弾丸20発を一度に発射…「亀甲船、四方に大砲を撃っていた」
朝鮮の科学技術を集めた亀甲船は、これまでさまざまな復元が行われましたが、当時の武器の特性を考慮して、艦砲が19門ついた新しい復元模型が公開されました。
新たに復元された亀甲船の模型です。竜頭の下、つまり船の前に合計で4門の大型砲がついています。
ロケットの形の超大型の矢を射る天字銃筒が二門と、中型の矢を射る地字銃筒が二門それぞれ付いています。
竜頭には一度に数十発ずつ弾丸を発砲する玄字銃筒が配置されましたが、船の後ろにも同じ玄字銃筒が2門配置されました。
このモデルは、神機箭と朝鮮銃筒を復元した伝統的な火薬武器の専門家のチェヨンソク教授が公開しました。朝鮮王朝実録と李舜臣将軍が書いた状啓などの資料をベースに復元したものです。
[チェヨンソク/科学技術連合大学院大学教授:李舜臣将軍が使用していた亀甲船は、竜頭から砲を発射することができたし、尾がついていて、天字・地字・玄字・黃字の四つの艦砲を載せていました。]
亀甲船の側面にも鉛の弾丸20発を一度に発射する黃字銃筒が12門ついています。このように、頭と尾、左右に付いた19個の艦砲を使用して、亀甲船が敵船を四方に攻撃したものだと教授は分析しました。
亀甲船が実際にどのようにできていたのか学者によって意見は違うが、艦砲の配置に基づいて亀甲船を復元したのは今回が初めてです。
韓国人のコメント
・亀甲船の形を日本が全く知らないのは、その形状を見たすべての日本猿は死んでいるか、魚の餌になったからであって、想像するだけでも痛快だ!
その恐ろしい亀甲船を目撃したとき、家を離れて侵略した朝鮮の海が、自分の墓になると知ったか!前からの火砲4つで粉砕されて!日本の銃など役立たずで!
船に這い上がれば金釘が全身を穴だらけにして!
残念なのは、李舜臣将軍がいなくなったときに、亀甲船をすべて沈没させた無能王の先祖のせいで、形状が今まで分からなかったということ!これが示唆するところは非常に大きい!
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引用ソース
https://news.v.daum.net/v/20180718144623928
頭がおかしいwわぁ、すごい(^^)
朝鮮人は現実が厳しすぎるからファンタジーや妄想の中に生きる生物に成りました。
>>433
砲身の長さ、もね(*´エ`*)
そもそも、18世紀以前の大砲って青銅か真鍮製。鋼鉄での鋳造砲が普及するのは20世紀だし(*´エ`*)
おまけに黒色火薬は燃焼速度が早いので、爆圧が高いわけ。
なので青銅だと砲身を厚くするしかないし、
加工が容易で精度の高い砲身が作れる真鍮だと素材の問題で高価になる。
火薬量を増やして投射する砲弾を大きくするのであれば、砲身を短くするしか無い。
(砲身を長くすると、砲内爆発を起こす)
それに、前装砲の装填プロセスと挙動の問題。
分かりやすい動画を貼っとくわ(*´エ`*)
亀甲船とやらが数十門の大砲を積んでいて、両舷同時射撃が可能か、どう思う?(*´エ`*)
YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=Z08OF57gBfU&ab_channel=SmithsonianChannelあと、近代以前の大砲は、マスケットや火縄銃、そして大砲も含めて、ライフリングが無い滑空砲。
弾も砲身より小さな、丸い物を詰めるので、弾道が安定しない。
弾は砲身内を転がって前方に放り出されるわけで、火薬の圧力も不規則に漏れる。
大砲自体が暴れるわけよ(*´エ`*)
発砲中に転がったり飛び上がった大砲に、砲員が押しつぶされるなんて珍しくなかった。
それに初弾を撃つと、砲身内の温度も上昇するので次弾装填時に暴発する危険も高まる。
今みたいな大砲と違うわけ(*´エ`*)あと、ある意味「亀甲船」の有効性に関しての決定的な証拠と言えるのが
「発展した船がその後一切、造られなかった」事(*´エ`*)
砲搭載ガレー船から、ガレアス、ガレオン、戦列艦に至るまで欧州の大砲搭載艦艇は発達するが、
「亀甲船」は、発展もしてないし、造られても居いないでしょ?
