在日朝鮮人は自分から日本へ来ておいて、「強制連行された!」と騒ぐ。
毎日「我々は日本で熾烈な差別を受けている!」と騒ぎ立てる。
今の平和な時代に、在日朝鮮はそんなに日本が嫌いなのであればいつでも帰ればいいのに、
いつまでも日本に居座り「我々は日本人に差別されてきた!謝罪と賠償をしろ!」と日本を批判し続ける。
日本人にとっては意味不明。>>1
騙されるのは、頭の悪い日本人と、思い込みが事実になった、朝鮮人位だろ。>>1
文句があるなら自国に
勝手に帰ればいいのに帰らない。
それが全てを物語ってる。>>1
何を今更としか。「日本国との平和条約に基づき日本の国籍を離脱した者等の出入国管理に関する特例法」より抜粋
第二条 この法律において「平和条約国籍離脱者」とは、日本国との平和条約の規定に基づき同条約の最初の効力発生の日(以下「平和条約発効日」という。)において日本の国籍を離脱した者で、次の各号の一に該当するものをいう。
一 昭和二十年九月二日以前から引き続き本邦に在留する者
二 昭和二十年九月三日から平和条約発効日までの間に本邦で出生し、その後引き続き本邦に在留する者であって、その実親である父又は母が、昭和二十年九月二日以前から当該出生の時(当該出生前に死亡したときは、当該死亡の時)まで引き続き本邦に在留し、かつ、次のイ又はロに該当する者であったもの
イ 日本国との平和条約の規定に基づき平和条約発効日において日本の国籍を離脱した者
ロ 平和条約発効日までに死亡し又は当該出生の時後平和条約発効日までに日本の国籍を喪失した者であって、当該死亡又は喪失がなかったとしたならば日本国との平和条約の規定に基づき平和条約発効日において日本の国籍を離脱したこととなるもの
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
【要約】
・〝特別永住資格〟は、遅くとも1945年9月2日以前から日本に在留していた旧日本領出身者及びその子孫に向けて、特別に設けられた永住資格。
・少なくとも1945年9月3日以降に日本に密入国してきた難民共は、この〝特別永住資格〟の該当者ではない。>>8
[訂正]
【要約】
・〝特別永住資格〟は、遅くとも1945年9月2日以前から日本に在留していた旧日本領出身者及びその子孫に向けて、特別に設けられた永住資格。
・少なくとも1945年9月3日以降に日本に密入国してきた難民及びその子孫共は、この〝特別永住資格〟の該当者ではない。確か、不法入国者と朝鮮戦争難民が半々だっけ?
大戦後、自分の意思で残ったのが300人弱って記憶しているけどね。
日本が返さなかった朝鮮人は、0人だよ。>>1
今から30年くらい前はそういう話もあったし、何より学校でそう教える教師も沢山いた。
しかし、戦後、帰国事業でそうした所謂強制で日本に来させられた朝鮮人は半島に帰国していった。
その中で「このまま日本に居たい、帰りたくない」という帰国事業反対のデモは日本の都市で結構有ったらしい。今から60年くらい前の話だ。当時、小学生だった俺の母親は名古屋の実家にいるときに
「白い服を着た人達」が銅鑼や太鼓を叩いて「大騒ぎ」をしているのを観て兄弟に「祭り?」と聞くと
「・・朝鮮人だ。帰りたくないんだとさ・・。」と言われた事を良く覚えていると言っている。朝鮮人のDNAを持つ者はいつも嘘吐きで卑怯で野蛮。
『帰れ!』と行っても日本にしがみついて帰らない人達。
在日が帰らない&韓国が引き取りを拒否
↓
・北朝鮮国籍者を中心に、印刷関係の日本人を拉致して北朝鮮へ移送、北朝鮮で偽札印刷、スパイ指導員
・日本から遠心分離機等を、密輸して北朝鮮の核開発&軍事支援に貢献
・北朝鮮へ不正送金して体制支援
・北朝鮮籍を利用してスパイ活動、大韓航空爆破等。
つまり、在日を引き取らなかった韓国によって、北朝鮮の軍事脅威の現状がある。- 16
名無し2017/11/05(Sun) 22:20:21(1/1)
このレスは削除されています
戦争と基本無縁で平和な大正時代にも、結構な朝鮮人が日本にいたのだけれど。どう考えても強制徴用ではなく、自発的な密入国なんだよね。
>>1
