私はハンバーガー、ホットドッグ、アメリカンドッグ、フライドチキン、フライドポテト、ピザ、チョコチップクッキー、スパゲッティミートボール、マカロニアンドチーズ、ポップコーン、ドーナツ、ショートケーキなどのアメリカ料理とラーメン、餃子、焼売、春巻き、小籠包、炒飯、野菜炒め、レバニラ炒め、もやし炒め、回鍋肉、酢豚、蟹玉、豚の角煮、青椒肉絲、麻婆春雨、麻婆茄子、麻婆豆腐、唐揚げ、エビチリ、海老の揚げ物などの中華料理と焼肉、キムチ、ビビンバ、チヂミ、冷麺、クッパ、ズンブグ、キンパ、チーズボールなどの韓国料理などが大好きです👑
其れに、中国文化や欧米文明などが無ければ、日本の洗練された日本文化や日本文明などは生まれ無かったと言っても差し支えないです✨
しかし、自分達の黒歴史を棚上げしときながら、慰安婦、南京事件、パールハーバーなどで日本を批判する資格は無いと言っても断言出来る✡️
其れなら、此方もライダイハン、在韓米軍慰安婦問題、大躍進政策、文化大革命、アフガニスタン侵攻などで迎え撃つべきだと考えてます☪️>>181
朝鮮人の文化乞食は救えねーよ。www
出汁文化自体がないからな。ww>>181
チャンポンとうどんが同じ?
アホウなんか、朝鮮人。wwwwwww>>180
もう少し言うと、「板海苔」が日本ですね。
海苔自体は確かに朝鮮半島にもあり食べていたというのがあるし、簡易な養殖もありましたが、それは生産量が低く、僅かに食べていたぐらい。
朝鮮時代の養殖などについては1908年(隆煕2年)に製本された『韓国水産誌』に少し書かれている。確かな資料はなにもないのだが口伝として残っていて、朝鮮の海苔養殖は150~200年前ほど前からあるようだが、老婆が海苔を採っていると木片を見つけ、それに海苔が付着したのを見つけた。それで竹を沈めて海苔採取を行った、という口伝がある。キム・ヨイクというのは創作人物。
信用できる文献として、『燕行日記』(18世紀)があります。これは、朝鮮王朝時代の官僚が地方視察を行った際に記した記録でして、太仁島の海苔養殖の様子が記されています。これらの文献によると、太仁島では18世紀末頃から海苔養殖が行われていたことがわかります。
また、最初は乾燥させるだけだったが、藁簀(わらす)で漉製するようになったとあります(藁の上に敷いて不純物を流そうとしたという事でしょうね。「朝鮮在来の製品は極めて粗悪だった」と不純物が多いという記載が記録にあります)。板海苔を作る抄造法とはまるで別ですが、平べったい形の海苔の塊は作られていたようですが、これは神奈川のハバ海苔に近い感じでしょう。
日本が併合した明治43年(1910年)の前後頃から、日本式の養殖が導入されている。昭和3年頃には、当時の朝鮮総督府水産試験場主任技師「富士川きよし」と全羅南道水試技師「金子政之助氏」が浮きヒビ養殖法を開発して生産量を飛躍的に伸ばした(この養殖法は日本に逆輸入されている)。また、海苔や海苔網の冷凍保存技術も技師・倉掛武雄氏らとともに開発された。ちなみに、富士川きよしは終戦後も昭和28年まで、駐留米軍の要請で韓国に残り海苔養殖の指導を行っており、韓国の海苔養殖は日本人のおかげですね。
韓国海苔のルーツは1919年に発行された料理本「是議全書」にあり、ごま油を塗って焼いて塩をかけた四角い海苔の記録がある。これは『佐飯』と漢字で書かれ、ハングルでは『・김・치반(gimchiban)』であり、日本統治で作られた物の1つで日本が作ったものです。
養殖は、朝鮮時代はほぼされていないも同然の量で、殆どが自生甘海苔の採取です。>>186
板海苔については1935年の『朝鮮総督府調査資料 第19輯 朝鮮の物産』の資料に詳しく書いており、朝鮮で養殖自体は行われていたが、今の乾海苔(板海苔)の日本式の抄造法(紙漉きを応用した製造方法)は数十年前からのもので、朝鮮在来の製品は極めて粗悪だったが、国と民間の努力により改善された事が記録されている。
1925年の『朝鮮人の商業』にも、朝鮮時代の貧弱な製造法で藁簀の上で海苔をただ乾かしただけで、砂利なども含んだ粗雑なものだったそうです。併合前から広島や福岡の日本人が材料買い付けに朝鮮半島を訪れ、製造法を教えようとしたがこれはなかなか上手くいかず、朝鮮総督府主導による指導で朝鮮人に日本式の抄造法(紙漉きを応用した製造方法)を教え、今の『板海苔』が出来た事が書かれています。
朝鮮半島の板海苔は、1913年から出てくるものですね。1911年あるいは生産を始めた頃を1として倍率を算出したものである(乾海苔の場合は1913年から)。
まぁ、板海苔は朝鮮時代、大韓帝国時代には存在しなかったのも、データから分かります。海苔は、以下の所で纏められてますね。
https://seesaawiki.jp/kokogaokashiikankokusan/d/%b3%a4%c2%dd>>185
穀物は温暖な気候で育つ。
だから世界の文明発生地域は温暖地域になる。
お前ら朝鮮人が今育ててるのも、ほとんどが日本の改良品種だろうが!
