1345年、高麗時代に建設されたという全北益山の崇林寺。去る2002年仏像が位置する単相の下床を修理するためにこれを開けたが、そこで野球ボールより小さいサイズの金属ビーズ3個が発見されたという。ビーズは直径6.5cmに重さ1.7kg程度だったが、成分分析の結果純度がかなり高い鉛で作られたことが確認された。
かつて一度も床をはがしたことがなく、その下に入る方法は手のひらだけの通気口だけで、建築当時の絶ターの悪い気運を押さえるために誰かが埋め込んだものと推測されたビーズ。しかし、その形が完璧な球形に近く、表面も滑らかで、高麗時代に製作されたのが正しいか疑問が提起された。誰が、いつ、どんな方法でそこにビーズを残したのだろうか。
正体不明の玉が発見されたのは崇林寺だけではなかった。三国時代から朝鮮時代に至るまで、全国に造成された絶跡約30ヶ所で、100個に達する同じ大きさと重さの鉛玉が出土したのだ。 2000年代以降、主に保守工事の過程で発見された鉛ビーズの正体について、仏教文化遺産の専門家も誰がどんな意図にしたのかを解放できない。
ところで、鉛玉が発見されたところは寺院だけではなかった。仏教とは無関係の忠南のある山では、登山から渓谷の水に至るまで、野蛮な場所で数百余りの鉛玉が発見された。髪の毛2本ほどの0.2mmの誤差を持つ精巧な鉛玉を作って防房曲曲に埋め込んだのは誰なのだろうか?もしかしたら過去から降りてくるどんな秘密組織の小行なのだろうか?
鉛玉の渋滞について過去の砲弾の一種であるか、無属人が埋葬した無属意識の産物であるとの説から、日帝強占期の鉄杭怪談のように、朝鮮半島の血を切るために日本人が埋めておいたのではないかという疑惑も提起されている。鉛玉は仏教の隆盛や国のこんにちはを念願する宝の玉なのか、風水的な目的で誰かが地のオーラを癒すために埋めておいたお守りみたいなのだろうか。それでも、呪いや誹謗の目的で疑問の存在がこっそり隠しておいた道具なのだろうか。
https://news.nate.com/view/20241122n06584
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朝鮮半島全域で発見されている正体不明の鉛玉…
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