>>15
道長とどこが同じなんだか?「自分がやった」なんて一言も言ってないし、返歌も阿諛にはなってない。ただ日本の栄光を詠うのみ。アホか>>18
北朝鮮軍がソウル入りした時の花電車大歓迎もアメリカUN軍が来たときの大歓迎も古くは明や清の大歓迎も全部強制だったんですね。>>23
답변 감사합니다.
1. 원래 질문의 의도는 '왜 육군출신만 편중되어 있는지'가 궁금했습니다.
군인을 임명해야한다면 해군도 있는데, 당시 일본 정부내 어떤 조직관계 문제가 있어서 그랬던건 아닌지가 궁금했습니다.(조선 통치를 누가 하는지 관할권한 문제라든가)
伊藤博文 이외에도 수완좋은 많은 정치인들이 많았을 거고, 개인적인 야망 때문이라도 한 번 도전했을 정치인이 있었을 거 같은데 그런것도 없는 거 같군요
2. 관료나 정치인이 총독이 되어도, 주둔하는 군사력이나 행정력에 차이는 없었을 테니, 그래도 좀 차이가 있지 않았을까 싶었는데 아니라는 의견이군요朝鮮人にとっては武官より文官の方が偉いのかもしれんが、相手がチョッパリと見下す日本人となりゃ話は別だろ。軍事的な威圧にこそ従うだろうから軍人が総督になるのは当然かと。
>>29
出世ね~。
やりがいはありそうだけど、何でも反対、嘘でも妄想でも団体組んで暴動だから、徒労に終わる罰ゲーム
やっぱり、韓国人朝鮮人にまかせて、日本人は立ち入るべきではないね。>>25
1. 확실히 유사시 실제 업무를 수행하는 건 육군일테니, 육군 장군이 총독을 겸직하는게 맞겠군요
2. 하긴 국가의 큰 전략은 장군,관료,정치인 개인과 상관없이 정해지는 것이니 큰 차이는 없겠군요.
국가 전략적 측면보단, 일반 사회 행정쪽에는 차이가 있었을 거 같은데, 그런 견해는 없을까요?
(실제로 斎藤実 재임 시절 통치가 온건해져 일본에 우호적인 사람이 늘었던 것처럼)
>>26,27,28
1. 아무래도 실제 영토를 통치하는데 필요한 물리력은 육군만이 제공할 수 있으니,육군이 담당할 수 밖에 없었겠군요
2. 관료나 정치인이 군인보다는 약하다는 이미지가 있지만, 관료나 정치인이 실제로 군인보다 약하진 않다고 생각합니다.
오히려 군인이 할 수 없는 장점같은게 있을텐데, 그 부분이 활용되었으면 역사가 어떻게 되었을지가 일본의 견해가 궁금합니다.
그리고 야망 부분은 일본 정치인 중에서 조선 총독을 꿈꾼사람이 있지 않았을지 궁금해서입니다.
지금도 자리 욕심때문에 이런 저런 자리에 도전하는 정치인이 많은데, 그 시대에도 그런 사람이 한명은 있었을 거 같습니다.