馬鹿!「女性中央(여성중앙)」1971年1月号の雑誌に、家庭で作れる中華料理のレシピ特集があり、その中に「チャンポン(짬뽕)」のレシピが掲載されています。
この号の「家庭で作る中華料理」特集に、「짬뽕」のレシピが掲載されていました。以下、原文と日本語訳で説明すると。
【原文】
짬뽕
돼지고기(얇게 썬 것) 50g, 오징어(채 썬 것) 50g, 양파 1/2개, 양배추 1/4통, 호박 1/4개, 당근 1/4개, 부추 약간, 죽순 약간, 닭 육수 2컵, 간장 1큰술, 소금 약간, 후춧가루 약간, 식용유 약간, 면 적당량
(만드는 법)
① 돼지고기와 오징어는 식용유에 살짝 볶는다.
② 냄비에 닭 육수를 붓고 끓으면 ①의 볶은 고기와 오징어, 채 썬 양파, 양배추, 호박, 당근, 죽순을 넣고 끓인다.
③ 간장, 소금, 후춧가루로 간을 맞춘다.
④ 면을 삶아 그릇에 담고 ③의 국물을 부은 후 부추를 얹는다.
【日本語訳】
チャンポン
豚肉(薄切り)50g、イカ(細切り)50g、玉ねぎ1/2個、キャベツ1/4個、かぼちゃ1/4個、人参1/4個、ニラ少々、筍少々、鶏ガラスープ2カップ、醤油大さじ1、塩少々、胡椒少々、食用油少々、麺適量
(作り方)
① 豚肉とイカは食用油で軽く炒める。
② 鍋に鶏ガラスープを入れて沸騰したら、①の炒めた肉とイカ、細切りにした玉ねぎ、キャベツ、かぼちゃ、人参、筍を入れて煮る。
③ 醤油、塩、胡椒で味を調える。
④ 麺を茹でて器に盛り、③のスープを注いでニラを乗せる。
このように明確に日本の「長崎チャンポン」からの派生料理である。この当時の資料での韓国の「チャンポン」には「長崎ちゃんぽん」という言葉が併記されている例が度々ある事も証拠になる。>>185
日本が統治して、日本の品種改良した早稲を使わせてやって初めて朝鮮人は飢えから救われた。www
北朝鮮みたいになりたいなら、どうぞ。
こっちは朝鮮人なぞ北朝鮮に蹴り出したいくらいだよ。
無能なくせに嘘を嘘ついて偉そうにしてる、北朝鮮みたいなクズ。そうですね。
韓国人の祖先がそういう土人の感じだった時に、日本では既に麻を利用した衣服を着ていますね。
麻は、世界最古の繊維作物とされ、その繊維は縄文時代の遺跡から出土されています。朝鮮人、無能!
