はい
>>951
はい。『春香伝』(「春香歌」)
春香伝」とは・・・李氏朝鮮時代のお話で、妓生の娘・春香(チュニャン)と
両班の息子・夢龍(モンニョン)の身分を超えた一途な恋愛物語。
美しい春香は、役人の目にとまり妾になることを要求されますが、
夢龍への貞節を守るため何度も拒否。激怒した役人は春香を投獄し、拷問する。
そして、夢龍は都に行き科挙に合格。
暗行御史となり隠密で春香の住む町に潜入し、役人の悪事を暴き、
春香を救出。その後、二人は末長く幸せに暮らした、というお話。チュニャンの美貌と歌声に魅せられたモンニョンとバンジャ。モンニョンは両班、バンジャは下男。
バンジャはなんとかしてチュニャンをモノにしようと、一緒に暮らす稀代の遊び人マ老人(オ・ダルス)に指南を
仰ぎ、夜這いを決行。下男ではあるが、バンジャの魅力に惹かれつつあったチュニャンは、驚きつつもバンジャを
受け入れる。
想いを遂げたバンジャだったが、チュニャンは両班であるモンニョンの妻になり、キーセンより身分を
上げることが夢。一夜を共にしたバンジャに、その結婚に協力するという誓約書にサインをさせる。
そして、モンニョンはチュニャンの仕掛けた罠により、二人の関係を知る。プライドが傷つけられたモンニョンは、
チュニャンと別れ、役人になるため都に行き、科挙試験に合格。しかし、モンニョンにはある思惑があった。>>951
『春香伝』もろ、韓流ドラマなんですけど?まったく韓国の昔話に関係ないお話。
夏暑いですね、甲子園のお話。
現在では各都道府県の予選を勝ち抜いた1校が
、“おらが街の代表”として日本一を決めるシステムになっている(北海道と東京都のみ2校、記念大会を除く)。
しかし今ほど高等学校数が多くなかった時代は、各地方ブロックから1校という、“春のセンバツ”と同じような形で出場校が決められていた。
その“地方”には、現在の日本では実現しえない地域も存在していた。それが「朝鮮」「台湾」「満洲」だ。戦前日本の領土には朝鮮半島や台湾が含まれていた。
文化や風習に加えて行政システムの違いはあるにせよ、
これらの地域は当時、関東地方や関西地方などといった地域区分と同じく、「朝鮮地方」「台湾地方」と呼ぶべき地域でもあった。
ただし「満洲」だけは異質で、
日本領ではなく友好国だったから、それを一地方と同列に扱っているのは無理があったといえる。…朝鮮と満洲は1921年の第7回大会で“デビュー”している
。このときの予選参加校数は全国で207に過ぎない。
2年遅れて台湾からも代表校が送られるようになった。
それから戦争により大会が中止されるまでの18大会、1940年の第26回大会まで3“地方”から代表が送られ続けている。このときの予選参加校数は617だった。
余談だが、沖縄県勢初の甲子園出場は1958年の第40回大会まで待たねばならない。記念大会で「1都道府県1校」とされ、まだアメリカが占領していた“オキナワ”からも代表が送られることになり、選手団はパスポートを持って参加している。
話を戻そう。
大連商業は甲子園ベスト4を経験、嘉義農林は準優勝を果たす
第7回大会に出場した大連商業(満洲)は何とベスト4に進出した。釜山商業(朝鮮)もベスト8だ。後者が負けた相手は、その年の優勝校だった。一方、第9回大会で初登場した台湾。台北一中は惜しくも初戦(1回戦シードで2回戦から)で敗退した。
当時の3“地方”は本土からの移住者も多く、朝鮮人や台湾人(当時は日本人だが)などといった現地人と日本人の混成チームが多かった。しかし実力的に本土と大きな開きがあったわけではなく、通算成績で台湾と満洲は3割7分以上、朝鮮も2割8分以上という記録を残している。…ザックリいえば長崎県や石川県、秋田県などと同等レベルだ。
決して強豪ひしめく地域ではなかったものの、語り継がれる偉業を成し遂げた学校もあった。
