2017年12月11日、米華字メディアの多維新聞によると、中国で今年8月、生存する元慰安婦たちに迫った初の長編ドキュメンタリー映画「二十二(TWENTY TWO)」が公開されたのに続き、新たなドキュメンタリー番組「日本軍の『慰安婦』制度暴行を暴く」が中国中央テレビ(CCTV)で11日から5夜連続で放送される。
同番組は、南京市のテレビ局「南京広播電視台」と南京大虐殺記念館が共同制作したもの。今月13日は、4回目の「南京大虐殺犠牲者の国家哀悼日」を迎える。同番組の総監督で南京広播電視台の張健寧(ジャン・ジエンニン)氏は、この時期に放送する理由について「慰安婦制度は南京大虐殺期間に広く行われたためだ」と話す。
番組は、中国、韓国、フィリピン、インドネシア、東ティモールの元慰安婦とその家族、および中国、日本、韓国、米国の学者や研究者、日本、韓国、オランダ、米国の国会議員などを取材。「慰安婦制度の起源」「慰安所」「暴行を受けた元慰安婦生存者の運命」「東南アジアでの慰安婦暴行」「元慰安婦生存者と暴行を認めない日本政府との抗争」をテーマに、CCTV-4国際チャンネルの番組「国家記憶」内で11日午後8時(日本時間同9時)から5夜連続で国内外に向けて放送される。(翻訳・編集/柳川)
http://www.recordchina.co.jp/b229357-s0-c10.html- 2名無し2017/12/12(Tue) 14:39:27(1/1)
このレスは削除されています
北朝鮮のバイオテロを心配しましょうよ
偽物の国シナ。旅順事件や通州事件の本物のドキュメンタリーは作れないからな。
日本は「通州事件」、「済南事件」、「小山克事件」のドキュメンタリーでも作るべきだね。
国家が終わるとき過激になると言う
断末魔をあげる中国に服従した韓国
愚かな韓国AIIBが中国融資の資金源だということが露骨になってきました (´-ω-`)
http://mainichi.jp/articles/20171212/k00/00m/020/113000c今も中国国内にある誘拐や人身売買をより問題視しなさい。
>>7
中国主導で設立して融資先も中国って・・・(笑)>>10
そんなことは日本人ならみんな知ってる。
君は後藤健二 Goto Kenji さんを知ってるかい?
だから「日本も韓国も、中東を眺める視点がビツル回っている。」
とか、日本と韓国を同列に扱うのはお願いだからやめてくれ。
君もその視点が分かっているなら、今の韓国をどうにかしてください。축하합니다 일본! 이로써 서구 선진국에서 일본의 존재감이 나타나게 되었어요.ㅋ
あ、トイレの使い方も知らないアーツーカ様だ。
トイレを汚す、生理用品の使い方も人間的でない生き物だ。
しかし、日本ももう戦時中の中国人犯罪も世界に知らしたらいいと思うわ。 あれらが人間とは思えない行動をしたことを。『孫文』 台湾では国父、中華人民共和国では革命の父
日本との繋がりーーー「大アジア主義」
1905年には、これまで革命活動を行ってきた興中会・華興会・光復会が結集して、東京にて中国同盟会が結成され、孫文は総理となり、革命運動をさらに推進することとなります。1911年、辛亥革命が勃発し、中華民国臨時政府が成立すると孫文は臨時大総統に就任しました。1913年から1916年までの約3年間、日本に亡命(袁世凱との争い)した孫文は1914年に中国国民党の前身である中華革命党を東京で組織しました。そしてその翌年の10月25日、孫文は宋慶齡と東京で結婚します。
1924年11月、北京で政変が起こると孫文は北上を決断し、その途上神戸に立ち寄り、11月28日に「大アジア主義」に関する有名な講演を行った。
東洋民族が一致団結して欧米と対抗することを呼びかる。
「革命未だ成らず」
1924年12月、孫文は北京に到着しましたが、その体は既に末期の肝臓ガンに冒されていました。3月12日に北京協和病院で死去しました。この時、有名な「総理遺嘱」を残しています。金玉均 ー- 朝鮮 「悲劇の英雄」
明治12年(1879年)頃の朝鮮半島は閔氏一族の政権があり、清国の従属して開化を進めていこうとする事大派と独立・近代化を主張する独立党がありました。独立党のモデルは日本の明治維新であり、日本の支援を期待していました。このリーダーが金玉均(キム・オッキュン)です。
明治15年(1882年)金玉均は日本にきて福澤諭吉の支援を受けています。
金は日本の議会や裁判所、学校、電信施設、練兵場、印刷所、建設会社などなどを見学し、福沢諭吉の邸宅を拠点にさまざまな人物と会い、意見交換をし、日本から多くのものを吸収しようとしていました。明治維新以降、日本は朝鮮を侵食していったかのごとく言う人が多々いますが、それは大ウソで、日本は朝鮮の「独立」を支持していたのです。
明治17年(1884年)清仏戦争で清国が敗退したとき、好機とみて金玉均は日本の竹添公使の協力を得てクーデーターを起こし、新政権を樹立します。甲申事変と言われるものです。彼は改革要領を発表し、清国を排除し、真の独立国家建設へ向けて始動します。国王・高宗(こうそう/コジュン)は暗黙のうちに金のクーデター計画を承諾していました。
ところが、高宗は裏切り清国の出兵に同意し、清国の袁世凱が1,300人の軍勢で王宮を攻撃します。もともとこのクーデターは清国とフランスが交戦中に実施する予定でしたが、清国が敗退してしまい、かえって清国は威信をかけて朝鮮半島を平定しに来たのです。金玉均は運がなかったといえます。日本軍の守備隊はわずか150人。数の上では1/10でも日本兵の練度は高く、激しく反撃し、互角以上に戦っていましたが、日本の竹添公使が弱気で、撤収を決め、仁川港から撤退しました。金玉均と朴泳孝(ぼく えいこう/パク・ヨンヒョ)たち独立党の指導者たちは一緒に日本に亡命。日本公使館は焼き討ちされ、夫人を含む多数の日本人が惨殺されました。- 16名無し2017/12/17(Sun) 05:43:11(1/4)
このレスは削除されています
- 17名無し2017/12/17(Sun) 05:44:11(2/4)
このレスは削除されています
- 18名無し2017/12/17(Sun) 05:45:38(3/4)
このレスは削除されています
- 19名無し2017/12/17(Sun) 05:46:58(4/4)
このレスは削除されています
中国の「慰安婦」ドキュメンタリー番組、5夜連続で国内外に放送
19
ツイートLINEお気に入り
122