- 私が最初日本に着た時、兵卒の制服を見て驚いたものだ。 
 それはとてもだらしなく見え、軍隊式のきりっとしたところが欠けていた。
 彼らが招集される事になった時、こんなだらしなさが勤務にまで影響するのではないかと心配したものだが
 それは戦争が起こって日本軍人の完全かつ機敏なる事が証明される事になるであろうとは全く思い及ばなかったからである。
 さて、いよいよ戦争勃発の時がきた、
 しばらくの間、遠いところで戦争の危機が迫りつつあるのを感じてはいたが、ある晩それが始まったことを穏やかに告げられた時、私はたいへんびっくりした。
 日本では重要なニュースは号外によって報道される事になっており、新聞を抱えた売り子はひっきりなしに鈴を鳴らしながら往来を駆け回るので、それを聞きつけた熱心な読者はすぐに家を飛び出して買い求めるのである。
 戦争が始まってからそれが終わるまで、号外の鈴はいつも鳴り続けていた気がする。
 次に思い出すのは(略)急に馬車が止められて数人の兵隊が教練を受けているのを待たされた事であった。
 それは十名足らずの小人数だった。恐らく通りから外れているので教練の場所として選ばれたのであろう。
 毎日のように方々の路上で、一生懸命教練をしているこのような分隊をみかけた。
 市電の激しく往来している通りで、彼らは調教をするので、通行人にとってはこの上なく危険なやり方だったが、どんな場合でも状況に合わせて自由に馬を乗り越せない騎手を見た事がなかった。
- >>87 
 朝鮮人の感覚はわからんな
 大変な目に遭ったが恨んでいない
 何がおかしいんだ?
- >>89 
 なんの話してんの?
 うちの家系の話?
- 俺が明治維新がただの権力交代だなんて言ったか? 
 そんな事言わないと思うが
- 俺が明治維新を語ると長くなる 
 橋本佐内は「積極国防」を提唱していました。
 「日本は東海の一島国であり、現在のままでは四辺に迫る外来の圧力に対して独立を維持するのは難しい(中略)国内の大改革を行い、外国から人を雇い、産業興し、海軍と陸軍の大拡張を行わなければならない」
 ここらへんから
- >>93 
 韓国人の国民性に皮肉を言っているのかな?と思いましたが違いますか?
 日本の歴史に興味を持って、ちゃんと内容を理解しようとしているように感じられたので。
- ついでに言う 
 近代法が作られたのは明治以降だ
 法治国家は法の遡及適用はしない
 法治国家ではない韓国とは違うの
- 政権交代とか言うから突っ込まれるのでは? 
 皇室はかわってないぞ
- >>102 
 800年前の元寇の責任を韓国に問うか?
- >>102 
 早く李氏朝鮮王朝に土地返してねー
 もしかして王朝の人?
 土地返って来るかもよー
- >>110 
 大政奉還の意味を知らないのね
- >>110 
 妄想はわからん
 具体的にどうぞ
- >>116 
 馬鹿チョンに教えるわけが無い
- >>118 
 李氏朝鮮王朝が日本と関係ない?