(현대 사회랑 당시 사회랑 차이가 있긴 하겠습니다만)>>36
地位が高いというのは、それだけ責任が重いということです。
無責任な両班とは違います。>>33
時代が時代なんで総督は軍人の方がいいに決まってる。そう考えると、自衛官と違い昔の日本の軍人は評価が高かったわけで、朝鮮両班みたく文官が強引な主張を通せたとは思えない。それだけのことだろ。- 40
名無し2023/07/08(Sat) 06:32:28(1/2)
>>40
むしろ日本は無駄なことをしたと反省しないと>>44
そうせずに、下手に日本が文明人で立派なことをしていることをやりたがったのが失敗の原因かなと
大陸は魔境なので、正直壁にするのがどう考えても正解だった>>41
お前の先祖も婢牌だったんだろw>>41
単に文人で収められるような地域ではなかっただろ。窃盗、誘拐、人身売買、乱暴者の略奪が日常茶飯事だったのが半島だろ。
ほんと朝鮮人は健忘症というかウリナラの歴史を知らない。
だから今も文人で収めるには不足する韓国という国があるんだろ。- 48
名無し2023/07/08(Sat) 16:38:04(2/2)
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>>22
長くなるけれど、歴史学者も理解していない法令の中身まで理解している私の歴史観を。
李朝末期当時の日帝には、井上馨、伊藤博文らの立憲主義を掲げる議会派と、山縣有朋や桂太郎・寺内正毅ら陸軍軍閥という2つの顔が有った。
伊藤博文は国際協調志向派であり、山縣有朋や桂太郎・寺内正毅ら陸軍軍閥(大陸への進出を企図して朝鮮の植民地支配を急ぐ)としばしば対立していた。
伊藤博文らは、議会を中心とした内閣責任政治を実現しようとしていたが、軍部の力は根強かったので天皇直属とされて、軍部は内閣や議会からは独立していた。
この点が、日帝の立憲主義の致命的な欠陥だった。
しかし、日帝の海軍は、血気にはやる陸軍とは異なり、平和を重視し、広い視野で政治を眺めており、議会派にも好意的だった。
朝鮮半島は、もともと、大陸進出を狙う陸軍軍閥が掌握していたが、伊藤博文は、天皇を説得して自分に朝鮮を任せるように天皇決定を引き出した。
そうして、伊藤博文が朝鮮に関する実権を陸軍軍閥から奪うことに成功した。
しかも、一計を案じて、天皇を説得して、朝鮮に駐留する日本軍を朝鮮統監の指揮下に入らせた。上述の日帝の立憲主義の致命的欠陥を修正する方策だった。
そして、朝鮮八道の地方自治組織まで発足させた。
陸軍軍閥は怒った。
その頃、1909年10月26日、伊藤博文は暗殺された。しかし、伊藤博文の命を奪った弾丸には謎が提起されている。
それは、ともかく、伊藤博文が暗殺されたことにより、朝鮮は、陸軍軍閥の支配下に還った。
もう、朝鮮人民のために日帝からお金を引き出すことができなくなり、大韓帝国は日帝の統治下に入るほかないと一進会は判断した。
これにより、1910年日韓併合。>>22
陸軍軍閥は、伊藤博文とは正反対で、議会制民主主義など顧みず、朝鮮を憲兵による武断統治を始めた。天皇崇拝を強要し、また、法の厳格な実施のため鉄拳制裁で統治したようなものだった。つまり、内閣の下部機関である警察の上位に、軍部が支配する憲兵を置いて、厳しい統治をした。
その結果、朝鮮の宗教界の反発を招き、両班達の復古独立主張が強くなり、少数の朝鮮人民もそれに同調するようになって、三・一事件が起きた。
これを機に、日帝の内地でも、憲兵を用いた武断統治には批判が大きくなり、陸軍出身の統監・長谷川好道は天皇により更迭された。
そして海軍出身の斎藤実が朝鮮総督に就任した。
