>>2이거 망상이니까.웃음 ^^*
>>50포토샵일것이다.
>>29
日本人からして見れば、ひとりの方がすっきりしますね。
現在の一輪車の元祖といっても良いレベルに見える。>>39 同じ大きさの車輪を作れないというのは、朝鮮人を馬鹿にし過ぎ
あたしはひとつだけでも作れなかったとおもうな。
他の部分と比べて車輪だけ作りが精巧じゃない?車輪は輸入品だったんじゃ無い?(貴重ゆえ1つしか入手できなかったと)
木を曲げる技術が無かったし。現在でも核心技術はドイツ製の戦車あるし。
傍証
樽も作れなかったので瓶を担ぐ奴隷。>>10
タクリー号だね。多くの今の「韓国人」には「日帝強制占領期間」と称される程に、「強制支配された」忌み嫌われている訳ですが、その「日韓併合」に当り、その記念に出版された写真集が在ります。一通り見るにも骨が折れますが、今回写真の出所探しの為走破することに成りました。
撮影時期は、恐らくは概ね大韓帝国成立以降の近代化以降で、半島の近代化を示すものを中心に掲載した様に観られますので、「真の旧韓末に於ける半島のスナップや風景は削ぎ落とされている」と何れの立場からも突っ込まれそうですが、一時代を切取った興味深い映像資料なので、良かったらめくってみて下さい。本当に暇な時にね(笑)
で、その中に掲載された一枚である「両班ノ外出」を、ここに提示させて貰います。
「大日本帝国朝鮮写真帖 : 日韓併合紀念」 統監府 編 明43.9
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/766880/128
これが、「あの日帝」が、公式に残した「両班の外出」の写真なのです。どう視るかは、それぞれ勝手ですが、此処には、両班の価値観が表現されているのでは無いでしょうか?
このお供の数の異様な多さは、この両班の社会的階級を公的に遺したいとの意思が働いたのかもしれませんし、出版側がかつて一般的だった記憶にある風景を再現した一枚だったのかもしれません。これ以降、この様なことが出来る両班は居なくなった筈ですから。
さて、この写真の輿には車輪は在りません。しかも座席位置が低く、尚且つ、肩に担き手でも支える構造で4人で運行した様です。物理的には理に適った乗り物ですね。但し、遠出には担ぎ手の交代も必要でしたでしょうし万一そりが欠けることにななりば、両班は面目丸つぶれです。ですから、交代要員を伴わせることになり、この様な隊列に成ったのでしょう。更に時代の流れでしょう。洋装の警護が4名張り付いて居ますね。これは当時の世相も顕して居るのでしょう。>>39
画像有難う。解像度が今一つなので詳細は不明ですが、物理的安定性を犠牲にしてでも、座席の高さを狙った中小の両班が派生させた逸品なのでしょうね。
この博物館を訪れた方のブログから真横からの撮影写真が在りましたので、今後の構造解析用に此処に、無断貼付け(済みませんm(_ _)m)しておきます。縦方向と上下斜め方向からの画像も欲しいのですが、見付からないですね。
http://4travel.jp/travelogue/10948605>>37
「同じ円を描けない」→「車輪を作れない」&「水車を作れない」
との論理迄は、繋がったので、そろそろ、「韓国人」ならこれくらいは分析して反面しろよとの、勝手な持論を述べたいと想います。
【結論】
① どんな場合でも「同じ円が描けなかった」と言うと嘘。
② ずっと「水車が無なかった」と言うのも嘘。
③ ずっと「車輪が作れなかった」と言うのも言い過ぎ。
① 同じ円が描けない程なら、技術的に当時の両班の屋敷は建ちません。それが存在している以上、それは史実に照らし嘘に成るのです。基本的に最初に決めた基準となる尺度を職人が変えなければ、技術的には同じ円は描けましたし、細かく文化財を漁れば、その証拠はザクザクと出て来るでしょう。この立証は、今の「韓国人」が、特定の文化財での円弧を調査頂ければ、史実に基づき論争終了なのです。お願い!ちゃんとやって!
② 半島では古くより綿が栽培され、それより糸を紡いで居ました。その紡ぎ車と水車の構造は同等です。壺や瓶の製造はろくろを使っており、回転体の製法自体は太古より伝来している。半島製か否かと年代特定が出来ないので立証する証拠とには成らないが、下の写真を観て欲しい。紡ぎ車に似た水車が観える。明確な反論はあるかな?
