慶州(キョンジュ)の新羅の巨大な墓の一部が近い将来開かれる見込みだ。どのような遺跡と遺物が出てくるだろうか。金冠だろうか。金尺だろうか。石塚だろうか。石室だろうか。
ここのところ新羅の古都・慶州が騒がしい。最近、市内の西側に位置する新羅の大型古墳の画期的な発掘の知らせが伝わり、文化財学界の台風の目として浮上した。2年前の台風ヒンナムノー(台風11号)が朝鮮半島を襲い、そのときの強風と豪雨で墳丘墓の一部が崩れた慶州西岳洞(ソアクトン)の古墳群のうち最大の王陵級の墓である4号墳で、4~5月に復旧整備のための発掘調査が行われたところ、学界の通説を覆す墓の構造が確認されたのだ。激しい論議とともに学術発掘を行う必要があるという声が噴出している。
市郊外の乾川邑(コンチョンウプ)の金尺里古墳群でも、国の研究機関が乗りだし、解放(日本の敗戦)後では初めてとなる学術目的の大規模な企画発掘調査に着手した。古代遺産の中心地である慶州で、1970年代以来約50年ぶりとなる大型古墳の発掘調査が本格化する様相をみせている。学界は非常に興奮した雰囲気だ。
日帝強占期(日本による植民地時代)から発掘の必要性が提起されてきた歴史があるが、解放後初めて遺跡の歴史的意味を究明するための学術発掘を始めたという面で、意義深いと評されている。現在まで全部で53基の大小の古墳が把握されているこの遺跡は、慶州郊外周辺の古墳群のなかでは最大規模の遺跡で、慶州中心部の大陵園の古墳ともある種の関係があるだろうという推定が提起されていた。
古墳群のうち東側の高地帯にあるひょうたん型の瓢形墳である48号墳が、有力な発掘対象の遺跡として指定されている。研究所のある関係者は「石塚が積み重なった積石木槨墓の遺跡であるため、植民地時代から1980年代まで様々な盗掘犯の侵入を受けてきたが、無事であることが分かっている。金銅冠やガラスの遺物のような様々な高級副葬品が出てくる可能性が非常に高いとみている」と述べた。
https://www.hani.co.kr/arti/culture/culture_general/1143423.html中国経由で入ってきたも物の模造品を作ったとかそういう可能性だってあるわけだし
例示的に言えば日本の火縄銃
日本の戦国時代に使われた火縄銃はほぼすべて日本製だし
西洋人が日本で作ったわけじゃない
そういう発想が無くスキタイの末裔が朝鮮にやってきたと飛躍するのが韓国人
距離的に無理だろと考えるほうが自然だよ>>115
당시 유리공예는 서방세계가 아니면 불가능했다.
그부분은 너의 의견이 옳다.単に金を再利用する技術がなかったんじゃないかって気がしてきた
金が豊富にある所なら別だけど、そうじゃない所って鋳つぶして新しく作り直す事も多い
金の加工技術が無かったからそのまま残ってただけなのでは
実際、後に貨幣経済が衰退して物々交換が主になってたりもしたし>>114
모든 신라인이 그런 것은 아니지만 신라인의 대부분은 중앙 아시아에서 이주한 자들의 후예라 그쪽의 유전자나 문화의 흔적이 보이는 경향이 있다.
하지만 문화와 정체성이 다른 사람들도 많이 섞여 있었으므로 민족의 정체성은 아직 형성되지 않았다.>>119
それって韓国では通説なの?(笑)>>118
전한(前漢) 지절(地節) 원년 임자(기원전 69) 3월 초하루에, 여섯 부의 조상들은 자제를 거느리고 알천(閼川)의 언덕 위에 모여서 의논하여 말하였다.
“우리들은 위로 백성들을 다스릴 임금이 없어서 백성들이 모두 방자하고 안일하여 제멋대로 하고 있소. 그러니 어찌 덕 있는 사람을 찾아 임금으로 삼고 나라를 세워 도읍을 정하지 않을 수 있겠소?”
