>>944
平和ボケの歴史音痴な首狩り馬鹿wwwww
結局、答えずに逃げまくる
馬鹿だわwwwwもう陰謀論でいいんじゃないの?
実態がないんだから>>954
つまり、南京事件なかった説は、陰謀論ねwwww
当事者の、松井石根も否定していないのだから、当然ね
松井は昭和23年(1948年)12月9日、巣鴨拘置所において、教誨師花山信勝に次の言葉を残した[21]。
南京事件ではお恥ずかしい限りです。南京入城の後、慰霊祭のときに、支那人の死者もいっしょにと私が申したところ[16]、参謀長以下、何も分からんから、日本軍の士気に関するでしょうといって、師団長はじめ、あんなことをしたのだ。私は日露戦争のとき、大尉として従軍したが、その当時の師団長と、今度の師団長などと比べてみると、問題にならんほど悪いですね。日露戦争のときは、支那人に対してはもちろんだが、ロシア人に対しても、俘虜の取り扱い、その他よくいっていた。今度はそうはいかなかった。政府当局ではそう考えたわけではなかったろうが、武士道とか人道とかいう点では、当時とはまったく変わっておった。慰霊祭の直後、私は皆を集めて軍総司令官として泣いて怒った。そのときは朝香宮もおられ、柳川中将も方面軍司令官だったが、せっかく皇威を輝かしたのに、あの兵の暴行によって一挙にしてそれを落としてしまった。ところが、そのことのあとで、みなが笑った。はなはだしいのは、ある師団長のごときは、当たり前ですよ、とさえいった。したがって、私だけでも、こういう結果になるということは、当時の軍人たちに一人でも多く、深い反省をあたえるという意味で大変に嬉しい。せっかくこうなったのだから、このまま往生したい、と思っている。>>958
君、在日?
韓国関係ないじゃん>>957
歴史音痴の首狩り馬鹿
南京事件が起きたのはいつですかwwwww- 962名無し2021/02/23(Tue) 21:53:35(9/10)
このレスは削除されています
>>958
日韓情勢って、大事なんだ(*´w`*)
あんなゴミみたいな国、関心ないんで知らなかったよ。>>963
>日英、日米、それに日本を仲介とした日英米で協調してたのに、
そういえば、こいつ日本が仲介しなければ、アメリカとイギリスは話もできないとか出鱈目書いていたよなー
どうして、アメリカは第一次世界大戦にイギリス側に参戦したんだ?
日本の仲介か?
馬鹿すぎ>>966
日韓の事が大事だと思ってる馬鹿に言われてもねぇ(*´w`*)
朝から晩まで韓国のことしか考えられないんでしょ?
正直、韓国とかどうでもいいし~。
で、僕が韓国にことに関心がないと「論破!」とか言っちゃう馬鹿(*´w`*)
なんでそんなに韓国が好きなの?
依存症?>>966
大丈夫だって(*´w`*)
明日「韓国」が消えても、地球は変わらず回ってるよ。
韓国=宇宙の中心じゃないし~そもそも、南京”大虐殺”とやらが「日韓情勢に影響する」とかさぁ、
ばか~?って感じ(*´w`*)
少なくとも日中の話であって、韓国なんてカスリもしてないし
そもそも「1937年時点で存在もしてない国」が、なんか関係有るわけ?
