>>1
【ソウル5日=黒田勝弘】卒業式の「日の丸・君が代」問題を苦に校長が自殺した広島県立世羅高校が毎年、生徒を修学旅行で韓国に送り、ソウル市内にある独立運動記念公園で謝罪文を朗読するなど“謝罪行事”をしていたことが明らかになった。五日付の韓国日報が社会面トップ記事で伝えたもので、記事には、生徒たちが市民の前でひざを折り、頭を垂れている写真が添えられ、案内を担当した年配の韓国人通訳の「生徒たちのまじめな表情に感動した」という感想も紹介されている。
韓国日報は県立世羅高校の生徒たちが三・一独立運動記念塔前で謝罪した、と報じた=平成10年10月16日、ソウルのタップコル公園(韓国日報提供)
韓国日報は「“キミガヨ”で悩みの校長の教え子たち」「5年前からタップコル公園で“謝罪の参拝”」という見出しで、昨年十月十六日の様子を詳しく報じている。>>1
残念ながら強制されたのでしょう。
その後、修学旅行に行った生徒達は韓国が大嫌いになりました。
若い子に罪はないのに・・・智辯系統もあやしい
>>1
広島ではないが、公立高校の教師をしています。真面目に答えます。
世羅高校の件は、1999年であり、今から20年近く前です。
当時の日本では高校を中心に組合の勢力がまだ強く、左翼偏向の教育を行っている人もいましたし、現在では考えられないくらいデタラメな学校運営がまかり通っていました。私はちょうどその頃教師になりましたが、組合に熱心な先生はまだ結構いました。
組合の先生は、いい人はすごくいい人でしたが、権利要求ばかりして無責任な人、管理側とケンカすることばかり考えているような人、素行に多大な問題がある人、生徒に対して強圧的な人、実にさまざまおりました。こういう人たちが「憲法9条を守れ」「君が代日の丸反対」「教育の充実(と言う名の、教職員の権利要求)」などで一致団結していたわけです。
ソ連崩壊後は社会主義と左翼活動の旗色が悪くなり、いわゆる左の人たちは平和主義の名のもとにアジアに対する日本の戦争責任を言うようになったり、環境問題に走ったりして、微妙にジョブチェンジを始めます。1999年の世羅高校の例は、こうした中で出てきたものでしょう。
しかし、こうした組合の姿を冷ややかに見ていたのが、当時の私たちの世代の教師です。当時からすでに組合は高齢化が言われ、新採用の先生が加入しない状況が問題になっていました。本県においても、組合の加入率は低下の一方で、1割を切っています。いわゆる全共闘世代の退職とともに、組合の重鎮とされていた人物の多くは各都道府県で退職したものと思われます。重鎮なきあとの組合は、もともとの機能である教職員の互助組織に戻ることもできず、以前からの左翼的主張を振り回しても誰もついて来ず、その耐用年数を終えたのです。
日教組教師は、何の制裁も受けていません。退職後の現在はのうのうと暮らしていると思います。日教組教師が学校をいかにデタラメにし、当時の生徒たちに学校への恨みを植え付け、保護者世代になった当時の生徒たちの持つ不信感がどれほど学校の仕事を面倒にしているかを考えると、何とも言えない思いを持ちますが、現役の教師としては、彼らが先輩面をして何か発言してきたら、3秒でつぶすという形で対応するくらいが関の山です。もっとも、ある程度の自覚はあるようで、現在の学校に対して物申す者がいないというのが、敵ながら情けない限りです。つづき
あなたがた韓国人は、日本の左翼と言う反体制(を気取っているだけの自己満足野郎ども)の自慰行為のネタとして使われただけです。左翼たちは真面目に国家運営を考えたことはないし、日本民族の行く末を案じたこともありません。まして、韓国のことを真摯に考えたはずはなく、ただただ日本国を貶めたくて、そのネタとしてそうしたことをしたまでです。純粋に日本の国内事情で、日本国内でまともに暮らせていないキチガイがしていることですから、お恥ずかしいところをお見せしましたと言うほかありません。
こうしたことはおそらくもう起りません。私のいる学校は海外修学旅行を実施していますが、行先を検討するたびに韓国も一応候補に挙がるものの、すぐに誰かがやめようと言いだす流れが続いています。韓国の反日はすでに広く知れ渡っており、わざわざ反日で不快な思いをするに決まっている韓国を旅行先に選定しようという先生はおりません。韓国修学旅行経験者の教員もおりますが「反日もそうだし、韓国の業者がいい加減で予定を平気で変更するので、イライラするので行きたくない」と言っています。学校内の左翼がほぼ壊滅し、韓国経験者がこう言っているなか、敢えて韓国に謝罪修学旅行を企画しようというバカはおりません。万が一、県などからそうした圧力があっても「そんなことをしたら社会的にとんでもない批判を浴びて炎上しますよ」と言えば実行できません。
