四溟大師が日本の寺院に残した書が400年ぶりに帰還
京都、興聖寺所蔵の書を公開 国立中央博物館で15日から1カ月間展示
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191015-00034645-hankyoreh-kr
16世紀末の壬辰倭乱(日本でいう「文禄の役」)で僧兵を起こし、丁酉倭乱(「慶長の役」)後には講和および捕虜送還交渉の代表として日本に渡って活躍した四溟(サミョン)大師・惟政(ユジョン、1544~1610)。彼が京都の興聖寺に残した直筆の書5点が韓国国内で初公開される。
国立中央博物館は、四溟大師が丁酉倭乱後の1604~05年、日本の首都京都に講和交渉代表として滞在した際に興聖寺に残した遺墨(生前に書いた書や描いた絵)を寺の協力で借り受け、15日から来月17日まで常設展示室中近世館朝鮮1室で展示すると14日発表した。
四溟大師は壬辰倭乱当時、僧侶たちを集めて義兵を起こしただけでなく、戦後京都に外交使節として派遣され、幕府の実力者徳川家康と講和を結んで朝鮮人捕虜3千人あまりを連れ帰るなど、戦乱収拾にも大きな功績を残した。
ノ・ヒョンソク記者て、言うか漢文読めないだろう
おもしろ展開を期待
仏像、返せよ!!
泥棒国家、韓国人これは返ってきませんわ。。。
本を貸すバカ、借りた本を返すバカ
安倍が輸出管理を撤回し慰安婦と徴用工に真正の謝罪と賠償をするまで、この書はありがたくもらっておく by 文ジェイン
日本での評価の高さとは対照的に、過去の朝鮮における惟政の評価は、それほど高くはなかった。
士大夫の儒教的文官官僚は国難において僧侶階級が大きな功績をあげたことを認めたがらず、
結果として、惟政に対する朝鮮国内の評価は不当に低く据え置かれた。
清正は惟政に向かって「貴国では貴方だけが偽りがなく、他の人は信用できない」と述べた。
当時、小西行長と明の游撃将軍・沈惟敬の間でも、独自の講和条件の探りあいが行われていた。
小西と沈惟敬は講和を急ぐあまり、それぞれの本国に対して嘘の講和条件を伝えていた。
また小西と沈惟敬の講和交渉は、朝鮮の頭越しに行われたものであった。
清正-惟政ラインの講和交渉は、それ自体は成功しなかったものの、
清正が秀吉に真実の情報を報告したことで、小西-沈惟敬による偽りの早期講和構想を破綻させ、
最終的に朝鮮側に有利となる結果をもたらした。日明講和の条件としては当初、李氏朝鮮8道のうち、南4道を日本に割譲する案があった。
それを四溟大師が加藤清正との交渉で押し戻したというストーリーもあるらしいが、実際の話どうだったのかな。
もし当初の講和案が本当だとしても、日本側としては「そんなもの要らない」という話だと思うし、合理的な判断という気がするが。李氏朝鮮は仏教を弾圧していた、朝鮮に書が有ったら廃棄されていたでしょう。
儒教しか認めない文化野蛮国・韓国!間違えて火をつけて、間違えて水浸しにする。
「修復して返すnida!」と言って、より一層酷い事にして、「あれは韓国の物nida!何をしてもこっちの勝手nida!」と逆ギレ。
最後は「チョッパリが火をつけたnida」と報道して、反日を煽って終わり。
ま、こんなもんじゃね?なんかこの文だと日本滞在時に書いたもののようだけど
帰還ってそもそも一度も朝鮮半島に有ったことのないものに使う言葉ではないよな>>1
「何者かに盗まれてしまった。申し訳ない。無い物は無い。」
絶対こう言い出す。>>1
たいそうに書いてるけど
そんな大したことしてないと思うw
僧兵だって、ただの山賊だろw- 20名無し2019/10/17(Thu) 06:10:03(1/1)
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無事に返してもらえるのか? 四溟大師が日本の寺院に残した書が400年ぶりに帰還
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