1929年(昭和4年)の総生産高
アメリカ34.4%、イギリス10.4%、ソ連9.9%、フランス5.0%、日本4.0%、ドイツは不明
技術水準、資源も欧米が上
その条件で、ワシントン海軍軍縮条約で、イギリス:5、アメリカ:5、日本:3、仏:1.67、伊:1.67を不満として、日本は1934年(昭和9年)に条約を破棄してしまう
ソ連を除けば、海軍で世界3位、しかも日本の植民地など朝鮮とその周辺しかない。世界中を駆け回る必要がない
それでアメリカに参戦して負けるのだが、アメリカは別に日本と全力で戦っていたわけでない。ドイツとも戦っていた
アメリカが日本に向けていた戦力は4割です
戦艦大和を造った理由の一つがパナマ運河を超えられないような巨大戦艦を造れば、アメリカに戦艦の大きさで勝てると考えたとか
軍縮条約を守っていたほうがまだ勝ち目があった
国力勝負でアメリカに勝てるわけがない
当時の日本も分かっていたのに、東条英機は精神論で否定した
wiki 総力戦研究所
模擬内閣閣僚となった研究生たちは7月から8月にかけて研究所側から出される想定情況と課題に応じて軍事・外交・経済の各局面での具体的な事項(兵器増産の見通しや食糧・燃料の自給度や運送経路、同盟国との連携など)について各種データを基に分析し、日米戦争の展開を研究予測した。その結果は、「開戦後、緒戦の勝利は見込まれるが、その後の推移は長期戦必至であり、その負担に青国(日本)の国力は耐えられない。戦争終末期にはソ連の参戦もあり、敗北は避けられない。ゆえに戦争は不可能」という「日本必敗」の結論を導き出した。これは現実の日米戦争における(真珠湾攻撃と原爆投下以外の)戦局推移とほぼ合致するものであった。>>292
>日本が戦わなければ、アジアやアフリカ諸国はいまだに植民地のままで、独立もできていないだろう、
フィリピンはアメリカからの独立を約束されていた
どの道、植民地解放は時代の流れ、多少早いか遅いかですね
別に人道上からの理由だけでなく、個別に植民地を持たれるよりも、経済のルールさえが守られれば企業が活動しやすいから
アメリカの奴隷解放が北部の労働不足から起こった理由とおなじ理由ですよ
>だから一部の変な国を除けば、みんな日本に感謝している、
戦後の日本の貢献によるものでしょ
日中戦争で日本をほめている国など知らない。対米戦はその継続のためでしょ。
↓
wiki マハトマ・ガンディー
しかし、同時にガンディーは「すべての日本人に」と題された声明を発表し、「欧米帝国主義国の植民地からの解放」を掲げつつも、強権的かつ人種差別を明確に掲げるナチス・ドイツやファシスト政権下のイタリアと組み、覇権主義的な行動を見せつつある日本の姿勢に対する疑問を明らかにし、「もしもあなたがたの国に行くことを許されるならば、あなたがたの国へ行って、中国に対し、世界に対し、したがつてまたあなたがた自身に対して行っている暴行をやめるように懇願しましょう。そのために私の健康が、いや生命が損なわれても意に介しません」と日本に対して呼びかけている。満州事変は国民党との終わりなき対立関係を生じさせるのみならず、
軍の独断専行を認めた満州国承認問題によって、日本政府の統治能力の欠如を世界に表してしまう
同様のことは第二次上海事変でも繰り返され、
以降の政府は、軍を統制するためとしつつも、軍への迎合を深め、日中戦争の拡大は際限がなくなっていく
それでも仏印進駐まで対日石油禁輸は行われず、先に攻撃もしなかった連合国やアメリカは、
日本よりはよほど慎重に事を進めていたと言える戦争で勝つことは想定していたものの、勝った後のことをあまり考えていなかった気がする。
大日本にはバカしかおらんから、何をしようが最終的に勝利することは不可能であるw
>>260
アメリカの介入が無いなら南方攻める必要も無いし
その戦力を全て中国に投入すれば全土取れただろ
満州だけで終わるのもったいない>>307
>それでも仏印進駐まで対日石油禁輸は行われず、先に攻撃もしなかった連合国やアメリカは、