要するに、「失敗作」なのよ。
経済的事情か、技術的問題かは分からんが、費用対効果に見合わないから放棄されたわけ。
復元船が沈んでしまうのも、ある意味当然かもね(*´エ`*)あと、欧州での軽量砲に該当するのは、3ポンド、6ポンド、9ポンド砲。
一般に騎兵が牽引する「騎兵砲」として運用されていた(*´エ`*)
12ポンド砲ともなると、重量が3トンを超える(それプラス、砲弾と火薬も重くなる)ので
歩兵と騎馬を使い牽引していた。
(欧州ではその他に24ポンド、32ポンド砲も運用。ロシアでは48ポンド砲も運用していた)
>>438の動画の大砲は9ポンド砲。「小さな大砲」だよ(*´エ`*)>>435
これ実際に沈没したんだけどなw
実は潜水艦だったんじゃないか?
一度沈むと自力では海面に浮かび上がってこれないが。>>435
セウォルしてますか?亀甲船についての史料がないのは、記録に留めるほどの価値も、エポックも何もなかったから。ただそれだけの話。
これでお終い。全てをイカサマで作ってきた民族なのだから、
コレでそれをしたって構わんだろ。逆の方が怖いわ。>>1
またセウォル号するのか?
トップヘビーにして転覆速度が増加しました!
そんな自慢か??www>>431
火薬武器としては「鉄砲」より大砲が先。これ、歴史の常識(*´エ`*)
デカイほうが造るの簡単だし。>>449
そもそも大砲を日本は重視していないんだよな(*´エ`*)
青銅砲もマッチロック式マスケット銃(火縄銃)と大して変わらない時期に入ってきているが、
野戦兵器としても、攻城兵器としても、日本の地形、インフラ、気候から見てあまり使えない。
山城の曲輪を落とすには、歩兵が携帯でき、制圧射撃が可能な火縄銃が優位だし。
起伏の激しい地形を運搬するには大砲は不便なんだよな。
特に、織田・豊臣系の軍事作戦の根幹は高い「戦略機動」にある。
その点からも大砲はあまり重要ではないんだよね。
(逆に徳川は大砲を割と使っている。)重視してないものを発展させたり、強化したり、質をあげようとは思わないでしょ?(*´エ`*)
桃山時代の日本からすれば、鉄砲の製造精度を上げるほうがよほど重要。
欧州のマスケットとは、其の点、発展の仕方が違うんだよね。
ある程度の命中率が必要な狩猟用のマスケットが最初に入ったのが、影響を与えているのかもしれないけどね。
大型のマスケットを運用していた欧州では、火縄と火薬を取り扱う以上、
密集できない銃兵を守るためにハルバート兵やパイク兵を組み合わせたテルシオが考案されたり、
それが後に戦列歩兵戦術に発展するわけだけど。
日本では個々の銃の命中率を高める方向で発展したので、
「弓術」「槍術」みたいに「鉄砲術」が生まれたりと欧州とはまるで違う発展をしている(*´エ`*)あと、大砲そのものが18世紀に弾道学が発展するまでは「微妙な子」だったことも分かってないと(*´エ`*)
デコボコの、大して強度もない丸い筒の中を、これまたデコボコの丸い玉が飛び出していくわけで。
直接射撃でもなかなか当たらない。
固定して防衛用に使う(事前に試射することで着弾位置を想定できるので)か、
近距離で直接目標に標準して射撃するか、
攻城戦時に、修正射撃しながら一方的に砲撃するか、
どっちにしても、用途が限られる。
あと、運搬の問題も有る。
大砲の運搬となると、現代以前は馬が主力だけど、
良質な馬の大量確保ってモンゴルや中央アジア以外だと難しい(*´エ`*)
蹄鉄が生まれたのは北欧だと言われているが、そもそも蹄鉄を付ける理由って
運動不足で厩舎に繋がれっ放しで足腰の弱い馬が、排泄物などのアンモニア残留物で
爪が脆くなってしまうのを防止するためだし。
牧草の歴史なども見ると面白いよ。
欧州で大砲を野戦に使えるようになるのは、だいたい16世紀頃。
栄養価の高い牧草を、人工的に作れるようになってからなんだよねぇ。>>447
鋳造と鍛造の違いだね。
明&朝鮮は鍛造技術がなかったから、日本と同じ火縄銃が製造できなかった。
しかし鋳造技術はあったから、大砲と鳥銃(『もものけ姫』の前半に出てきた原始的な銃)を作ってた。
で、その鳥銃は命中率も悪いし、重いし、日本の火縄銃よりも性能が劣ってた。
鍛造のように叩いて不純物を取り除いたり、僅かなヒビを叩いて修正したりが鋳造は出来ないから、金属を分厚く鋳造する事で、火薬の圧力に耐えるようにしたから。
青銅は融点が低いので、鋳造して大砲は簡単にできたけど、
鉄製の大砲は、反射炉等の高温炉が出来るまで、青銅の大砲に後退してる。
原因は、反射炉の確立前までは、鉄製大砲はちゃんと高温に溶かして鋳造が出来ないせいで、暴発事故が多かったから。
幕末の反射炉は各藩が作って、飛距離が出せる鉄製大砲を製造しようとしたけど、成功したのは佐賀藩だけ。欧州でも鉄製大砲は1750年ぐらい以降。
日本の反射炉建造は最先端から30~40年ぐらい遅れてた。>>455
30~40年どころじゃないわ。100年ぐらい違う。そういや、最近猟銃取得の説明会受けたんだけど、音が大きくて驚いた。明治神宮で見た火縄銃の音は大したことなかった記憶あるが、耳あてなかったら鼓膜破れると思うが、旧日本軍にせよ自衛隊にせよ耳あてが装備にある印象が無いので、なんでこんな音が大きいのか、と。昔の大砲もあんな音するのかね?
