韓国人の多くは日本が明治維新後に発展したと信じていますよねw
あ~、「ローソク足」の話ね。
>>2
ひょっとしてロボなの?>>4 나는 진실만을 말한다
한국인들은 진실을 외면하기 때문에 대화가 통하지않는다>>1
リスクヘッジを担う先物取引の方法を発明したことも大きいと思う。キャンドルチャートと同じく米の先物市場だが現物ではなく 信用取引をできた市場
デリバティブの先がげだな ロンドンも有名だが韓国人は昔の話しかしません。未来の話は根拠の無い妄想ばかりです。将来を見据えた技術革新や必要な法整備はどのようになっているのですか?韓国の国会議員は本来必要な仕事が出来ているのですか?とても疑問です(笑)
>>1
君は俺より江戸時代に詳しい。
「キャンドル」とグーグル翻訳されて(キャンドルというのはロウソクのことかな)と俺は思った。
そういう話じゃなかった。>>11
市場規模と余剰生産の小ささだと思うよ。江戸時代の通信技術も結構速いよ。
18世紀中ごろの旗振り通信で、米相場は大阪ー>神戸間を5~7分で送れた。
フランスで腕木通信ができたのは、これより50年くらい遅い。半島は国際賞受賞者級人物とか英雄を生み出す土壌じゃないからさ。その故無能の領主を戴き独裁させる習慣が間違いの元かな。でも、それをしないと衆愚政治になっちゃうな。やっぱり発展は愚か国体維持にも向いてないんじゃない?やはり属国が板に付きすぎたんだよ。
>>11李氏朝鮮と両班は支配者としては有能じゃね 反乱は少なく自分たちなりの生活は
問題ないまるで今の北朝鮮みたいに でも指導者としては無能だろうな例えば農地開墾、
森林伐採、商業未発達、貨幣の未整備、沿海部及び満州地域をかすめ取る事も出来たの
隣の清を真似すればいいだけなのに なんで発達できないか不思議だ>>11
いや、商業賎待だよ>>1
Edo-Tokyo Museum 江戸東京博物館
YouTubehttps://youtu.be/PLIKll5OjPQ江戸時代に財閥と呼べる商人がいた 三井、住友、鴻池と三菱は明治から成り上がり
財閥解体で鴻池衰退したが 三井、住友は 現代でもいろいろな企業に名を残している>>23確かに平安時代中期(中世初期)は国風文化が発展して高度成長した。その頃ヨーロッパは不況、中国の宋もいまいち、高麗もいまいち、、1000年前は日本が世界最高だった
>>11
Googleで「江戸時代 商人」で検索してみ日本語で
色々画像出てくるから日本語分かんなくても楽しめると思うよ
こういう資料で庶民の暮らしを描いていること自体が平和なわけだそしてもう一つ考えて欲しいのは文化ってやつは
一つ一つに繋がりがあるってことよ
例えば和紙-習字-障子-ねぶた祭りみたいな
あとは過去と現代との繋がりな
それを踏まえるとハングルで習字したり
いくつかの起源主張は薄っぺらくてバカらしく思えてくるぞ
それに加えて現代文化ホルホルも恥ずかしく思えてくる
なんもねえ国なんだなってなこの時代の時の朝鮮半島の様子の絵とかないの?
和算関連の資料、誰か持って無いかな?
学生時代に先生に教えてもらったけど、当時、クイズ感覚で町人が解いていてビックリした記憶が。韓国人ならば、朝鮮通信使の記録を読めば良いだろうに。
あれも節々に日本を野蛮だと蔑む表現を多用してたので、実態を客観的に把握するには支障あるだろうが、
当時の朝鮮には無くて、日本にはあった事項を調べるには、朝鮮通信使の報告を見た方が一番韓国人も受け入れられるだろ。朝鮮の古着売買とか知りたい
>>34
マジで?知らなかった!
彼女と東京タワー見るときに、あれさ、昔は戦車だったんだよって言ってみたくなった。
リアルは彼女いないけど、ありがとう!>>33
六角定頼は?江戸時代の1700年以降は江戸(現在の東京)は世界有数の大都市であった、また貨幣経済社会も発展し経済成長も順調であった。
江戸時代は初期資本主義段階だった。
>>38
日本の鎖国は為替の問題を最小限にする為。実際は九州諸藩と長州は密貿易で経済力を上げていた。だから討幕が可能だった織田信長は日本初の日本銀行総裁と言えます。織田信長が天下統一に向かったと言うよりも、銭が統一に向かわせたと言えます
https://bizgate.nikkei.co.jp/article/DGXMZO2841589022032018000000>>14
読点は、文節を壊さない限り、
書き手が自由に打つ事ができるのが、ルールのはず。
そもそも論として、
苦情を書くこと自体が間違っていると思うのだが。
自分が読みにくいから、呼吸を乱されるからという事で
文句を言うのかもしれないが、それは貴兄自身の読書量の
不足による事が原因だと思う。
試しに明治時代の判決文でも(、)読んでみれば良い。明治の産業革命が上手くいったのは、江戸時代の初期的な資本主義があったから
戦後の日本は貿易立国として、経済を発展したが、そのつなぎ役としての主役は、「商社」だ。
モノづくりだけでなく、世界との関わりを、より強くしてくれたおかげで、今日の日本がある。>>29
関孝和の事かな?
17世紀後半に数学を趣味にしていた下級武士。
ニュートン並みの功績を遺したけど、ニュートンは数学で俸給を得ていたプロで、関孝和は本職があって数学は趣味。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/関孝和朝鮮末期の農業従事者は全体の戸数の80%以上。
日本やヨーロッパの農業従事者は65%から75%であったのに比べて、農業社会の色合いが濃く、商業発展に制約があった。
1909~10年でも、全国で工業に専業する戸数は、全戸数の0.8%。
織物生産は、農家の副業生産レベル。
朝鮮社会の商業は行商だから、さらに商品は流通しない。
高級絹織物は中国輸入。綿織機も中国の機械より生産性が劣ってた。
>>38
江戸時代初期には、日本とも朝鮮は交易していた。
交易品は、清国製の生糸や清国製の絹織物を日本に売るという間接貿易。
1750年代頃に、日本は直接、清国と貿易をし始めて、朝鮮人参も中国産や国内生産にシフトしたので交易が縮小する。
綿なら、日本に需要があったが、結局、朝鮮人は交易による国富という発想はないまま生産を奨励する事もなく衰退。
ちなみに日本は、明治以降に綿生産を奨励して、イギリス製(インド等)の綿を日本製に切り替えていく。
일본 애도시대의 옷가게 .JPG
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