ちなみに、日本統治前の稲作についても書いてあったものがあります。
15世紀までの朝鮮半島の稲作についても、1895年発刊の『朝鮮通商事情』に記載がある。
育苗法、すなわち苗に育てた後に、その苗で田植え作業をするというよく知る作業だが、これは朝鮮出兵(1592年から1598年)時に日本から伝わったものと明記されている。当時、武将はそれぞれの場所を管理し、汚職不正する官吏には厳しく対処し、農作業なども指導しているのは当時の武将が記載している記録にも残っている。そこで教えた技術である。
16世紀後半まで以前は、ただ種もみを撒くという原始的な農法なのである。
ところが、この日本が教えた稲作方法は灌漑設備など施政が必要なものであるから、朝鮮はそれを継続する事が出来無くて元に戻っているようであり、1895年時点の朝鮮半島の農業は、河には堤防も無く、また水量調整する様な灌漑設備も無く、ただ自然に任せた農業をしていたようである。そのため、時期を誤ればそれで農作物が台無しになるという、運に任せた農業であった事が書かれている(また、有機肥料なども使われていない、種を撒くだけの農業だったようだ)。
これまで「日本列島に稲作が伝来した当初の栽培方法は直播栽培であり奈良時代に入り田植えが本格化した」と考えられてきたが、近年の考古学の発掘成果で、縄文時代晩期から古墳時代にかけての水田遺構が日本各地で発見され、移植栽培の痕跡とみなされる株跡が数多く検出されており、日本では田植えが古くから行われていたことが裏付けられている。つまり、日本に水田が出来た頃から、苗代を使う農法なのだ(これが伝わってきたものであるか、日本が独自に作り上げた物かは分からない)。
日本では水田でイネを栽培する水田稲作においては、通常、苗代に種籾を撒き、育った苗を本田に移し植える移植栽培の田植えが一般的であり、種籾を直接本田に撒く稲作の直播栽培は、日本においては特殊事情などによりごく一部の地域で行われるのみである。
この苗代の稲作は朝鮮半島では見られておらず、朝鮮半島では朝鮮出兵で苗代の稲作方法を教えた事が判っており、それまで苗代の農法がなく、田に直接に種もみを撒く方法で「直播栽培」が行われていたのだ。일본인들이 1위로 좋아하는 김치
YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=Iy4cL2n9_6o
和食の特徴は出汁。鰹、昆布、きのこ。これらの出汁の特徴は煮込んでも灰汁つまり脂肪分が出ない。有名な鰹節は極端に水分や脂肪分が無くなるまで微生物によって吸収される。
조바이든 = 조김치든(김치의 상징 = 조바이든)
이 싸이트 말고 다른 외국사이트에 김치 비판했더니 전세계가 군대보다 단합되어 나만 공격..... (친한파= 김치찬양.... 조바이든 자체가 김치찬양 친한파 한국찬양집단)
전세계에 김치를 비판하는 인구가 없으면, 고문시간만 늘어나고, 감시는 더욱더 심해지는게 국제정세이다.
지구역사상 1위로 가는 히틀러보다 사악한 전범집단 = 친한파들
(조바이든=친한파, 카멀라 해리스 = 친한파, 윤석렬=친한파, 이시바 시게루= 친한파... 등등)
히틀러는 가짜 나치이며, 친한파들이 진짜 나치라는걸 알게 될 것이다. (일상생활을 더 겪어보면 알게된다)
카멀라 해리스를 바꾸지 않으면 미국이 전세계 민간인을 전범으로
분류해 간첩보다 심하게 감시하며, 테러하는 현재와 비슷한 상황이 계속되는...)
트럼프와 싸워 1개지역도 탈환하지 못하며, 패배한 카멀라 해리스... 조바이든 나치의 후손..(나치검찰 잔재인
카멀라 해리스를 바꿔라! 카멀라 해리스를 퇴사시키고 다른 조직으로 바꿔라! 민간인테러가 너무 심하다)
카멀라 나치검찰 해리스.... 민간인 식구를 전자 도청전자 장비들로24시간 1초도 쉬지않고 욕하며,
밀착감시하며 고문하는 상태로, 민간인의 몸에 테이저건+민간사찰 고문 전자장비들을 난사해
민간인의 몸을 불구로 만들며, 축하파티하는.... 전범으로....
(조바이든 나치는 바뀌지 않고 계속된다 = 카멀라 해리스)
검찰 나치 전범녀 = 해리스.... 해리스는 민주당 대표에서 꺼져라! 민간인 테러가 너무 심하다.
다른인물로 대표를 바꿔라!YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=RSeNVOVh4Ao
세계 요리 이야기가 나와서 하는 말인데, 조바이든과 함게, 민간인을 간첩보다 심하게 감시하는
밀착감시 김치녀 = 카멀라 해리스
카멀라 해리스 역시 한국을 아주 좋아하는 민간인 테러집단 (김치의 상징 = 조바이든+해리스)
전세계에 친한파 대통령들을 줄이지 않으면 전세계 민간인 학살은 멈추지 않고 계속된다.