斎藤実が朝鮮に赴いた当日に、ロシアに洗脳されたか、儒学者姜宇奎が暗殺未遂事件を起こした。
事件当時、一報を聞いた尹致昊は「何という間抜けが斎藤総督に爆弾を投げたが、彼を外れた爆弾により数名の野次馬が負傷したという。私はこの話を聞いて愕然とした。実に哀痛なことだ。朝鮮人は伊藤博文の暗殺が韓日併合を促進したことを忘れたというのか。馬鹿共めが。」と述べた。
海軍出身の斎藤実が朝鮮総督を2期努めて、朝鮮は平和になったが、しかし、日帝は、陸軍が鼓吹する軍国主義が進行し、1936年斎藤実は、陸軍将校により殺害された(二・二六事件)。
1.政敵「目の上のたんこぶ」伊藤博文が殺害されたため、朝鮮は再び陸軍軍閥の支配するところとなったから。
三・一運動を知った天皇がリベラル派の斎藤実(海軍)を総督に任命したことだけが例外である。
2. 「官僚・政治家が総督をしたら」・・・軍人以外が総督となっても、政権に命令どおりに動く単なる機会であり、伊藤博文のように、天皇に直接ものを言うことができないから、陸軍軍閥の指示どおりに動いたはず。
したがって、伊藤博文の死後は陸軍軍閥が政権の中枢を握ったのだから、大差のない統治だったと推測される。
伊藤博文は、日帝は満州を中国に返還して朝鮮だけを固守すべきであって、満州へ膨張すればイギリスなど列強も敵に回ってと争うことになるので国難となる、と主張していたので、伊藤博文及びその継承者が存在したならば、東アジアの運命は大きく変わっていただろう。
日中戦争、太平洋戦争も起きず、日本・朝鮮半島・台湾は一つの国のままで、世界の経済強国として君臨していたかもしれない。>>52
無いわけないだろ。あと朝鮮人に日本人蔑視は無かったのか?>>36
実際、当時ヨーロッパでは植民地総督席が出世コースのひとつだったという話を聞いたようだ。
↑↑
日本の場合は出世コースではなく
出世が終わった人達の再就職先としての総督
なので歴代朝鮮総督には超大物政治家や左遷された大物軍人、軍の長老などが着任している
満州事変が始まると大陸方面が戦争勃発の匂いになると現役軍人の最後の指定席として総督となる
総督と言う巨大な力を持つ座席は日本の場合では
手に余る席なので、総督の地位にはそれなりの階級の実力者が選ばれる>>55
韓国併合に至った経緯は大韓帝国が自力で近代化出来なかったから大日本帝国に併合を懇願して来た背景があってアメリカやイギリスや清帝国なども同意していたみたいです。
而も大日本帝国の統治方法は欧米列強や中華などとは似て非なるモノで遥かに良心的な統治方法だった事が確認されているみたいです!
その証拠に台湾や太平洋島嶼国などは圧倒的に親日派や知日派などが多いみたいですけど、韓国が日本統治時代の朝鮮は暗黒時代だったと主張するなら台湾や太平洋島嶼国などの親日ぶりや知日ぶりをどう説明するのでしょうか?
其れにベトナムでの蛮行に対して黙りを決め込んでいる大韓民国に日本を袋叩きにする資格はないと言っても過言ではないのです!
其れは欧米諸国や中華や国連やロシアやASEAN諸国だって多かれ少なかれ後ろ目たい事や疚しい事などをしているみたいですので、日本だけが批判される憶えはないと断言出来ます!>>57
私も大日本帝国や日本軍などがした事が100%良かったとは思って居ませんけど、少なく共、欧米列強や中華などに比べれば遥かに良い事をしたと言っても過言ではないのです😁
日本が批判されるなら欧米諸国や中華や大韓民国だって批判して貰わないと釣り合いが取れ無いと感じるのは日本国民の総意なのです!
ネイティブアメリカンに土地を返還しないアメリカンや文化大革命を引き起こした北京政府やベトナムでの蛮行に対して見猿言わ猿聞か猿を決め込んでいる大韓民国などに正義や大義名分などがあるのか?と問いたい気持ちです!
