자와 연관된 벼농사의 적응시기, 그리고 3000~2500년 전은 벼농사의 정착시기로 보고자 한다.


    まとめると、稲の原始的な栽培が始まったのは、日本は>>364、約6000年前。朝鮮半島は>>33、約5000年前。水田稲作が始まったのは、日本は>>258、約2930年前。朝鮮半島は>>49、約3200年前ということになると思う。

  • 385名無し2018/01/24(Wed) 16:14:29ID:U4NzQ1OTI(37/37)NG通報

    >>382
    中国から持ち込まれるまでは、日本には野生の稲はない。朝鮮半島と違って陸続きじゃないからね。なので稲があるということは人為的に持ち込まれたということだ。その後必ずしも栽培されたとは限らないが、栽培されてないとしたら海外から海を渡ってわざわざ持ち込まなければいけなくなる。

    イネ
    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%8D

    日本国内に稲の祖先型野生種が存在した形跡はなく、揚子江中流地域において栽培作物として確立してから、栽培技術や食文化などと共に伝播したものと考えられている。

  • 386名無し2018/01/24(Wed) 16:23:46ID:EwMzMyNzI(78/79)NG通報

    >>385
    알겠습니다.
    아직 확실하진 않지만, 당신의 말은 어느정도 가능성이 있는것 같다.

  • 387名無し2018/01/24(Wed) 21:11:00ID:EzMTYzMTY(1/2)NG通報

    >>358
    >常識的に考えて、文明が伝わるのは都会から都会に伝播する。そして周辺都市へ伝わるのが普通だよ。

    なるほど、こういう風に考えればいいのか
    通り道は、あくまでパイプであって、そこには残らないのね

  • 388名無し2018/01/24(Wed) 21:12:22ID:kxNjQ5MDQ(1/1)NG通報

    벼농사가 일본에서 ㅋㅋㅋㅋㅋㅋㅋㅋㅋㅋㅋㅋㅋㅋㅋㅋㅋㅋㅋㅋㅋ
    미친사람들 많군요ㅋㅋㅋㅋㅋㅋㅋㅋㅋㅋㅋㅋㅋ

  • 389名無し2018/01/24(Wed) 21:22:53ID:E5NDYxNDg(4/4)NG通報

    >>388
    お前らが食べてる米は ほとんど ジャポニカ米だ
    お前の体の ほとんどが 日帝残滓だ
    まいったか!

  • 390名無し2018/01/24(Wed) 22:47:05ID:IwNjM2ODg(1/1)NG通報

    >>368
    바보 일본인 입니까?

  • 391名無し2018/01/24(Wed) 23:03:00ID:YyNTgwMDg(1/1)NG通報

    >>390
    彼は、韓国の文明は7000年前から起こったことを証明したじゃないか?
    人がいなければ文明は起こらない。7000年前に朝鮮半島には人がいた

  • 392名無し2018/01/24(Wed) 23:10:31ID:EwMzMyNzI(79/79)NG通報

    >>390
    그만하세요. 일본인은 흑인과 별로 연관관계가 없습니다.
    그리고 흑인과의 연관관계로 다른 민족을 조롱하는것부터가 인종차별주의적 발상입니다.

    >>391
    7000년이전에도 사람 자체는 있었습니다. 다만, 인구밀도가 적고 그 당시는 거의 수렵채집의 사회였기 때문에 유물은 적다. (그리고 한반도의 땅이 산성이기 때문에, 유물과 유적이 쉽게 손상된다.)

  • 393마지센징2018/01/25(Thu) 08:39:46ID:k2MTYwMDA(1/1)NG通報

    >>392 병신? 조센징은 인종차별 당해야 마땅한 짐승이다. 그런식으로 일본인의 조센징 배격행위를 마치 보편적인 규범서 벗어난 부덕의 소치라는 듯이 결부시킬 생각인가.