③ 車輪は難しい。特に一輪車仕様の輿の車輪は、作成には技術的に難しかったであろう。写真の車輪は既に傷んでいる様に視え、耐用年数を超えているかの様だ。しかし、写真により、存在はしたし、それを全否定する根拠は無い。確かに、併合の一世紀前の学者の記述には車輪が作れないとは在るが、その後は判らない。それ以降の史料の詰めと、文化財の発掘鑑定を進め、何時から作れたかを探って頂きたいところだ。
さて、それでは、何故、これ程に技術を否定されるのだろう?それは、半島では明確な「度量衡」の制度導入が20世紀迄一度も徹底されなかったからです。確かに宗主国の制度を間接的に移入していたが、その目的が合致しない支配では曖昧なままの方が都合が良かったでしょう。でも長さ、質量、容積の基準無く、車輪やその部品の規格は作れない。部品一つ一つを同じ職人が作るしかありません。無論、その者が独自の規格で大量生産に取組み富を得ると、その匂いを嗅ぎつけた野犬の群れが入れ替り立ち替り際限無く訪れ、獲物としての価値が無くなる迄続いて消去される。それが半島の法則だ。>>61
読んでくれて有難う。
日本でも、伊能忠敬の測量が歩測だったことが知られいますが、それと同様に、大工工事も歩測でとの事例も在ったと聴いています。それでも家は建つのです。
その場合に直角はどの様に出したと思いますか?「曲尺」でしょうか?「辺長3:4:5の三角形」でしょうか?それとも「糸を使った円弧の交点」でしょうか?
実際はそれ以外も在ったかもですが、最も精度が稼げる可能性を持っている方法は、「糸を使った「円弧の交点」で施工位置を出し、施工時に「曲尺」をあて補正する方法を自分なら採ります。当時の半島でも現場で糸を張る位置決めを行なったかどうかは知りませんか、それに近いことはしていたことでしょう。そうすれば、円は描けた筈でしょう。自分はは、この様な視点での考察に至りました。
但し、これは、あくまで想像です。想像を裏切る史実や技工の跡が発見されたら、「只の与太話」に終わります。実際、自分はそれを望んでいます(笑)。
今の「韓国人」が、反論する方法としては、先ずは、現存する当時の車輪や水車の形状から、その技術的起源を調べることです。技術と言うものは、既存のものを真似て造れば
似て来るものなので、独自の特徴がどの程度盛り込まれたかで自作か輸入か改造修理品なのかが判って来るでしょう。そんな一つ一つを見て行けば、今の「韓国人」の総祖父母の世代以前の世代でも、個人的資質を発揮していたことが明らかに成って来るでしょう。
そんな歴史こそが、今の「韓国人」の祖先の歩んだ誇れる歴史なのです。「半億総両班成り」し、その史観で中身の無い歪んだ歴史を解明しても誇れることはもう殆ど無いでしょう。日韓併合時の種々の制度変更だけと民力で初期の経済発展が出来たことは確かなのですから、そこには、その資質が存在した筈なのです。あくまで、論理上は!
日本にも似た様な庶民の誇りは在ります。先日NHKでやっていた友禅染は役人が町人に出した贅沢禁止令で生まれた需要による所産でした。時の制度に誇れるものは在りませんが、その民間の適応には大いに誇りが持てるものなのです。そう自分は思っています。>>50上海、北京、青島、対馬が韓国で日本が韓国の植民地って・・・この妄想は腕白小僧の壮大な夢よりでけぇなぁ・・・
>>32
>>39
2人支持型フォーミュラーの写真を解析した結論です。この写真は写真家がモデルを雇って撮影したもので、利用状態を現しては居ないものと想われます。
腰の横棒の下にコの字型の金具がぶら下がっているのが、見えないでしょうか?これはいったい何の為のものでしょう。
① 装飾品をぶら下げた。
② 綱をつなぎ、引き手に引かせ、スピードレースに参加した。
③ 横木を通して、両脇を従者が支え横揺れと転倒を防いだ。
これに触れた絵画は、見当たりませんので断定は出来ませんが、今の「韓国人」の認識は①または良くて②程度だった様ですね。想像図はそのレベルです。写真によっては、前後の従者むが縄を掛け、それに横棒を通して、二人で背中で担いだものも在り、韓国国立民族博物館展示の複製品はそのタイプだった可能性は在りますが、当時の写真の金具位置はシート近くに付いており、③の横木固定用と視る方が、合理的でしょう。
当時の半島民も忘れ?、今の「韓国人」も想像しないことなので、文化的継続性は車輪の文明が途絶えて居た、そんな空白を埋めることには成らないので、強く主張しても無意味てせすが、技術的な可能性として提示だけしておきますね。↑そんなの関係ない!
