モンゴルの侵略で無惨に廃虚となった高麗
その中で最後まで抵抗した三別抄という武装集団があった。
彼らは全羅道から敗北して済州島へ、そしてそこで滅亡したと知らされていた。
だが、現代の琉球で高麗の瓦が発見された。
瓦には癸酉年高麗瓦匠造と書かれてあって
癸酉年は三別抄が滅んだその年である。
1273年、済州島で滅んだはずの三別抄は生きる道を見つかって遠くの琉球まで達してしまったのか。
でももしそうだとしたら、なぜ生き延びて琉球で定着した三別抄はそこで自分たちの事を記録に残さなかったのか。どうであれ、三別抄の末裔が琉球に生きているのならば、とても感動的であると思う。
琉球使節の腹式を見たけど、とても朝鮮と似ていた。ああいう笠、朝鮮以外ではめったに見られない。
投稿する前に、このスレは起源主張をするスレじゃないことを明白にする。
ただ朝鮮半島と琉球の共通点を探して知識的興味を呼び起こすスレであります。
三別抄は琉球で生き延びたのか
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