>日本よりはよほど慎重に事を進めていたと言える
アメリカは、戦争を仕掛ける口実はいくらでもあったけど、中国に領土的野心がなければ結局ボランティア活動で戦争をすることになりますから、経済制裁と交渉でどうにかしたかったのでしょ
今の北朝鮮の扱いと同じですね蒋介石に対日戦争を決意させたのが満州事変で父親を殺された張学良
本当に因果応報だ>>311
中国文化は違うでしょ
科挙とか身分差や国籍にとらわれず抜擢する制度、
阿倍仲麻呂は奈良時代に日本人で合格して、唐の時代に高官となりましたが、その時代にその制度を作って厳格に実行した中国もすごいものです。
浅田次郎の『蒼穹の昴』を読んで中国の近代史を調べたことかありますが
清から中華民国に代わるころ、日本の幕末と似たところがあって面白いものです。
少なくとも、中国を朝鮮と比較してはだめですねアジア諸国を独立させたあとに、資源だけ使わせてもらえばよかった
>>319
意外なことに財閥は満州事変や日中戦争に反対していたという説を読んだことがあります
戦争をしなければ、中国の反日は高まらず、地理的に日本が有利だから中国市場で儲けることができるというのがその理由だそうですただ蒋介石としても、命の危険もあったし、承知せざるを得なかったのだろう
それに日本と戦端を開いても、上海周辺の防衛戦で膠着状態に持ち込み、日本との講和を引き出して、
北伐を再開する算段だったのではないだろうか
それがここでもまた、ええ・・・な事態が発生
上海派遣軍がドイツが構築したゼークトラインを突破しちゃう
しかも不拡大方針を無視して
ええ・・・ここにはバカしかおらんなw
チョツパリはバカだから何をしようが最終的が勝利することは不可能である。>>324
いやそれでも国共合作は当時の選択としては最善ですから
蒋介石も嫌なら解放された後に撤回すればいいのでしょうけど、それしか日本に勝つ選択肢はないわけで
ちなみに国共合作は口約束のみで書面はありません。
蒋介石が拒否して、張学良も蒋介石の自尊心を傷つけるからと取り直したそうです。
そして、張学良と一緒に蒋介石を拉致した人は、処刑されています。張学良自身も蒋介石が死んだ後も台湾で軟禁状態になっています。最晩年には解放されますが100歳まで生きていた人ですから
蒋介石は口約束でも約束は守りが裏切りは許さないイメージなのですが、
単に中国本土を手放さなければいけなくなったから、張学良を許せなかったのかもしれませんね旧日本兵が全員 船坂弘だったら勝てた
日本は敗戦したから豊かになれたのかなと思う所も少しあって、もし日本が勝たなくとも負けてなかったら、ちゃんと今のようなバランス取れた国家になってたか疑問に思います。
流石に天皇陛下もどこかの時点で軍権と政権を議会に譲ろうとされるでしょうけど、果たして国民がそれを許しただろうか?
うーむ。満洲で原油が取れたら日本はもっと頑張れた
でもね 船はある 戦闘機も残ってる
だけど石油が無いんだ・・・ババ(朝鮮)棄てれば勝てたかも
>>332
>なので折衷案的に「満州は返さない。だから国際連盟も脱退してやる!」「でも中国との戦線拡大はダメ!」と軍部を説得するしかなかったかなーと想像しました。
それは石原莞爾の方針そのままです。
彼は満州事変を起こしながら不拡大方針でした。
参謀本部から追放された後も中国との停戦のために活動しております。
東条英機暗殺も計画していました。計画した日に東条は辞職し中止しましたが・・・
その辺は調べてみると面白いです
でも前例をつくってしまった石原莞爾では止められなかった
wiki 武藤章
武藤たち関東軍が進めていた内蒙古の分離独立工作(いわゆる「内蒙工作」)に対し、石原莞爾が中央の統制に服するよう説得に来た際に、「石原閣下が満州事変当時にされた行動を見習っている」と得意の毒舌で反論して同席の若手参謀らも哄笑、石原は絶句したという。>>333
>旧日本兵が全員 船坂弘だったら勝てた
船坂弘?
知らないです。wikiで調べたら捕虜になっているでないですか?
