じいさんは85歳で九州の日本海側の出身。石炭の積出港として栄えた歴史のある市です。
じいさんの小中学生の頃、赤毛で目が青い目の女の子がいたそうです。白黒の写真ですが写真も見ました。他の女の子より背も高く顔だちが全く違います。
じいさんは母親も見た事が何回もあるそうです。その親子は『らしゃ』とゆう織物を売って生活してたそうです。
じいさんの話しでは、いじめられる事もなく普通に生活していたそうです。父親は見たことないそうです。
じいさんが言うには隣の小学校には他の異人にも居たと言います。
じいさんはなんと異人を尊敬してたと言います。ロシア人だと聞いていたそうです。
本題です。ネットでも調べましたが1900年の前後30年で約7000人のロシア人が亡命しています。多くは神戸や函館に住んで日本の偏見に耐えきれず第3国へ逃げたそうです。
たった7000人が九州の田舎の港町に住むでしょうか?九州では尊敬されてたのも信じられないです。らしゃは他の国も名産にしてるし他の国の方が有名で九州の田舎町で暮らしていけるほど売れたのでしょうか?じいさんが話しを盛ってるのでしょうか?
皆さんの意見聞きたいです。
家のじいさんの嘘のような本当の話し (確認済)
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