【朝鮮日報】「安重根の平和思想、韓日の青年たちに伝えたい」 銀座で追悼会
10日夕、東京・銀座の韓国料理店で開かれた追悼会は、日本では珍しい集まりだった。日本の初代韓国統監・伊藤博文を射殺した安重根(アン・ジュングン)義士をたたえる人々が韓日両国から集まったものだ。日本で安重根義士の平和精神を伝える活動をしてきた日本人十数人がマイクを握り、安義士が広めようとしていた平和思想の重要性を力説した。
(全文はリンク先を参照)
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2018/09/12/2018091201196.html
■テロに平和思想なんかないし、本物の平和思想の中からテロリズムは生まれるわけがない。
この会に参加した奴は自分でテロにあってみればいい。- 2
名無し2018/09/12(Wed) 19:22:07(1/1)
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>>1
テロリズムの推奨w
でもこれって「現総理大臣の暗殺肯定」に転化できるよな
あぶね~・・・(´・ω・`)~今日の朝鮮ジョーク~
・テロリズムは平和思想
・テロリストは平和主義者思想のためなら
丸腰の人を射殺しても
平和主義ww安重根が平和主義者かどうかは別として。
日本人で安重根を英雄だと思っている人は
よほど特殊な思想の持ち主だろう。
それを
>>1 この記事では、まるで日本人が安重根を尊敬しているかのように、
ミスリードしている。
伊藤博文が朝鮮人に暗殺されたことは知っていても、
安重根の名前なんて
日本人はろくに覚えていないよ。安重根はガヴリロ・プリンツィプと同等の人間。
経歴を見る限り、何をやっても中途半端に放り投げて身に付かず、それでいて育ちはいいので知識だけは人一倍あった、典型的な妄想を拗らせたボンボン
東洋平和論も大久保利通が起草した興亜論に沿ったものに過ぎないと言うのに、なんで安重根に思想があったなんて思うのかね?安重根ごときがなんで伊藤博文に近づけたのか
不思議でしょうがない
どこぞの誰かに乗せられて踊ったバカチョンに過ぎない>>9
じゃあやっぱりロシア人の高官が手引きして、内部まで引き入れたんだな
誰のためにロシア語で万歳(ウラー)を言うんだよ偉人や英雄と言えるレベルにない。悪気ない理想を夢想していたぼんぼんとしてのお情けはかけれる。
>>12
日本語で読めばいい
あんじゅうこんでいいおよそ全ての政治的行為は結果によってのみ評価される。どれほど高邁な目標を掲げていても、それが達成されないのであれば、ただの妄想と何も違いはない。ゆえに、その過程において、「結果は手段を正当化する」とは言えるが、「目的は手段を正当化する」とは決して言えない。
安重根による伊藤博文暗殺はどのような結果をもたらしたか。日韓併合反対派の旗頭であった伊藤が暗殺されたことにより、もはや歯止めは利かなくなった。つまり、大韓帝国の独立を失わせる方向を加速しただけだった。また、ロシアに対して比較的融和的だった伊藤が失われたことにより、日露開戦はますます不可避となった。結果として、安重根の行為は、大韓帝国独立維持の役にも立たず、朝鮮半島を戦火から遠ざけることにもつながらず、むしろ反対の方向を加速しただけだった。
以上から、安重根は愚かなテロリストだったという以外の結論はない。たとえ仮に彼がどれほどの人格者であったとしても、政治的意図は何一つ達成されず、むしろマイナスにのみ作用した。韓国人たちが日頃声高に主張するように、日本による支配が世界史上最悪かつ最凶の収奪がなされ、地獄の日々だったとするのであれば、彼の愚行がそれを加速したという点で、むしろなぜ韓国人から糾弾されないのか、不思議でならない。>>15
同意する。しかし、朝鮮人はその場かぎりの感情/判断で行動するから、長期的視点で判断して行動することは、1000年経っても無理だろう。
今でも、一年余り前に、鳩山由紀夫級の大統領を選んでおきながら、すでに国内支持率が落ちる一方。自分たちで大統領を選んでおいて、すぐに引きずり下ろす行動をする。
日本も鳩山由紀夫に政権を与えた過去があるけど、その経験を多くの国民は学習した。
経験から学習できずに、同じようにその場かぎりの感情/判断で動く韓国人に、長期的思考は無理。安重根の名前の由来
18㎝の男根、つまり一般的な朝鮮人男性の2倍の長さの男根を誇っていたという。
だから男根を重ねるという意味で重根と名乗っていたという。
口癖は「安重根の男性自身は白頭山より高く、漢江より長い。」だったという。>>1
平和を愛するから56すぜ、奪うぜ
とかどうなってんの?wISISと同じ事してるけどwwww
>>12
やすおもねでいい併合慎重派の重鎮を暗殺してしまった結果 併合されるに至ったわけだが
鮮人が理解出来るわけ無いな安重根氏は、約1世紀以上前に、その時代において彼がしようと思う事を行ないました。
今では、彼の真意を直接聞くことも出来ず、資料のみが残されている状態であると推察します。
また、彼が、人生のはじめから終わりまで同じ考えを持っていたと考えることも、
自身や他の事例から判断するにおいて極めて不合理です。
そうです。人の心は、その時々、木から木へと飛び移るサルのように変わり続けるものです。
歴史上の人物については、通常であれば追悼会は、
彼を当該時代を生き抜いたひとりの歴史上の人物として研究し、
当時の状況の中で、彼が行ったことと、その解釈について研究を発表する場となるでしょう。
約1世紀前という事であれば、多くの場合、いまだその評価は固まらず、
研究の深化を待つのが通常でしょう。
問題は、追悼会が、1世紀以上過去の人物を担ぎ出し、その者の生き方をよしと決めつけ、
また彼を、現代の日本と韓国の関係における政治的カードとして利用しようとしている事です。学問的興味ならともかく、現代政治の切り札として使うには時がたちすぎています。
よほどとり上げるべき人材が他にないのでしょうか。
また、人殺しや暗殺者を、義士や平和主義者と称賛する行為は、
その心情を植え付けられた人々の心に、とても良くない影響をもたらすことが心配されます。
その心情を植え付けられた人々は色々な状況下で、
問題を、暴力で、ひいては人殺しで解決しようとすることが良いことだと、
意識的に又は無意識に思い込んでしまう危険があるからです。
例えば、隣国では暴力、殺人、強盗事犯とか犯罪が多いということはありませんか。
更に、人殺しや暗殺の平和主義への読み替えは、
自己の気分のまま行った行為に、勝手に都合の良い名分で脚色し、
自分の不道徳な行為を正当化させるのに利用されることでしょう。なにかもっともらしい理由を後から付けて、自己の非行への非難を避けようとすることありませんか。
例えば、司法が民衆に迎合した判決を行ったりするということはありませんか。
今日の法治国家においては、自救行為も原則として許されていません。
人殺しや暗殺は、決して平和主義ではありません。またそうあってはなりません。
彼を政治的カードとして使用するために称賛し、
現代の基準にも合致する人物として、義士や平和主義者とまで持ち上げることは、
ひいては自分や自分が愛する人々の品格を落とすのです。
また彼が偶像化され、レッテル貼りされて、
誰かが想像する、そうあってほしい人物として、他人に勝手に利用されるのは大変気の毒です。
【安重根】テロリズとに平和思想なんかあるわけない!
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