それが1931年の第17回大会に参加した台湾の嘉義農林で、決勝戦まで進み準優勝を果たしている。
この嘉義農林は、後年プロ野球の巨人軍に入団して以降20年で3球団を渡り歩き、強肩と俊足から「人間機関車」と呼ばれた、1995年に野球殿堂入りをした呉昌征外野手を輩出している。しゅんこうでん【春香伝】
朝鮮,李朝のハングル小説。
作者未詳。18世紀初めにパンソリ演唱者により唱物語として創作され,公演される間に小説化された。
全羅道南原に住む妓生(キーセン)の娘春香と府使の子李夢竜はふとした出会いから熱烈な愛のとりこになる。
しかし歓喜の逢瀬もつかのま,夢竜は父の栄転で都に去り,残された春香は新任の好色な卞(べん)学道の添寝の命を拒んで笞打たれ牢に入れられる。
科挙に及第し暗行御史(王の隠密派遣使)に任命された夢竜は乞食に扮して南原に下り,卞府使の誕生の酒宴が開かれ,春香が処刑される当日に現れて,悪政をさばき春香を助け出す。
あらすじです。カノウの映画は見たいいよね。
>>961
ハングルの古典で探したのだけど、18世紀初めの作品か、古典というには、新しい。
それくらいの古さのハングルならば、あまり、言葉の意味が併合時と変わらなかった可能性は、
有りますね。
それにしても、良く調べていただけました。ありがとうございました。
純愛小説というには、策略と欲望が、入り混じっていますね(笑)。
何か、お勧めのハングルの古典は、無いですかね。北朝鮮では朝鮮人の祖先はホモ・サピエンスではなく「黒い山葡萄原人」だと教わるそうだ
【山葡萄原人】韓国人・朝鮮人が約束を守れない理由…
YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=XLU9WaQF7fE古くて新しい韓国の童話。
いろいろ意味深い>>966何か面白いネタ、見つかりましたか?
>>968
ざっと検索して、
年代は、ともかく、童話に相応しいような。韓国の文章って無駄に長いけど、それはそれなりの
歴史がある。>>970
もちろん、昔話の話に限ってね。
九尾の狐
朝鮮においてはクミホ(구미호、九尾狐)と呼ばれる。クミホは美少女の姿に化けて男性をたぶらかしてその命を奪う、悪意ある存在として描かれる。クミホは人間になりたいと願っており、男性の命を奪うのも1000人分の心臓ないし肝を食すことで人間になるためという(変身譚も参照)。近年の大衆文化作品では、映画『クミホ(韓国語版、英語版)』(1994年)、劇場アニメ『千年狐ヨウビ』(2007年)、テレビドラマ『僕の彼女は九尾狐』(2010年)、テレビドラマ『ネイルサロン・パリス』(2013年)などが「クミホ」を扱っている。『韓国の民話伝説』 に紹介された「九尾狐の愛」では、
トンジン峠を越そうとする男性たちが怪獣に襲われる。
その中でパンドルという男性だけが不思議な女
性ヨンオクに助けられ、二人は愛し合う。
パンドルは故郷の母親に会いに帰り、
再びヨンオクのもとに戻ろうとする。
彼女の正体はクミホで、パンドルを尾行してき
た兵士たちに殺される。
クミホは死ぬ前に、パンドルに秘密の玉を与える。玉を呑
み込んだパンドルは、この世の理知に到達した道人になったという。
かくの如き韓国のクミホのドラマは、安部晴明が狐の子だったという日本の伝説にも似てます。>>968
洪吉童伝
解説
洪 吉童(こう きつどう、ホン・ギルトン、홍길동)は朝鮮時代の小説『洪吉童伝』の主人公。
同書はハングル(正確には訓民正音)で書かれた最古(1607年ごろ)の小説だとされる。
作者は学者で文人許筠(竹かんむりに均、きょ いん、ホ・ギュン)。
日本で言う桃太郎のように韓国、北朝鮮の人で知らない人はいないというほど一般的なヒーロー。
一部引用。解説(2)
洪吉童伝は韓国では有名な古典小説である.