    외모도, 가치관도, 성격도, 문화도, 품행도 그 어떤 것도 알 수록 혐오스러워지는 족속이 조센징. 니가 그러한 이유를 여실히 보여주는 표본이다

  • 394名無し2018/01/25(Thu) 08:51:53ID:EzOTY2MjU(1/1)NG通報

    >>389
    ついでに言うと白菜の大量栽培法は大正時代に日本が確立させた
    唐辛子も日本が持ち込んだ
    キムチは日帝残滓の結晶だな

  • 395名無し2018/01/25(Thu) 13:13:57ID:U0NTM4NzU(1/1)NG通報

    >>26
    韓国の洗脳反日教育では、そういう風に教えていると聞きました。wwww

  • 396名無し2018/01/28(Sun) 11:01:40ID:M0MzU1NTI(2/2)NG通報

    >>390
    文化相対主義というか、彼我の文化に優劣はないというスタンスでないと
    いつまでたっても劣等感にさいなまれることになる
    黒人を差別するとかもってのほか、
    好き嫌いや文化的刷り込みはあっても理念として平等にしなければならない
    でないといつか足元をすくわれることになる

  • 397名無し2018/01/29(Mon) 10:36:02ID:IzNTIwODc(1/1)NG通報

    >>392
    私はあなたの主張におおむね賛成ですよ。

    稲自体は朝鮮、日本ともにかなり昔から伝わっていた。
    日本では6000年前のプラントオパール、朝鮮では12000年前のソロリ種籾。(ソロリ種籾は本当にその年代なのか私は少し懐疑的ですが)
    これらの稲は、中国から直接日本につたわり、もしかしたら日本から朝鮮への流れもあったかもしれないし、朝鮮から日本、もしくは朝鮮と日本別々に伝わったかもしれない(もはや分からない)。
    ただしこれは陸稲の粗放栽培が中心で、水田耕作技術の伝播とは別と考えなければならない。

    水田耕作については日本最古の菜畑遺跡に朝鮮の検丹里、松菊里遺跡系統の影響が見受けられることから、現時点では朝鮮から日本への流れが妥当。
    これは、日本土着の民が技術を受容導入した場合も、朝鮮からの渡来人が中心となって形成された集落もあるだろう。

    考古学上の発見実績からは、上の推論が妥当だと思うし、これまでの論理展開に無理はないと思うんだけど。
    他の日本人たちがそれほど非難する部分があるとは思えないなあ。

  • 398名無し2018/01/30(Tue) 02:45:36ID:Q0NzQxNDA(1/1)NG通報

    >>397
    韓国人は、考古学として捉えずに、自分達の優位性と捉えるからだよ
    しかも、際限なく拡大解釈して悪用する
    「日本に全てを教えたのだから、今の日本文化も奪って構わない」
    といった風に
    たとえ正論でも、迂闊に教えたら実害に結び付いてしまう

    日本人は都合の悪いことでも馬鹿正直に認めてしまうけど
    相手を見て対応しないとね
    稲作の起源は中国、それだけでいい
    伝搬ルートは確定はしてないんだし

  • 399名無し2018/01/30(Tue) 04:51:35ID:AzODE0NjA(16/16)NG通報

    >>397
    >水田耕作については日本最古の菜畑遺跡に朝鮮の検丹里、松菊里遺跡系統の影響が見受けられることから

    ちなみにどういう点で影響があると?
    直行でも朝鮮経由でも水田は同じになると思うが?(´・ω・`)

  • 400名無し2018/01/30(Tue) 07:55:52ID:EyOTY3MTA(1/4)NG通報

    >>399
    菜畑遺跡から出土した農機具(石器)が、それら朝鮮の遺跡でさかんに発掘されるものと類似しているようです。菜畑遺跡自体は縄文人による集落であろうと考えられており、渡来人の技術者を受け入れるなどして、水田耕作技術を導入したのではないかと考えられているようです。
    また、菜畑遺跡に次ぐ水田遺跡福岡板付遺跡では松菊里型住居と呼ばれる縦穴式住居が発掘されていて、朝鮮からの渡来人の移動が強く示唆されています。

