日本の古墳は巨大水田を開墾する時に整地をした時の残土を利用して陵墓したものです。水田開拓から水路が完成したことで残土は船の移動で持ち出しが可能になったので堤防や埋め立ての残土利用ができたことから徐々に古墳が小さくなり消滅した
仁徳天皇陵が巨大なのは当時に巨大水田開拓をしたことで残土が多かったからです。巨大水田の開墾で生産量が上がり、民も豊かになった。古墳の大きさは権威の象徴と言うよりも開拓の規模と技術力の結果と言えます
仁徳天皇が敬愛されたのは領民の農業発展に尽力されたからだと言えます
ピラミッドみたいな価値観だと古墳の価値を見誤ることになります。朝鮮半島に日本の農業技術が伝来した証拠が古墳なのです
また古墳が特殊な形をしてるのは崩れない為の理想の形状なのです。国立博物館の元キュレターの方に尋ねたらインドから日本に数学が伝来してたから可能だったと言われました
日本の古墳は巨大水田開拓の後の残土を利用したものであり、その技術が朝鮮半島に渡り古墳となった
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