【時視各角】「台湾の人々が傷ついた」=韓国

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    • 1名無し2023/09/15(Fri) 17:43:29ID:k1Mjc5NTA(1/1)NG報告

      過去、韓国は台湾は血盟以上の関係だった。初めは抗日、その後は反共を共にした。断交の時の台湾政府の抗議文の一部だが、すべて事実だ。「1919年上海臨時政府樹立後、対日本抗争でも中華民国もまた厳しい状況にもかかわらず、韓国臨時政府を積極的に支援してきた。日本との戦争後、韓国民の安全確保と帰国を助け、生活費まで支援したことがある。1943年カイロ宣言で蒋介石総統が韓国の自由独立を主張して朝鮮独立条項が挿入され、両国修交後、50年代初めは韓国が糧食不足で難しい状況に直面した時、金信(キム・シン)大使の要請で蒋総統が食糧を支援したこともある」

      中国の台頭以降はもちろん変わった。日本(1972年)、米国(1979年)が中国と修交して台湾とは断交した。韓国は盧泰愚(ノ・テウ)政府時の92年8月だった。我々がアジア圏で最後まで修交国だったから義理があったとはいうが、台湾は首を縦に振らないだろう。我々が終盤までしらを切っていたからだ。盧大統領は5月にも「新友を得るために旧友を捨てるようなことはしない」と言った。断交を数日後に控えて台湾大使に「韓中間の実質的進展(substantial progress)がある」と言質を与えた。内心、台湾が明洞大使館を売ってしまうのではないか、盧大統領の任期内の韓中修交と9月末訪中に影響を及ぼすのではないだろうかという心労焦燥だけだった。日本や米国が高官を送って事前説明をしたこととは違っていた。しかも中国も7月中旬、金日成(キム・イルソン)に説明した。

      外交官(ノ・チャンヒ)の述懐だ。「そのとき私たちがどんな話をしてどんな行動をしても台湾の不満と非難を避けることはできないことだった。しかし、振り返ってみると台湾にとってそこまで深い裏切りを感じさせ、その後長い歳月が流れても円満な関係を回復できなくなったことに対しては私たちの立場でも反省の余地がなくはない。

      https://share.smartnews.com/UPe57

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