夜露死苦!
読むのはだいたい行ける
書くのは辞書をお供に
でもイメージは湧く最近はパソコンのせいで漢字は読めるけど書けなくなった人が増えたかもですね。
字もヘタクソな人が増えましたし。新聞の漢字は殆ど読めるけどメモ取る時は平仮名が多いな。
瞬間的に漢字が書けない時が多々ある。韓国で500字なら、かなりすごいですね。
日本の常用漢字が2,136字だから、日本の小学校中学校で、普通に勉強していれば、知っている漢字は、2,136字+α
学校では習わない漢字で使う機会があるものや、大学で専門の勉強をすれば、新しい漢字を知る機会もあるので(法律用語等の漢字)実際はもっと増えると思う。2500字位じゃね?
>>1
日常的に漢字に触れる機会が無い環境で五百字とは素晴らしい!!
自分が生まれて初めて覚えた漢字は、街中の交通標識に在った「止まれ」の「"止"」の文字でした。車用の一旦停止を促す指示標識ですから、大人が読んでいる音と文字が結び付いただけで、その意味を知ったのは母親に読んでみせてからですが、日本ならそんな形でも自然に感じに触れ身に付くものです。そんな環境で日本では小学校に入学し、1年生で80文字、2年生で160字、3年生以降で200字ずつ程度を学習し中学生に成ります。中学からも漢字学習は続き社会生活でも知らない漢字に出会う度に覚えていきますが、「漢字の書き取り帳」に漢字を書いて書ける様にするのは小学生迄ですから、基本、ここ迄記憶すれば、あまり困りません。後は、知らない漢字でも音読みなら旁が共通のものと同一のことが多いので読んでしまえば、日常生活で流れる情報から自然に意味も繋がって参ります。
日本の漢字教育は、この程度に子供の成長に合わせ、生活環境からゆっくりと学び取るものです。
自分は勉強好きでは在りませんでしたので、学年に合わせて全て読み書きが出来て行ったことは在りませんでした。漢字に触れる環境にあれば、後追いで自然に埋まって行ったというのが実際のところですね。
日本の昔の新聞には漢字の横に仮名文字のルビをふるのが一般的でしたから、今の韓国でも、対象とする読者の過半が違和感が無い程度の漢字は常用しルビを添える様にすれば、数年で景色は一変すると思いますよ。盧泰愚さん、何かでやってみませんか?漢字検定1級の問題は半分程度は書けないし、読めない。
2級などだと全く問題ない。>>4
今は、漢字を手書きする時代じゃありませんよ。
キーボードを叩いて変換キーを押して選ぶものです。ですから、システムの漢字力で、書ける漢字が決まってしまう。だから、通常は実力以上に漢字を巧みに駆使出来ても、通信が切れると、途端に書ける漢字が激減し、当て字に成る確率も増加します。
手書きメモは、会議やセミナー等の場面が殆どなので、人が読めない略字と仮名なので書いているうちに入らない。
それが、今の日本人じゃないのかな(笑)。>>11
正解は”あなあきい シティ(city)"です。
俗に言う当て字という物ですが、これも日本の文化です。>>19
漢字は準一級が半分読めれば新聞等で困る事は無いでしょうね。
まあ、一級でも「僭越、匍匐、軋轢、竦然」なんて割と使う熟語があります。
漢字検定準1級問題
http://kanken.jitenon.jp/mondai1z/朝鮮
韓国
断交
覚えてね>>20
ご反応有難うございます。前半のみ確認しました。
確かに、雌蕊、箪笥等、今でも日常会話で使う言葉の漢字も在り、知っている方が良いものも在るけれど、多くは古典や漢文中に出て来る程度の漢語が多いかなとの印象ですね。ハッキリ言って、この田舎者には、読みを読んでも意味の浮かばないものすら在り、良く言えば、日本語文化の計り知れない時空の大きさを感じます(笑)。
「相手が読めて、意味が伝わる」これが、文字言語の役割です。
国文学研究者間なら当たり前の文字言語でも一般人には、その文字言語の概念すら存在しない、或いは必要すらしていないものが在ります。準一級の問題を観る限り、その辺りのカテゴリーへの意識は無い様に見えます。
学習意識を持たせるシステムとして検定が機能してすることは認めますが、識字水準とし提示するには適さない基準かと思えます。少なくとも、スレ主やここにお見えの韓国人の皆様には、過剰な印象を与えるだけではないのかな。>>15一つも読めねえぜこんちくしょう・゜・(つД`)・゜・
>>15
ぜんぜん読めねえょ>>20