それでは、アメリカに勝てません
戦術抜きの前線での最強の指揮官は、宮崎繁三郎だと思います。
調べてみてください>>335
>実際に日本も不拡大方針であったわけですし、途中までは落とし所はあった
何回かありましたね。
でも日本側がまとめきれなかった。
停戦にまとめきれなかったら、最終的に世界を敵にまわして敗北しかありませんよね>>336
>でもね 船はある 戦闘機も残ってる
>だけど石油が無いんだ・・・
残っていませんよ
鉄も不足していましたし、アメリカとは生産力が段違い
「昭和天皇実録」の謎を解く 文春新書
半藤 そして、昭和20年6月12日からの長谷川の報告が、天皇の無条件降伏受け入れを後押しする要因の一つとなったことは確かでしょう。『実録』にはありませんが、査閲使に任命された2月から、長谷川は兵器廠や横須賀、呉、佐世保、舞鶴の鎮守府、航空基地を自分の目で確かめてみた。その結果、『自動車のエンジンをつけた小型艇が特攻兵器として用意され、隊員も訓練不足、戦争能力も日に日に失われております』と報告する>>338
>カースト制度があります、パキンスタンと戦争してます
パル判事は、カースト制度の中間層から植民地時代に東京裁判の判事となるぐらいの地位は手にしていました。
パキスタはインドからの独立でしょ。侵略戦争とはまた違う>>339
>インドシナ戦争で体制を維持できなくなったアメリカの捨て台詞に過ぎないw
インドシナ戦争はベトナムとフランスの戦争です。
アメリカは戦前からフィリピンを独立させるつもりでした。
wiki 第一次インドシナ戦争
第一次インドシナ戦争(だいいちじインドシナせんそう、ベトナム語: Chiến tranh Đông Dương / 戰爭東洋、仏: Guerre d'Indochine)は、1946年から1954年にベトナム民主共和国の独立をめぐってフランスとの間で戦われた戦争。単にインドシナ戦争と呼んだ場合、これを指す事が多い。
wiki フィリピン
1934年にアメリカ議会はフーバー大統領の反対を押し切り[10]、タイディングス・マクダフィー法で10年後の完全独立を認め、フィリピン議会もこれを承諾したことで、フィリピン自治領からフィリピン・コモンウェルスに移行したが、アメリカはフィリピンにアメリカへの依存貿易を続けさせるなどの利権を確保し続けた[11]。アメリカの要求は「中国から軍を引け」だった
ロシアは危険だったけど引いて
石油再開してもらった方が良かったかもね>>348
石原は決して平和主義者ではなかったけどね
第一次世界大戦が終わって、国際連盟をつくって、不戦条約を結んで、軍縮をして、どうして軍は突然暴走し、軍拡路線を進んだのか不思議だったが、
軍は、第一次世界大戦をみてまた同じ戦争が起きると考えたらしい。
そうしたら民主主義による決定などやっていたら負ける
と言うことで、昭和維新で議会を潰して天皇親政を狙ったのが皇道派、合法的に翼賛会を作ったのが統制派
同じ戦争が起きるはずと考えているから、いつかアメリカやイギリスが攻めてくるはずと考えた
実際は、欧米は軍縮をやっていてドイツ相手にフランスは占領されイギリスはドーバー海峡でかろうじて助かった状態で、大戦争を起こしたのが日本側というのだから笑えない
そういう背景を考えて、石原莞爾の世界最終戦論を読むと面白いかも>>349
>全ては満州だな
>ロシアへの牽制や資源の事もあったが
>最大要因は中共が
満州事変を起こしたとき、ロシアはありませんし、中共は満州で活動しておりません
>「過去の条約は、もはや無効」
>として
>日本人への迫害を開始した事だ
日露戦争後、軍は満州からの撤退を拒否して軍政をする(事業に着手し租税を取る)、対華21ヶ条要求という不平等条約を押し付ける
国際社会的には、対華21ヶ条要求を認めないと国際連盟に参加しないと交渉して認めさせる
そして中国の対日感情が悪化したわけですね。
伊藤博文
『余の見るところによると、児玉参謀総長らは、満州における日本の地位を、根本的に誤解しておられるようである。満州方面における日本の権利は、講和条約によってロシアから譲り受けたもの、即ち遼寧半島租借地と鉄道の他は何物もないのである』>>350
12月に真珠湾ですから、あと3か月ですね
そして石油の備蓄が2年だからそこから戦争を始めて1年半ほど
アメリカも時間稼ぎしてましたしね>>349
1:外満州:満州地域のうち
1858年のアイグン条約と1860年の北京条約で
清からロシア帝国に割譲された部分
2:日清戦争・下関条約で遼東半島(満州辺り、ロシアの目前)を得た日本
3:日露戦争(南下するロシアと大喧嘩)
1905年、ロシアの重要拠点であった旅順要塞が陥落
アメリカは日本とロシアによる満州分割に強く反発????
1910年:日韓併合、1917年:ロシア革命
1931年:満州事変
1933年:国際連盟総会は日本の満州からの撤退勧告案を可決
1934年:スターリン政権下のソ連が国際連盟に加盟を認められた
1941年:太平洋戦争 これであってる?
一体どうすればWW2で日本が勝てたのか?
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