>>1
日中戦争の時も・・
1938年 黄河決壊事件
https://ja.wikipedia.org/wiki/黄河決壊事件
>国民党軍側では劉峠第一戦区副司令官の「黄河の堤防破壊により洪水を起すことによって日本軍の進撃を阻止」する案が程潜司令官に示され、蒋介石の承認を得た
犠牲者十万人とも呼ばれる決壊は実行された。日本軍は無傷。
そして、地域住民と日本軍の奮闘が始まった・・・・>>1
日本軍だけでなく神風とも戦っていた米軍
1944年12月、米機動部隊はフィリピン海で大型台風(米軍呼称コブラ台風)の直撃を受ける。
その結果3隻が沈没、空母を含む27隻が損傷。
108機の航空機と800人の人員が失われる大損害を受けた。
1945年6月、米機動部隊は沖縄沖においてまたもや台風に遭遇。
戦艦・空母を含む36隻が損傷、航空機142機が失われる大損害を受けた。1943年9月10日 鳥取大震災、市内の住宅の7割以上が全半壊。
夕食前、数か所にて火災が発生するも、市民による消化活動により大火にならずに済んだ。この市民消火活動が無ければ大火災。失敗すれば市民死亡。
1944年12月7日 東南海地震 志摩半島以南熊野灘沿岸の町村では、多くの死者、昔から、地震がきて二時間後ぐらいに津波が来る、と伝えられていましたが、この津波は10分で来た。
1945年1月13日 三河地震 就寝中で全壊家屋の多さで死者や負傷が多くなった。
1946年12月21日 南海道地震
684年から8回目。1854中型、1707大型、1946は小型であるマグニチュード8.1大地震。
1948年福井大震災
YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=AEZfL6-n-F4>>1
1942年8月27日に上陸した台風16号・周防灘台風では十分な注意喚起が行われず、山口県を中心に約1,158名もの死者行方不明者
1943年9月18日から21日にかけて台風26号と秋雨前線により連日300~500ミリもの降水量を記録した集中豪雨が降り、島根県を中心に河川の洪水が発生ししました。
このとき、島根県だけで448名もの犠牲者が出ました。大分県や宮崎県も最大900ミリに届く降水量がたった一日で降った為に、河川の氾濫や土砂崩れによる犠牲者を出しました。
この災害での犠牲者は全体で970名に及びました。
これらも記載しておくべきかな?
太平洋戦争時、日本は自然とも戦っていたという事実
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