朝鮮側の記録だと、朝鮮水軍内では予算や物資の着服、横流しが横行。
艦艇もボロボロで修理もされていなかったり、兵員も縁故で現場配属を逃れたり、
コネで入ったり、軍法を犯したり職務怠慢でもカネで逃れたりなんて記録がある。
今も大して変わらんでしょ?(*´エ`*)あと、日本側の現地指揮官たちの報告書のたぐいも、けっこう眉唾(*´エ`*)
「敵の大群になんとか勝ちましたが、苦しめられています!(なので恩賞をもっとくれ)」
「苦戦して前に進めません!(お願いだから帰らせて)」
だし(*´エ`*)
元寇とかでも見られる現象だけど、割と大げさなんだよね。明の武将、戚継光は倭寇を退治すべく兵を福清に駐屯させ、常に火器の扱いを教えていた。
ある時戚継光は猿が火器を扱う兵を真似ているのを見た。
これを見た戚継光は部下たちに猿の捕獲を命じる。
この地には石竺山という何千という棲む山があり、戚継光は何百という猿を得た。
その後倭寇がやって来るにおよび、戚継光は兵を伏せ猿たちに敵陣を窺わせた。
猿の群れに対してはまったく無警戒であった倭寇たちであったが
その群れから一斉に火器が発されるに及んで大混乱となった。
戚継光は猿に火器の扱いを仕込んだのだ。
そこに伏せていた戚継光の軍勢が突撃し、倭寇を殲滅した。
『五雑組』>>463
『五雑組』
明時代の蔵書だから、真偽は知らん。
内容に一部、女真族を酷評してるので、清時代には破棄。中華民国時代に復刻。
日本には1650年ぐらいに輸入されて遺ってた書物。大前提だけど、亀甲船を論じるなら、存在程度は肯定してあげないとそもそも議論すら出来ない(*´エ`*)
記録にしても、朝鮮しか残していないし。>>467
「亀甲船」という名詞が史料上で登場するのは、「太祖実録」。
ただし原本は「唐入り」の際に、李氏朝鮮を恨んでいた朝鮮人たちが焼き払ってしまった。
再編纂され始めたのは17世紀初頭。
現存する太祖実録は13世紀の原本ではなく、原本が消えた後に
「なんとなくこんなことが書いてあったんじゃないの?」って感じで作られた複製品なのよ(*´エ`*)
なので、正確にはいつから「亀甲船」なる言葉が存在していたかは不明。
まあ、17世紀には「亀甲船」という名詞は存在していた。
僕が提示した図とか、18世紀末の物だからねぇ。
そもそも、大した数が造られたわけでもなく、発展型が造られたわけでもなく、
そんなものの構造や設計図なんぞ残るはずもないよなぁ。
あと、中華と違う=野蛮、って価値観なのが朝鮮。
中華に無い、朝鮮Originalとかあったら、困るわけよ(*´エ`*)
なおさら、残るはずもない。ま、僕なりの推測だけどさ。
亀甲船って、海賊相手の遭遇戦を想定した哨戒・パトロール艦だよねぇ(*´エ`*)
前提として、
「櫂」は戦闘時に風力によらない機動力を確保するためのもの。
攻撃力(つまり火力)をこれと併用できて、初めて「戦闘艦」になるわけどけど・・・
全然両立できていない(*´エ`*)
砲甲板と橈漕甲板が一緒とか、そもそもが一撃離脱で逃げるのが前提の船なんだよねぇ。
砲搭載ガレー船は、橈漕甲板に干渉しないように、前部甲板に砲を並べてるわけだけど、
図で見る限り、そういった措置はなされていない。
仮に橈漕甲板の上に砲甲板を取り付けている場合、そもそもトップへービーで横転、沈没する。
(砲火力を優先したガレオンが、帆走に切り替えたのが良い例)
おまけにトゲトゲの釘に箱型の上部構造物でしょ?