封建貴族社会の矛盾により庶民の苦しみが多かった.
それが文学とか歌、踊りなどの芸術として多く伝えられている.
同じ父の子供でありながら下女が生んだ子は父をおとうさんと呼んだらいけない.
ナーリ(旦那さん)と呼ばねばならない.自分のことは'小子'では無く'小人'である.
今考えるとばかげたことだと思うけどそれが其の時代の社会秩序であったのである.
父である士族は自分の子には違いないから別に部屋を与え学問も教え、他の婢僕の子のように働かせはしなかった. それだけが他の奴隷と違うところである.
だからインテリ無職者になるしかない. 母が主人に可愛がられるお陰で一生遊んで暮らせるから結構な身分とも言えるが、いくら貴族の血筋を引いていても所詮は"奴隷"でしかないのだ.だから血気盛んな青年の立場では欲求不満になるのも当然である. 主人の血筋でも主人の家族には入らない. だからといって主人の子だから奴隷とも言えない.したがって主人の側からも下僕の側からもよけ者にされる.厄介者な存在になるだけである.
元々父の戸籍には入れないで婢僕の籍に入っている.母が女婢の誰それだと乗っているだけておやじの名前は無く"父不明"と書いて、女の私生児にしている.だから正式の家族ではなく中途半端な身分で「庶子」と言った.
家族としては扱われない. <奴隷の子は奴隷だ>という原則があったからだ.
嫡子だけを認めた、正妻の生まれでなければ何の権利も無かった.
いくら才能があっても科挙を受けられない.出世の道が塞がれている.
悪いことに昔のヤンバンは妾を何人も置いて自慢にして居た.だから庶子が量産される.妾は正妻には「奥方様」とたてまつり絶対服従しなければならなかった.要するに妾は主人の"おもちゃ奴隷"の身分であったのである.しかもそれが国の法律で定められた公の秩序だったのである.解説(3)
主人公の吉童は大官の胤ながら女卑の腹で生まれたが故に数々の差別に不満を持つ.彼は先天的な奇才であったのが禍して謀殺の危機に遭うが道術を用いて難を逃れ家を離れる.放浪の途中盗賊の群れに逢い頭となる.
変幻自在の道術と知略で貪官汚吏の財産を奪い貧民に与え活貧党を自称した.
洪吉童は宮中おも震撼させるが終には海外に逃れ南方の島を占領し国を建設する.
彼の神出鬼没な冒険の数々は貴族社会の過酷な蹂躙にさいなまされた一般の常民(町人)階層に歓迎を受け庶民の永遠の偶像になっている.
いまもなお神出鬼没にして捕らえ難いものや、意表を突く奇策を立てる者を "ホンキルトン(洪吉童)のような者" と言っている.
ちなみに当時の階級構成はいわゆる士農工商と言う言葉で象徴されるが其の内、農、工、商は常民(町人)であるが其のほかに"践民"階級があった.践民階級である「婢僕」は士族の所有物であり自主権が認められなかったため「人民」の範疇から除外された.彼らには役所が発行した「奴婢文書」というのが有って所有主が握っていた.犬の血統書のようなものだ.若し逃げたら全国に「逃亡奴婢」として手配され捕まったら処刑されるのが当時の法律であった.主人は下僕を売り払うことも、粛清することも出来たのである.
アメリカの黒人奴隷と良く似たものであった.本文
洪吉童伝
胎夢
世宗朝時代に大臣にまで登った洪ナニガシと言う人が居た.
代々の名門家の出身で早くも青少年で科挙に合格し、だんだんと進級をして吏曺判書(内相)まで勤めた.
信望朝野に仰がれ忠孝兼備していた.要するに立派なお方であったと言うわけである.
彼には息子が二人居る.
長男は「仁衡」と称し正室柳氏の生まれである.
もう一人の息子は名前を吉童とつけ女卑春蟾の生まれである.
名前からして重みが違う.
仁衡、しかつめらしい名前に反して吉童とはいかにも下僕らしい名前である.