何処の国々や国際機関なども多かれ少なかれ後ろ目たい事や疚しい事をしているみたいですから日本だけが負い目を感じる必要はないです。>>56
日韓併合の国際法的有効性については、もう少し具体的に言いますと、
1905年第2次日英同盟で英国が、また、1905桂=タフト協定で米国が、1905年ポーツマス条約でロシアが、それぞれ、日本が大韓民国を日本の保護国として指導下に置くことを承認した。
1904年結成の一進会(実質会員10万人と言われた朝鮮最大の政治結社であり日本の保護下に入ることが朝鮮人の幸福だとする親日派)が、鉄道敷設、高宗から純宗への譲位の強要、日韓併合などを要望していた。
既得権を失う両班や王族は強く反対していたが、旧悪を廃して朝鮮人民のために日本による政治改革を主張する一進会、独立協会が優勢で、伊藤博文暗殺により、1910年日韓併合条約締結となった。
上述の経緯から、列強諸国が日韓併合を承認していたので当時の国際法(列強の合意・慣習等)では、併合条約は確実に有効なものだった。
というのが事実ですね。
(続く)>>56
日帝による「良心的統治」を言いたいのならば、台湾などの例ではなく(台湾と朝鮮は全く同一の統治なのか、という論証困難がある)そのものを言うべきでしょう。
いろいろな資料が有りますが、例えば、
★ 米国フーバー元大統領 Herbert Clark Hoover
日韓併合の前年1909年に朝鮮を訪問しその後に再訪して、「日本のお陰で朝鮮の生活は革命的に改善した」と述べています。(From “Freedom Betrayed”)
「私(フーバー)が初めてこの国を訪れたのは1909年のことである。日本の資本家に依頼され、技術者として助言するためであった。当時の朝鮮の状況には心が痛んだ。人々は栄養不足だった。身に着けるものも少なく、家屋も家具も粗末だった。衛生状態も悪く、汚穢が国全体を覆っていた。悪路ばかりで、通信手段もほとんどなく、教育施設もなかった。山にはほとんど木がなかった。
盗賊が跋扈し、秩序はなかった。日本の支配による三五年間で、朝鮮の生活は革命的に改善した(revolutionized)。日本はまず最も重要な、秩序を持ち込んだ。港湾施設、鉄道、通信施設、公共施設、そして民家も改良された。衛生状況もよくなり、農業もよりよい耕作方法が導入された。北部朝鮮には大型の肥料工場が建設され、その結果、人々の食糧事情はそれなりのレベルに到達した。日本は、禿げ山に植林した。教育を一般に広げ、国民の技能を上げた。汚れた衣服はしだいに明るい色の清潔なものに替わっていった。」
https://www.amazon.co.jp/-/en/George-H-Nash/dp/0817912347
Alleyne Ireland は、英国出身で、この時代随一の植民地研究者です。
★ The new Korea(1926), by Alleyne Ireland
「現在の朝鮮は、李王朝時代とは無限にかけ離れた素晴らしい統治がされており、また、他の多くの独立国と比較してさえもその統治は優れている。これまで訪ねて研究した英国、米国、フランス、オランダ、ポルトガルのどの植民地もよく統治されていたが、その植民地の大部分よりも、日本による朝鮮統治は、その行政手腕と同様に、民衆の文化的・経済的発展の面も優れている。」
これらだけでも朝鮮を良心的に統治したことは明らかでしょう。>>1
この方をお忘れでは?
朝鮮総督 1881年ー1894年>>57
>そのままだが?
