丸木舟の実験航海が完結 台湾から200キロ以上離れた与那国島に到着

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    • 1独り言2019/07/10(Wed) 06:53:37ID:g2NjU0MzA(1/2)NG報告

       三万年前、日本人の祖先がどのように海を越えてきたかを探る実験航海に挑んだ国立科学博物館のチームが九日、丸木舟で台湾から二百キロ以上離れた沖縄県・与那国島に到着、実験は成功した。

       地図や時計は持たず、星や太陽の位置で方角を判断しながらの旅。流れの速い黒潮を横切り、夜を徹して丸二日近くこぎ続けた。

       エンジン付きの船で丸木舟に付き添ったチーム代表の海部陽介・同博物館人類史研究グループ長(50)は「一時は方向を見失いどうなるかと思ったが、到着でき本当によかった」と話した。こぎ手の五人は疲れているが健康状態に問題はないという。こぎ手のキャプテン、原康司さん(47)は上陸後、「完璧な航海だった」と語った。

       日本列島には、朝鮮半島やサハリンからとは別に、大陸と地続きだった台湾から海を越えて渡来した人々がいたと考えられている。ただ、どんな舟や航海技術を使ったかは分かっていない。今回の方法が実際に使われたとは限らないが、当時の技術水準を知る手掛かりになりそうだ。

       チームは二〇一六年以降、草の舟や竹の舟で実験したが、黒潮を渡りきれる速度が出せず失敗。最後の挑戦となる今回は丸木舟を使うことにした。

       石おので杉を切り倒し、中をくりぬいた舟で、長さ約七・五メートル、幅約七十センチ。シーカヤックの熟練者ら男女五人が乗り、伴走船とともに七日午後、台湾東岸を出発していた。

      https://www.chunichi.co.jp/article/front/list/CK2019070902000299.html

    • 2名無し2019/07/10(Wed) 07:54:54ID:kyMDQ2MTI(1/1)NG報告

      当時の船がこんなだったか、の裏付けてあるのかね?(´・ω・`)

    • 3独り言2019/07/10(Wed) 08:00:08ID:g2NjU0MzA(2/2)NG報告

      ペプシ坊やたち。

      なんでも半島経由というわけじゃないからね。

    • 4名無し2019/07/10(Wed) 08:18:34ID:c3ODI2ODA(1/1)NG報告

      木造船でフィリピン→台湾→沖縄→日本本土と乗り継いで来たと言う裏付けか…

      長い年月を得て縄文人とアイヌ人と弥生人が混ざって今の日本人を形成してるか!
      ん??黒山葡萄族の朝鮮人はどうやって日本に来たのかな?
      奴らの事だから木造船もその時代じゃ作れないと思う…🤔

    • 5名無し2019/07/10(Wed) 08:22:45ID:E4Mzk3NDA(1/1)NG報告

      丸2日漕ぎ続けて与那国島か。

      国という概念も希薄で、豊かな場所を探そう、腹一杯食べたい、迫害から逃げたい・・

      何があって何を考えて渡ったんだろうね。
      辿りついた時は嬉しかったんだろうか?

      生きることが、今より大変で食べる事が幸せだった時代だね。

      先祖が黒人だとか、文化を教えたとかそんな価値観しかない馬鹿な韓国人。
      教師が、かなりダメなのがわかる。
      そんな国に教科書の事を言われたくない。

    • 6名無し2019/07/10(Wed) 08:27:54ID:QzMTE2MzA(1/1)NG報告

      >>1
      >日本列島には、朝鮮半島やサハリンからとは別に、大陸と地続きだった台湾から海を越えて渡来した人々がいたと考えられている。

      朝鮮半島から日本にはやって来ていない
      朝鮮半島に住んでいた人達は海洋民族ではなかったから海を渡って日本に来ることは出来なかった
      朝鮮半島と日本が交流するようになったのは2千年前ころからだ
      日本に朝鮮半島から渡来人がやって来たのは古墳時代(4世紀~7世紀)だ

    • 7熱帯カマキリ 2019/07/10(Wed) 08:56:31ID:U3MDg1NzA(1/1)NG報告

      その先に陸地が有ると分かってなければ出来ないだろ?
      最初は遭難して、たまたまたどり着いたと考えるのが自然

    • 8名無し2019/07/13(Sat) 04:10:46ID:I3NzM0NDM(1/1)NG報告

      日本は同じ民族の台湾や東南アジアと仲良くするから、キムチ民族は中国と仲良くしてね^^

    • 9名無し2019/07/13(Sat) 04:27:30ID:gyMTAzOTM(1/1)NG報告

      ヤム号漂流記
      副題が ルーツを探って2300キロ

      フィリピンのアパリと云う漁村から九州までの航海記.
      船の構造は竹を三重に組筏を作り、ポリネシア風にペイントしてある
      キャビンの食卓をどけると穴があり、その中に入ると筏の下に通じるが主にに船底のメンテナスに使うようだ この航海記は、日本のルーツを柳田国男の「海上の道」を仮説にしての実験航海でもある。
      https://rdsig.yahoo.co.jp/blog/article/titlelink/RV=1/RU=aHR0cHM6Ly9ibG9ncy55YWhvby5jby5qcC9oYXJpa29ub3RvcmkvNjc0NTg3MzUuaHRtbA--

    • 10名無し2019/07/15(Mon) 23:33:02ID:AxNDU2NjU(1/1)NG報告

      >>7
      山に登れば与那国島見えるんじゃない?

    • 11独り言2019/07/23(Tue) 15:15:08ID:A1MzU2NjY(1/1)NG報告

      >>2
      琉球王国で使用されていた船舶や舟艇のうち、大型構造船である進貢船はジャンクであり、やや小型の馬艦船(マーラン船)もそれに近い構造を持っていた。また、奄美群島の板付(イタツケ、イタツキ)や小早船(クバヤ)、沖縄本島北部のタタナー(二棚船)、大宜味村の祭ウンジャミに登場するハーリー船、八重山諸島の豊年祭に登場するパーレー船など和船に類似する構造を持つ船もあったが、それより南で用いられていた小型のサバニは全て丸木舟(クリブニ)であった。

      丸木舟構造のサバニは、わずか2~3名を乗せることができる程度の大きさで、櫂で操縦する小舟であるが、明治期以後、アギヤーと呼ばれる追込網漁の出現と進展に適応して大型化し、造波抵抗を除去するための工夫と配慮がなされるなど、船型を洗練させた。その結果、凌波性とともに高速性が向上し、サンゴ礁域のような障害の多い水域で操業するのに優れていた。
      https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%B8%E6%9C%A8%E8%88%9F#%E5%85%88%E5%8F%B2%E6%99%82%E4%BB%A3%E3%81%AE%E4%B8%B8%E6%9C%A8%E8%88%9F

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