表向きには一夫一妻であったが、数人の妾が有るのを誇りとしていた世の中で"妾は側女(ソバメ)であって妻ではない"という理屈だから妾が何人居てもやはり一夫一妻なのだ.嫡子だけを子供と認められるのだから正室の奥方様のお鼻が高くなるのも当然であるし、妾が生んだ子は"庶子"つまり非公式の子で息子としての権利が無かったので社会的なトラブルが起きるのもまたやむを得ないことだ.
封建的身分社会の矛盾の一面である.これ長いお話だ。
洪公が吉童を得る前に書斎で書物に目を通している内、眠気がさしうとうとしていた.
にわかに雷がとどろき稲妻がピカピカッと天地をつん裂く中、巨大な青龍が降りて洪公の懐に抱かれるのである.おどろいて目をさませば一場の夢であった.
洪公はそれが胎夢であることを確信した.
天が自分に偉大な子孫を与える兆候であると悟り胸をときめかせた.善は急げた.
天の贈り物を頂くのに一刻も無駄に過ごしてはならない.
そう思うと下の物も心得て天を衝く.
彼は興奮に顔を赤らめながら奥の間に入り正室の柳夫人に直ちに夫婦の交わりを要求し押さえに掛かった.
ムードも何も考える暇が無い.
柳夫人は顔色を変えて立ちあがり、
『何をなされます相公、未だ宵の口ですぞ.
ヤンバンの体面をおぼしめされ.
年少軽薄者の如き卑陋な行いは仕えかねます.』とブンブン言いながら部屋を出て行った.
洪公はすごすごと書斎に戻り溜め息をついていると襖が静かに開き女卑の春蟾がお茶を入れて入ってきた.
立ち居振舞いが静かで上品さがある
.春蟾は芳齢18歳、咲きたての花、艶めかしさの中に気品がある.顔も綺麗だしスタイルも抜群だ.
洪公は春蟾の手を引いて寝室に導き処女の純潔を奪った.
それも主人の権利だから女卑としては逆らえられないのだ.
女卑が妾になったのだから出世したことになったわけである.
春蟾は身ごもり10朔を経て男の子を産んだ.
栴檀は双葉より芳しとか赤子は生まれた時より気骨非凡にして英雄の相が有った.
洪公は嬉しい中にも一方正室の生まれでないのが惜しい気持ちを隠し切れなかった.吉童に刺客をさし向ける。
吉童は健やかに育ち8歳になってからは聡明さが益々目立ち一を聞けば百を悟るのを見て公の寵愛を深めたが吉童は身分低き女卑の生まれなるため少年が"父上" "兄上"等と呼べば叱り付け厳重にとがめた.
吉童は10歳を超えてからは父をナーリ(旦那様)、兄をトリョンニム(若旦那)と呼ばねばならないのが悲しく下僕等までが『やい吉童や』と自分たちの同僚として相手しているのが気にさわり悶々としていた.
頭が良いだけに悩みも深いのが当然だ.
秋も酣の9月の或る夜、明月は明るく窓に点し、風は涼しく胸に沁み虫のねが心にしみる夜、
吉童は読書中の書案を押しのけ溜め息をつきながら "男児世に生まれ孔孟に匹敵する学を成し難ざれば兵法を修め大将印を腰に吊るし東征西伐して国に大功を立て名を後世にまで輝かせるのが男児の本望とする所であるのに、嗚呼、吾はいったい何か?
何も出来ないじゃないか?父兄が居ても父と呼べず、兄と呼ぶのさえ許されない身の上とは痛恨に堪えない事だ"と、庭に下り木刀を持て剣術を鍛えて気分を紛らわせていた.
折柄明月を鑑賞し庭を散歩していた洪公が足を止め
『お前は何の興味があって夜更けまで寝付けずにいるのか.』
吉童は恭しく腰をかがめ
『小人(身分の低い者が自分を卑下する言葉)は月色を賞味していましたが "天が万物をお造りになるに人が最貴なり" と本には書いていますが、小人には貴は無く賎があるのみです.正に人にして人にあらずで御座います.』
吉童は健やかに育ち8歳になってからは聡明さが益々目立ち一を聞けば百を悟るのを見て公の寵愛を深めたが吉童は身分低き女卑の生まれなるため少年が"父上" "兄上"等と呼べば叱り付け厳重にとがめた.
