日本の右翼が反発するも「観月堂」が100年ぶりに故国への学界でも「必ず戻ってくるべき文化遺産」

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    • 1名無し2025/06/25(Wed) 13:21:03ID:UwNzI1MDA(1/1)NG報告

      鎌倉大仏殿高徳院の境内から解体して移送
      建築遺産全体が移送されたのは初めて
      朝鮮王室の祠堂建築物と推定
      諜報(ちょうほう)戦をほうふつとさせる「韓国返還」

      丸ごと日本に持ち出されたこの悲運の建物が、およそ100年ぶりに故国へと戻ってきた。寺の僧侶の「無条件の寄贈」によって実現した。

      今回の帰還は、佐藤孝雄住職の固い信念のおかげで可能だった。住職であると同時に慶応大学民族学考古学教授でもある佐藤さんは「2002年に住職に就任したときから、建物の由来を聞いて、韓国に送り返すのが最善だと考えた」「けりがつくまで23年かかった」と語った。

      観月堂は、韓国の学界でも「必ず戻ってくるべき文化遺産」に挙げられていた。10年に、当時の曹渓宗総務院長だった慈乗僧侶が韓日仏教文化交流大会に出席し、観月堂を韓国に返すことで日本仏教界側と合意したと発表したこともあった。だが十分な協議が行われていない状態でメディアの報道を通して発表が先行したことから、日本側で保守・右翼団体を中心に反発が強まり、その後しばらく交渉は中断した。

       協議の糸口を再びもたらしたのも佐藤住職だ。19年に当時の文化財庁(現・国家遺産庁)にまず連絡して、その後、同庁と財団が現地調査、研究、精密実測などを進め、韓日共同プロジェクトにつなげた。昨年6月に建物の解体を始め、11月に瓦3457点と石材および金物401点が韓国国内に移送された。今年5月には木材1124点も極秘裏に移送を終えた。

      https://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2025/06/25/2025062580087_2.html

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