秦郁彦
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%A6%E9%83%81%E5%BD%A6#.E6.85.B0.E5.AE.89.E5.A9.A6
南京事件
南京事件については自著『南京事件』において、日本軍の不法行為による犠牲者数を「3.8万-4.2万人」とし、以後も被虐殺者数は約4万人程度と推定している。2007年に出した同著の増補版では、「4万の概数は最高限であること、実数はそれをかなり下まわるであろうことを付言しておきたい」と追記しており、週刊新潮2007年12月27日号では、「だいたい4万人」とコメントしている。
百人斬り競争については、行ったとされる旧日本陸軍少尉が故郷鹿児島県において地元の小学校や中学校で捕虜殺害を自ら公言していたことを調べ上げて、1991年に日本大学法学会『政経研究』42巻1号・4号にて発表している。
慰安婦
日本軍による「朝鮮半島において婦女子を強制連行し慰安婦とした」ことについては否定的である。1999年、それまでの議論や様々な資料を広く参照し、おもに時代背景やその変化などから慰安所制度や慰安婦の実態を明らかにすることを試みた著書『慰安婦と戦場の性』を出版した。
1992年3月、済州島において慰安婦狩りをおこなったとする吉田証言について現地調査を行い、そのような事実が存在しなかったことを明らかにした。オランダ人女性を慰安婦として徴用した白馬事件や、フィリピン人女性を慰安婦として徴用した問題などについてはこれを認めている
2007年3月5日、首相の安倍晋三が参議院予算委員会において「狭義の意味においての強制性について言えば、これはそれを裏付ける証言はなかったということを昨年の国会で申し上げたところでございます。」と答弁した。秦はこの答弁について、「現実には募集の段階から強制した例も僅かながらありますから、安倍総理の言葉は必ずしも正確な表現とはいえません。「狭義の強制は、きわめて少なかった」とでも言えば良かったのかもしれませんが、なまじ余計な知識があるから、結果的に舌足らずの表現になってしまったのかもしれません(苦笑)。」とコメントしている縁起?頭逝かれてるだろw
仕事関係で知り合った中国人でさえ信用してない大本営発表を‥w
捕虜も殺戮したっていう記述
南京戦史編集委員会編 『南京戦史資料集』 偕行社 1989年 P.667-674
[12月12日午後]
第三中隊方面は大なる抵抗を受くることなく予定の通り進捗せり
午後七時頃手榴弾の爆音も断続的となり概ね掃蕩を終り我が損害極めて軽微なるに反し敵七〇〇名を殪たおし捕虜一、五〇〇余名及多数の兵器弾薬を歯獲し該方面に遁入南門城扉を鎖され退路を失いし敵を城壁南側「クリーク」の線に圧迫し殆んど殲滅し其策動を封ずるを得たり
最初の捕虜を得たる際隊長は其の三名を伝令として抵抗断念して投降せば助命する旨を含めて派遣するに其の効果大にして其の結果我が軍の犠牲を尠ななからしめたるものなり
捕虜は鉄道線路上に集結せしめ服装検査をなし負傷者は労はり又日本軍の寛大なる処置を一般に目撃せしめ更に伝令を派して残敵の投降を勧告せしめたり
一般に観念し監視兵の言を厳守せり
(略)
[12月13日午後]
午後二時零分聯隊長より左の命令を受く
左 記
イ、旅団命令により捕虜は全部殺 すべし
其の方法は十数名を捕縛し逐次銃殺しては如何
(略)
午後三時三十分各中隊長を集め捕虜の処分に附意見の交換をなしたる結果 各中隊(第一第三第四中隊)に等分に分配し監禁室より五十名宛連れ出し、第一中隊は路営地南方谷地 第三中隊は路営地西南方凹地 第四中隊は露営地東南谷地附近に於て刺殺 せしむることとせり
但し監察室の周囲は厳重に警戒兵を配置し連れ出す際絶対に感知されざる如く注意す
各隊共に午後五時準備終り刺殺を開始し概ね午後七時三十分刺殺を終り 聯隊に報告す
第一中隊は当初の予定を変更して一気に監禁し焼かんとして失敗せり
捕虜は観念し恐れず軍刀の前に首を差し伸ぶるもの 銃剣の前に乗り出し従容とし居るもありたるも 中には泣き喚き救助を嘆願せるものあり 特に隊長巡視の際は各所に其の声起れり秦は、中国側の不法行為で、民間人を巻き添えにした責任について、追及をしていない
その時点が公正を欠くので、学者として失格
この件に反論は不可能だろう、決着はとっくについている>>1
日本も太平洋戦争では被害者出てるから、広島の原爆で14万人ね。自分の被害ばかり主張するのは卑怯だよ。
日本人は左翼のせいで日本国民の被害は日本の軍部のせいになっているけど、日本国民を殺めたのは米兵だからね。
アメリカは別に反撃する必要なんてないからね。もちろん、反撃してもよいけど…
日韓併合は朝鮮人は反撃しなかったよね。
太平洋戦争はアメリカの過剰防衛だと思うけどね。被害者人数、被害を比較したらよいよ。アメリカは本土に被害が出てないのだからね。やり過ぎだと思うよ。散々、逆襲しておいて被害者気分はおかしいと思う。被害者になりたいなら、基本は無抵抗だね。
だいたい、自分の被害は誇大表現、相手の被害は考えない。まともな話し合いではないね。
>>688
あんたら肯定派の意見は、中国側に利用されてないって事ね?