大多数の在日がそうだろうね。日本人には真似のできない無恥で不遜な虚言だよな。長い間日本人は騙された。>>1
一番多い理由は、密入国者にならないようにする為です。
戦前に於いても、日本と朝鮮は、人員の移動は、今で言うビザの様な許可制でした。合法な移動には、就労目的かつ就労先からの申請があれば、生活基盤が保証できるので、その様な場合に於いて、移動はできました。しかし、朝鮮半島と日本の経済格差は大きい為に、取り敢えず日本移動して、就労先を探すパターンも多く、内地で仕事をする人は、徴用以前から、それなりの人数は居ました。
1945年の敗戦によって、朝鮮人は朝鮮半島に戻る義務がありましたが、この頃には、生活基盤が日本で出来上がっている人も多く、救済策として、1945年以前から住む朝鮮人には、継続して住む事が、許可されます。
しかし、日本も終戦直後の物資不足も酷く、その時点では、社会インフラが傷付いてない朝鮮半島の方の就労が有利に思える部分もあり、かなりの数の朝鮮人が、一旦は朝鮮半島に戻ります。
しかし、朝鮮半島は、政治体制の混乱で急激に悪化し、朝鮮戦争前後の各種事件(保導連盟事件、済州島四・三事件、麗水・順天事件、大邱10月事件、西北青年会による白色テロ等)の社会不安が増大しました。
一方、朝鮮戦争直前の1949年の中頃には、日本はハイパーインフレ(1945年10月から1949年4月で間に消費者物価指数は約100倍)が終息し始めており、この頃から日本で働いた経験がある朝鮮人が、再入国しはじめます。 日本政府の法律的には『継続して住む場合のみ、永住許可』を認めていたが、一度朝鮮に戻った人が、大挙して日本にやってくる事は、想定してませんでした。さらに、朝鮮戦争が勃発すると、更に多くの朝鮮人が日本に密入国する事になります。実態は戦争難民でした。
結果的になし崩し的に、朝鮮戦争の難民を受け入れます。法的には、1945年以前から、継続して住んでいた場合に、永住許可を与えていた運用を拡大解釈する事で、受け入れる事になります。
この時に、日本に一度働いた事が経験がある人で、1945年以前から、日本に居た理由に、徴用経験がある人は『徴用により日本で就労』と、説明した人が居たのは、いうまでもありません。>>1
「特別永住者とは」
1991年(平成3年)11月1日に施行された「日本国との平和条約に基づき日本の国籍を離脱した者等の出入国管理に関する特例法(入管特例法)」に定められた在留資格を有する者を、特別永住者といいます
>>8が原文を書いていますね
第二次世界大戦中に、日本の占領下で日本国民とされた在日韓国人・朝鮮人・台湾人が、1952年のサンフランシスコ平和条約で朝鮮半島・台湾などが日本の領土でなくなったことにより、日本国籍を離脱しました
その在日朝鮮人・韓国人・台湾人とその子孫について、日本への定住などを考慮したうえで、永住を許可したのが、特別永住権です
特別永住者証明書の交付申請をして法務大臣から許可された人を、「特別永住者」といいます
このため、日本に密入国してきた韓国人たちは、「自分たちは強制徴用されてきた」と、嘘をつくのです
嘘をついて、日本の社会保障を受けようとしているのです
実際は、ほとんどが済州島民と全羅道民とその子孫です
1948年4月3日に「済州島四・三事件」が起こり、在朝鮮アメリカ陸軍司令部軍政庁支配下にある南朝鮮(現在の大韓民国)政府が、全島民の20%にあたる6万人を虐殺、島内の70%を焼き尽くした
さらに同年10月19日の「麗水・順天事件」では、8千人の民間人が虐殺された
とくに若い女性たちは、韓国兵に拉致され、数週間にわたって輪姦された上に惨殺された
日本で韓国人慰安婦について記した吉田清治の偽書は、この事件をモデルにしていると思われます
結果、済州島や全羅南道から、とくに1948年から1955年の間に、推定で10万から20万人以上の韓国人が、日本に逃げてきた(不法入国した)といわれています
彼らは、日本にある北朝鮮系の朝鮮学校で、金日成信仰や滅韓主義を学び、日本人を嫌韓に扇動しています
日本に強制徴用されたと言い、戦後も迫害を受け続けていると言うが、韓国には絶対に帰りたくないとも言う、そんな彼らの本心は?