この奇抜な車輪こそ謎を解く鍵なんだよな。この車輪の薄さから材質を判断すると「鉄」または「真鍮」の鋳物じゃないかな?
軽量化には外輪を除き「木製」とするのが当時の常識だろうが、この厚みでは外輪の鉄の輪は填めようもないだろう。他所の書込みには、「鉱山で使われていた車輪」とか結構昔の代物とむするもの等言いたい放題だけど、決め手の照合が出来ない。確かに機械の金属製弾み車を流用し摩耗した残骸と視るとしっくりはするけど車輪的と言えば車輪的なんだよな。
悩んでます。PhotoShopやってる時間有るなら、車輪くり抜いて、イメージ検索やってくれない?良かったら、オ・ネ・ガ・イ (^_^)/>>39
なんか車輪が無いほうが楽なような気がする。↑ご要望にお答えして!車輪を消したものをおひとつ。
「双駕馬」という2頭の馬が担ぐ物も、在ったようですよ。
http://f48.aaacafe.ne.jp/~adsawada/siryou/060/resi020.html
スッキリとして頂けましたか?
これは無いだろうって自分は思いますが(笑)。ネコ車のおじさんの着てる服が面白いね。
鎧みたいだけど独特な感じがする。キャロラインケネディー大使よりお別れの言葉。
YouTubehttps://youtu.be/vPcI7txv6V0
何も言わずに帰ったリッパード
5000年の歴史がどうしたって?私は92歳です。今事実を言いたいと思います。
http://scholarsinenglish.blogspot.jp/2014/10/91.html>>71
ガチムチな 兵士が着れば それなりなんだろうけど、
『動いたら負け』な 両班が 着ているから、奇っ怪に 見えるんじゃないかな?
(^_^;)この『一輪車両班』の 画像見る度に、両班の顔が ドクロに 見えるのは、僕だけ?
…いや、アップすれば 普通のショボくれ爺ぃなんだけど(笑)ところで両班が猫車に乗るときはどうしていたのでしょうかね?
両班がよじ登るとも思えませんし、階段のような踏み台を持つ奴隷も随行させていたのですかね?5000年の根拠が分からないですが、
実際の歴史は1948年、韓国は建国しているので
まだ100年も経っていないです。
一方、日本は何時誕生したか、分からない程古いです。
飛鳥時代からカウントしても1400年あります。
だからと言って日本が優れているとは言いませんが、
韓国人は見た目以上に大きく見せたい心理があるようです。
そもそも「大」韓民国というネーミングなんて大袈裟ですよね?
まあ、韓国にあるのは「嘘」の歴史です。
「嘘」を勉強してもあまり意味がないと思いますよ。
ある意味、韓国の歴史とは証拠も根拠も必要としない宗教に近いです。
ただ信じれば良いのです。日本の人力車は馬車の馬より人の方が安価であったからと言われている
そして一人で人力車を引く
韓国では2人または4人で引いているが人はゴミのような存在だったのだろう>>76
山車を方向転換させる時の支点に良さそうだなあ、などと考えてしまった。
これを小さな行列の中心に位置する輿と考えると、辻を曲がるときにここを支点にしてゆるりと回すと良さ気だ。
上の人も満足、重心に近いから回す方も安心、そして行列も整えやすい。>>77
馬車にも馭者が必要だからね。ある程度の遅さや車室の無い不便さを許容できるなら馬一頭分丸々安い。>>21 교토에서 타고다고 다니는 인력거 잖아
>>76
有難うございます。^^/
この乗り物の名称を教え頂けましてので、これで色々と判らないことが追えるように成りました。
「尚衣院ヲシテ、『軺軒』ヲ造ラシム。宰輔ヲシテ乗ラシメンントス。」
「朝鮮史. 第四編第三巻」(朝鮮史編修会 編 朝鮮総督府 昭和10)
出典: 世宗実録第八十八巻、世宗22年3月22日
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3439880/336
そして、次の見開き頁の4月3日には、「二品以上ノニ乗ズルヲ許ス」との記述が在る。
ということで、これにより、こり一輪車の乗り物の半島での起源は、最大で、世宗22年3月22日、日本の室町時代に遡ることになる。日本の皆さん、宜しいですか?当方はそれを踏まえて引続き、論理的に迫って参りますね。↑で説明済みですが、
「朝鮮史. 第四編第三巻」(朝鮮史編修会 編 朝鮮総督府 昭和10)