    もちろん、新たな水田遺跡の発見があれば水田技術の流れが日本→朝鮮という可能性もないわけではありませんが、少なくとも「現時点で日本最古の水田遺跡は朝鮮の影響によるもの」ということは言えるのだと思います。

  • 401名無し2018/01/30(Tue) 08:21:05ID:EyOTY3MTA(2/4)NG通報

    >>398
    それは政治的姿勢であり、歴史に対する向き合い方として私は誠実でないと考えます。

    少なくとも、当スレでさかんに書き込みをしている韓国人氏(学生さんのようですね)は、ソースの提示とともに、日本側の指摘を柔軟に検討する知的態度を示しています。

    稲の朝鮮への古い伝播の例示としてソロリ種籾を紹介した際も、彼は栽培種でない可能性に言及していたにも関わらず、日本側に反射的かつ感情的な反発が見られたのは残念なことです。
    「起源は○○」「優れた○○が劣った○○に押しえてあげた」にこだわっているのは一体どちらだろうか、と考え込んでしまいます。
    ※以前の書き込みのとおり、私はソロリ種籾が12000年前という測定結果自体には懐疑的ですが。

    また、彼は稲自体が中国から直接日本に伝わったのではないか、という考えを否定していません。
    ただ、中国から朝鮮に伝わらずに中国→日本→朝鮮と伝わったという主張には反対していますし、稲の伝播とはまた別の問題として、水田耕作については朝鮮から日本への伝播が妥当だと主張しているのです。
    主張自体への賛否はあるでしょうが、議論をする際の姿勢が不遜でないかどうかは自ら省みて律する必要があると思います。

  • 402名無し2018/01/30(Tue) 08:38:52ID:EyOTY3MTA(3/4)NG通報

    ただまあ、極言してしまえば、水田技術のはじめの受容地が朝鮮だろうと九州北部だろうとあまり意味はないわけでして、単なる偶然でしかなかろうとも言えるわけです。
    受容地が優秀で、伝播先が未開、というわけでもありません。
    起源はいずれにしろ中国であり、日本や朝鮮が独自に開発したわけではないのですから、新製品を購入したのが一日先か二日先かの違いしかないのです。
    およそ歴史は事実の集積であって、民族の溜飲をさげることをその目的にしてはいけない、というのは日本人も韓国人も忘れてはいけない姿勢だと思います。

    結果からみて、水田耕作文化を激しく発展させ得たのは日本であった、とは言えるでしょうから、それを受けて日本がどう国家を形成し朝鮮の諸国家とどう関係していったのかは、諸賢の書き込みをぜひ勉強させていただきたいと思います。

  • 403髭◆bGmJzgr3/62018/01/30(Tue) 08:56:46ID:g2ODQ0MzA(7/8)NG通報

    検丹里遺跡は何時代の遺跡だ?

  • 404名無し2018/01/30(Tue) 09:11:54ID:EyOTY3MTA(4/4)NG通報

    >>403
    無文土器時代の遺跡とされているようですね。
    環濠集落の祖形として特に板付以降の遺跡との関係とともに語られることが多いようです。

  • 405髭◆bGmJzgr3/62018/01/30(Tue) 09:35:50ID:g2ODQ0MzA(8/8)NG通報

    菜畑遺跡 紀元前930年頃

    無文土器時代
    中期は紀元前850年から550年頃とされる。農業の規模が大きくなり、社会の階級と争いが生じたと考えられる。南部では水田が作られたとする仮説もある

    wikiが未修正だな。
    時代が広すぎてどっちが先かわからん。
    検丹里遺跡の水田後は前期なのか中期なのか。

  • 406名無し2018/03/04(Sun) 21:26:40ID:Q5NjkxMjA(3/3)NG通報

    >>45
    当時は日本列島内でもそこまで交流が盛んではなかったから意図的にそうしたのではなく、偶然そういう順番になった

    九州から関東より九州から半島の方が近いし

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