(친한파 대통령들이란? 길거리에 자신들의 조직이 아니면 전부 정신병자로 분류해 병원+요양원에 감금해
시체처리+학살하는 세력)YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=NlZHRXByOag
外国の料理は、口にあわない。とくにヨーロッパの料理は、苦手
>>201
その料理の基準が、日本・中国・韓国で、韓国だけがおかしいのですよね。
「味の五味」として、日本と中国は「甘味・塩味・酸味・苦味・旨味」なのだけど、韓国だけは「甘味・塩味・酸味・苦味・辛味」と、痛覚でエンドルフィンが出てくるのを味としているんですよね。
たぶん、味覚が遺伝子的に北方遊牧民かシベリアか、そっち系統なんだと思います。- 207
名無し2025/01/11(Sat) 22:48:31(1/3)
このレスは削除されています
ちなみに、日本統治前の朝鮮半島の肉料理もありますが、基本はモンゴル料理からの亜流ですね。羊ではなく豚になったり牛になったりします。
ただ、豚肉も今の北朝鮮、半島の北東の方向で、かろうじて京城にもある事はある、というぐらい(それより犬と野鳥だが)。
これが1890年ぐらいから牛が出てくるが、これはロシア方面の影響だと思われる。開校した後、ロシアが韓牛を飼っていくのだが、これは畜産業というより、北方でも土地が荒れ禿山ばかりになり牛を飼うのも厳しくなり手離していた、というものらしい。また当時の畜産業も放し飼いであり自然繁殖しか出来ていなかったようである。
1890年ぐらいから牛肉が出始めて、大きな両班家だと牛肉を客がきたら出すというのがあるが、基本味付けは塩のモンゴル料理っぽいのですね。
唯一違うのが、薄く切って干してかちかちにするという乾肉(これはそれなりに美味しかったらしい)。
時代で違い、李氏朝鮮中期ぐらいだと鹿や馬、羊などが肉として出てきて、その次で牛。鶏はそれよりも低く、豚はさらに低くしか出てこない。この食肉の歴史も、土地の荒廃とどうも関係しているように見える。
また肉は中流以下が食べることは無理というようなもので、一般的に食べられていたわけでもない。
日本統治で畜産業を推奨して技術教えていくので、2.5~3倍の畜産数になっており、ここでやっと一般的に肉を食べる事が出来る環境になる。この日本統治での畜産には特徴があって、在来種は減らさないように管理しており、主に増加分は生産性のいい洋種という事ですね。韓牛を一定以上増やした後は、その数を維持できるようにしています。これは豚も鶏も一緒。
だが、この畜産業を叩き壊したのが、李承晩政権。まぁ、農業も叩き壊したのだけど。これが戻るのは1960年代、つまり日本からの援助が行われ始めてから。>>181
韓国は発祥だとか起源だとかいうが韓国には証拠不十分の為に発祥も起源も無い。
更にはその二つの他に「元祖」なる人物も存在しない。
カップラーメン等のインスタント食品の元祖は日清創業者「安藤桃福」氏のただ一人。
絶対にラーメンの歴史を語れないんだ!君たちはな。日本には沢山の元祖が存在する。それが強みでもある。
>>181
wikipediaでは『中国の福建式燜麺(メンミエン)が変化して作られた日本の長崎のちゃんぽんと異なり、韓国の仁川のチャンポンは中国の山東式炒碼麺(チャオマミエン)が変化して作られたが、日本統治時代に日本人たちが韓国の清料理店で販売するこの食べ物を見て「ちゃんぽん」と名付けた。』とあるが、嘘である。韓国の「チャンポン」は1960年代後半から生まれたものです。
韓国では「女性中央(여성중앙)」1971年1月号の雑誌に、家庭で作れる中華料理のレシピ特集があり、その中に「チャンポン(짬뽕)」のレシピが掲載されています。
この号の「家庭で作る中華料理」特集に、「짬뽕」のレシピが掲載されていました。以下、原文と日本語訳で説明すると。
【原文】
짬뽕
돼지고기(얇게 썬 것) 50g, 오징어(채 썬 것) 50g, 양파 1/2개, 양배추 1/4통, 호박 1/4개, 당근 1/4개, 부추 약간, 죽순 약간, 닭 육수 2컵, 간장 1큰술, 소금 약간, 후춧가루 약간, 식용유 약간, 면 적당량(만드는 법)
① 돼지고기와 오징어는 식용유에 살짝 볶는다.
② 냄비에 닭 육수를 붓고 끓으면 ①의 볶은 고기와 오징어, 채 썬 양파, 양배추, 호박, 당근, 죽순을 넣고 끓인다.
③ 간장, 소금, 후춧가루로 간을 맞춘다.