出典: 世宗実録第八十八巻、世宗22年4月3日
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3439880/337
「二品以上ノニ乗ズルヲ許ス」の画像も念の為貼っておきます。近代に入っても同じ規格の車輪を作る技術が無かった(或いは失われた)ってのは、なかなか信じられないなあ。
科学技術は日々進歩することが当たり前のように教わってきたから、こういうの目の当たりにすると恐ろしい気分になる。
後世への戒め・負の遺産として、どのようにして技術が失われていったのかの過程を明らかにし、世界に啓蒙した方がいい。併合で消滅した時点で朝鮮の国の歴史は途絶えてるんだわ。
継承してないから大戦時の扱いは第三国な。
李朝鮮→韓帝国→日本。
継承国なら国家として大戦の責任を負う立場で被害者じゃ無い。
韓国人の歴史認識は正しくは、過去に半島で栄えたと言うか存在した国の歴史を勝手に自国の歴史にしてるだけ。
何処の土地にも地球が誕生した時から歴史は在る。どの民族にも人類が誕生した時から歴史は在る。
けど国の歴史は別の話な。韓国の言う5000年を国の歴史とするなら、世界中の国に同じくらい歴史があるし、世界最古はアフリカになるし地球全てがアフリカ領になる。
都合の良い所だけ拾い集めて歴史を作るなよ。>>85
凄く分かりやすい例えを交えて説明する。
韓国の初代大統領の国籍は日本だったよね。
パスポートを発給して貰うって事は日本人として生きたからだ。
国籍が無いと米国に入国できないとか言い出すと思うから言うが、臨時政府が在れば臨時政府発給のパスポートなり臨時政府が在る国のパスポートなり難民証明書とかで入国出来る。
ダライ・ラマは中国国籍か?
台湾は中華人民共和国のパスポートか?北朝鮮は韓国のパスポートか?
韓国人は併合を受け入れたし国は無くなったし臨時政府なんか無かったが正しい。
もし臨時政府が在り李朝鮮の継承国とするなら、北朝鮮だろ。
北朝鮮の金一族は詳しく知らんが、少くとも金日成が日本国籍で日本のパスポートを使ってた訳じゃないからな。
これで韓国と韓帝国や李朝鮮の繋がりが民族と土地しか無いのは理解して貰えたか?
次に言いたいのは米国の歴史は何年だ?
オーストラリアやカナダは何年だ
韓国の言う事が正しいならインディアン時代も米国の歴史になる
オーストラリアやカナダも同じだ。
土地や土地に住む民族の歴史が国の歴史になるなら英国から独立する前から遥かに長い歴史が在るからな
米国人は先住民の歴史や文化とはしてるが米国人の歴史にしてるか?
昔と違い近年は政治的な意図や他国の介入もあるから一概に同じとは言わないが、韓国に当てはまるのは、戦後に出来た新しい国で、古くからの土地や民族の歴史があるだけ。
韓国って国家の歴史とは違う。
それに高句麗とかは北朝鮮、中国の歴史だ。七氏さんへ
おっ、久しぶりにお会いする様な(笑)。そうですね。「韓国の歴史」とスレに在れば、そう言う反応も在りと自分も思いますよ。
でも、
「誇らしい5000年の歴史vs野蛮な200年の歴史」のテーマに対し、
「その長い歴史の中で一体何をしたの」との問です。
この時点で「国史」では何も語れない。歴史には地縁による「地域史」、生物として「ヒト」に焦点を当てた「人類史」、文化のつながりに焦点を当てた「文化史」もあります。
つまり、皆さん、「半島史」として、「お隣の半島で、その地の人類がしたこと」を書いているのかと。
で、今自分は、軺軒(しょうけん)と言う一輪車の起源とその実用品としての技術的側面を主にレスしています。そんなスレだと思いますよ、ここは。>>84
そういう見方もあるよね。でも自分自身、あちらこちらで、やったことを、手許には何にも記録して来なかったし、個人的には体系的にまとめて発展もさせて来て居ませんね。ソフトづくりもしますが、作りっぱなしで放置し、忘れた頃に、一から作る。所謂「車輪の再発明」を何度も演ってます。それが多分「ヒトと言う生き物」なのです(笑)。
人類史で見たとき、このことは何度も起きていて、「地球が球体」だとか紀元前に解かっていたことが西欧社会では長く否定されいました。地域史で言えば、それは日常茶飯事に起きていることです。日本でも「芦屋釜」は口伝による伝承が途絶え消えました。確かに類似品や復元を目指した逸品は今も在りますが。