吉童は10歳を超えてからは父をナーリ(旦那様)、兄をトリョンニム(若旦那)と呼ばねばならないのが悲しく下僕等までが『やい吉童や』と自分たちの同僚として相手しているのが気にさわり悶々としていた.
頭が良いだけに悩みも深いのが当然だ.
秋も酣の9月の或る夜、明月は明るく窓に点し、風は涼しく胸に沁み虫のねが心にしみる夜、吉童は読書中の書案を押しのけ溜め息をつきながら 。
"男児世に生まれ孔孟に匹敵する学を成し難ざれば兵法を修め大将印を腰に吊るし東征西伐して国に大功を立て名を後世にまで輝かせるのが男児の本望とする所であるのに、嗚呼、吾はいったい何か?
何も出来ないじゃないか?父兄が居ても父と呼べず、兄と呼ぶのさえ許されない身の上とは痛恨に堪えない事だ"と、庭に下り木刀を持て剣術を鍛えて気分を紛らわせていた.
折柄明月を鑑賞し庭を散歩していた洪公が足を止め
『お前は何の興味があって夜更けまで寝付けずにいるのか.』
吉童は恭しく腰をかがめ
『小人(身分の低い者が自分を卑下する言葉)は月色を賞味していましたが "天が万物をお造りになるに人が最貴なり" と本には書いていますが、小人には貴は無く賎があるのみです.正に人にして人にあらずで御座います.』
『お前は何が言いたいのじゃ』
洪公は彼の意中を察しながらもわざと不機嫌に聞いた.『小人が一生悲しむ所は旦那様の精気を受け堂々たる男児に生まれましたのに、その父を父上と申し得ず、兄を兄上とお呼び得ません.然るになお人間と言えましょうか.』と涙で袖を濡らしている.洪公も返す言葉が無い.慰め様も無い.威厳を正し叱るしかなかった.
『宰相家の賎婢所生がお前だけではなかろう.身のほどを弁えぬ思い上がりじゃ.もう一度左様なことを申せば只では済まさぬぞ.しかと覚えて置け.』
吉童を惜しみ愛していた洪公だがそうするより仕方が無かったのである.
吉童は父なる主君にそれ以上申し立ても出来ず大地にひれ伏して泣き崩れるのみであった.
『下がれ』 父の叱咤にすごすごと寝所に帰り悲しみを噛み締めながら夜を明かした.「恨み骨髄に徹す」と言う思いであった.休憩。
洪吉童伝
長いほぼ小説。>>968
最初に書かれたハングルの小説らしい。或る夜吉童は母の寝室を訪れ涙ながらに告げた.
『母上、小子母上より生育のご恩を賜わり何時までもお側にて孝行し奉るが人の道理で御座います
るが身分卑しきにより志を立てるすべが御座いません
.男として生まれ人より蔑(サゲスミ)を受けるのは耐え難い所で御座います.
小子膝下を離れ広い世界に出る所存です.
願わくば小子の事はご放念なされお迎えに参るまでご健勝なさりませ.』
いとしい愛児より不意に別れを告げられ母は衝撃を受け顔色があおざめた.
『宰相家の賎出がそなたのみでは有りませんのに左様な激しい心を起こして母を悲しめまするか』
『昔、張忠の子、吉山は賎生ながら13歳にその母と別れ雲蓬山に入り道を修め後世まで美名を遺しました.
小子も彼に倣い己の運命を自ら拓いて行く所存です.母上は安心して後日をお待ちなされませ.最近谷山母の様子を見まするに相公の寵を失うことをおそれ私ども母子を仇の如く当たっております故必ずや問題を起こすでしょう.小子が家を離れるのは運命で御座います.母上はご安心なさいませ.』
ちなみに谷山母は谷山のキーせン(芸者)で洪公の妾になった女で名は楚蘭である.
