柄とか刺繍とか
あれば見たいです中国は朝鮮に、何の施しもしなかったからね…。
中国から布を買い、チョゴリを作っているから、刺繍は無いかもね。
刺繍された布を買い、チョゴリに配置したものなら有ったかもしれない。
刺繍と言う贅沢を発展させる文化は無かっただろう。美術・芸術系の発展は 、食べるのに事欠かない暮らしが大前提だからね。
世界でも日本でも、そういう時代に文化が花開いたんでしょ。針も無いのにどうやって刺繍しろと?
>>2
ありがとうございます
最近、韓服を普及させたくていろいろ頑張ってるのを見かけますが
伝統からかけ離れすぎててなんだかなぁと思ったのが
投稿のきっかけですウキーー
ナイロンは半万年の歴史ニダ針が作れなかったの?!
剣は作れたんだよね?
それなのに韓国人はなんで昔の日本をバカにしているの?
不思議です。してるわけないだろ 上の貴族なら知らないが
乞食服に ご飯粒の刺繍はあっても白黒だよ
北朝鮮が着てるのが本来の形1948年の絵には刺繍があったとのことだから、刺繍は日帝残滓。
なので抹殺消去すべき悪習ってことだな。最近朝鮮事情より、
婦人が洗濯をしているので見てみると小便水と見分けの付かない黒い水に洗濯物を揉んだり打ったりしている。>>10
ああ、そうか。その為に貢女してたんだもんな。>>11
製品を一つ作るごとに税金が課せられる、国王や貴族は商品の代金が払わないのが普通、輸入品を扱う商人と貴族が結託して国内生産品は排除……などなどの理由があって、職人がモノを作るメリットが一切ない社会だったので工業がまったく発達しなかった。
似たようなケースには農奴制強化のためにあえて鉄道や工場を作らなかったロシアや清、奴隷刈りと略奪が儲かるから農業すら発達しなかったアフリカの諸王国などがある。併合時代に学校で刺繍を教えてたのは日本だからなw染物も然り。
それ以前に根付いてたのかは知らないが、教えるって事は根付いてなかったんだろうw>>19
でも、殿様の袴とか結構凝ってますよね>>19
でも、織りにはこだわっているよね。裏地とかも…江戸小紋は、朝鮮人なら発狂しそうな基地外じみた染色なんだけどね。
江戸小紋の型紙作りを朝鮮人にやらせたら、直ぐに火病ってびりびりに破くに違いない。
結城紬もどうしてこんな図柄が作れるのかよくわからないほど高度な作業だし。
本当に我が国の先人は凄いと感心する。>>24
結城紬は本当にすごいと思う。無くなって欲しくない技術だなぁ発言すべきか悩むなぁ。
>>19
やわらかものは男性和服でも刺繍があったりしますよ。
羽裏の友禅描きとかも、チラ見えしたとき超お洒落だし。日本は、庶民に贅沢禁止出したから、装飾性は抑えられたんだよ。
その分、例えば、単色に見えても、近くで見ると複雑に染め分けてるような、染め分け技術は発達したけど、
朝鮮の衣装は職人が低能力のままだから、染め分け技術がない。
だから、単色に染めた布を、それぞれ切り張りして、服としての彩りにしたっぽいね。>>1
>>2
やっぱり少しだけ。
話の方向性に、違和感があります。
もし、間違えがあるのでしたら、韓国人の方々は、訂正していただければありがたいです。
日本の着物は、質素な浴衣から、豪華絢爛な十二単まで、すべて着物なのですが、チマやチョゴリは、韓服(朝鮮服)の一種です。
チマとチョゴリを合わせたチマチョゴリは、女性向け韓服全体を指す訳ではなく、朝鮮半島全体的に広まった為に、代表的な服装であるので、李氏朝鮮時代では、礼服でも何でもない、普通服の範疇になります。
着物全体の多様な刺繍装飾と比べる場合は、韓服全体で話をしなければならないと考えます。如何でしょうか?
韓服における刺繍文化は、特に婚礼などの、礼服関係に特色があり、当然チマチョゴリ等の普通服に、羽織る等の組み合わせて使用されます。
もし、韓服全体の刺繍文化をどの様なものだったのか知りたいのであれば、以下のような韓服も調べて見ては如何でしょうか?