그래서 이들은 높은 곳에 올라 남쪽을 바라보았는데 양산(楊山) 밑에 있는 나정(蘿井)가에 번갯빛처럼 이상한 기운이 땅에 드리워져 있고, 한 백마가 무릎을 꿇고 절하는 모습을 하고 있었다. 이윽고 그곳을 찾아가보니 자줏빛 알(푸른빛의 큰 알이라고도 한다.) 하나가 있었다. 말은 사람을 보더니 길게 울고는 하늘로 올라가 버렸다. 그 알을 깨뜨리자 사내아이가 나왔는데 모습이 단정하고 아름다웠다. 모두들 놀라고 이상하게 여기며 아이를 동천(東泉)에서 목욕을 시켰는데, 몸에서 광채가 나고 새와 짐승이 따라 춤을 추었으며, 천지가 진동하더니 해와 달이 맑고 밝아졌다. 그래서 이름을 혁거세왕이라고 하였다>>114
韓国人のDNAがという主張は怪しいからね
他の国が検証しないと駄目じゃない?国民感情が科学的分析より優先されるお国柄だろ
ソメイヨシノの起源説を唱えたときも韓国国内のDNA検査の結果を国民感情で捻じ曲げて
韓国の王桜と日本のソメイヨシノは同一だと主張してたよね>>119
それは冕冠ね(笑)
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%86%95%E5%86%A0_(%E4%B8%AD%E5%9B%BD)고대 반도의 말은 말을 타고 나무 아래를 지나갈 수 있다고 하여 과하마 라고 불리기도 했다.
고대 지배자들은 자신의 탄생에 대해 신비한 느낌을 주는 설화를 지어내어 사람들이 따르도록 했다.
주로 알에서 태어났다는 이야기를 많이 만들어냈다.
혁거세 마립간도 그중 하나이다.문무왕의 비문에는 <삼국사기>에는 없는 그의 출자(出自)에 대한 비밀이 적혀 있었다. 이 비문에는 문무왕의 선조를 중국 서북지방에서 살다가 중국으로 귀의한 흉노인인 소호금천(少昊金天)씨와 김일제(金日磾)라고 했다. 자신들을 흉노의 후예로 자처한 사람은 문무왕만이 아니었다. 신라를 대표하는 학자 김대문이나 당나라로 이주한 신라의 김씨 성을 한 부인의 묘비에도 똑같이 자신들을 흉노의 일파라고 적은 기록이 있다. 그리고 이런 전통은 통일신라 내내 이어졌다. 아마 당시 신라의 왕족 김씨들 사이에서 자신들을 흉노의 후손으로 보는 생각이 널리 퍼져 있었던 것 같다.
문무왕릉비에는 신라인이 생각하는 자신들의 기원을 더 구체적으로 추정할 수 있는 글자도 있다. 그의 비에는 진백(秦伯)이라는 사람도 나온다. 이 이름은 ‘진목공’(秦穆公)을 의미하는데 그는 진시황의 22대 선조로 중국 서부에서 유목민들을 평정하고 진나라를 강대국으로 만들었다. 중국 서북지역은 중앙아시아의 황금문화와 쿠르간이 중국 북방을 통해 만주와 한반도로 이어지는 지점이다. 진나라는 바로 유라시아 유목문화의 발달된 황금과 기마술을 받아들여 나라를 발전시켰다. 문무왕이 진목공을 선조로 보았다는 것은 단순히 흉노라는 국가를 선조로 생각한 것이 아니었음을 의미한다. 신라의 조상으로 주로 언급되는 김일제라는 사람도 흉노 중에서도 예전 진나라의 영역이었던 중국의 서북지역에서 활동하던 사람이었다. 신라는 막연하게 초원의 유목민을 생각한 것이 아니었다. 중국의 서북지역에서 살면서 유목문화를 받아들여 국력을 강성케 한 진나라와 그 안에서 활동하던 흉노 계통의 사람들한테서 신라의 모습을 찾았음을 의미한다.朝鮮には古代の史書ないし
韓国人が古代を語ってもまたファンタジーですか?妄想ですか?とまず思われることを理解してね
なにせ50年ぐらい前の事実さえ認めない連中がどれだけ歴史を装飾するか
日本人はひやかし半分でその主張を楽しむのだぞ
朝鮮人自身が漢字を棄てて歴史から逃げたんだから、もう何も残らんよ。
>>128
コピペ君
https://www.hani.co.kr/arti/PRINT/947012.html
これが真実なんです!(笑)スキタイと新羅の関連性を主張するならその周辺やら民族が移動した地域にも
同様な遺跡が分布していているとか過程が推定できるとか
そういう証拠が重要だとおもわない?