彼らは韓国政府と韓国人を恨み、憎み、呪っています
「韓国を愛している」という言葉が本当ならば、自分の子供や孫を、朝鮮学校には行かせないでしょう?>>20
>>1
補足情報となりますが…
ーーーーーーーー
北朝鮮が1957年から約30年間、在日朝鮮人の教育費として約350億円を在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)に送金した。1970年初頭ぐらいまでは、北朝鮮は韓国に比べて経済力優位でした。1950年前後の韓国で苛烈を極めた、レッドパージを逃れるために、日本に逃げて来た人々は、韓国に激しく失望していた。そんな中、北朝鮮はそんな人々を、日本で徹底的に赤化教育し、大量の工作員を日本でも育成しました。この資金が北朝鮮から日本の朝鮮総連に流れていました。朴正煕の経済力政策で、経済は韓国優位に逆転しましたが、日本のパスポートを持つ工作員は、世界中自由に移動できる為、1980年代頃までは、朝鮮学校を支援し、工作員の確保も進めました。
朴正煕を暗殺未遂時に、陸英修を殺害した文世光は、北朝鮮によって赤化に洗脳を強化された青年でした。大量の工作員を日本側で養成した結果、日本人に成りすまして、テロ工作をする手法が、北朝鮮の常套手段となり、その後の大韓航空機爆破事件や、記憶に新しい金正男暗殺など、多くのテロ活動を、日本人に成りすまして実行しました。
1985年以降は、北朝鮮を崇拝する一部の在日韓国人が、経済的に劣勢が激しくなった北朝鮮を援助する事が多くなり、資金の流れは完全に逆転しました。一部は、パチンコ業界等で大成功した、北朝鮮信者も多く、北朝鮮の政治工作の資金源となりましたが、日本政府の経済制裁等で、日本からの直接の資金流入はかなり制限されました。
この様な状況の在日朝鮮人の人々を、韓国政府が引き受けてくれないのは、理由はわかるります。
北朝鮮に近いムンジェイン大統領が今後彼らの面倒を見てくれる事を期待してます。>>1
聞いた事なかったけど韓国では在日は何故帰国しない(出来ない)と思われてるのか?
日本に来た理由は強制連行なんでしょ?母は九州だけど「子供の頃に朝鮮人部落(村)があって
親にあっちへ行っちゃだめって言われてた
通ると女の人が地面に立膝で座ってて怖かった」と聞く。
妻など家族を連れて九州に移り住んで家を借りてる時点で
強制徴用でもなんでもなく、地域的に高収入の炭鉱か工場に
普通に出稼ぎ働きに来ている人たちで。
でも、彼らが終戦後に日本に出稼ぎに来てたとは言えないから
半島では「俺も強制徴用で」っていうことにしたのは想像に難くないという。
「地面に立膝で座る女性が怖い」というのは
そもそも和服で立膝やると裾が乱れて見えてしまうから
日本では女性は絶対にやってはいけないポーズとされていて
しかも、オンドルがなくて地面に座る風習もない日本では
地面に敷物一枚で立膝で座るなどというのは
立ち振る舞いを知らない乞食女か
実際はそうでなくても低級売春婦かなにかとしか
半島の風習を知らない一般の日本人には思えないから。
この辺りはネトウヨの朝鮮攻撃ではなく、本当に母から聞いた子供時代の感想なので。在日の世界では密航に目を向けることはまずないが、尹学準はある程度は語り当時の資料などと繋がる。
誌名『朝鮮研究』シリーズ名 再び岐路に立つ在日朝鮮人問題-2-密入国者特集
http://iss.ndl.go.jp/books/R000000004-I2006981-00
「渡日初期の尹学準一密航・法政大学・帰国事業」
(PDF)http://repo.lib.hosei.ac.jp/bitstream/10114/297/1/ibunka_5_takayanagi.pdf
尹学準 尹 学準(ユン ハクジュン、1933年)1953年に日本への密航、1955年に明治大学第二部法学部。プロレタリア文学で1958年に法政大学へ。早稲田大学などで非常勤講師、法政大学国際文化学部教授、朝鮮文学・日朝比較文化論。
1976年に入国管理局に自首、収監され脱走、保釈金により釈放される。その後、罰金3万円を支払い、特別在留資格。>>1
併合を願い出ておいて、侵略されたと嘘をつく国の人たちだから。
재일들 일본에 밀입국 해놓고선, 강제징용 당한거라 거짓말 해왔어?
25
ツイートLINEお気に入り
23
1