やばい、二、三割がやっとだ。貴社の記者が、汽車で帰社した
「営業中棒子与狗不得入内!」
中国のホテルで、最近このような看板が出てるらしい。
まあ韓国人は読めないだろどうせ。仏恥義理 蹉䵷怒 出 昭和 夜露死苦( ・`д・´)
>>17
小学校で学ぶ「教育漢字」と「中学校で習う漢字一覧( http://kanjitisiki.com/tyugako/ )」が読めれば、専門分野の文献を除き、違和感無く読み進めることが出来ます。少なくとも日本語の日常語彙はこの範囲で必要十分と思って貰って構いません。
改めて、眺めて試ると、「鬱」等読めても「書いて」と言われると「憂鬱」な気持ちに成る文字等は、識字率が下がるので「鬱病」は「うつ病」とかな書きされることの方が多い状態です。この文字は書いたことは無い気がします(笑)。
また「褒美」の「褒」の字等は、頂くことが無いからか、単独の「褒」一文字のみがいきなり出てくると、「?」と成ってしまいますよ(笑)。
実際のところ、漢字一文字で用いられる漢字も在りますが、他の漢字との組合せでしか使われない漢字も多く、視覚的認識では「褒美」で一字で読んでいると思って頂いて構わないかと思います。「人間万事塞翁が馬」「馬耳東風」「四面楚歌」「傍若無人」等、故事に由来する「故事成語」は、文字一つの意味とは遊離した意味を表現するものなので、その構成文字は視覚的には文字の一部の偏(へん) · 旁(つくり) · 冠( かんむり) · 脚(あし) · 構(かまえ) · 垂(たれ) · 繞(にょう) 、冠と同格に成ります。これはハングル表記でもイメージ的には、ほぼ同じかな?
しかし、漢字の場合、それが一文字の漢字にも言えることで、発音も似た漢字は同じ「音読み」で良い事が多く、意味は亻彳阝釒糹忄訁偏や冖宀艹冠、广垂れ、辶繞等の追加置換えで意味が変わります。つまり必要な漢字は沢山在りますが、「教育漢字」に在る基礎的な漢字さえ覚えたら、少なくとも音読みの憶測は応用で出来るものが多く、憶える手間はかかりません。憶えるのに必要なのは使う環境のみです。因みに、個人的な経験では、中学1〜2年にも成れば、一般人向けの新書本(岩波新書等)は読んでましたし、社会研究で、新聞社の資料室で調べ物をするのも困ることは在りませんでした。
この頃になると、日本語習得も、言葉の意味を別の言葉で言い換えたり説明したりすることが可能になりますので色々と応用も効く様になりますから、語彙的にも漢字力的にも臨界点に達したと言っても良いのでしょう。
漢字を日常的に使う環境を作り、教育漢字程度がほぼ読める様に成れば、自分の漢字力は気にならなくなるものと思います。
無論、日常生活で必要な漢字は、最大でCJK拡張で規格された物迄在ることは事実です。人名になると、為替取引で有名な「ミセス・ワタナベ」も漢字で書くと無数の組合せが在ったりします。渡辺、渡邉、渡部、渡邊とカナ漢変換でも出てきますが、それだけでは在りません。しかし、これは固有名詞に限られたもので、特にお付合いでも無い限り、わたなべさんは、第一候補の渡辺さんのみで通りますから、気にすることではありません。漢字に囲まれた環境は、日本語や中国語を学ぶのも一つの方法かもしれませんが、それよりは、皆様の曾祖父母から親の世代の皆様が遺した著作物の中から、興味の在るものを選択して読むことが最も効率的でしょう。近現代史に興味が在れば、過去の新聞等を年表と照らし合せれば、当時のマスコミの事件への認識も判ることでしょう。
日本人の自分には読めませんが、日帝統治期にも、漢字混じりの文章は遺されていたりもします。そんなものを漁るのも良いかもしれません。
「尹文学士遺稿」(尹瑢均 著 朝鮮印刷 昭和8) 181頁「茶山 의 井田考」( http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1208639/99 )
この書籍自体は。確か?仏教弾圧スレ辺りで提示したものですが、遺稿ということで、その巻末には、この様なものも掲載されています。あの時代にはあの時代なりに、この方の様に将来を期待された「朝鮮人」も居ました。文化を担っていた方も居ました。
李承晩により、その様な半島民の本当の業績は、否定されましたから、今の「韓国人」は知らないことも多いでしょう。当時の半島内での「朝鮮人」の実際の歩みをその価値観で眺めてみることは、その時代の等身大の歴史を知る為には、とても有意義なことかと思いますよ。>>32
