併合ビフォーアフター
何ということでしょう!YouTubehttps://youtu.be/s4i30f0xbP4
YouTubehttps://youtu.be/w4fdhAz0VSw
>>1
動画1は1900年となっているけど、
15秒あたりから出てくる電柱の仁丹の広告が見えます。
森下仁丹の販売は1905年からです。
森下仁丹・年表
https://www.jintan.co.jp/special/museum/chronology/- 3
名無し2019/12/14(Sat) 10:41:08(1/1)
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日韓併合よりも前、保護国化された地点あるいは保護国化の数年前から既に日本の資本が入りまくっているから1900年だとあまり意味がないかもね
そもそも日清戦争、日露戦争の陸上戦線が日本と清あるいはロシアとの境界ではなく朝鮮と清、朝鮮とロシアの境界だからねぇ。この地点ですでに朝鮮は日本におんぶしまくりだった事が分かる韓国元徴用工の肉声 本当に金による解決を望んでいるのか
12月下旬、1年3か月ぶりの日韓首脳会談が実現しようとしている。そこで焦点となるのが徴用工問題だ。昨年末の韓国最高裁の判決によってくすぶり続けている問題は、実際に「元徴用工」たちの肉声を聞くことによって、違う核心が見えてくる。ジャーナリストの赤石晋一郎氏が現地取材で得た証言とは──。
ソウル市の郊外、城南市で待ち合わせした老人は、独りで暮らす自宅で取材に応じてくれた。
「日本人のほうが韓国人より、いい人が多かったと私は考えています。私が炭鉱で働いていた時代、日本人にはとても親切にされた思い出があります」
こう語る崔漢永氏(91)は、徴用工として日本で働いた経験を振り返り、「私は日本人が好きでした」と語った──。
崔漢永氏が日本に渡ったのは15歳の時だったという。
「私は自分の意志で日本に行きました。当時、父親が傷害事件を起こして逮捕され、罰として日本での強制労働を命じられた。しかし父を失うと9人の大家族なので困る。そこで私が代理として『日本に行く』と手を上げました。年齢も18歳と偽りました。
日本での働き先は、福岡県飯塚市にある三菱炭鉱でした。炭鉱には私以外にも何百人もの動員された朝鮮人がいました」(崔氏)
徴用工として日本で働いた崔氏。しかし、日本人からの差別を感じることはなかったと振り返る。
「私は坑道を作る仕事を主にしていました。現場では日本人と朝鮮人が一緒に働いていた。休みは月に1日か2日でしたが、日本人も朝鮮人も同じ労働条件で、同じ賃金をもらっていました。朝鮮人だからと差別や暴行を受けるということもなかった。
特に私は15歳と若かったこともあり、上司のサキヤマさん(日本人)に大変可愛がられた。『私の娘と結婚しないか?』と言われたこともありました」(同前)
https://www.news-postseven.com/archives/20191213_1505139.html/2劣等な人種に自由と富を与えたので問題だ。
劣った人種は劣ったままでおきなきゃならん。
そうしてこそ、初めて、劣等な身の程を知るようになる。조선시대가 더욱 순박하고, 인정이 많아 보인다.
>>7劣等人種は、北海道のアイヌだ。バカ者
いつも闇夜の晩だけとは思うなよ
日帝強占 暗黒時代
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