それを提示しないと一般的な日本人は信用しないのよ今日の韓国人の名言
金冠が韓国産の理由は韓国で出土したから!
韓国人の名言がまたひとつ…日本人は正倉院にペルシャの遺物があってもペルシャ人が日本まできたとは思わない
こういう感覚が日本人と韓国人の違いだよな금은 질기면서도 녹는점이 낮기 때문에 고대에도 높은 완성도의 금 세공품들이 많이 만들어졌다.
한반도에서는 고대 왜인들이 진출하지 않은 곳에서도 각종 금속 가공품이 있었고, 금속이 화폐로서 기능했으며, 이미 고조선부터 청동기를 자체 생산하는 능력이 있었으므로 흉노 evenki족에게도 자체적인 금속 가공 기술이 있다고 보고 있다.国際的な国家が朝鮮半島にあったとか
偉大な歴史があったとか
いつもやりだす過剰に強調し日本より上と言う韓国人の習性だろうね
生産性が低い国土で文化や軍事力など力がある国ができるわけないだろと日本人は考える
現実的視野で物事の妥当性を考慮する>>135
根拠ねぇ
じゃあ具体例で示すけど、まずその神話のうち鳥と獣が踊るという点
これは中国における瑞獣、瑞鳥を指していると思われる
特に鳥が先に来ているのは鳳凰を意識している可能性が高い
これは中国において鳳凰とは聖天子が生まれたときに現れるとされているためで、この辺りにも中華の影響が見て取れる
馬は去り、その代わりに中華の影響である瑞獣の要素が残る事を見ると、神話の類型として中華文明圏に組み込まれた事を示している
これだけでも中国からの影響が大きいって事は判別できると思うが
朝鮮民族全体にとって、FACT──所謂真実というものは、
爪の先程もない朝鮮理性を簡単に溶かし尽くしてしまう、猛毒なんですww
>>1
1949年の太平洋戦争終戦時の歴史さえ事実を改変し、捏造する朝鮮民族の考古学等、全く信用ならない。朝鮮半島南部の「前方後円墳」さえ、「古代日本の痕跡ニダ」として埋め戻し、証拠を隠滅する国だよ。황룡사(皇龍寺)는 매우 큰 규모의 사찰이었습니다. 특히 황룡사 9층 목탑은 높이가 약 80m에 달하는 대형 건축물이었습니다. 또한, 황룡사 금당의 하층기단 규모는 55m x 30m에 달했으며, 전체 건물 크기는 조선시대 경복궁 근정전보다 컸다고 합니다.
황룡사의 주요 시설과 규모:
황룡사 9층 목탑: 높이 약 80m, 상륜부 15m, 탑신부 65m.
황룡사 금당: 하층기단 규모 55m x 30m.