ご心配いただかずとも、日本はそうした意味ではまともになりました。あと気をつけるべきは、退職してのうのうとしている左翼の残党の老人の発言力をいかに削ぐかだけです。>>7
自分は中高生の時にその手の教師が何人かいましたよ。
授業中に天皇陛下を馬鹿にするような話をしたり、在日差別のビデオ(韓国制作字幕付き)を見せられて討論したりレポートを書かされたりとか、今思うと考えられないくらい反日でした。
あの人達はどうしてああなったのか不思議です。純粋な日本人なんでしょうかね。半島には連れて行かれる事はなかったけど、小学校で日教組か分からないが左巻きの教師はいたな。
ウォーターラインとか1/35シリーズが地元では流行ってる時に、作文で俺は自衛隊に入るって書いたら一面赤字で、自衛隊は人殺しで悪の存在だとか書きまくられた。比較的若い女性の先生で笑顔の絶えないイメージの人だったが、その急変振りに当時は何が何だか分からなかった。
今考えれば、ああ、これが民進、社民、共産を支えるバカどもだと分かるし、公務員法に違反してますよーと受け流す事も出来るが、当時はトラウマになりかねない事件であった。>>10
はじめに報じたのは韓国の新聞な。
他にも謝罪させられたという生徒の書き込みもある。
デマニダ!フェイクニュースニダ!で何でも覆い隠せると思うなよ。>>12
昔は大学教授にも左翼・反体制気取りがウヨウヨいて、おかしな授業・左翼洗脳を学生にかましていました。
私が直接目にした例ではありませんが、新任の家庭科の先生がその手の環境運動教授に洗脳されてしまったらしく、「石鹸は使ってはならない」とか研究授業で言いだして、物議をかもしたことがあったそうです。
「戦争は良くない」のは、当然です。「貧困や不平等が良くない」のも、まあ正しいとしましょう。
ではなぜ、世界から戦争がなくならないか、国防というこれまた大切な観点とどう折り合いをつけるのか、世の不平等はどういう仕組みで成り立っていてどういう構造的必然があるのか、などなどを大人として学び、考えるのが本来は高校から大学にかけて行うべき知的な訓練ではないかと思います。
しかし、昔から教師は学校的優等生の代表格という色彩があります。学校的優等生とは「自分で考える頭を持たない」こととかなり近い関係にあります。「石鹸は良くない」だの「戦争は絶対にいけない」だの、簡単で分かりやすく一面の真理ではあるが現実から遊離した空理空論を吹き込まれて、後先を自分の頭で考えずにそのまま生徒に話してしまう、洗脳されやすい人種が教師には時々いた、ということでしょう。
「時代の被害者」とは言えますが、あまり同情する気にはなれません。実際にトラウマになっている生徒・真に受けて正気を失っている生徒を生んでいるはずだからです。しかし教師に一定数いるはずのこうした人種にどう対応するかと言うのが、現実をある程度わかる現役教師に求められることかもしれません。>>18
すまん、万が一、と書いてたね。ここを自分で抜き出しといて気付かないとは、私もどうかしてるな。重ねてお詫びする。申し訳ない。
とはいえ、時々でも言い出す輩がいることはいるのか。まだまだ油断はできないんだなあ。>>7
非常に参考になる話、長文でしたが一気に読まさせていただきました。
僕の高校時代、今からざっと30数年前・・というと歳がバレますが、この手の教師がいました。
しかも担任。日本史専攻の教師でしたがバリバリの左翼で学生運動に参加していたことを
いつも誇らしげに話していましたね。他のスレでも話しましたが、この教師は当時、盛んにマスコミを賑わしていた在日による「指紋押捺問題」を授業で取り上げ、同じクラスに在日の生徒がおり、その母親が
民団の活動家だったことを良いことに文化祭にも教室を提供。「指紋押捺問題を考えよう」というテーマで
ブースを造ったりしていました。今から考えるととんでもないことでした。
しかし、考えようによっては僕らが教師の言うことを鵜呑みにせず、「自分で考える」という癖が付いたという意味では感謝すべき事かなとも思います。高校生くらいになれば「・・何かおかしいな・・」位は考えますからね。
僕個人の意見ですがこうした「左寄り」の考えの教師は「社会科」の教師に多く、理科や数学など理系の教師には比較的少なかったように思えますが、その辺は現役の教師の方とお見受けしますが如何お考えでしょうか?>>20
都道府県にもよると思いますので、「本校の場合」と言うことで。
前年度と行先を変える動きがなければ、前年踏襲です。学年の先生方の打ち合わせなどで1学年の最初の頃に「修学旅行先、前年と同じでいいよね?」と学年主任に確認されて終わりです。現在は中学生に配布している学校案内などにも修学旅行先が書かれていたりしますので、変えないのが色々な意味で一番楽です。