人類史のその主流の中で、それがつながり始めたのは、近世に入り、西欧ルネサンス以降の文化が日本にも流入した頃からです。和算は、素は欧州の数学漢文訳されたものが、清から伝わったものです。そこで、大陸の端と端の先の島国のニュートンと関が同時期に微分計算に取組むことに成るのです。機械式時計も近代製鉄法も同様ですね。
何故それが出来たか? それは「出版文化」でしょうね。欧州で活版印刷による書籍の大量出版が興らなければ、ずっと遅れていたでしょうね。それが東亜に入れば、商品価値が在れば「木版印刷」されますし、個人的には「写本」が作成されることになり、つながります。
グローバルな視点で視れば、こんなところでしょう。自分はそう思います。>>55
続けます。例えばですが、貴方のレスしたこの萌え萌えの画像の一輪車には、オリジナルに在ったサスペンションは無くなっていますね。下に付けましたから。
木の板バネ式のサスがオリジナルには在り、足廻りの安定は兎も角、乗客への振動緩和には効果が在ったものと想われます。
板バネは、あのスバル360で採用されたサスの技術ですね。直接つながりは在りませんが、実用品の需要がある限り、この様な技術的蓄積は盛込まれて行くものかと想います。>>87
失礼しました
5000年の歴史ってだけで否定的になって、他を考えなかったw
5000年の歴史じゃないと言ったら、スレが成り立たないからね
以後気を付けます。『軺軒』はWikipediaにも、寂しい説明書は在る。 『軺軒』でぐぐって試ると情報は結構出て来ます。旧韓末の高宗も乗った写真も検索出来ます。
二品以上の乗り物ですから、一握りの人間しか利用で、写真も絵も当時のものは少ないのでしょう。一般に車輪が流通しなかったのも、それが原因だったのでしょう。
今の「韓国人」が忌み嫌う「朝鮮総督府」は、それ迄規制を撤廃したから、民力が発展しない筈がない。そんな歴史を否定することこそ、「野蛮な歴史」なんだと思う。「野蛮な200年」って未来に向けての200年を予言なのかも(笑)。そうならないことを対岸より祈ります。
Wikipedia
軺軒(しょうけん)
小型の馬車のこと。
李氏朝鮮において両班が乗っていた乗り物のこと。本項にて記す。
軺軒(チョホン 초헌)とは、両班が乗る一種の人力車である。「軺車(チョゴ)」「命車(ミョンゴ)」「木馬(モクマ)」ともいう。
概要[編集]
一輪車の上に一人分の椅子と前後に長く伸びた轅(ながえ)が幾つも付いているのが大きな特徴である。椅子や轅には漆が塗られており、また、唐草模様などの彫刻が施されていた。二品以上の官人のみが乗ることが許された格式高い乗り物であった[1]。
脚注[1]『経国大典』礼典
https://ja.wikipedia.org/wiki/しょう軒
https://www.google.co.jp/search?q=%E8%BB%BA%E8%BB%92&num=20&newwindow=1&client=ms-opera-mobile&channel=new&prmd=ivns&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ved=0ahUKEwiE4NKo-8_RAhVPPrwKHWESA4UQ_AUIBQ
https://www.google.co.jp/search?q=%EC%B4%88%ED%97%8C&newwindow=1&client=ms-opera-mobile&channel=new&tbm=isch&oq=%EC%B4%88%ED%97%8C&gs_l=img.12...0.0.0.115529.0.0.0.0.0.0.0.0..0.0....0...1ac..34.img..0.0.0.92zpI7rVwvk「軺軒」で文献検索を行なうと、北宋で編纂された「册府元龜」にも、この単語が出て来ることが判ります。
https://www.google.co.jp/search?tbm=bks&hl=ja&q=%E8%BB%BA%E8%BB%92
「册府元龜, 第 77 巻」
https://books.google.co.jp/books?id=ReswRs3oC8IC&pg=PA50-IA10&dq=%E8%BB%BA%E8%BB%92&hl=ja&sa=X&ved=0ahUKEwifxMi0iNDRAhXGUZQKHVd2CsgQ6AEIHTAC#v=onepage&q=%E8%BB%BA%E8%BB%92&f=false
