韓国では線(善意)を独占した政権が一方通行式で理想を的政策を追求することについて、市民社会が自らの役割をできないしていて見えるからだ。
最低賃金と脱(脫)原発問題は、もちろん、無限の「内ワーナンブール」式(式)積弊清算を見ながら入るもう一つの考えは、今、私たちが「道徳争奪戦」に陥没した21世紀版(版)朝鮮時代に留まっということだ。韓国で8年間勉強した小倉基調京都大教授は「韓国は、カラフルな道徳争奪戦社会」と「道徳を持てばすべてを独り占めする道徳、権力、富(富)が三位一体である独特の社会が韓国だ」とした。
朝鮮時代では、道徳だけ争奪する権力と富同時に持つことができた。したがって、当時党争(黨爭)は、相手の能力不足を指摘するよりも、道徳的欠陥や問題を叱咤するために集中した。数百年前と同様に、今も私たちの政界は、自分の道徳証明を越えて相手の不道徳さを明らかにしようと、あらゆる無理を置いている様子である。そのためか、最近「韓国で政権は政策の失敗ではなく、道徳的欠陥のために失う」という言葉が出回っている。4次産業革命のような人類最大変革期である今、私たちはまだ「国家主義」と「道徳争奪戦」に陥っているのが残念だ。
http://news.chosun.com/site/data/html_dir/2018/12/30/2018123001853.html>>1
韓国における「道徳」とは、
相手を攻撃するためだけの道具に過ぎない。
「お前は道徳的に問題がある」
このように他人に向けるためのもので、
自らが道徳的かどうかは一切考慮されない。元在日で日本に帰化した金田さんのブログから
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若い同胞は知らないと思いますが「春窮、麦嶺越え難し」という言葉があります。
私たちの祖先は日本のような高い農業技術が育たず、それにも関わらず高い税率を掛けられていたので、大麦の収穫を待つ春と粟類の秋の年に2回は食料が不足してしまい、ちょっとした飢饉が起きればすぐに餓死者が出てしまうような、今の北朝鮮よりも酷い状態でした。
李朝はこの時にどうしたのかというと「中国や日本からの 食料買入れを許すよりも、 むしろ国民の半数が死んでいくのを放置しておく道を選んだ。」 (『朝鮮事情』より)という状況だったのですね。それ故に、シャルル・ダレは「どこの道にも死体が転がっている」と書いたのです。
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同胞同族を簡単に見殺しにしていた朝鮮時代を『道徳的』だったとか、どういう感覚で言うのか日本人には理解しがたいわな。>>1
そもそも韓国の言う『道徳・善意』とやらは道徳・善意ですらない。せいぜい多数意見として認められた鬱屈の捌け口。そいつを叩くことが気持良いか悪いかでしかない。多数が気持ち良いと感じれば道徳的。レーダー照射問題でも韓国側の不自然な言動を無視して日本を叩く姿のどこに道徳性・善性があるというのか。
道徳・善意と多数におもねることはそれぞれ別の概念なのだが、韓国人はそれが別の概念だと知らないのだろう。知らないからこそ自分たちのやってることが道徳・善意だと本気で信じられるし、こちらがそれを指摘しても理解できない。
多数におもねることこそが善だと信じるからこそ、ロウソク革命なんかをあれほど誇らしく思えるし、ルールを破っても平気でいられる。なぜなら多数の意見は善であるから。多数がルールを破ることを望むのならそれを破ることが善になる。むしろ善いことをしたと誇らしくさえ思っていることだろう。
韓国人的には良い欲求も悪い欲求も多数が欲すればそれが道徳・善となる。悪い欲求、破滅的欲求があることを知らない。韓国人は 道徳が好きなくせに まったく道徳的じゃないもんな。
自分は道徳の外に立って、特別扱いされるのが当然で、
相手にたいしてだけ 道徳的であることを求める。
どこまでも自分に甘く、誰も責任を負わない。
責任を負うのは他人であって、自分ではない。
こんな連中と付き合っていいことないからな。
距離を置くのが正解だよね。
韓国の権力闘争は過去も現在も「道徳=権力=富」をめぐる争いである
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