「日本に学んだ」李健煕サムスン会長が語った「韓国の政治は4流、官僚と行政組織は3流、企業は2流」

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    • 1独り言2020/10/29(Thu) 14:43:03ID:M5MjM2NDQ(1/1)NG報告

      小5の時から東京の学校に通い始めた
       経営者となった1950年代、砂糖と小麦粉など食料品と毛織物製造事業への進出を計画。シャープ、新日本製鐵、伊藤忠商事との取り引きを通じて日本の技術とノウハウを積極的に導入した。
       李秉喆は息子の健煕に「日本で先進の学問を学んでこい」と指示し、1953年、彼は小5の時から東京の学校に通い始めた。
      日本で学んだ「量より品質」
       1992年、サムスンは世界で初めて64MDRAM半導体の開発に成功した。サムスンがメモリー強国の日本を初めて追い越し、世界1位の座に昇りつめた栄光の瞬間だった。
       しかし、落とし穴があった。内部告発により洗濯機に関する不正が暴露されたのだ。
      「洗濯機も同じことだが、ビデオデッキは不良が出れば、100人中50人は二度と購入しない。量ではなく質だ。まだみんな量を重視している」
      「結局、変えるべきことは徹底的に変えなければならない。極端な話だが、妻と子以外はすべて変えよう」
      日本人顧問に教えを請い、道を拓く
       サムスンの「品質優先」政策はこの時から本格化する。
       2002年には4500万台の携帯電話端末を販売して3兆ウォンの収益を上げ、2004年にはサムスン電子はソニーと合弁でLCDパネル生産会社の「S-LCD」を設立。
      「真の克日」で一流企業経営者となった李健熙
       サムスンの主力子会社で、蓄電池の製造を専門とするサムスンSDIは、1970年にNECと合弁で設立された会社だ。
       他にも三洋と提携したサムスン三洋をはじめ、自動車事業で日産と、カメラ事業でペンタックスと合弁会社を設立しており、サムスンは日本企業と切っても切り離せない関係を結ぶ。
       彼の態度と経営能力は日本人の心を動かした。
       日本への感謝の気持ち、日本に学ぼうという精神。それらは真の克日とは何かを問わず語りに語っていた。
      「なぜ未だに日本に依存するのか、早く国産化できないのか」と韓国の政治家
       李健煕会長は1995年の北京出張当時、韓国メディアとの懇談会で次のように話した。
      「我が国の政治は4流、官僚と行政組織は3流、企業は2流だ」
      https://www.dailyshincho.jp/article/2020/10290559/?all=1

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