捕虜だった英国人兵士と日本人少年の2人が仲良く肩を組んだ写真がある。1945年8月の終戦直後、米軍が福岡市内で撮ったとみられ、英国人の遺族が所有。「捕虜だった頃、この少年にとてもお世話になったと聞いた。ぜひ感謝を伝えたい」。名前も分からない日本人を捜すため、遺族たちが来日し、支援者たちと一緒に手掛かりを求めて歩き回っている。
英国人は、2004年に81歳で亡くなったバーソロミュー・ゲイソンさん。元英海軍2等水兵で、42年3月、ジャワ島北方のスラバヤ沖海戦で撃沈された重巡洋艦の乗組員だった。
漂流中に日本の駆逐艦に救助され、捕虜として日本へ。長崎市香焼町にあった福岡捕虜収容所第2分所に入れられ、終戦時は福岡市東区にあった同収容所第1分所にいたとみられる。
来日したのは、長女のバーバラ・モターショーさん(69)とその家族。戦時中の捕虜問題を調べている市民団体「POW研究会」(東京)が支援し、4日から2人の写真を頼りに収容所跡地などを訪れている。
モターショーさんによると、ゲイソンさんは終戦後、米国経由で帰国し結婚。ユーモアにあふれ、日本人への悪口は一切語らなかったという。捕虜時代の詳しい話は一度だけ聞いた。満足な食事がなかった頃、日本の15、16歳の少年とその父親に、とても親切にされた。「少年が弁当を一緒に食べようと言ってくれ、捕虜のご飯をそっちのけで食べた。翌日から毎日、弁当を分け与えてくれた」
日本人が捕虜に優しく接するのは許されない時代で「写真のゲイソンさんの表情から、2人に友情が育まれていたことがうかがえる。捕虜と日本人の親しげな写真は極めて珍しい」と驚く。
写真は、ゲイソンさんが終戦後に英国の弟に送った1枚で、裏に原爆でうちひしがれた日本人に対する同情の言葉もあったという。
モターショーさんは9日、長崎市香焼町の連合国軍捕虜の追悼記念碑前である集会に参加し、16日に帰国予定。「私が生を受け、今の人生があるのは、優しくしてくれた日本人の少年のおかげと思う。小さな手掛かりでも集めたい」と話している。
=2017/09/09付 西日本新聞朝刊=
https://www.nishinippon.co.jp/nnp/national/article/357196/徳島の坂東収容所でも近隣の住民が捕虜に食料を運んだり、捕虜と住民の交流があったりした。
その他にも似たような話がある。
日本は捕虜を虐待したと言われるが、その行為は戦地での高麗棒子の所為が多い。なにぶん時間は経っているからもう当人も生存して
いないかも知れないが場所もはっきりしているし
写真も残っているから消息は解るんじゃないかな?
終戦まで無事だったわけだし【日本人の誇り・海の武士道】一番砲だけ残し、総員漂流者の救助に当たれ‼
日本海軍の駆逐艦「雷」は海面に浮遊する大勢の英国兵を発見した。敵潜水艦の哨戒海域で長時間の停船がもたらす危険は承知の上での艦長・工藤俊作中佐の決断であった。戦いが終われば敵も見方もない。「一番砲だけ残し、総員漂流者の救助に当たれ」と命じた。
https://matome.naver.jp/odai/2137740718175994801YouTubehttps://youtu.be/wWYz_AQAzbQ
>>6
美談を消し去ったんだよ
「日本時代は良かった」といった老人がどうなったか、知ってるでしょ>>5
この話大好きだ
工藤俊作中佐は生前、このコトを家族にも一切話してなくて
遺族が知ったのは助けられた元海軍中尉の話からだったと言う>>1
その撮影場所くらい分かって
全くのムダで終わることがなきゃいいな韓国人「その少年はウリニダ!!(65歳戦後生まれ)」
>>10
輸出された孤児(めっちゃ輸出している。)が、オリンピックとかで有名になると「ウリの子供ニダ!」と100人くらい問い合わせ来るそうだね。
実にチョンらしいエピソードだよ。ぜひ日本で感動の出会いがあることを祈っています。
【英国人捕虜、友情の1枚】 戦後、福岡の少年と撮影 遺族が手掛かり求め来日
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