変える気が出てきた場合、生徒にアンケートを取ったりします。修学旅行委員会なるものが立ち上がったりすることもあります。大人数が一気に移動する点、高校生の修学旅行である点、修学旅行代金の目安として県から示されている額との兼ね合い、日程の関係などなどを考慮していくと、そうそう組み合わせはありません。結局のところ、現実的に可能な選択肢から、生徒アンケートの動向、保護者(PTAとか)の意見などを踏まえながら、結局学校行事なので、学校の掲げる教育目標との整合性とか、事前研修の内容なども加味しつつ、議論して決めます。
保護者が明確に韓国に反対している場合、一定の影響力を持ちえます。私がその会議にいて、保護者が反対している事実を把握していたら「保護者の間にも、反日国家であることや安全保障上の問題があることを心配する声があり…」などと言うことができます。保護者の意向は(素っ頓狂なものでなければ)尊重すべきというのが現在の流れである上、生徒の安全を心配しての意見です。化石のような左翼が固まったような学校でなければ、影響を与えることは可能だと思います。できればPTAの役員などをして、意見を聞かれる状況に身を置いて下さいね。部活動顧問や担任と多少仲良くなっておいて、意向を伝えておくのもいいと思います。>>23
ご回答、有り難うございました。確かに、物理や数学の授業で指紋押捺や従軍慰安婦の話は出しにくいですね・・。
>おそらく確実に少なかったのは、体育科ではないかと思います。ある意味、一番現実的な人たちです。
確かにその通り。同感です。自分は20代ですが在日差別やらそんな教育受けませんでしたね。
川崎から地方に引っ越したから。関西だと部落、在日教育があるんでしょうね
恐ろしい>>17
日教組の肩を持つわけではありませんが、そもそもの日教組の平和主義は「教え子を再び戦場に送るな」と言うスローガンで、戦時中に若者を戦争に行かせるための教育を行ってきたことへの反省に立ったものです。戦後すぐ、これからの将来を担う若者たちに何を伝えるかと言ったら、平和主義、自由の尊さ、戦争への反省、政府への健全な批判力の育成、こうした事柄に関心が傾いたのは当然でしょう。
問題は、日教組の中核にマルクス主義者がおさまり、日教組を反政府組織の一つに仕立て上げようとしたことです。マルクス主義者の究極目標は政府転覆と共産主義政権の樹立です。学校現場もストや闘争で授業どころではなかった時代があったようです。
こうした組合の現実は、出発点である「平和主義、自由の尊さ、戦争への反省、政府への健全な批判力の育成」とはいささか遠いものです。組合には入るし、こうした大義名分には賛成するものの、何かおかしいのではないか…そう考える先生がたもいたはずです。しかし、日教組の中核のマルクス主義者たちの石頭ぶりも筋金入りです。全く治らないまま、冷戦終結を迎えるわけです。
ソ連は、19世紀としては素晴らしく進んだ学問であったマルクス経済学を元に、壮大な実験を行った国家で、左翼とはその影響下にあった人々です。悲劇だったのは、マルクス経済学は最終的には間違っており、実験は失敗に終わったのですが、みんななかなかそれに気づかなかったことです。冷戦以前の日教組に関しては、そうした同情ができます。冷戦以後の日教組については、幹部が今さら主張を変えられるわけがないのでじり貧になって徐々に消滅すればそれで良しです。しかし、今から左翼活動に身を投じる者たちについては、正気を疑います。実際、正気を疑われるような若者しか左翼活動をしていませんよね。地域性はあるだろう、地元学校で左翼系は目立たなかった、教師で公言する者もいたが自己批判もしていた。朝鮮人韓国人もクラスにいても誰も特に気にせず元部落やアイヌもいた。、親の会社で雇っていた。田舎だと学校の選択がなく東大に行く生徒も就職する生徒も同じクラス。都会に出てきて色々な軋轢があることを知ったくらい。狭いと互いの透明性は高いのかもね。
>>22
ご丁寧な回答、ありがとうございます!実体験はためになるな
ありがとう御座います
私は田舎育ちですが左翼系教師は少なかったですね
やはり神社の祭りやお寺の檀家の繋がりが強いので左翼系は入りづらかったのかな?藩や地主小作の商人の寺神社の関係も扇動よりも実態が目の前にある。
経済構造が激変してもドラマ映画のような悪役にしようにもできない。貧しくても食えていれば新しい産業も出てこない。厳しい過疎は進むが進学に対する感覚も違う。車でちょっと山に入れば今の時代に水道が入っていない村もあった、法律違反ではなかったようだ。就学旅行ではないが学校行事で韓国の学校には行った、歓迎だった、地方も周り抗日記念も行ったがそれで意識が大きく変わるわけでも無かった。高校時代にガチガチの左翼教師が担任になった事があったなぁ〜。
しかも同級生にガチの右翼思想の親を持つ同級生と何時も喧嘩腰に話をしてたのを見てた。結局子供の頃に受けた教育って、人格形成に影響をおよぼすのかな?