册府元龜に記載が在ると言うことは、少なくともその編纂時には「軺軒」と言う名の乗り物が、北宋または前朝の時代に遡って存在したことに成ります。それが、半島のものと同一の乗り物だったかは解りませんが、世宗22年に半島で造られた「軺軒」はその模倣か派生だったのでしょうね 。
さらに、「肅宗實録」にも「積曰尹纗所鍊兵車、先造數輛牽入後苑、試爲親覧、且兵書有火車之制、故訓局亦瓶造、其制略如軺軒、當中設兩輪、上設五層板、毎板穿 ...」との記述が在る様で、「軺軒」を比較対象として、兵書中の「火車」の構造を説明していて、日本の関ヶ原の頃の「半島の軺軒」は一輪車で在ったと、推論します。
https://books.google.co.jp/books?id=smcZAAAAMAAJ&q=%E8%BB%BA%E8%BB%92&dq=%E8%BB%BA%E8%BB%92&hl=ja&sa=X&ved=0ahUKEwifxMi0iNDRAhXGUZQKHVd2CsgQ6AEIKDAE10年前、この画像は削除対象だった。
南朝鮮も少しは変わってきたのかな?91のレスでは、白ぁっと引用先のコピペで「経国大典」の引用先も入れさせて貰いました。このレスから暫くは、「朝鮮王朝」の法制度について触れてから、それと半島に於ける産業と技術の発展との関係を推察して試ようと思います。
「経国大典」は朝鮮王朝の六法全書の様な位置付けには在った。従って、成宗16年以降の朝鮮王朝の官吏は、物理的に可能な限り、これを基準に組織を編成し、行政業務に応ったものと想いたいところだ。
しかし、この「経国大典」自体は、併合後の「朝鮮総督府」による「旧慣・制度調査事業」の一つとして行なわれたことで、その全容が明らかに成ったものなので、その変遷と適用は追えるところでは無い様だ。
従って、この記述を以って、半島の法制度と行政の総てを推し量ることには無理があることを前提に、拾い視して試ようと思う。
また、本書について、当方は初見に過ぎず、解釈の誤りもすると想うので、誤りの指摘訂正、率先した解釈等頂ければ有難く存じます。
「経国大典」(著者 崔恒 [等撰][他] 朝鮮総督府中枢院 昭和9出版)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1232807/4>>95
近隣諸国との関係は既に十分に改善されていますよ。
改善すべきは中国・北朝鮮・韓国の3ヵ国のみ。ですがそれらの国は、自ら過去を消し去って国際協調を放棄した国ですから、日本にとっては、改善する=断交する、となる。
そういう意味では、今は非常に拙い状態。
現在のところ、経済的利益のために中国・韓国とは貿易等のやり取りがあるだけ。
中国との文化的交流には意味があると思いますけれど、韓国の場合は弊害の方が大きい。
個人的には、韓国とは今でも断交すべきだと思っています。
韓国との交流を深めても、経済的な利益を得る以外に何も良いことが無い。
むしろ、日本に韓国人が流入してくるなどの悪影響の方が大きい。
中国は、国が壊れて、その中で民主主義の国家が成立したら、そこと関係を結べば良い。
その時のために、最低限のつながりを保つ、というのが現実的判断。
対ロシアに関しては、日本がどうと言うよりも、ロシア自身の問題で、日本はどうしようもない。
安全保障の観点から言えば、日本には韓国を侵略する意思は無いし、支配下に入れる価値すらないと判断しているから、敵性国家として軍事力が脅威とならないよう、貧困国にしておくことが望ましい。だから、先端技術の協業なんてのは、国益に反します。
だって、妄想狂の寄生生物に理解を求めるなんて、そもそも不可能でしょう?>>95
国家として機能していない未開地域を除いて、日本と近隣諸国との関係は十分に良好だ。
未開地域の中共人が気にすることではない。韓国人の言う韓国の歴史って何なんだよ?
朝鮮人の歴史って事か
良く古代の事を持ち出すが、そもそも現代の朝鮮人と古代の半島に居た人達の種類もちょっと違うし良く分からんw
자랑스러운 5000년의 역사 vs 미개한 200년의 역사
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