翟衣・적의(チョグウィ)
翟衣は祭祀や朝賀の儀などに、花釵十二梳とともに用いられた最高の礼服。
闊衣・활옷(ファルオッ )、
公主(王と正妃の姫)や翁主(王と側室の姫)の、あるいは士大夫(両班)の婚礼服。
圓衫・원삼(ウォンサム)
・朝鮮王朝時代の王侯貴族女性の正礼装。
絹地に金箔などの装飾が施されている大袖の衣装で、チマチョゴリの上に着用する。
画像は、極細の糸で繊細な模様が織り込まれた福温公主の「闊衣」です。>>33
両班の白衣の色は高潔さの象徴だろうし
神前結婚式の白無垢は純潔さの象徴だし
儀礼服は、ハレの日を象徴するために刺繍が豪華
結局、技術だけが全てじゃないってことだね。刺繍は糸と針が有れば出来るという物でもないんじゃないの?
糸は上等なものじゃないとダメだろうからね。ゴツい糸とかじゃ到底刺繍できないし、それに染色技術が乏しい韓国ではカラフルな糸は輸入でしょ。
刺繍は相当高価な物だったろうね
写真の衣装も刺繍に縫い目が掛かってたりするし、刺繍された布を買って縫い合わせただけなんじゃないの日朝貿易では、赤い染料(蘇芳:すおう)は、沖縄から大量に輸入してたんだよな。
>>35
[>>31]は、福温公主(1818年-1832年)の「闊衣」ですが、李氏朝鮮が国体維持ができたギリギリの時代となります。
この時期までは、刺繍を行う専門部署である繍房(수방、宮廷内の刺繍品の製作)が辛うじて顕在であり、豪華絢爛な刺繍もこちらで内製していました。この時代までは、朝鮮の刺繍文化は生きています。
繍房は、「尚宮」に属する一部門です。 朝鮮の「尚宮」は以下を参照ください。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%9A%E5%AE%AE
刺繍は裁縫文化と密接ですが、万葉集にも出てくる「高麗錦」のように、色糸を用いた錦織や刺繍の文化は古朝鮮時代から存在しました。李氏朝鮮では、刺繍は「繍房」で行いますが、針や染糸等の工芸品に欠かせない物を製造したりする職人作業は「京工匠」と呼ばれる手工業集団が生産していました。なお、装飾刺繍に耐えうる品質の良い「針」や邑の無い「糸」は、含めて「京工匠」等の直轄の職人が製造したものを使うか、中国等から輸入する以外、入手できない状況でした。(1700年前後まで、最高品質の針は中国製であり、東洋医学で発達した鍼灸で使用する髪の毛より細い針などは、日本も中国から輸入していました。)
純祖(在位:1800年~1834年)以後の朝鮮は、急激に衰退します。高宗(在位:1863年~1897年)の時代には、権力闘争、焼畑等による国土の荒廃、国土荒廃から発生する水害と飢饉の頻発。それに伴う農民一揆の頻発。国家は、激しい財政難となり、制度崩壊します。「京工匠」や「繍房」も解体されてしまい、職人達は生活に欠かせない民需製品の生産をせざる得ない状況に追い込まれます。つまり、朝鮮王でさえ、宮中文化を支える事ができない状態となります。
当然の如く技術の伝承が途切れてしまい、「工匠」達は、今で言う民営化による民間放逐となります。しかし、当時の国家全体が貧困に喘ぐ状況であった為、豪華絢爛な装飾の需要は、極めて低調であり、多くの芸術的価値のある手工業製品が衰退します。
福温公主の「闊衣」は、李氏朝鮮で内製できたギリギリの時代で、以後の朝鮮の状況は、おそらくご存知の通だと思いますが、車輪すら満足に作れない、嫌韓が考えている「朝鮮」のイメージに近くなります。> 古朝鮮時代から存在
この一言で一気に胡散臭くなり、信頼性がなくなるなw>>39
すみません。古朝鮮でなく、三国時代でした。高麗より前の時代を指しつもりでしたが、一般的に古朝鮮は、衛氏朝鮮まで遡るので、これは胡散臭いです。
日本と百済には、文献で確認できました。>>38
貴方のおっしゃるどおりですね。
朝鮮半島は全体的に、民衆文化育ちませんでした。識字と流通が発達した日本の、江戸時代の町人文化との比較では、極めて顕著だと思います。
日本も、室町時代までは、公家文化、武家文化等の、一部の特権階級の流行り物が文化となっていました。しかし、戦国時代以後、町人や農民まで、幅広く行き渡る事ができたのは、識字等の文化伝承に必須の技能が、江戸時代に早くに一般化したのが、大きな理由だと考えています。着物が中国に由来していることを日本人は知っているだろうか
昔(日帝以前)のチマチョゴリに刺繍はされてたの?
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