自分は結構左翼強い系義務教育を受けたけど、結果嫌韓で落ち着いてるし
ただ子供の頃は、その教育のせいで韓国大好きだったけどねw>>32
私たちの時代の中学や社会の教科書を真面目に学ぶと、左翼が誕生するようになっていたと思います。共産党宣言だのマルクスとエンゲルスだの、日本や天皇陛下の戦争責任だの、警察予備隊→保安隊→自衛隊と言う流れだの、どぎつい記載ではありませんが、生徒の考えを左に誘導するような要素は随所にちりばめられていたと思います。ですから、私も中学生くらいまでは漠然と左でした。
でも、朝日新聞のサンゴの事件があったり、ニュースステーションの所沢ダイオキシン報道があったり、左の人たちは何かおかしいのではないかと思い始めたところに宮沢内閣不信任→非自民連立内閣成立→自社さ政権成立と言う流れがあり、ソ連崩壊があり、自分も学校にいる組合員の行動や思考に辟易したこともあり、すっかり左翼嫌いになりました。
子供であれば、ある方向に誘導することはできそうですが、それが間違っていた場合(そしてそれに本人が気づいた場合)、誘導しないよりも手ひどく嫌う傾向があるような気がします。渡邊恒夫がヤメ共(元共産党)なのは有名な話です。>>15
アンカしていただいた文を見て大学生の頃を思い出しました。大した事は書きませんのでスルーして下さい。
私の入った大学は平成の世でも学生運動が残っていた大学でした。校門正面から左側(偶然かw)に学生会館があってそういう連中の巣窟だった。天皇陛下に対する侮蔑看板があったり、たまに警察が取り囲む事もあった。先輩からは頭のおかしい人間がいるから絶対に入るなと言われていた。地方から出てきたばかりの自分には、未だこんな事をしている人間もいるんだとしか思わなかった。
唯一彼らに感謝するのは、本来なら前期後期四年で計8回試験がある所、彼らが年一度試験日に校舎閉鎖をしてしまう為試験がなくなってしまい、後日論文提出で済んだ事だ。つまり本格的な試験は四年で四回しかせずに卒業できた。
通いだったからその試験や授業(平素の授業も教授の都合で無くなる事も多々あった)の為だけに時間をかけて出てきても無駄になる事があったのは閉口したが、今となっては思い出。その学生会館も建て替えられた今はどうなっているかな。>>15
戦後の環境破壊は神道が死んだせいなのにね>>34
私が在学していたのは昭和の最後ですが、
当時はまだ都内の主な大学のキャンパスに 左翼の立て看板がぎっしり建っていたと思います。
入学してすぐに語学クラスの新歓コンパがありましたが、その席で
「民青に声をかけられて そのまま連れていかれました!」
と言っている子がいて、その時を最後に授業でみかけなくなりました。
サークルの先輩たちから、
「左翼と宗教に気をつけろ!」
と聞いたのは そのあとです。
当時は オウムが事件を起こす前で、盛んに布教活動をしていましたし、
桜田淳子や山崎浩子が統一教会で結婚式をあげたのも このころですよね。
怪しい時代でした。
今の韓国はあのころの日本をもっと左側に寄せた雰囲気なんでしょうか。
あれじゃあ 国が危うくなってもしょうがありません。
あの状態から日本が脱出するのに 20年以上かかっています。
韓国も これからしばらく受難の時代が続き、国がめちゃくちゃになったころ ようやく気付くことでしょう。>>36
学生運動が最大に盛り上がっていたのは、1960年代後半でしょう。私はまだ生まれていませんが、調べたところによると、この頃は世界的に怒れる若者の時代で、日本のみならずアメリカでもヨーロッパでも若者が徒党を組んでデモをしたり国会を取り囲んだりという時代でした。結局のところ、第2次世界大戦が終わったと言うのに(特に戦勝国で)戦前と全く同じ発想で国が運営されていることに不満を持った若者たちの意思表示だった、とものの本には書いてあります。