肯定派はあった事は認めているが、中国側の発表を全て肯定しているわけではないと世界的に認識されてるって事でOK?>>660
写真のキャプションになんて書いてあるのか読めないのかよw
やっぱり機能性文盲だなw反日左翼って議論してても下品だな。
>>699『反日左翼』としか批判できない勘違い君ソースを提示してみたら?
当時の『戦闘詳報』などをまとめた表を添付する
収容した捕虜に対して、裁判もなく『処断』だね
↓
偕行社は大日本帝国陸軍の元将校・将校生徒・軍属高等官および、陸上自衛隊と航空自衛隊の元幹部の親睦組織
そこが、南京事件があったと言うならあったのだろう?
>>16参照
wiki 南京事件論争史
偕行社『南京戦史』[編集]
一方、陸軍士官学校卒業生の親睦団体である偕行社は、「一般に定説になりつつある20万、30万という数字を破砕する」ため南京事件を取り上げることを決め、機関紙『偕行』の1983年10月号と11月号で関連情報の提供や協力を呼びかけた。1984年4月号から1985年2月号まで畝本正巳による「証言による南京戦史」が11回に渡り連載される過程で、角良晴の証言など不法行為を示す多くの証言が集まった。1985年3月号の「証言による南京戦史 (最終回) その総括的考察」において、編集部を代表して加登川幸太郎が「一万三千人はもちろん、少なくとも三千人とは途方もなく大きな数である。日本軍がシロではないだろうと覚悟しつつも、この戦史の修史作業を始めてきたわれわれだが、この膨大な数字を前にしては暗然たらざるを得ない。戦場の実相がいかようであれ、戦場心理がどうであろうが、この大量処理には弁明の言葉がない、旧日本軍の縁につながる者として、中国人民に深く詫びるしかない」と記した[45]。しかし、この謝罪について偕行社内で反発が起き、1989年に刊行された『南京戦史』では「不法殺害とはいえぬが」「捕虜、敗残兵、便衣兵のうち中国人兵士約1万6千、民間人死者15,760人と推定した[46]。編集には板倉由明も参加した[47]。秦郁彦は 偕行社『南京戦史』を(30万の大虐殺は認めないが捕虜等の殺害を認めたという意味で)「中間派」とした[48]。便衣兵って対策あるの?国民党(何故か共産党だけど)もベトナムも民間人に成りすました時点で、「民間人を殺した」相手を批判する権利は無いと思う。
俺が指揮官なら部下を守る為に皆ごろ死にしたかもしれない。
別に南京大虐殺(数十万人殺害)が有った事を認めている訳じゃないよ。>>701
どうしたのかな?
秦郁彦が間違っていると断言していたのに今更クレクレか?
調べもせずに批判していたと言うことかね
一次資料は自分で調べたら?
