最初に言っときますが煽りたいわけではない!
こういうスポーツ観戦の価値観が全く解らないので精神文化論として考察したい
日本人なら解るだろうけど「完封負け」を自慢する文化がないし、集団スポーツを比較対象することの意味の無さも解る
そもそも明治維新の近代化は西洋と日本で互換性のある精神文化があったから
騎士道と武士道、craftsmanshipと職人気質
西洋の順法主義も律令や法度の日本人には理解できた
日本が西洋の精神文化に違和感がなく取り入れられたのはこの為。これが儒教国家の韓国との違い
当然「スポーツ」と「武道」にも共通の精神文化があった
日本スポーツの父、柔道講道館の創始者『嘉納治五郎』が掲げた「精力善用」「自他共栄」は武道の精神です。これはそのまま「sportsmanship」になる
スポーツは相互理解を深める平和のシンボルなのです。結果を超えて精神的なプロセスが重要になる
嘉納治五郎がアジア初のIOC委員になったのは五輪精神(オリンピズム)を既に体得していたからです
韓国人にはこれが無い。スポーツにおける精神文化が入ってないのです。単に競技を輸入をしただけです
日本人には理解できないアンチスポーツ的な精神がなぜ韓国で育まれたのか推察してもらいたい
日本対カタールの韓国人の精神勝利が尋常ではない。これは先祖代々受け継がれてる価値観なのか?
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