대단히 잘 쓰네.>>32
実際に、半島の古文書を時系列的に並べて見てから言ってるのかな。煽りにも程というものがあるぞ。
また、「書道」と言う呼称は日本、大陸では「書法」と言ってますね。「書道」が半島に在ったのなら、何れの呼称で、何時頃から出現したのでしょうね。先ずは、この確認が必要です。
さらに、半島起源を言うには、少なくとも「書聖」と呼ばれる「王羲之(303〜361年)」より前に、それに匹敵する筆跡を遺し、その模写が伝えられて居るのでしょう?硯は?墨は?筆は?紙は?それぞれの歴史との符合も必要だ。少しは考えてからにして欲しいものだ。>>1
漢字をただの記号として知るだけじゃだめ。
その意味を覚えると、一気に理解の幅が広がる。
漢字は奥が深い。>>35
「彦」(ひこ)は人名で使われることが殆どで、後は地名の彦根くらい。
意味は、男子に対する敬称で、「日子」(ひ・こ)のこと。
そうしてみると、卑弥呼(ひみこ)は、女性に対する敬称だったはずだから、日本語の観点からすれば「日弥子」と書くのが正しいんじゃないか。中華王朝が周辺の民を全て蛮族とみなして自分たちが一番優れている、という価値観から敢えて見下すための文字を使ったのだろう。
そろそろ「卑弥呼」と書くのを止めないか?「日弥子」でいいじゃん。>>39
因みに「彦」という字は、1948年1月から1951年5月までの間、戸籍登録をする名前に新たに使用することができませんでした。>>17
今では少し数が増えていて、漢字2級までが 2136字、漢字準1級が 1238字で合計3374字。
この辺が本を読んでいる時に、殆ど辞書を引かずに済むレベルだと思う。
これに漢字1級の 2928字を加えると、6302字となるが、このレベルの人は極僅かしかいない。
普段使う漢字の数ということであれば、大方の人は 2000字~5000字の間に収まっているのではないか。執筆に関わる人であれば最低4000字は必要だろう。
新聞社などでも朝鮮系の執筆者だと、この4000字レベルに達していない人が多く見られる。特に日本で古くから伝わる文化に由来する単語とその派生語に弱い。
勿論、漢字自体を見たことがなくても、「へん」と「つくり」から意味を予測できることが多いから、知らない漢字が出てきても、文章としての意味はわかる、というケースも多い。>1
>>13
最初に憶えて母に伝えた交通標識の「止」の文字、自分も同じでした。随分喜んでくれたことを憶えています。仰る通り漢字は日常使いで理解が深まるものです。
500文字程度でも「目で視て区別が出来る」ならば、日常会話で登場する、その組合せの「有用な和製単語」は大変な数に成ります。
その単語が視認出来る様に成ることで、表意文字としてのメリットが出て来ますよ。「ハングル文字の分かち書き」との差が感じられると想います。同音意義語の区別が視覚のみで出来てしまいます。
日本人もその程度で初め、社会生活の中で沢山の文献に触れることで読解力と理解力が高まって行くのです。多分、概ねそれが完成するのは中学頃かと想います。中学では新聞等まだ知らない漢字や漢字語は出てきますが、高校になると、知らない文字や漢字語に触れる機会は減って行きます。
韓国では一度漢字廃止をしてしまいましたので、一気に漢字利用を増やすことは懸命ではありません。頻出の漢字を絞込み、先ずは50文字程度でも良いので、社会的利用を開始すると変わって来ると想いますよ。漢字の読みね付記して置くことは10年以上は必須だとは想いますが、皆が500文字を憶えて読める様に成れば、複雑な漢字の殆どは、旁の部分が表音部ですので、用途によりハングルの読みを付記する必要は失くなって行きます。韓国語の漢字の読みは一つですのでワープロに自動ルビ打ち機能を付ければ、手間はかかりませんよね。
即効性は在りませんが、確実に韓国人社会の「群れとしての理解力」は向上します。これは韓国人がやらないと変わりません。頑張って欲しいことです。漢字って覚えようと勉強した記憶があんまり無いのに今読んだり書いたりできている
子供の頃の学習能力ってすごいよね>>1
朝鮮人が500字知っていたら、大したもんだ。
당신은 한자를 얼마만큼 알고 계십니까? 貴方は漢字をどれだけ知ってるですか?
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