単なる部外者じゃん(*´w`*)今日読んだ本に名文があったわ
関係ないけど引用
『かつて固有の歴史を持ったことがなく、最初の、もっとも粗野な文明段階に達したその時からすでに外国の支配を受けている民族、あるいは外国のくびきによってはじめて最初の文明段階に引きずり込まれる民族、そういう民族は、生存能力を持っておらず、どんな独立にも決して到達することができないだろう』>>974
こいつ、不利と見るとすぐ逃げる
敵前逃亡がと言うだよな
歴史音痴の首狩り馬鹿>>974
日本語じゃないじゃん
日本語で、分かるレベルで話してよ訂正
そもそもが、日本が、”自身”を世界でも重要だってことを、認識してなかったのが原因だと思うけどね(*´エ`*)
大国だったわけよ(*´エ`*)
大国には大国にしか出来ない事が有るわけ。
それは、大国間の調整役、仲介者。
大英帝国とアメリカ合衆国、それにフランスなど当時の大国すべてに「パイプ」が有ったのが
大日本帝国だったわけ。
まあ、今は「大国」じゃないけどね(*´エ`*)北岡伸一『「日中歴史共同研究」を振り返る』より
南京事件をめぐって
南京事件について、日本軍の虐殺を認めたのはけしからんという批判がある。
先述した通り、共同研究では南京事件にとくに時間をさいて議論してはいない。よく報告書を読んでもらえればわかるが、日本側は、日本側には犠牲者数について諸説あるということを紹介しているだけである。
ただ、虐殺がなかったという説は受け入れられない。
日本の近代史の研究者の中で、南京で相当数の不法な殺人・暴行があったということを認めない人はほとんどいない。それは、戦前から日本の内部でも不祥事として割合知られていた。中国国民党が宣伝に利用したことは確かだが、だから虐殺がなかったということにはならない。
実際、多くの部隊の記録に、捕虜の「処分」に関する記述がある。「処分」のすべてではないにせよ、相当部分は処刑である。捕虜に対しては人道的な対応をするのが国際法の義務であって、軽微な不服従程度で殺してよいなどということはありえない。
便衣隊についても、本来は兵士は軍服を着たまま降伏すべきであるが、軍服を脱いで民衆に紛れようとしたから殺してもよいというのは、とんでもない論理の飛躍である。
どの国でも最も愛国主義的な団体は、在郷軍人会など元軍人の組織である。日本陸軍では偕行社がそれであるが、偕行社は南京で調査を行ない、周囲からの強烈な批判にもかかわらず、虐殺があったと認定している(『南京戦史』)。(P235-P236)
こうした不快な事実を直視する知的勇気こそが、日本の誇りなのであって、過去の非行を認めないのは、恥ずかしいことだと思う。>>983
毛沢東とスターリンでしょ(*´w`*)
超大国「ロシア帝国」から、辺鄙な田舎に成り下がった「ソ連」は、大国に為れたし。
帝国陸軍が国民党軍をブチのめしたので、毛沢東は支那を支配できたし。
ウマウマじゃん。
で、アメリカは大日本帝国がやってたことを、自分でやる羽目になったし、
(そもそも、アフガにスタン以東は、日英同盟下で、日本が担っていた安全保障区域だった)
大英帝国は、帝国じゃなくなったし、
フランスは今やドイツに操られてるじゃん(*´w`*)
で、終いには一帯一路に海のシルクロードと来たもんだ。
習近平が偉そうにしてられるのも、大東亜戦争で日英米が互いに潰しあってくれたおかげだね。>>985
韓国は、南京”大虐殺”に1mmも関係ありません。
終了(*´∀`*)>>985
日韓情勢に影響するとか、何のギャグだよ(*´w`*)
韓国って「部外者」じゃん。
アホか、って感じ。十一月四日
略
全く日本軍以上、死物狂ひの抵抗服りなり。
h何時になったら飯が食へるやら、毎日干パン暮し、腹の虫も
泣いて居る。蘇州河を渡って早や四日、戦争は何時まで続く事か、
一日も早く平和の来るを望む。此れが本当の心の底だ。
然し、大君の為めに憎みても余りある支那軍を、撤底的にやっ〉
けねばならぬ任務があるのだ〈午後三時記〉。
部落左端に出で陣地に着く、時に午後四時頃。敵ハ逆襲を度々企
つ。敵弾雨霞と飛来す。腹が空ってたまらない。五時頃おむすび
来るも二人に一ケ、而も腐敗して食べられない。お茶もなく、今
日は全く戦ひがいやになってしまった。
いろ/¥考へて見るとき、到底命永らへる事の出来な事を痛感す
る。故郷の山河、懐しい友の顔、恋しい彼女の姿、在りし日の家
に居た己の姿を思ひ浮べて一人涙ぐむ。淋しい事だ。空は段々晴
れて来た。友軍の飛行機は銀翼を輝かし、砲兵の集中射撃は物凄
く、前の部落へ落下する。然し、何故か俺の心は朗らかになりき
れない。こんな事では駄目だと思ひ乍ら。十二月十一日
正午頃、昨日掃討せる右方の一軒家に、敗残兵ありとの事に捕へ
に行き、難なく八名を捕へ来り、砂原君の墓標の前に連れ来り、