④ 면을 삶아 그릇에 담고 ③의 국물을 부은 후 부추를 얹는다.>>211
日本語訳すると、
チャンポン
豚肉(薄切り)50g、イカ(細切り)50g、玉ねぎ1/2個、キャベツ1/4個、かぼちゃ1/4個、人参1/4個、ニラ少々、筍少々、鶏ガラスープ2カップ、醤油大さじ1、塩少々、胡椒少々、食用油少々、麺適量
(作り方)
① 豚肉とイカは食用油で軽く炒める。
② 鍋に鶏ガラスープを入れて沸騰したら、①の炒めた肉とイカ、細切りにした玉ねぎ、キャベツ、かぼちゃ、人参、筍を入れて煮る。
③ 醤油、塩、胡椒で味を調える。
④ 麺を茹でて器に盛り、③のスープを注いでニラを乗せる。
このように明確に日本の「長崎チャンポン」からの派生料理である。この当時の資料での韓国の「チャンポン」には「長崎ちゃんぽん」という言葉が併記されている例が度々ある事も証拠になる。
麺自体が、日本からの技術提供で作られたインスタントラーメンである。
日本国外での生産は、明星食品が韓国の三養食品(삼양식품、Samyang foods)との合弁で1963年に三養ラーメン(삼양라면、Samyang ramen)の製造を始めたものである。明星からの無償技術供与であった。
韓国でラミョン(라면、ラーメンのらと麺の朝鮮語読み면(ミョン)の合成語)といえばインスタントラーメンを指し、生麺を使うラーメンは一般的ではない。韓国では、食堂や屋台でもインスタントラーメンを調理して客に出している。
ラーメンが初めて韓国に伝わったのは1963年9月15日であり、韓国のチャンポンが出てくるのは1960年代後半からである。>>213
1960年代後半から現れる韓国の「チャンポン」も、1971年の「女性中央」にレシピがあり、長崎チャンポンよりも薄味あっさりな料理で、今の韓国のチャンポンのように真っ赤なものではないですしね。
韓国の「チャンポン」は明確に日本の「長崎チャンポン」からの派生料理で、この当時の韓国の資料では「チャンポン」に「長崎ちゃんぽん」という言葉が併記されている例が度々ある事も証拠になる。
『中国の福建式燜麺(メンミエン)が変化して作られた日本の長崎のちゃんぽんと異なり、韓国の仁川のチャンポンは中国の山東式炒碼麺(チャオマミエン)が変化して作られたが、日本統治時代に日本人たちが韓国の清料理店で販売するこの食べ物を見て「ちゃんぽん」と名付けた。』と最近だと説明しているのだが、これは嘘である。
ここ10年20年で韓国人はチャンポンに過剰に唐辛子を入れ始めて、それの見た目が山東式炒碼麺に似てるから韓国人が言い出し、最近だと山東式炒碼麺の調理方法を真似し始めただけですし。キャベツなんかも日本統治時代に入ってきた野菜ですしね。
というか、「豚キムチ」や「豚キムチ炒飯」も、今調べている限り、日本の方が古くから出ているので、日本発祥っぽい。ちなみに、朝鮮半島の『冷麺』も新しい料理で、まだ150年経ったかどうかという所。
「ビビン冷麺」は「비빔냉면」と書くが、本来であれば「부빔」という語彙がきちんとあり「ご飯あるいは麺に魚肉野菜などを混じ調味する料理」と1920年にはあるし、「冷麺」も「링면」と語彙としてあるので、「부빔링면」とでも書くべきなものであり、ルーツはともあれ「新しい料理」である(また、「링(ling)」は中国語の「冷(lěng)」からで、「면(myeon)」は中国語の「麺(Miàn)」からで、どちらも外来語であり『링면』も借用語になる)。
そもそもだが、麺自体が新しい。蕎麦を原料にした押し出し麺は18~19世紀頃に朝鮮半島に伝わってきたもので、朝鮮半島では現代で言う「麺(細く長いもの)」は古くからあるものではなく、蕎麦粉に緑豆デンプンやじゃがいもデンプンを混ぜて作るネンミョンはその後に特に北方で発達したものです。
そこからさらに「冷麺」になるのは後で、冷麺自体が19世紀以降と近代からの食べ物である(朝鮮時代の後期あるいは末期からの料理であるが、まぁ、確かに「朝鮮時代から食べられていた」というのは間違いではない。それを言うならば、カレーやカツレツは1860年(万延元年)に福澤諭吉が発表した『増訂華英通語』に記載されているので、日本も「カレーやカツレツは江戸時代からあった」と言ってよくなるのだろうが)。ちなみに、冷蕎麦はまた別に単語がある。