기타 시설: 경루, 종루, 회랑 등 다양한 건물들이 있었으며, 사찰 전체의 규모는 경복궁 근정전의 2배 이상이었다고 합니다.ウリナラ朝鮮の塔は東アジア第2位だったニダ
2位でいいのニダ ホルホル>>146
조선이 아니고 신라다.墳丘内部の多重構造: 想定より複雑な構造や異なる時代の追葬が見つかり、単一の墓ではない可能性。 非王族の墓の可能性。文献史料との齟齬: 特定の王の墓とされてきた場所に年代が合わない遺物が出土し、文献記述の再検討を迫る。異民族との交流を示す遺物、新羅の国際性や文化の源流に関する見方が更新される可能性。
こうした発見は、実証に基づいた厳密な検証が新羅研究に不可欠であることを示している。民族主義の更新、朝鮮半島各地での活発な発掘調査は、従来の歴史像、特に民族主義的な歴史観に大きな影響を与えている。初期国家形成期の再評価、伽耶地域で発見される大規模遺跡は、伽耶が独立した高度な政治体であったことを示唆し、従来の「新羅中心史観」に揺さぶりをかけている。百済、洗練された文化や中国・日本との活発な国際交流の痕跡が、百済の国際的役割の再評価を促している。高句麗、 広大な領土と強大な軍事力を示す発見は、「北方の民族」としての民族的アイデンティティを補強する。新羅、地方遺跡からの発見は、新羅が多様な要素を内包しながら発展した、より複雑な統一国家であったことを示す。民族主義的な歴史観の更新の方向性、「単一民族」神話への問いかけ: 古代が多様な集団の混交や交流の上に成り立っていた可能性を示唆し、近現代のナショナリズムの根幹にある認識に修正を迫ります。他国との関係性の再認識、活発な国際交流の証拠は、古代国家が互いに影響を与え合い、協力関係も築いていたという、より多角的で複雑な東アジア史への理解を促す。「内発的発展論」と国際性、自国の発展を強調しつつも、他国との交流が必要であった国際的な側面も強調され、排他的な民族主義を克服する材料となり得る。
歴史の「定説」を揺るがす発見の意義
慶州王陵での発見は、韓国社会が依拠してきた「新羅の定説」を揺るがし、ひいては民族主義的な歴史観の更新を迫る可能性はある。
政治的目的のための歴史利用ではなく、科学的証拠に基づき、より正確で多角的な歴史像を構築しようとする努力は、健全なナショナリズムの発展と、国際社会との対話のために不可欠。>>148
朝鮮半島の南部は日本の朝貢国だぞ?
大韓民国とは全く無関係だぞ?
後継性を語れないだろ?>>148
新羅の黄金冠 中央アジアや西方文化との関連性を見る説は、韓国でもある。これは、新羅文明の独自性を強調したい民族主義と、外部起源を指摘する学術的見解の間の緊張関係をうむ。
新羅黄金冠のデザインや技法に、朝鮮半島の他地域や同時代の中国・日本には見られない特徴がある。デザインの類似性「生命の樹」モチーフ、冠の樹木状の飾りは、シベリアや中央アジアの遊牧民族文化に共通するモチーフに酷似しています。鹿の角の表現、 鹿の角を思わせる形状も、北方ユーラシアの遊牧民族の重要なモチーフです。素人にも分かる例は、遠く離れた地域のお祭りの飾りが、新羅の冠とそっくりなデザインであるようなもの。材料と加工技術の共通性「グラニュレーション(粒金細工)」:微細な金の粒を溶接する高度な技術が、古代オリエントから中央アジアを経て東アジアに伝わったとされるもの。素人にも分かる例えは、ある地域独特の難しいお菓子作りの技法が、遠く離れた新羅でも使われていたような状況。これらの類似性は、ユーラシア大陸を東西に横断する「ステップ・ベルト」を通じた古代の文化交流ネットワークの存在を示唆している。
