米軍が記録した日本軍慰安婦…その内容

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    • 1名無し2021/08/30(Mon) 16:04:23ID:I5MDA2NzA(1/4)NG報告

      米戦時情報局(OWI)の心理戦班が作成した「日本人戦争捕虜尋問レポート」には、日本軍の朝鮮人慰安婦が故郷を離れやって来た過程や他国で経験したことが詳しく記録されているという。この朝鮮人慰安婦20人は太平洋戦争下の1944年8月、ビルマのイラワディ川岸で英国軍により発見されたという。

      報告書には、この朝鮮人慰安婦が「1942年5月に朝鮮にやってきた日本人代理人(agent)にだまされて集められた」と記されているという。また、代理人が「新たに領土として確保した東南アジアに派遣され、慰安奉仕活動(comfort service)を行うことになる」として奉仕の性格については特定せず、「病院を訪れ、負傷兵の心を安らかにする仕事をする」と説明し、1942年8月20日にビルマに向かった輸送船に搭乗した朝鮮人女性は703人に達していたとも記されている。


      さらに「20人のうち半数以上の11人が19歳以下の年齢で募集されていた。地域もソウルや平壌だけでなく、高興、三千浦、晋州、馬山などさまざまで、大邱出身のキム・ヨンジャさんは最年少の17歳だった」ともされている。キムさんの契約書には「日本軍の諸規定を守らなければならず、家族の借金返済のために前金として支給された金額により、6カ月から1年の間、家主のために義務的に働かなければならない」という内容が含まれていたという。また「1943年に借金を清算した一部の慰安婦が、韓国に戻ることが許された」とも記されていたというが、これについてジャーナリストのキム・テクゴン氏は「帰郷の機会は事実上与えられなかっただろう」と話している。


      他にも、報告書には「慰安所の外には順番を待つ兵士らがいつも長蛇の列を作っていたことなど、慰安婦らが肉体的・精神的苦痛に悩まされていた」状況も記されており、慰安婦の「苦しく、その度に兵士たちは怒った」「泥酔した将兵や翌日戦闘を控えた兵士が押し寄せれば、その度に最悪の状況を迎えた」といった証言内容も含まれているという。

      https://www.recordchina.co.jp/b881568-s25-c100-d0194.html

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