生意気な上に嫉妬心が強く浅はかな考えの持ち主で少しでも自分の気に入らないことがあれば大きく膨らませて洪公に讒訴するのでトラブルの元であった.
自分には子供が無く春蟾は吉童を生み公が寵愛するのが妬ましくて仇の如く憎んでいた.楚蘭は或る日懇意の巫女を呼んで相談をした.
『この家で私の地位を固めるには庶子の吉童を亡くすに限る.お前が私の願いを叶えてくれれば充分な御礼をする所存だがどうじゃ?』
『はい奥様、興仁門の外に流行りの観相女を知っていますがあらかじめ家族や吉童のことを知らした上で旦那様に勧め観相を見るようにして観相女の口から吉童が禍を招く凶相であると告げさせれば旦那様が吉童を亡くすことを考える筈です.
その時を見計らってしかじかかくかくなさればどうでしょう.』
『それは妙計じゃ、左様にしましょう.』
楚蘭は大いに喜び先ず巫女に50両を渡し観相女と手はずを決めるよう言いつけた.
あくる日洪公が内堂(女主人が住む家)(内堂、外堂、客堂、別堂などと各々塀を囲んで別棟になっている.)
に入り婦人と話しをしているうち吉童の才能が非凡なのを指摘しながら庶子の身分であるのが惜しい等の話しをしている最中に、庭先で下僕が来訪の客を取り次ぐ声が聞こえた.障子を開けて見たら始めて見る婦女子が腰をかがめて待っていた.
『旦那様、奥様、ご機嫌伺い申し上げます.』と口上する.休憩
『そのほうは何者で如何様なご用で参ったかのう.』
『はい、小人は観相家で御座いますが若しや御役に立つかと思い伺いました.』
洪公は吉童の将来が知りたくて吉童を呼び寄せた.
『この子の相を見てくれ』
『はい、公子の相は千古の英雄にて且つ一大豪傑の相ですがその..』と語尾を濁している.
『構わぬから有りの侭を申せ』
『それではお人払いを.』 人を退け洪公夫婦だけが残った.
『公子の相は凶中に造化無窮、眉間に山川の精気がありまして正に王侯の気性です.成長すれば必ずや大事を起こし滅門の禍を招きましょう.旦那様はお察しなさりませ.』と言う. 洪公は驚愕ししばし思いを巡らした後厳かに言った.
『人間の運命は測り難いもの、お前はこの事を口外致すな.』と戒め金子を渡して返した.その後吉童を山亭に移し密かに一挙手一投足を監視させた.吉童は身に迫る危機を感じ取り、家出の機を伺いながら六韜、三略、天文、地理の勉強に励んでいた.
(六韜とは周の太公望の著なる兵書、文韜、武韜、竜韜、虎韜、豹韜、犬韜の6韜.三略はこれも太公望の著になる兵書にて、上略、中略、下略.)
洪公はそれを知り "こいつは才気に富むが若しも間違った考えを起こせばそれこそ相女の言う如く滅門にもなりかねない.困ったことだ、どうすれば良いか" と悩んだ.
一方楚蘭は巫女、相女等と合い通じ千両を懸けて特才と名乗る専門刺客を求めた.
然る後楚蘭は洪公に
『こないだ相女の観相は正鵠を衝いていました.是はお家の重大事で御座います.今のうちに吉童を斬り捨て、後患を断つ必要があります.旦那様の御決断あるのみだと存じます.』
『その件は余が決めることじゃ、お前は嘴を入れるな.』 断固と退けたが心の中に心配が積もり夜も寝付かれない.ついには病となり床に臥するようになった.主人の病に奥方は佐郎を勤めている息子の仁衡を呼び相談をしている時、側に仕えていた楚蘭が
『旦那様のご病気は吉童に因るもので御座います.小人の考えでは吉童さえ亡き者に致しますとお家も安泰し旦那様もお元気を取り戻しなさるに違い有りません.』
奥方は 『それは天倫に背くこと、忍ばぬことですよ.』
楚蘭は 『不憫では御座いますが情にこだわる時では御座いません.
