朝鮮戦争で壊滅的打撃をうけた韓国が1960年代後半以降、外債を累積させながら急速に復興し、経済成長と民主化を達成した現象をさす。1960年代前半まで世界の最貧困国だった韓国は、国内総生産 (GDP) が北朝鮮を下回っていた。しかし、韓国は日韓基本条約の日韓請求権協定で個別に国民に支給すると日本側に説明して請求権資金として支払われた3億ドルの無償提供資金を韓国経済発展のための国内投資資金に回したことで半世紀で世界10位圏の経済大国に発展しその恩恵を受けた韓国企業は巨大な財閥に成長した。当時に日韓交渉を担当した金鍾泌元首相(国務総理)も2017年に「1961年に誕生した政府が国家安保や経済再建を掲げて発足したが国庫が底を突き、財源づくりのためには韓日会談の再開を通じた日本の請求権資金しかなかった」と認めている。国交を回復した後に約25年に渡る円借款などを国内投資資金の元手にして、日本からの資金・技術援助を利用することで社会インフラを構築して経済発展を遂げた
1961年に5・16軍事クーデターを起こし政権を得た朴正煕は経済開発を掲げ大衆の支持を求めた。当時、国内総生産はソ連を真似て計画経済を押し進めていた北朝鮮が上回っていて、朴政権の韓国も五カ年計画方式の計画経済を導入することとなる。朝鮮戦争により壊滅的打撃を受け、1人当たりの国民所得は世界最貧国グループであった韓国経済は、その後、ベトナム戦争参戦によって得られたドル資金と、1965年の日韓基本条約を契機とした日本からの1960年代半ばから1990年までの約25年に渡る円借款およびその後も続いた技術援助により、社会インフラを構築して経済発展を遂げた、これが漢江の奇跡と呼ばれる。
1979年の朴正煕大統領暗殺後の1980年、一時的にマイナス成長に転じるが1981年以降急回復し1988年のソウルオリンピックを成功させ、1997年のアジア通貨危機で国際通貨基金に介入されるまで高い経済成長を続けた
急速な経済成長の要因としては内的な要因としては財閥をてこにした輸出志向型工業化政策、独裁政権期の開発独裁による労働組合の抑圧、外的な要因としては、冷戦下、西側諸国、特に日本とアメリカによる膨大な経済および技術援助、欧米及び日本の市場へのアクセス、および経済成長初期の韓国の出稼ぎ労働者の受け入れによる外貨獲得などが挙げられている
漢江の奇跡
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