俺と土本君と二人で、突いて、突いて、突きまくり、瞬く聞に八
ツの死体となす。又心持の良いものだ。帰ってから皆に話して笑
せたのだが、人間も死線を越えればひどいもの、内地に居た頃は、
蛇一匹殺 すもいや/¥であったのが、同じ仲間の人問、而もピチ
/¥して居る、手を合せて拝むあわれな敗残兵をば、銃剣で突き、
棒でなぐり、石で頭を割って叩き殺 し、その後は、あ〉戦友の敵
を討ったと、胸のすくやうな思ひ、その後人殺 しをした後は、却
って飯がうまいのだから、まあ大した悪者になったと言ふものだ。
此んな事は、若し内地へ帰る時があっても、話しも出来ぬやうな
事である。
今晩も良い月夜だ。心静かに故郷を伏し拝み、第一線に累々とし
て打ち倒れしと聞く、哀れ戦友達の冥福を祈りつえ第三夜を聖
壕に寝る。>>979
「ホワイトハウス」の名前の由来を調べてみれば?(*´エ`*)
きれいに焼けました~って、出てくるから。五月二十日
午前八時頃僅か三時間の睡眠にて出発、山を越えて東方に向ふ。
途中部落に火を放ち、敵の拠点となるを防ぐ。更に中隊長命によ
り、良民と言へとも、女も子供も片端から突き殺 す。惨酷の極み
なり。一度に五十人、六十人、可愛い〉娘、無邪気な子供、泣き
叫び手を合せる。此んなに無惨なやり方は生れ℃拡)めてだ。あ〉
戦争はいやだ。支那兵ならいぎ知らず、罪ない婦女子を殺 す、全
く見るに忍ぴず。此んな事をやり乍ら約六里前進、午後五時頃津
浦線に出る。
撒所に至り次の戦を準備す。田中伍長以下八名の斥候、敗残兵を
捕へ来る。此れこそはうんと徹底的にやっ〉けるべきと、むしろ
惨酷すぎる荘一詐取し方をしてやる。川剖の牧野君も来て、火を付
けて苦しめてやる。胸がすくやうだ。
晩寝ようとする頃出発準備、師団司令部の警戒のため再び逆戻り、
とう/¥夜明けの午前四時まで歩き続けて、疲れ切って休む。「外交官の一生」より
南京は暮れの一三日に陥落した。わが軍のあとを追って南京に帰復した福井領事からの電信報告、続いて上海総領事からの書面報告がわれわれを慨嘆させた。南京入城の日本軍の中国人に対する掠奪、強姦、放火、虐殺の情報である。憲兵はいても少数で、取締りの用をなさない。制止を試みたがために、福井領事の身辺が危いとさえ報ぜられた。一九三八(昭和一三)年一月六日の日記にいう。
上海から来信、南京におけるわが軍の暴状を詳報し来る。掠奪、強姦、目もあてられぬ惨状とある。嗚呼これが皇軍か。日本国民民心の頽廃であろう。大きな社会問題だ。
南京、上海からの報告の中で、最も目立った暴虐の首魁の一人は、元弁護士の某応召中尉であった。部下を使って宿営所に女を拉し来っては暴行を加え、悪鬼のごとくふるまった。何か言えばすぐ銃剣をがちゃつかせるので、危険で近よれないらしかった。
私は三省事務局長会議でたびたび陸軍側に警告し、広田大臣からも陸軍大臣に軍紀の粛正を要望した。軍中央部は無論現地軍を戒めたに相違なかったが、あまりに大量の暴行なので手のつけようもなかったのであろう、暴行者が、処分されたという話を耳にしなかった。
当時南京在留の外国人達の組織した国際安全委員会なるものから日本側に提出された報告書には、昭和一三年一月末、数日間の出来事として、七十余件の暴虐行為が詳細に記録されていた。最も多いのは強姦、六十余歳の老婆が犯され、臨月の女も容赦されなかったという記述は、ほとんど読むに耐えないものであった。
その頃、参謀本部第二部長本間少将が、軍紀粛正のため現地に派遣されたと伝えられ、それが巧を奏したのか、暴虐事件はやがて下火になっていった。
これが聖戦と呼ばれ、皇軍と呼ばれるものの姿であった。私はその当時からこの事件を南京アトロシティーズと呼びならわしていた。暴虐という漢字よりも適切な語感が出るからである。
日本の新聞は、記事差し止めのために、この同胞の鬼畜の行為に沈黙を守ったが、悪事は直ちに千里を走って海外に大センセーションを引き起こし、あらゆる非難が日本軍に向けられた。わが民族史上、千古の汚点、知らぬは日本国民ばかり、大衆はいわゆる赫々たる戦果を礼賛するのみであった。スレ埋めに日記コピペし出したか。
前のスレと同じだなw- 996名無し2021/02/23(Tue) 22:37:13(10/10)
このレスは削除されています
>>995
いや、まとめているんだよ
韓国ネタなど、どうでもいいこの続きはこちらへどうぞ
南京大虐殺の犯人は朝鮮人
https://kaikai.ch/board/61335/>>988
君のように感の鋭い大人は好きじゃないよ(褒め言葉)일본은 날조의민족이구나 ww 이러다 또 리틀보이 핵 맞을라
南京大虐殺の真相。。
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