秦郁彦の根拠は、偕行社の資料や『戦闘詳報』でしょ
一応、秦郁彦の数字の根拠
秦郁彦は、中国兵の犠牲者3万人、一般人の虐殺犠牲者1万人(南京城市のみ)で、4万人を上限とした[30]。
秦は台湾公式戦史、上海派遣軍参謀長の飯沼守少将日記を採用して、南京守備軍の兵力を十万、うち五万が戦死、四万が捕虜になり、三万が捕虜になったあと殺害された(生存捕虜は一万)と推定し、上海派遣軍郵便長の佐々木元勝の12月15日日記の「俘虜はおよそ四万二千と私は聞かされている」にほぼ符合するとしている[31]。
秦は一般人をスマイス調査(修正)による死者二万三千、捕らわれてから殺害された捕虜を前述のとおり三万をとした。しかし不法殺害としての割引は、一般人に対してのみ適用(2分の1か3分の1)すべきとし、三万+一万二千(八千)=三万八千〜四万二千という数字なら、中国側も理解するのでは無いか、考えた[32]と主張した。その後、民間人の不法殺害八千〜一万二千の中間値をとって一万とし、総数を四万とした。「事情変更をもたらすような新資料は出現せず、今後もなさそうだと見極めがついたので、あらためて四万の概数は最高限であること、実数はそれをかなり下回るであろうことを付言しておきたい」[33]と、それまでの自説を下方修正した。スマイス調査の実態についての北村稔の調査結果が影響したという説もある[34]
つまり、『中国側も理解するのでは無いか』は、スマイス調査から一般人の死者数を1/2、1/3にしても、『中国側も理解するのでは無いか』と言う意味飯沼守日記は、かなり具体的
十二月二十九日 曇
英米独伊の大使館員、領事館員等来るとのことに之が応対法研究中の所へ福井書記官(南京領事)来り 米大使館使用支那人の言に依れは二十三日日本兵来り 支那人の持物を掠奪し且館員の居室等を荒し扉を剣にて突き刺したりとか 独大使館にては軸物を掠奪せりとかにて米人より領事宛の手紙も置き行きたり。
困つたことをする者あり 全部を真とすることも出来さるも善後策を研究する要あり。
一月元旦 朝霧後快晴
他の列国公館は日本兵の入り込みたる疑いあるも番人より中国軍隊の仕業なりとの一札を取り置けり。唯米国のみは四囲の状勢已むを得さるも当時番人の親戚等五、六十人入り込み居たる関係上敗残兵ありとの噂に依り進入したるも米大使館と判り直に引き上けたりと云ふこととす。自動車其他番人の損害等は兎も角返すこととす(方面軍特ム部の処置)。
(これは、中国敗残兵の仕業と言うことにしたけれども、損害は弁償したよ(笑)と言うことか)
一月二十一日 曇晴れ気味
在南京領事の報告に依れは、一月十五日~十八日に米権下より日本兵が婦女八名をつれ出し、金陵大学より「ピアノ」を壁を破りて持出したり。在南京外交官は無力、軍は其統制取れすと、在東京米大使より抗議ありと。
今日尚如此兵ありとは実に残念、然し現に本日も米国旗の在る家に兵が掠奪に入り込み居る処を米書記官と同行の憲兵取り押へたりと言えり。米の抗議も真実らし。
一月二十六日 晴
米人経営の農具店に二十四日夜十一時頃日本兵来り、留守居を銃剣にて脅し女二人を連行強姦の上二時間程して帰れり、依て訴へに依り其強姦されたりと言ふ家を確めたるところ天野中隊長及兵十数名の宿泊せる所なるを以て、其家屋内を調査せんとしたるに米人二名亦入らんとし、天野は兵を武装集合せしめ逆に米人を殴打し追ひ出せり。
其知らせに依り本郷参謀現場に到り、中隊長の部屋に入らんとしたるも容易に入れす、隣室には支那女三、四名在り強て天野の部屋に入れは女と同衾しありしものの如く、女も寝台より出て来れりと、依て中隊長を訊問したるに中隊長は其権限を以て交る交る女を連れ来り金を与へて兵にも姦淫せしめ居れりとのこと。二月七日 曇、夜晴
南京入城の時は誇らしき気持にて其翌日の慰霊祭亦其気分なりしも本日は悲しみの気持のみなり。其れは此五十日間に幾多の忌まわしき事件を起し、戦没将士の樹てたる功を半減するに至りたれはなり、何を以て此英霊に見へんやと言ふに在り。殿下亦御列席=殿下に対し奉り誠に申訳なき気持にて帰来早速御断を申上く。
二月十二日 晴後曇
米領事「アリソン」より一月二十八日以後二月一日迄の日本兵の非行として掠奪強姦八十九件を抗議し来れり。甚た誇大なるへきも日本兵の非行は憲兵の報告のみにても数件あり実に慨嘆に堪へす。
ということで、南京で便衣兵はベトナム戦争のような市街戦はしておりません。……討論に韓国人がいないと賢すぎて着いていけない!
