一般的な韓国人は、論理に根拠を必要としない
論理の前提は感情論
「○○が憎いnida!」「○○が誇らしいnida!」
むしろ、結論が前提(根拠)まである
「○○は悪者nida!→だから、○○を叩くのは正義nida!→悪者を叩くなら、証言が嘘でも認めるnida!」
「○○が誇らしいnida!→だから、○○を叩くのは悪nida!→○○を叩くなら、証言が本当でも認めないnida!」
つまり、韓国人の論理とは「その人が感情的に認めるか否か」である
韓国では、日本や欧米とは「論理」の意味が違う
韓国人にとって、韓国人が認めれば論理的で、韓国人が認めなければ非論理的
韓国人にとって、事実か嘘かは問題にならず、自分が認めるか否かが大切
これは孔子の呪いでもある
自分が優位に立つなら認めるし、自分が劣勢に立つなら認めない
事実か嘘かは問題ではなく、自分達が上になるか下になるかが判断材料
主に儒教に基づく感情論、拒絶、分断、陣営対立
韓国社会の日常風景である
そこに理性はない
願わくは、それは韓国社会の中だけで完結させてほしい
日本やアメリカなど、諸外国には関わらないでほしい
「慰安婦」強制連行説は「日韓離間工作の道具」
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