 意味がわからないので詳しくお願いします
- >>118 
 その関係無い馬鹿チョンパヨクにこっちは祭りをやめろと散々嫌がらせの抗議を受けてるんだがね
- 朝鮮ハゲは中途半端にてきとーな話で誤解を振りまくな。 
 明治4年に国有化した神社・寺院の境内地については戦後から、問題化して
 政府が法整備してほぼ解決している。
 「社寺等に無償で貸付してある国有財産の処分に関する法律」等。
 解決してないものは国有化後撤去しがたい施設を建設していた場合等、特殊条件のみだ。
 つまりあなたがいうルーツが真実なら、あなたが知らないところで、先祖や親族が補償をうけて終わってる。
- 当時の武士の人口なんて微々たるもの 
 一般人には殆ど関係ありません
- >>123 
 とても勉強になりました。多くの日本人に知ってもらいたい内容でした。
 ありがとうございました。
- 日本人は知能が高いから状況判断でどっちが正解か判断する力がある 
 今後見直される可能性はあるが当時の状況下で何が正解だったかは日本の近代が証明している
- >>123 
 追加です。
 1から39辺りまで一気に読んで良くわかりました。ロシアも対馬を一時占領しそうになったことも日本人はあんまり知らないでしょう。先祖に宮司がいたこと、知人が某有名大社の一族で一時官幣大社になったこと、韓国の人がどのようなことを言っているのかも併せて、後はボチボチ読まさせていただきます。
- >>116 
 興味深いご意見でした。韓国人の恨みの文化が、やっと理解できました。日本人とは大きく違うことが分かりました。
 日本では昔から、戦っても、負けた方を徹底的に抹殺しません。だから恨みの連鎖はありません。
 それは戦国時代でも大将が降参して、首を差し出したら、部下は大方が許されました。
 外国との戦争でも、日本海軍は戦ったイギリスの軍艦から海に投げ出された兵隊を助けています。
 150年前に徳川幕府から明治政府に代わりましたが、国家の為に使ったのであって安倍総理の先祖が取ったのではありません。
- 日露戦争にも従軍した英国写真家。『 In Lotus Land Japan 』Herbert George Ponting 
 <日本の女性について>
 日本の家へ一歩踏み入れれば、そこに婦人たちの優雅な支配力が感じられる。
 ==中略==
 彼女は独裁者だが、大変利口な独裁者である。彼女は、自分が実際に支配しているように見えないところまで支配しているが、それを極めて巧妙に行っているので、夫は自分が手綱を握っていると思っている。
 そして、可愛らしい妻が実際にはしっかり方向を定めていて、彼女が導くままに従っているだけなのを知らないのだ。
 <日露戦争に向かう兵士とその妻>
 戦場へ行く船に乗り込む前に、兵隊が妻や母親に最後の別れを告げる場面を数多く見たが、そこで、彼らが涙を流しているのを見たことがない。
 逆に笑顔を見たことは何度もある。というのは、日本では笑顔は心のなかの苦しさを隠す仮面となっているからだ。
 婦人たちの表情は毅然としていて少しも気落ちしていないように見えたが、
 こんなにかわいらしく心優しい人々にとって、それだけうわべを装うのはかなり難しいことであったに違いない。
 別れるときは抱擁をしないでお辞儀を何度も繰り返し、優しい声で何回もサヨナラを言った。
 <日本の赤十字>
 日露戦争当時、上流の婦人たち、その多くが貴族階級だったが、彼女らが赤十字を運営していた。
 そこを統括していたのは総司令官である大山巌の夫人であった。彼女たちは、何ヶ月も毎日のように朝から晩まで働いて、厳しい冬に備えて満州に送るため、
 自分たちの美しい手で温かい毛織やフランネルの衣類を作っていた。その後、彼女達は針仕事以上のものに進出、つまり病院の仕事に打ち込んだ。
 <薩英戦争>
 教科書等では、砲台などが破壊され、ボロ負けした印象だったが、実際は
 日本側の大砲と嵐の猛威によってイギリスの艦隊はそれ以上の損害を被って引き上げたのだそうです。
- >>129 
 いやぁ。それは、申し訳ない
- >>122 
 それは違う
 幕府を守った新選組は、その構成員のほとんどが町人や百姓だよ
 立場が変わって高杉の奇兵隊
 これもほとんどが町人だ
 武士階級ではないやつらが
 「武士がなんぼのものだ!俺たちこそ武士なんだ!」
 て、明治維新は起こってる
 当時の武士階級は2割程度だったけど
 その武士よりも、一般人の方が武士だった
- >>123 
 諏訪大社の当主は戻れない。今後も戻れないよ。
 政府が意図して戻さなかったからね。
 明治維新まで延々、諏訪大社の当主は、天皇家に敵対した氏族の子孫の本家だった。
 当主家が行なう祭事は元来、天皇家と敵対する氏族の祖霊を祀るものだった。
 祖霊の祀りは、血族が行なうほど力を増す。だから、天皇家と敵対してきたお諏訪さんの神官の当主家は戻せない。
明治時代の日本を知ろう『明治日本見聞録』エセルハワード 面白い部分を少し書いて行きます
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