レス700の時点で
流石のパヨクも民間人20万とか30万虐殺って言えなくなったんだなぁ
としみじみ。>>709
wiki 南京事件の被害者数
「埋葬団体の埋葬記録 埋葬総数18万8674体(虐殺に当たらない死体、埋め直しによる重複がある一方、長江に流された多数の遺体があると指摘)。」
10万人以上説の人の根拠となっているらしいですが、私は詳しく知りません。いくら秦氏が4万人なんて小賢しい政治的な数字を出してこようと、中国共産党はあくまで30万人の民間人の大虐殺の政治宣伝をやめることはないし、中共のバックアップで欧米で広まったアイリス・チャンの「レイプ・オブ・ナンキン」も「忘れられたホロコースト」という大嘘を取り下げることはない。
秦説を中国に説いたところで、公式見解が全てだと一蹴されるだけ。
秦氏の南京中虐殺説は無意味でしかない。コミュ障ストーカーのスネオがなんかやってるなw
>>722
『レス700の時点で
流石のパヨクも民間人20万とか30万虐殺って言えなくなったんだなぁ
としみじみ。』捏造
↓
『このスレで20万人などと言う主張をするパヨクが出てこない』改竄
↓
『言った本人が違うっていってんだからさぁw 』逃亡
>アンタが「自分が言われた」と思っちゃってるところから間違っているってーのw
それで、『民間人20万とか30万虐殺って言えなくなった』人は誰ですかー
いないのでしょ捏造だから(笑)
>本人が違うっていってんのに
>読み間違いすら認められない 恥ずかしい個体だなw
ネットはレスが残っていますからねー
改竄すればすぐ分かる
ソース貼るねー『民間人20万とか30万虐殺捏造君』!>>723
一体、何を勘違いしているのかなー
歴史の議論をしているだけだね
歴史に政治ネタを持ち込むのは、中国、韓国だけで十分ですねー
日本はそんなことをしてはいけませんねー
参考>>545
『昭和史の謎を追う』秦郁彦より
奥野元国土庁長官は「中国政府にかけあって記念館のかかげる30万の数字を訂正させろ」と迫って外務省を困惑させたが、代わる数字を持ち合わせているのだろうか。下手な数字を持ち出して根拠をただされれば恥をかくだけで、終戦直後の泥ナワとは言え、生きのこりの被害者の証言を積みあげた30万に対抗できる数字を我が方から出すのは不可能と思う。。
しかし、学術レベルにおける詰めや論議は別である。筆者が算出した4万は、かなり余裕を持たせたとりあえずの概算であり、新たな証拠が出現すれば、多い方へ修正されるのは当然である。事件から50余年、そろそろ不毛の論争にケリをつけ、真の歴史研究の対象へ移行させてよいテーマではないか。(『正論』1989年2月号)典塔つええw
横から失礼。読んでるとこれ典塔氏が自分の事を言われたと誤解しているだけですよ
>>728
で、私は、
『そもそも、『民間人20万とか30万虐殺』とか言っていた『パヨク』などいたのかな?』
と聞いているよ?
いないのでしょ?
捏造だから(笑)レス730の時点で
流石の○○も民間人20万とか30万虐殺を誰も主張していないことに気づいたのだねー
としみじみ。>>1このスレは有意義なスレ
>>730
本家中国でも、盛りに盛った表現を言い訳しだしてます。
下はwiki抜粋ですが、最後の段落など、南京に至るまでも含むとか、なんなんでしょうね。市民が30万人のようなイリュージョンが出るレトリックは絶対にはずさない。
30万人
当館は日本軍が1937年12月13日から約40日間の間(館内にある碑には1937.12.13-1938.1と表記されている[3])に南京に於いて中国の庶民と捕虜になった軍人30万人余りを殺害したとの見解を示しており[4]、館内に300000という数字を表記している[5]。
新華社の2014年12月1日の記事によれば館内にある「嘆きの壁」と呼ばれる壁には「南京大虐殺」の犠牲者であるとされる10505名の名前が表記されている[6]。
2007年1月30日に上海交通大学教授で「南京大虐殺」の研究を行っている程兆奇[7]は東京財団主催の講演会で質問者から「南京の記念館、あそこに30万人と書いてありますが、あれは即座に消すべきですね」と指摘された際に「それは一学者あるいは一個人が決められることではないのです。(中略)私がもしも記念館を運営しているということであれば、私は最初から、そういう数字は書きません」と述べている[8]。
2018年6月24日に福田康夫が訪問した際に、紀念館の館長は、30万人という数字は、南京に至るまで日本軍が戦争しながら殺害した人を含めた数字であり、南京市内にいなかった人を含む数字であると説明した[9]。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E4%BE%B5%E8%8F%AF%E6%97%A5%E8%BB%8D%E5%8D%97%E4%BA%AC%E5%A4%A7%E5%B1%A0%E6%AE%BA%E9%81%AD%E9%9B%A3%E5%90%8C%E8%83%9E%E7%B4%80%E5%BF%B5%E9%A4%A8そもそも南京に30万人もいないからねww
秦郁彦氏が言っていることが真実ではないか?
733
ツイートLINEお気に入り
7330