体制側がここでどうしたか。ビートルズブームは体制側の若者慰撫策だという話を見たことがあります。ビートルズの歌の歌詞のポイントはミーイズム、私生活や恋愛の重視、政治への軽視です。若者の内心の本音(社会体制に怒りを感じるが、戦うのは面倒で、恋もしたいし私生活を楽しみたい)を肯定し、「それでいいんだ、それでいいんだ」と洗脳しようとしたというのです。ビートルズ来日は先方からの売込みだったとか、実際にビートルズブーム以降は学生運動が沈静化したとか、傍証はいろいろありますが、考え過ぎと言われれば返す言葉もありません。ただ、時期的な符合は間違いない。
国鉄民営化も、中核派の温床となっていた国鉄労組解体が第一の目標だったという話があります。今となっては体制側の人間も、この目標を隠そうともしません。様々な企業内の共産党つぶしも進行し、社会において過激な左翼はどんどん居場所を失っていきます。
昭和の終わりから平成にかけては、大学の左翼がまだ生きてはいましたが、大多数の若者たちは警戒するだけで見向きもしなくなっていた時期です。私がセンター試験受験のため某国立大学に行ったところ、食堂の建物の上にヘルメットにマスクの青年がメガホンを持って立ち「受験生の皆さん、中核派です」とあいさつをし、演説を始めようとしました。受験生からは笑いが漏れました。平成の始めの頃の冬です。これが時代の空気です。この様子を見て、私は過激派の命運が尽きたことを悟りました。どんなに立派な理想を言ったって、大多数の支持を全く得られないどころか笑われては革命など絶対不可能です。つづき
韓国に関しては、左とかそういう高尚な話ではなく、単に「権力側が甘いと見れば逆らえばよい」「騒いで譲歩を引き出せるのであれば騒いだ方が得」「水に落ちた犬は叩け」と言うメンタリティだけだと思います。昔の過激派がいかに真面目で身持ちが固く、自らの信ずる理想・理念・論理に忠実たろうとしていたかは、ある意味敬服するくらいのもので、マルクス主義と言う疑似宗教の宗教原理主義者だとすら言えます。韓国のメンタリティは論理・規範からの逸脱・無責任・反抗で、このようなものとは真逆です。デモなどの見た目が似ていても、何段階も質が落ちるものでしょう。左翼にはまだ「社会をこうしよう」というポジティブな理念がありました。大統領退陣デモにはそんなものありません。単に大統領を引きずりおろそう、それだけです。おまけにそんな大統領を選んでしまった自分たちの不見識は棚上げです。これは単なる集団リンチ、人民裁判です。
こういう人たちが、自力でこの状態を脱出するのは不可能です。可能性があるとしたら、軍事独裁政権が誕生し、強権で国民にルールを守らせ、一定のルールを守って暮らすということ自体を国民にしつけ、ごね得やズルには死をもって罰するくらいの形で臨み、これを30年以上くらい続けて世代を一回りさせ、徐々に緩めるくらいの手しかないでしょう。朴正煕はこれに近いことをやろうとしたと思います。セマウル運動とか、韓国国民の実態を踏まえた順当なものだったのではと思います。朴正煕が暗殺された時点で、韓国の未来に暗雲が立ち込めたと思います。韓国が気づくことはないでしょう。すでに国はめちゃくちゃです。「気づいているけど面倒だからやりたくない」あるいは「気づきすらしない」のが韓国人でしょう。われわれにできることは、生暖かく見守る…というより、断固として見放して、甘やかさないことくらいでしょう。中国か北朝鮮に併呑されるでしょうが、それでいいと思います。長い歴史に回帰するだけのことです。日本の間違いは、朝鮮半島を救済しようと真面目になったことです。
일본에서 일교조 교사들이 학생들을 한국으로 수학여행 보낸후.txt
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