なぜこの説が韓国で「批判」されるのか?民族主義との葛藤「外部起源説」が批判されるのは、民族のアイデンティティと歴史認識に深く関わるため。「自力発展」神話の揺らぎ、朝鮮の民族主義は、自国文化が独自の力で発展したという「内発的発展論」を重視します。象徴的な黄金冠の起源が外部にあると示唆されると、「自力発展」という民族的自尊心に挑戦すると受け取られがち。「独自性」の強調:、外部からの起源を認めることが、文化的な「劣等性」や「模倣」と誤解され、「独自性」が損なわれると感じる人が多い韓国。
技術者やデザイン「外部起源」は、あくまで科学的な説であり、新羅文明の価値を貶めるものではありません。むしろ、新羅がユーラシア大陸の広範な文化移動ネットワークの点の一つであり、様々な外部要素を独自に消化・発展させた国際性豊かな文明であったことを示唆する。
科学的発見が「定説」を揺るがすとき、感情的な批判に流されず、開かれた心で新たな証拠を受け入れ、多角的な歴史像を構築しようとする姿勢こそが、真の学術的探求と成熟した民族主義に繋がりる。>>144
韓国の塔は、なんか、ずんぐりむりむっくりで美しくないな。
まるで韓国人そのもの。善徳(ソンドク)女王(在位632年 - 647年)は、
新羅の第27代の王で、新羅初の女王だった。
善徳女王は仏教の保護にも熱心であり、
645年3月に皇龍寺の九層塔を創建した。新羅に善徳女王が皇龍寺の九層塔を創建した645年、倭国では乙巳の変(大化の改新)が起こった。
当時の倭国では、蘇我入鹿が天皇をしのぐほどの政治力を持ち専横を極めていた。
645年6月12日、来日した三韓(新羅、百済、高句麗)の使者が進貢(三国の調)を行う三国の調の儀式が朝廷で行われた。
中大兄皇子と中臣鎌足らはこの儀式に出席した蘇我入鹿を殺害した。
このクーデターを乙巳の変(大化の改新)という。>>154
蘇我入鹿暗殺の理由は、通説的な「権力集中への反発」という国内要因だけでなく、「国際時代」東アジア情勢が強く影響していたと考えるのが妥当です。
対外政策路線の対立。国際情報と技術掌握を巡る思惑。 律令国家建設という国際競争戦略。
旧態依然とした豪族連合体制百済偏重を打破し、唐・新羅との融和、天皇を頂点とする強力な中央集権体制を早急に確立する必要。情報と技術を皇室の管理下に置き、国家全体の利益のために活用することを目指したため、渡来人ネットワークの入鹿を排除。
高句麗、百済、新羅の危機、唐を牽制し融和の倭国。推古天皇の摂政の聖徳太子と大臣の蘇我馬子は協力し、それまで百済一辺倒だった外交をやめ、西暦600年(推古天皇8年)に第1回遣隋使の派遣を行い、その後も何度か遣隋使の派遣を行った。
また広開土大王の時代以来敵として戦ってきた高句麗とも国交を持った。
聖徳太子は高句麗から渡来した僧である慧慈(えじ)を師として仏教を学んだ。
この聖徳太子の時代以降の蘇我馬子、蘇我蝦夷、蘇我入鹿と続いた蘇我氏の外交に対して、中大兄皇子(後の天智天皇)や中臣鎌足(後の藤原鎌足)らが、以前の百済中心の外交に戻そうとして乙巳の変を起こしたと考えられる。
しかし百済は後に隋に代わって中国王朝を建てた唐と新羅によって滅ぼされた。
中大兄皇子は百済を復興しようとして朝鮮半島に大軍を派遣して唐と新羅の連合軍と白村江で戦ったが大敗北した。
そのため倭国は唐が攻め込んで来るかも知れないとしばらくの間怯え、対馬や太宰府、そして瀬戸内の各所に防衛ための城を築いた。>>157
朝鮮王族と朝鮮人の違いは何?>>157
スキタイが黒海沿岸から半島まで移動したという痕跡は?>>160
だから黒海北部沿岸から半島まで移動してくる間に彼らが残した痕跡はどこにあるか言ってみろよ。
ワープして突然半島に現れたわけじゃないから、途中に存在した異民族と戦ったり一時的に滞在した土地に彼らの文化を示すような遺跡や遺物があるだろ。
剝がされた「慶州王陵」で驚きの発掘…1500年の新羅の墓の「定説」揺るがす
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