読解力が無く、発想が悪意とか善意とか幼稚で情緒的だね。笑
>別の国?まあひねた人はそういう捉え方もするね。
何が「ひねた人は」だ。笑
無知・無学のようだが、国家とは何かを知らないのか。
日帝と言うなら韓国は「韓帝」だって?笑
韓国人に説示するのだから、韓国語に正しく翻訳される言葉を選ぶという知能はないのだろうね。
韓国人にとっても、日帝の翻訳は間違いなく、それは現在の日本ではなく戦前のことだと通じる。
しかし、「韓帝」などという語はほとんど使われず、敢えて言えば、それは国ではなく「大韓帝国皇帝」を意味するのだよ。
老婆心かもしれないが、豆腐の角に頭をぶつけてみた方がよいのではないか?>>60
ご投稿ありがとうございます。
色々と感じたり頭が過る事などが沢山、あるのですけど日本近現代史を備に追って行きますと大日本帝国は戦後処理や外交交渉などによって朝鮮、台湾、樺太、満州、南洋などに領土と勢力圏などを拡大したみたいです。
此等の地域に対して大日本帝国は土地調査、人口調査、植林事業、インフラ整備、貨幣経済への移行、借金の肩代わり、予防接種、産業振興などを行って近代化させたそうです。
因みに満州国が建国された際に多くの中国人達が満州国を目指した背景には当時の中国は日本の戦国時代や大陸や半島などで起きた三国時代や都市国家時代のイタリアみたいな軍閥時代だったらしくて各地方軍閥や国民党や共産党や馬賊や匪賊などが跋扈したり大日本帝国や米英蘇などの列強諸国などが勢力拡大を巡って暗躍するなどしていてカオス状態だったみたいです。
だから満州国や上海租界に行けば安心だと判断されたから満州国や上海租界を目指しました。
日本は侵略国家だったと批判されてますけど、其れは戦争に負けたから言及されているだけであって、日本が批判されるならアジア、アフリカ、中東、南北アメリカ大陸、オセアニア、中国、インド、東南アジアなど、世界中の97%を植民地支配していた欧米諸国や現在進行系としてチベットやウイグルなどを侵略している中華やベトナムを侵略した大韓民国などの振る舞いをどう説明するのでしょうか?
日本が慰安婦問題や日中戦争などを言及されるなら欧米諸国や中華や大韓民国なども批判して貰わないと釣り合いが取れません。>>63
>>63
スレッドの趣旨から外れていますが・・・・
ちゃんとわかっている人は居て、もっと鋭く日帝を賞賛していますよ。
例えば、日本でも高名なイギリスの歴史家アーノルド・J・トインビー(Arnold Joseph Toynbee)は、1956年10月28日付け英国新聞「オブザーバー」(The Observer)紙に
「第2次大戦において、日本は日本のためというよりも、むしろ戦争によって利益を得た国々のために、偉大なる歴史を残したといわねばならない。その国々とは、日本の掲げた短命な理想であった大東亜共栄圏に含まれていた国々である。日本人が歴史上に残した業績の意義は、西洋人以外の人類の面前において、アジアとアフリカを支配してきた西洋人が、過去200年の間に考えられていたような、不敗の半神でないことを明らかに示した点にある。」
と日本の偉大な功績を讃えました。
日本は敗戦しても、白人が不敗の支配者ではないことを知って戦後に次々に独立したアジア・アフリカの国々は、「アジア・アフリカ会議」で日帝が解放者だったと感謝の言葉を述べていますよ。
おっと、こちらに日帝の大東亜共栄圏を標榜する大東亜戦争がアジア・アフリカ諸国独立に与えた支援効果を賞賛する海外の評価が有りますね。
https://www.nipponkaigi.org/opinion/archives/844
世界の人々は朝鮮半島・中国と違って、日本を良い国の上位に位置づけているので、ちゃんとわかっていますよ。
英国公共放送が世界で調査した結果
https://tribune.com.pk/story/380329/iran-pakistan-israel-most-negatively-rated-countries-globally-bbc-poll>>64
朝鮮の窮状と無能状態は決して教えないんだよな。
koreanは不公平というのが理解できないんだ。>>65
ちゃんと、筋道を立てて反論の論旨を立てなさい。
感情だけの、どこかの半島人と同じか?
言葉不自由か?>>66
ご投稿ありがとうございます。
日本軍が欧米人を蹴散らすのを見て東南アジアの人達に独立の機運を高め、東南アジア諸国は第二次世界大戦後に次々と独立して、アフリカ諸国も1960年代に次々と独立してアフリカの年と言われる様になりましたからね!
日本人はもっと近現代史を学ぶべきです!
歴代朝鮮総督について語りたい
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