「ビビンバ」と同じで、「빔」は「비비다」という動詞の語幹で「混ぜる」、「비빔」が「混ぜ」という意味になる。これはかき混ぜるという意味に「搅拌(jiǎobàn)」から来ている外来語である。つまり「攪拌冷麺」、これが「ビビン冷麺」であり、これも韓国ではこれを「固有語」としているが間違いで、外来語で発音をハングルで当て字したもので借用語です。
混ぜ麺という料理自体は中国から来たもので、冷やして麺を食べるという手法は日本から来たものです。そもそも、『麺』を「穀類の粉やデンプンに水と塩などを加えた生地を細く長く成形した食品」を指して「麺」と言うのは、日本式(中国では『面』になる)。朝鮮時代の『麺』という漢字は中国式の語彙としての「麺」で、「穀物粉で作った食品全般」を指す。そのため、朝鮮時代の資料にある「麺」は、現代で言う「麺」とは違う物も多い。ちなみに、韓国では「水豆腐(日本で言う絹漉し豆腐みたいなもの)」の発祥でも、創作捏造しています。
「井戸水と海水を使って偶然作られた」という俗説は、中国で豆腐を作られた逸話の変形にすぎないだろう。中国の逸話では「豆腐は豆の絞り汁(中国の伝統的な健康飲料である「豆漿」)に不純物が入った海水が誤って混ざり偶然発見された」というのがある。この逸話を朝鮮のものとパクったものだろう(この作り方は、固めな豆腐が出来る)。
実際、17世紀までの朝鮮の豆腐は日本の豆腐とは違う、中国と同じ水分量が少ない固い豆腐であった事は分かっており(当時の日本では既に水分量が多い豆腐である)、朝鮮では中国の作り方をしていた事が分かる。
朝鮮時代では『豆腐』は『豆泡』と書くが、これは茹でた豆ではなく水に浸した豆から作るからこそ(水に浸した豆からは泡が出る)だとも判る。それゆえ、水豆腐はそれ以降に出来たものだと判る。水分量が多く滑らかな豆腐は、その匂いから中国の石膏粉式ではなく、日本式なのでこれは日本統治時代に教わった(伝聞ではなく、正しく日本式の豆腐作りを教わった――日本統治時代に、日本式の豆腐を作る朝鮮豆腐株式会社が作られており、ここでの作り方の系譜が今の韓国の豆腐の作り方の大部分になる)ものです。
また、そもそもが間違っていて、『海水』を使うのは「島豆腐」とも呼ばれる『生搾り法』と呼ばれる作り方で、豆に水を吸わせ、そのまま煮ずに搾っておからと豆乳に分け、豆乳を煮てから『海水』を入れて脱水成型するもの。つまり韓国の俗説は日本でも従来からあるこちらの手法の事だが、この豆腐は固めの豆腐であり「순두부」つまり「水豆腐」とは違うものである(たぶん『にがり』を「海水から」という事しか知らずに捏造創作されたのだろう)。
しかし『にがり』を使う「豆腐」は『煮搾り法』で、豆を煮て、それを搾っておからと豆乳に分け、豆乳を煮てから『にがり』を入れて脱水成型し、水の中に入れエグミを取るというもの。
『にがり』だけを使うか『海水』を使うかの違いがある。
韓国の「水豆腐」の起源説が、その製法から「それ、絹漉しではなく島豆腐の作り方だから」と創作物と判るのですよね。たぶんだが、韓国というか朝鮮人が独力で何か文化的な物をほとんど作れない、料理もルーツが他国にあり、そこからほとんど変化がなく、せいぜい赤くしただけとか、模倣の範囲から抜け出していないものしか作れていないのは。
たぶんだが、その本来のルーツを大事にしない、起源などを捏造歪曲創作するという、昔からある「文化窃盗して自分が作ったと嘘を付く」という民族意識によるものだと思う。
これが「他国のものだ」と分かっていれば、そこから自分たち風に……という意識も出てくるのだが、それがないからだとは思いますね。ちなみに、日本ではよく知られる『チヂミ』は『지짐이』と書くが、これは慶尚道などの方言で、韓国で一般的には「전(jeon)」で「煎」と書く。
語源は中国語の「煎(jiān)」で、料理自体も中国由来の料理(小麦粉あるいは雑穀粉を薄く水溶きして鉄板上に流し焼きにした料理は中国北方に多い料理で、オンドルなどと同じく北方から来た料理)であり外来語です。>>202
高句麗の壁画なら、高句麗文化なので、そもそも韓国人やその祖先に関係がないですけどね。
高句麗は中国北東部の文化が多く流れ込んでいる場所で、高句麗があった時代は民族自体が今の韓国人の祖先とは違うので(血自体は混ざって入ってますけどね)。「ピビンバ」は「비빔밥(bibimbab)」と書く。