小人の聞きますところ特才という刺客がいますがこの人はどんな剛物でも鶏を絞めるように倒すそうです.
おりよく吉童はいま山亭に居ますからこの際、千両をやって夜中に密かに事を済ませば後で旦那様がお知りになっても既に過ぎたことで御座います.
よくよくお考えあそばせ.』 洪公に斥けられた楚蘭はこんどは奥方を煽りたてた.
婦人は息子の顔を見る、息子も母を見返す.暗黙の承認が行き交う.『これは忍び難いことではありますが大きくはお国のためであり次には旦那様の憂いを無くす事であり又洪門の保存のためです.お前の思うように進めなさい.』
奥方は溜め息と共に承諾した.楚蘭は大いに喜び早速特才を呼び寄せて、
『今宵中に行え』と殺人指令を出した.
家出、暁の空を飛ぶ。休憩
読む人いるのかな?
取り合えず、洪吉童伝書きれません。
あと6回では無理です。
おしまい。誼좋은 兄弟
라고 알까?>>995
馬鹿にすんな。
終わりには適量な文章ですね。
仲の良い兄弟 (의좋은 형제)
昔々、とある田舎に仲の良い兄弟が暮らしていました。
幼い時に父を亡くし、母と暮らす兄弟はとてもまじめで村での評判はたいしたものでした。
しかし兄弟が尽くしたにも関わらず母は早くに亡くなってしまいました。
『母さん!私たちがいたらなくて亡くなってしまったのですね。』母が亡くなってから二人は残っている財産を皆等しく分けることにしました。
『弟よ、あっちの小川のほとりにある畑はお前にやるよ。』
『兄さんは道の前にある唐辛子畑を貰ってください。』
『うちの鶏が20羽だから10羽を持っていって育てな』
二人は互いに不足無く充分と考え、財産を等しく分けました。春になると二人は両親から譲リ受けた土地で一生懸命農作業をしました。
長い梅雨が過ぎて暑い夏にも兄弟は一生懸命田んぼや畑を耕しました。
兄弟が野良に出て楽しそうに仕事をする姿を見ては
村の人たちは兄弟を惜しみなく褒めました。
やがて穀物が実って刈り入れの秋になりました。
兄弟は鼻歌を歌いながら刈り入れをしました。
田んぼや畑に高く積もった穀物を見て、兄はふと弟を思い浮かべました。
『弟は今やっと結婚したばかりで必要な家財道具が多いだろう。
助けてやると言えば嫌だと言うだろうし、どうしたものか?』
兄はじっくり考えていましたが、ひざをポンッ!と叩きました。『そうだ!俺がこっそり稲束を弟の積んでいる稲束に積んでおけばいいんだ
こうすりゃ、弟は自分が刈った稲束だと思うだろう ハハハ』
兄は心浮かれて月明かりを浴びながら稲束を移しました。
しかし次の日の朝、田んぼに行った兄は何か様子がおかしいと思いました。
『あれ?おかしいぞ。確かに昨日稲束を取り出したのに減ってないぞ』
次の日、兄はまた月明かりを友として稲束を背負って弟の田んぼに歩いて行くと黒い影が前の方から近づいてきました。
『こんな遅い夜に誰が稲束を運んでいるのだろう?
いやぁ、まめな人もいるもんだな』
二人の距離がだんだん近づいてきてまもなくしてお互いに向き合いました。『なんだ!』
『兄さん!どうしたんですか?こんな夜中に』
『いや、お前こそどうした!?』
兄弟は互いに顔を見合わせてびっくりしました。
『兄さんの家は家族も多いので、私のとこより穀物がもっと必要だと思って・・・・』
『 お前は家庭を持ったばかりだから、私よりお前のほうがもっと穀物が必要だと思って、こうしてお前の所に持って行くところだ』
兄弟はお互いに感動してどうしていいかわかりませんでした。
仲の良い兄弟は稲束を背負ったまま、お互いに抱き合って喜びの涙を流しました。
お月様もにっこり笑って兄弟のいる田んぼをより明るく照らしましたとさ。
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