守備でも攻撃でも、接舷近接戦闘を想定していない。
戦う気が皆無なわけ(*´エ`*)
海賊を見つけたらちょっと撃って、一目散にオールで風上に逃げる。
そういう船だよ(*´エ`*)
まあ、似たような役割の船をヴェネティアとかが運用していたけどね。
小型のガレー船に2~4門の大砲積んでる高速船とか、エーゲ海沿岸で使ってるし。
というのが、僕の見解。>>471
僕はどっちかと言えば、欧州・中東のほうをちょっとだけ知ってるレベル(*´エ`*)
日本水軍って、海賊っていうより民間軍事会社+運送会社+貿易会社ってイメージ。
織田・豊臣側の視点で言えば、海上・水上輸送を担っていた彼らは重要だった。
陸上輸送に比べて海上・水上輸送がコスト面で1/10、圧倒的な優位というのは常識だけど。
日本は馬匹が貧弱で地形も起伏に飛んでいて、陸上輸送は更に割高だった。
まあ、シー・パーワーというやつだ。
だが、豊臣と織田ではシーパワーへのアプローチが違う。
簡単に言えば、織田は直接プローチ、豊臣は間接アプローチ。
織田は強力な水上艦艇を造ることで、シーパワーを確保しようとしたが、
豊臣は、シーパワーを得たい沿岸域を制覇することでシーパワーを確保した。
朝鮮での軍事行動とかも其の一例(*´エ`*)
海上輸送を確保したい地域に倭城を大量に作ってるよね。
まあ、秀吉以外の武士が秀吉の戦略思想を理解していたとは思えないし、だから失敗したんだろうけど。あと、これも誤解されてることだけど。
近代以前だと、大砲の砲撃では、まず船は沈まない(*´エ`*)
当たり前の話だけど、船を沈めるには喫水線の下に穴を開けて、浸水させないといけない。
ところが、黒色火薬の前装式大砲では、そもそもが水中に球が入るとパワーを大幅に低下させてしまう。
なので無力化することが基本なわけ。
敵の船員を強制的に下船させる、
操船に必要な敵の船員の数を物理的に減らす、
衝角で喫水線下に穴をあける、
敵の船の燃えやすいパーツを焼く、まあ方法は色々。
大砲をバカスカ打てば、船が沈むとか、それどこのドラマか映画よ、って話(*´エ`*)ああ、一部語弊がないように補足修正(*´エ`*)
日本の馬匹が貧弱、ってのは「騎馬民族に比べれば」って話。
17世紀以前の西欧や支那に比べて劣っていたわけではない。
ってか、馬匹の管理運用が「騎馬民族以外」でもある程度可能になるのは、17世紀半ば以降だし。
栄養価の高い飼料の開発、牧草の品種改良、馬の管理方法の規格化などが満たされた結果だ。
グスタフ・アドルフやナポレオンが活躍する時代がやってくる背景には、こういうのもある。そんな強い兵器なら
造られるまでに発展の軌跡があり
衰退の軌跡も残るもの
それが無いのなら
事実では無いのでしょう>>1
亀甲船はどう生まれ、なぜ消えた?あとロケットランチャーもあったらならなぜ消えたのかはっきりさせんとね
“机上の空論”が証明された感じよね♪
韓国人(朝鮮人)は、昔から“息を吐くように嘘をつく民族”の証明もされましたとさ。
〜〜〜〜〜
※酋長…もう、カイカイchに戻ってこないかしら?>>1
熊本県八代市の妙見祭の亀蛇(きだ)に似てます。
通称ガメです!これは実在してます。>>1
確か元寇の時に日本に攻め入って来たのは
元朝の手先となった朝鮮軍だったと思うが
最終的には台風が何かで全滅させられたけど
多分その頃の話が下敷きになってこの形になったのだろう。
ただその頃の日本の闘い方は戦艦を出してくるのではなくて
夜討ちで小舟で近づいて侍2〜3人で忍び込んで
船内の朝鮮軍を惨サツしまくったらしい。
もしこの船の様に外側が防備されているなら尚更簡単で
油を撒いて火矢を船内に放ったら船内全体が巨大なオーブンと化して全員焼け死ぬか窒息で死ぬしか無かったろう。
聞くところによると日本軍は戦いの上でのマナーが守られなかった(例えば1対1で名乗りを挙げる等)ので相当頭に来ていたと言うらしく
そう言う時は戦い方も何でもありになって
やり方は残虐極まり無いものになったらしい。
日本の侍が恐れられていて名前を上げたのは
マナーを守らないととても残虐になったと言う事らしいな。
まあ窓から油を注ぎ入れて火を放つくらいは何でも無かったと思うよ。この調子でいけば10年後には、火箭や大砲が対艦ミサイルやレールガンにアップデートされるよ。
100年後には宇宙戦艦になってるだろうよ
飛車、猫車に続け!朝鮮亀甲船イメージ図を大型アップデートw
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