「빔」は「비비다」という動詞の語幹で「混ぜる」、「비빔」が「混ぜ」という意味になる。これはかき混ぜるという意味に「搅拌(jiǎobàn)」から来ている外来語である。つまり「攪拌飯」、これが「ビビンバ」であり、これも韓国ではこれを「固有語」としているが間違いで、外来語で発音をハングルで当て字したもので借用語です。
ちなみに、今の『ピビンバ』と呼ばれる料理は日本の料理の朝鮮風アレンジ料理です。似た料理に中国料理の朝鮮風アレンジ料理である「五目飯・부붠밥(bubwonbab)」「骨董飯・부빔人밥(bubimbab)」や日本から労働飯である「入飯・부빔메밥(bubimmebab)」というのもあるが、料理としてはそれぞれ違う料理である。
まぁ、簡単に言ってしまえば「日本料理の模倣」料理である。
というか、朝鮮では料理の名付けセンスがなさ過ぎなんですよね。骨董飯は中国の明の時代の「字学集要」に『骨董飯』と載っており、中国から来た外来料理。
1890年代に書かれた作者不詳の食べ物百科『是議全書』に書かれており、「骨董飯(골동人밥(goldongbab・コルドンバン)」と「부빔人밥(bubimbab・プブィムバプ)」として並んで記録されており、「ご飯に材料をすべて混ぜてごま塩と油を多く入れて混ぜ、器に盛る」と説明されています。混ぜた物が器に出される料理というので、これは「混ぜ飯」であり、明らかに『ピビンバ』とは異なるが、これを韓国では「今のピビンバと一緒」と無理矢理に起源説に繋げている記事もある。
韓国では一部で「料理の名前だけ同じで別の料理」などと言っているが、中国の「骨董飯」は「魚や肉など色々な物を飯と混ぜ合わせた料理」と、そもそもが「骨董飯」は「色々なものを混ぜ合わせるご飯」という意味なので、朝鮮時代の「骨董飯」も中国の語彙通りの料理であり、ルーツであるのは確実です。
「부빔人밥(bubimbab・プブィムバプ)」は別に料理名ではなく、「飯または麺類に魚肉・野菜などを混じ調味したる食物」を指す「부빔(bubim)」という語彙があり、「骨董飯」が「混ぜ合わせた飯を出す料理」という事を説明している俗名というだけである。その説明だけだと、『訓民正音』より古くに既にある、鎌倉時代(1185~1333年)に既にある五目ちらし寿司も入りますね。
「ご飯と具材を別々に炊き、それを合わせて混ぜるご飯料理」
「밥과 재료를 따로 끓여 합쳐서 섞부빔 밥요리」
だから「骨董飯」は「골人동밥(goldongbab)」という料理名以外に、「부빔人밥(bubimbab)」という俗称があるわけである。
朝鮮語ではそれがどう混ぜるかで、実は文字が違う(日本語でも「一緒に炊き混ぜる」か「別々に炊いた物を混ぜ合わせる」かで少し言い方が違うのと一緒)のだが、その言葉が持つニュアンスを今の韓国は失っているだけです。- 226
名無し2025/01/13(Mon) 01:47:45(2/3)
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>>225
料理としては「ピビンバ」に近いですが、料理として出される形が混ぜ合わせた後の形か。それとも混ぜ合わせる前が料理が出される形で、それを自分で混ぜ合わせて完成させる料理か。料理の形態はまるで違いますね。これは「ピビンバ」という料理においては大きな差で、昔にあった話だと、今の「客が自分で混ぜる『ビビンバ』」を出すと「出来ていない料理を出すのか」と客が怒ったというものや、逆に混ぜ合わせた物を店が出し客が「ピビンバじゃない」と怒り狂った事件がありましたね(「口に入れたら一緒だろう」と店がのたまったが、「料理を出す形」をきちんと気にするか、そこから『客に出す料理か』を考えているかどうかですし。まぁ、食欲が湧くかどうかなども影響しますね)。
前に、中国式のピビンバが韓国ドラマに出てきて物議を醸しだしたそうだが、「ピビンバ」の起源を「骨董飯」だと韓国が主張するなら、そのルーツは中国になります。
「朝鮮末期の東国歳時記(1849年)によれば江南(揚子江)地方では伝統的な食べ物として盤遊飯が良く作られており、これが骨董飯である」と書かれているものもあるが、これは間違った記載である。『盤遊飯(パンユファン)』は、食事の代わりに食べる軽い食物や、料理の後に出てくる菓子を指している。ちなみに。
