戦争の教訓と「無責任の体系」

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    • 1名無し2023/08/01(Tue) 17:47:04ID:E3Nzc0MDI(1/1)NG報告

      韓国の光復節である8月15日は、日本が第2次世界大戦の敗北を受け入れた日である。日本の敗北の日が隣国の解放の日であることを、特に朝鮮人虐殺が起きた関東大震災から100年の今年、日本人は理解しなければならない。

       戦争から学ぶべき最大の教訓は、戦争の悲惨さである。「はだしのゲン」という漫画が原爆の悲惨さを国民に教えるうえで大きな役割を果たしたことは、以前にこの欄で紹介した。戦後も80年になろうとする今、語り継ぐことは難しくなる一方だが、必要である。

       もう1つの重要な教訓は、戦争という国家の誤った政策を決定、遂行した政治の構造を検証することである。敗戦後、連合国は東京裁判で戦争を推進した日本の軍人、政治家の責任を問うた。その際、多くの日本の指導者は、個人的には戦争を開始することに反対だったが、あるいは早く終わらせたいと思っていたが、自分には政策を決定する権限がなかったとか、負けを認めたくないという政府の中にあった「空気」に逆らえず、戦争の継続に至ったという言い訳をした。

       戦後日本の政治学の開拓者である丸山眞男はこの点をとらえて、「無責任の体系」という言葉をつくりだした。自分にとって不都合な現実を見ようとしない。大きな摩擦をともなう政策決定について自分には権限がないとして決定を回避する。希望的観測に基づいて行動することによって問題を解決したように自分自身を欺く。これらの態度を積み重ねて、既成事実に追随し、事態の悪化に手をこまねくというのが、無責任な指導者の行動様式であった。ヒトラーのドイツは、指導者の世界征服という野望のもとに戦争を進めたのに対し、日本の戦争は無責任な指導者が事態を収拾する行動を回避した挙句にずるずると続いて、破局に至ったのである。

       丸山がこのような分析を提示して戦後日本の政治構造を変えなければならないと言ってから、75年が経過した。日本は戦争を繰り返してはいないが、無責任の体系を改めることはできていない。1990年前後のバブル経済の終わりから、日本は失われた30年をいう衰退の時間を過ごしてきた。経済と社会の持続可能性の維持というテーマについて、日本は敗戦を重ねている。それは、無責任の体系がもたらしたものである。

      https://japan.hani.co.kr/arti/opinion/47415.html

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