焼肉の「カルビ」は、和製朝鮮語です。
日本には大正と昭和のちょうど間ぐらいに朝鮮から来た単語で、元々はモンゴルの「牛の肋骨」を指す言葉。これが元で朝鮮に伝わり、朝鮮では「肋骨」や「肋骨とその周りの肉」を指す語彙になっている。wikiなどで「カルビ」を朝鮮を語源としているのには眉をひそめている(明確にモンゴルからだと分かっているのに)。
この「カルビ」、日本に来るとたちまち、主役であるはずの『肋骨』を除いた『肋骨周りの肉』、つまり朋腹と呼ばれた辺りに国をハイカラに呼び出した、和製朝鮮語になってしまう。カルビ専門店などもできて、人気が高かったようである。
これが焼肉(焼肉も明治時代初期には既にある呼び方)の部位として1960年頃から韓国に伝わるが、そこまで人気がなく。それよりも豚焼肉を真似したサムギョプサル(日本の三枚肉を語源とし、それを朝鮮語読みしただけ)やプルコギ(日本のジンギスカンの模倣料理。公表もきちんとしている)の方が人気。韓国で焼肉が人気になるのは1980年代、韓国内で日本のODAで作られた養豚が軌道にのり、豚肉が安価で安定して供給が出来るようになってから。サンチュなんかで包んで食べる方法もこの頃に考えられたものですね。
ですので、昔は「カルビ」に対して「骨がないからカルビじゃない」なんて声を挙げる在日朝鮮人なども居ました。しらんがな朋腹なんだから。>>228
最近の韓国では『李氏朝鮮史料に「曷非」や「乫飛」とありこれがカルビの語源だ』と言い出している俗説がある。
これは読み方が似ているだけで意味が全く違う。「曷非」は朝鮮語発音の仕方の説明の1つであり、「乫飛」も意味はまるで違う上に、この文字は古中国の史料に出てくる言葉であり、それなら「カルビ」は中国が語源になる。
結局は書かれている史料の中身がきちんと読めないのでこんな俗説が生まれているのだ。
ちなみに『雅言覚非』に『曷非』の説明があり、その当時の朝鮮語の発音の乱れを著者は憂いており、正しい朝鮮語の説明の為に作られた書物である。『雅言覚非』では『曷非』の説明があり、「凡そ生あるものは、気によって声を発し、口の形によって音が異なる。この音声の違いを区別して記すことを、曷非という。」「清音、濁音、半濁音、および曷非は、朝鮮語の音韻体系を構成する基本的な要素である。」と説明されているように、『曷非』は朝鮮語の発音の仕方に関する単語である。
その記載を文字の音だけを取り上げ意味を歪曲し、捏造された説のソースに利用されるとは、亡くなった著者も深く嘆き悲しんでいる事だろう。
この「曷非」については韓国の著名な言語学者である李基文が記している書物『韓國語史』(一志社)内の「中世韓国語の音韻体系」でもあるのだが、「曷非」を「有声破擦音と摩擦音の総称」と定義し、古朝鮮語における音韻体系の中で重要な役割を果たす音素であると説明している。また、鄭鉉 『朝鮮語史』の「古朝鮮語の音韻体系」では、「曷非」を「有声子音の一種」と定義し、「雅言覚非」における「曷非」の記述との関連性を論じており、古朝鮮語から中世韓国語への音韻変化においてどのように変化したかについて詳細な分析を行っている。
それにも関わらず、そんな説が堂々と言われる事が、今の韓国における識字率の根本的な問題になっている。
「乫飛」については、中国で幾つかの研究論文が存在する。
・「乫飛」が地名に用いられた例を多数挙げ、その意味が「高い場所」「鳥が飛び交う場所」などを指す。
・「乫飛」が老荘思想において「精神的な高揚」や「自由」を象徴する言葉として用いられた。
・「乫飛」が漢詩で「速さ」「激しさ」を表す言葉として用いられた。
と、色々と言われているが、動きだしそうな様を表しているのは同じようです。>>229
下らないのでここには書かないでくださいね。
ブロック基本的に、韓国が唱える説は、その多くが俗説で創作物ですね。
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名無し2025/01/13(Mon) 23:46:14(3/3)
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